こんばんは、奥森皐月です。
本日5月9日で20歳になりました。
非常に節目らしい数字。綺麗に割り切れる。 人数調査をするときなどに使うカウンター。ボタンを押すと1ずつ数えられるアレ。十の位が変わって一の位は9から0になる。気持ちいいです。たった20回しか押してないのかよ少ないな、とも思います。
中学1年生か2年生のときに100円ショップであのカウンターを買ってきて、夜な夜な押すのにハマっていたことがあります。999になってから0に戻るときの儚さがよかったです。ちょうど100円で買えるだけの儚さ。たしか2470くらい数えてから引き出しの奥底にしまい込みました。
カウンターという名称だけだと飲食店などにおけるカウンター席が思い浮かびます。何か別の呼び方があればいいのにと思いましたが、カウンター席と手持ちカウンターの話を同時にする現場が滅多になさそうなので問題はないとも思いました。
誕生日のたびにブログを更新しています。誕生日のたびに過去の自分の誕生日ブログを読み返します。15歳くらいから文章も考えもあまり変わっていないです。いいことはたいてい過去の自分が書いてしまっていて、今更私が書くこともないような気がしてしまいます。 なかなか良いのでよかったら読んでください。
19歳 意気自如
18歳 前途洋洋
17歳 未成年者
16歳 破瓜之年
20歳。ハタチ。将来有望な若者。これから社会を知りそう。荒波に揉まれていきそう。酸いも甘いも知っていきそう。
私はノストラダムスの大予言も知らない若造のガキンチョです。小童。コワッパー。コワッパーJr.。
いつも連載の記事やXやInstagramやThreadsやBlueskyにだらだらと偉そうに自分の言葉を書き連ねながら(所詮は生まれて20年未満です、ボキャブラも笑う犬もリアルタイムでは知りません)と思っています。 それでも考えていることを偉そうに書く権利はあるので、当然考えていることを偉そうに書かせていただいております。
自らで「波瀾万丈」「濃い人生」「人とは違う生活」のような言い方をするのが、燃えるゴミの日を2回連続で忘れることくらい嫌です。本当のことを言うともっと嫌です。
あくまで事実のみ並べますが、3歳から労働と納税をはじめ、一度も辞めることなく同じ職業で17年働いており、高校卒業後進学をしなかったためようやく肩書きが社会人となり、19歳で結婚しました。
一般的(この言葉も今偶然こめかみに銃口突きつけられているから使っているが本当は使いたくない)な20歳の抱負は何も出てきません。 自分に適した仕事に就きたいとか素敵な人に巡り逢いたいとか、ないです。
楽しくて自分に合っていると思えていつまでも続けたい仕事をしています。死ぬまで一緒にいたいと思える人と暮らしています。毎日幸せです。
数年前、とある作家の展示を観て感銘を受けたことがあります。すでに亡くなっている有名なイラストレーターの展示だったのですが、年表が0歳から亡くなった年齢まで1年ずつ細かく分かれており、その1年ごとすべてに何かしらの大きなイベントや功績が載っていました。 何もしていなかった年がなく、人生単位で何かを起こし続け、創作し続けていることが年表で伝わってくる。これがしたいんだなぁ、とそのときに気付かされました。
ノーベル賞を取りたいとか社会を変えたいとかは言わないけれど、1年ごとに何かは起こしたい。自分の年表に爪痕くらいは残したい。 その展示に触れる前のブログでも「去年の自分が想像できないであろうことを1年でやり遂げたい」というようなことを書いていたので、きっと一貫性はあります。 19歳の誕生日時点では20歳で結婚しているとは思わなかったし、この調子で自分への裏切りを繰り返していきたいものです。
趣味が自分でもよくわからなくなるくらいたくさんあります。お笑いを見たり音楽を聴いたり喫茶店を巡ったりラジオを聴いたり散歩をしたりライブに行ったりアートに触れたり。 これらに翻弄されながら生活しているので、それだけでもかなり忙しないです。でもこれが楽しい。 高校生のときは年に100本以上お笑いライブに行っていました。この辺りはもうゲーム感覚になっていて、今はまた違うものの実績解除も同時進行で行っています。
今年に入ってからだと喫茶店は50店舗以上巡っていたり、ニューリリースの楽曲を毎週50〜100曲は聴くようにしていたり。 誰に頼まれたわけでも誰に自慢するわけでもなくただ好きで継続しています。
でも、ありがたいことに好きでありつづけると仕事になることも多いです。 あれもそれも仕事のつもりはなくてただの趣味。このまま趣味に没頭しているよくわからないおばさんになれたら素敵だろうなぁとは常々考えています。
目下の目標で言えば、また自分の番組がやりたいことでしょうか。ラジオ番組がやりたいです。定期的に吐き出す場所が殆どないのでSNSに小分けに出していますが、文字と音声というのにはやはり隔たりがあります。外で適当に喋っていろよとも思いますが、ラジオという形で残るものができればいいなと思います。ラジオやりたいです。
あとは文章を書くことを引き続き頑張る。これはもう修行なので。コツコツ文章を書き溜めて何か別の形に昇華できないか試みます。過程をみなさんにお見せできないような気がしますが。SNSにあげている小言は自分なりに「残す必要がある」と判断した無駄口なので、楽しんでもらえていると嬉しいです。この1年くらいは修行の年になりそうな予感はしています。
先日演劇の公演があり、お客さんとお話する機会がありました。SNSの私の言葉が好きで演劇を観にきてくれたという方がいたのがすごく嬉しかったです。言葉から私に興味を持ってもらえるなんてあまりにも素敵だもの。
それから、結婚おめでとうと口頭で伝えてくださった方がたくさんいらしたのも嬉しかったです。意外と初めてだったかも。応援してもらう人からの肉声のおめでとう。
ありがとうございます。
ここ最近、もう一度私を作るにはどうしたらいいのだろうと考えていました。
倫理的な部分は一旦度外視して、自分のような子はどのようなプロセスを踏めば形成されるのか気になって。究極的な自己愛です。
散々本人たちに伝えているので、今わざわざこのブログという手段を用いてここに記す必要もないのですが、私の両親はとても賢くておもしろくて柔軟な愉快な人たちです。ゾルディック家みたいな見た目ですが。私は二人のことが好きです。おもしろいので。
20年間育ててくれてありがとう。と伝えたいところですが「あなたを育てた覚えはない、勝手に大きくなった」とか平気で言います。
でも案外そうなのかもしれないと思うようになりました。洗練された環境を与えてくれて、主体性は常に私に持たせてくれる。私がやりたいことを最優先にして、それを全力でサポートしてきてくれました。芸能を続けられているのは確実に両親のおかげです。
東京生まれ東京育ちは本当にありがたいです。決してお金はある方ではなかったけれど、そんなことがどうでも良くなるくらいの愛と文化を与えてくれました。素敵な音楽のライブに連れて行ってくれて、小さな頃からアートに触れさせてくれて、物心つく前から家ではラーメンズや東京ダイナマイトの単独のDVDが流れていて、アンパンマンとリンカーンを同時に見せてくれて。それから豊かな心を持つ人に出会う機会をたくさんくれました。
ほったらかしではなく、厳しさもありながら質の良い環境を与えてくれて、生きることや働くことは背中で教わった気がします。
そんなことを考えていると、もう一度私を作ることはできないなという結論に至りました。
もし今から奥森皐月を作ろうとしていた方がいたら悲しいお知らせです。多分無理です。「奥森皐月 作り方」で検索してこの記事に辿り着いた方にも申し訳ないですが、それは無理です。
話が散らかっていますが私の部屋よりは整頓されていると思います。明日には片付けようと思います。
私というものを私以上に把握/想定することは難しく、かくいう私も自らの想定を裏切るプログラムになってしまっているため収集不可能というわけです。
20代があと10年あるそうです。
10歳から20歳までの間に相当な出来事があったように思います。
それがまた20歳から30歳までにあるのでしょうから、楽しいです。
今日まで、もし少しでも私に関わったことがあるという方がいれば、それは間違いなく私の環境であり私の一部です。(不本意だったらすみません)
これからもみなさんを一部にしながら形や面積や体積を変えて大きくなっていきたいと思います。大きくなります。
ここまで付き合っていただきありがとうございました。
これからも付き合ってください。よろしくお願いします。
奥森皐月