こんばんは、奥森皐月です。



 

2024年になりました。形式上だと聞いています。今年もよろしくお願いいたします。これは形式的なものではありません。

 

久しぶりの更新です。年始のブログというと前年を振り返ったり今年の抱負を書いたりするものだけれど、そういうのはやめることにしました。なぜかというと別におもしろくないと思うから。いっぱいテレビ出ていっぱいラジオ出ていっぱい文章書いて好きなこといーっぱいしたい!でストップ!(私利私欲のゴチ、欲とストップは対照的なのに)

 

前回のブログ更新後に結婚の発表がありましたが、こちらもこれといっておもしろいことでもないので何も記しません。大した変化もなく今もこうしてバーミヤンでドリンクバーの中国茶を飲みながらカタカタとパソコンを打っています。すかいらーくに住んでいるから。

 



 

少し前に友達と「体験が必要なくなっている」という話で盛り上がりました。ある映画をみて、その感想を広げていたときに出てきた話題。

 

私はゲームはプレイしたいし、美味しいものは食べたいと思う。けれど世の中には「ゲームは実況動画を見るだけでいい」「美味しいグルメのショート動画を見るけどお店に行くわけではない」みたいな人がいるらしい。否定するつもりは一切ないし、流行りの“タイパ”に照準を合わせればその行動は最善策なのでしょうね。

 

ただ仮にそのような「疑似体験」ですべてを賄えるという考えになると、ライブや演劇を観に行くことも、綺麗な景色を求めて歩くことも、遠くの友達に会いに行くことも全部不必要なのかもしれないです。それは少し寂しいなと思ってしまいます。ここで「寂しい」などを持ち出す面倒ないきものが人間なのかと思っていたけれど、それも違うみたいだ。

 

体験を避けることで辛い経験をすることも悲しい現実に目を向けることも避けられるのではないか、実体験での成功体験がないと現実の体験を避けて非現実に向くようになるのではないかと友達が言っていました。一理あるなぁと思います。

 

一方で別の友達は「創作や想像上のものの中で辛いことがあると現実に興味が湧く」と話していました。

結局は自分の今いる場所から逃避できる場所に移動するようにできているのかもしれません。渋谷で嫌な思いをした人は吉祥寺に行き、吉祥寺で嫌な思いをした人は渋谷に行く。全員が京王井の頭線に乗っていると思ったことに、特に理由はないです。

 

もしも世界が体験を必要としない人ばかりになったらどうなるのでしょうね。そんなことをぼんやり考えながら、体験をしに行く電車に揺られていました。私は体験が大好き。おもしろい体験はもちろんのこと、つまらない体験も好きです。つまらない体験をすることはおもしろいので。

体験体験体験としつこくなってきました。そろそろ目が「体験」を受け入れなくなる頃かしら。受験のケンは体験のケンだけれど、日能研のケンは体験のケンじゃない。なんとなく日能研は験が入っている気がしていました。受験とセット売りになっていることが多いからかな。

 



2023年の仕舞際にできたいい体験が「さいたま国際芸術祭」に行ったこと。

現代アートチーム目[mé]がディレクションするメイン会場に興味が湧いて、ひとりでてくてくと大宮へ向かいました。家からずっと徒歩ではなく、公共交通機関も利用しながらです。でも最終的に徒歩で会場に着いたので、敢えて[てくてく]と書きました。たくさん歩ける自慢を急にしてきたと思ってストレスを感じた人にはきちんとお詫びをしたいものです。

 

1970年から2022年まで使われていた「旧市民会館おおみや」で繰り広げられる空間としてのアートは、日常と創作と現実と架空のどれでもなく、それでいて全てに当てはまっていました。心地よさと気持ち悪さが入り混じる異空間を何時間ぐるぐると巡っていたかわかりません。

 

目を凝らして歩いていると小さな違和感が無限にあり、同時に「これは作られたものか、最初から存在していたものか」「きっとまだ何か見逃しているかもしれない」という考えが渦巻いて止まらなくなってしまいます。掃除用具が置きっぱなしになっている、蛇口を締めきれていないが故に水滴が垂れ続けている、工事途中のようなブルーシートや脚立が放置されている、など日常にありうるものが作為的に生み出されている館内。清掃の人や係員にもなかには用意された人がいて、仕事をしているようで不自然な動きをしていたり無意味なことを繰り返しおこなっていたりするのです。

段々と行き交う人も今いる空間も全て作り物に見えてきて、帰り道に通りがかった民家の壁に箒が立てかけられているのすら「不自然」に思えてきました。何を信じているかわからなくなる感覚がすごくよかったです。

 



 

展示室はガラスの大きな窓で区切られていて、同じ部屋の中でも二つに分断されていることがありました。目の前にあるのに向こう側の空間に行くことができないもどかしさがまた楽しかった。簡易的な地図を貰えるので、ダンジョンのような会場を右往左往しました。上階も地下もあって、「一度外に出てからこの扉に入らないとあそこには行けない」のような複雑な構造になっています。RPGみたいで地図を読むことすらワクワクした。係の人に経路を尋ねれば教えてもらえるのに、なぜか悔しくて最初から最後まで自力で回りきりました。負けず嫌い精神もくすぐられる。

 

ガラス越しに見える奥の世界は、額縁に入った絵のようなのです。会館自体をガラスと枠で切り取り、作品が無数にあるように見せる仕組みは圧巻でした。



ここまで0笑いだけど大丈夫?なんて声をかけられたものなら私は猫配膳ロボに無理やり乗って家まで帰ります。

 

使われなくなった会館の大ホールでは芸術祭の期間中だけは毎日何かしらの公演が行われていて、それも素敵でした。私はホールで目[mé]と全盲の美術鑑賞者で写真家の白鳥建二さんのトークショーを見たのですが、これがかなり衝撃的だった。1ヶ月経った今も思い出してはあれこれ考えています。

 

「見えたものが果たして正解か」という話が中心にありました。「見える人が見えないものを見る」というところに重点をおいていて、作品ではなく「問い」を展示しているのだと。

 

たしかに見ることで想像が広がる展示で、結果から過程を考えたり状態から正解を導くことを試みたりできました。それらを「見えないものを見る」という簡単な言葉で一括りにしていたのが印象的。その一言に全てが詰まっている。

 

白鳥さんのお話を聞けば聞くほど、私が見ていると思っているものはまだまだ見えていないのだと実感しました。白鳥さんが写真と対話をするというかなり斬新な企画もあってすごかったです。スクリーンに映された写真を見た人が白鳥さんに詳細に説明し、それを聞いた白鳥さんがその写真と対話をするというシンプルでとても難しい時間。

 

ハッとさせられることの連続で頭をぐるぐるさせながら帰りの埼京線に乗りました。大宮は遠いようで近く、近いようで遠い。何気なく芸術祭のサイトを開いて見てみたら『本当の〝気づき〞や〝体験〞には、観客がそれを見逃してしまう可能性が不可欠』という文章があってたまげました。この文章にのっとれば、この日の私は本当の気づきや体験ができたのかもしれません。

 

あれから1ヶ月噛み続けて思うことは、私は「見えないものを見ること」と「見えないものを見せること」ができる仕事をしているなぁということ。これはとても幸せであり喜びです。見えないものが好きだと改めて思います。見えないもののことばかり考えてしまう。

 

それからもう一つ最近の世の中を眺めて思うのは「見えないものを見たふりをする」ことの危うさ。見ていないのに見たと欺くことや、見ていないことで自分や他人を騙ることが恐ろしいです。混沌を極めたこの世界で、本当のことを見極めるのは至難の業ですが、せめてその努力だけは惜しまないようにしようと心に決めています。

 

「見る」を気にし始めると「見極める」「見出す」「見定める」などのことばが目につくようになります。また目につくとか言っちゃって。いかに目を頼っているかという話ですね。「審美眼」のような言葉もあるので、そのような”目”をひっくるめてですが。

 

先の見えない不安定な社会で未来が何も保証されていない仕事をしていますが、現実に目を向けながらも明るい未来を見て今年も頑張りたいものです。

 

結局去年の出来事と今年の抱負を書いてしまいました。逆有言実行。「しないと言ったことをする」は逆とは違うか。龍みたいに難しいです。新年早々うまいこと言ったとしたいですが「新年早々」にしては遅く、そもそも何もうまくない。午年だけに。




 

 

お知らせ

 

新連載『奥森皐月の喫茶礼賛』

 

 

公募ガイド 2024年冬号

1月9日発売『季刊公募ガイド2024年冬号』の大喜利特集にてインタビューをしていただきました。「大喜利好きなら誰にも負けない!」という衝撃的なフレーズがついていて焦りましたが、休みの日まるまる1日かけて大喜利の大会を観に行くことがあるタレントはあまりいなさそうなので、光栄に思っておきます。

遠慮せずお話ししていいと編集の方に言っていただき、かなりマニアックかつボリュームのあるお話をしたのですがどうやら全部開催されるようで!!倉本美津留さんや大好きなこんにちパンクールのインタビューもあって読み応えがあると思うので是非チェックしていただきたいです☺︎

 

 

 

読売テレビ『るてんのんてる』

1月12日(金)深夜1時~読売テレビにて放送の『るてんのんてる』に出演いたします!

今回は「〜笑いの力で突き進め〜ワラコロ」という企画でMCを務めました。

 

お笑いバトルすごろく「ワラコロ」は6人の観客を笑わせた数だけコマを進めることが出来る“笑い”דすごろく”の新感覚ゲーム。大喜利や一発ギャグをはじめとした即興ネタが続々と繰り広げられます。

 

2週連続放送でTVerでの配信もあります。絶対見てね!

 

 

TBSラジオ系『ONE-J』

 

1月14日(日)8:00〜10:00放送 TBSラジオ系列『ONE-J』出張おでかけレポートのコーナーに出演いたします!

昨年に続き2度目のレポーター出演です。生放送なので当日をお楽しみに。

 

 

 

 

AUN ~コンビ大喜利王決定戦~

1月21日(日)に開催される第7回『AUN ~コンビ大喜利王決定戦~』の予選/本戦でMCをさせていただきます。

前回、前々回に引き続きでとても嬉しいです。自分が出演することがなくても絶対に観に行きたいライブですが、間近で激戦を目撃できることを光栄に思います。

前回のAUNの後に色々な方にMCをお褒めいただけたので今回も何か自分の力を発揮できればと思いますが、そんな私のエゴはどうでもいいくらい豪華で最高のメンバーが今回も出場されます!M-1チャンピオンまでいる。本当に楽しみ。予選の会場チケットと配信もございますのでぜひご覧いただきたいです。昼も夜も頑張ります。

 

 

 

QJWeb 『奥森皐月のお笑い事件簿』

QJWebで毎月お笑いについて綴る連載をしています。なんだかんだ毎回書くことに尽きないし、尽きさせないくらいにはお笑いを見てをみて生活しているみたいです。

 

最新の記事はこちら。M-1の直前だったのでM-1にまつわることも書いていますが、後半のGERA NEXTについての部分の方がより伝えたい内容となっています。おもしろすぎるラジオのことです。読んでね。

 

 

奥森皐月公式SNS

Xで今日更新したPerfumeじゃない写真がお気に入りなのでみてください。

https://twitter.com/okumoris

 

 

年賀状の写真はアザーカット含めてInstagramにたくさん載せています。顔が見たいよー内面には興味がないよーという正直者はInstagramだけ見ていればいいと思います。ブログを読んでくれているような人にこういうことを絶対言うべきでないとも思いました。

 
Threadsが今一番のびのびとしています。遅めのスタートだったけれど自分は言葉に執着しているので向いている気がする。
Xに比べて500字というのがいいですね。書きたいことをちょうどいい具合に書ける。ちなみに今日のブログは約7000字です。読んでいる人がいると思えない。
書くこと自体が好きなので、お金が発生しなくてもいくらでも書きたいです。でも書いてお金がもらえるようになりたいとも強く思います。大体のことはスレッズに書いているのでフォローしてね。

 

 



「おしまい」はお終いよりお仕舞いの方が圧倒的に可愛いですよね。


ししまい おしまい セイッ