静かだった。静かが過ぎると小さなことが気になり始めるので、あまりよろしくない。音楽を流したり、ヒトカゲが焚火を前に30分ほど横たわる動画を眺めるなどして過ごした。




何も起きないからと言って、何もやることが無いわけではない。それは疫病とはあまり関係がないのだ。やることが無かったことが、人生であまりないように思う。

素晴らしいように聞こえるが、やることを消化しなければやることは減らないというだけだ。
想像より早くそして堆くやることは増える。なんでも消化するスピードが遅いのだが、最近は毎日少しずつ減っている。恐らく、精神の調子が良い。何もかもうまくゆくという予感がする。それは躁的なテンション感ではなく、静かな思いだった。

日常が変わっていく。変わるのなら良い方に変わるに越したことはない。
一度は「やることがひとつもない」という状況を味わってみたいと思った。おれは本当にひきこもりだったのだろうか。



⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン



「おれは、育ちが良いので舌が肥えている」
みたいなことを、常に木原や夏目に対して強気で言うところが、実のところおれにはあって(我ながらチャームです  爆笑)、

そういう自らしょぼいマウンティングをとりにいく相手と一緒にいるときは、少し品格高い振る舞いをしようとすることがある。


たとえば、アイスやヨーグルトの蓋は舐めないし、大盛りを頼まない。歯磨きが入念になったり、道端のゴミを拾ったり、そういうのが過剰になる(チャームです)


しかし、本当は、おれは、おしぼりの匂いを嗅いでしまう人間なのだ。こればかりは我慢出来ない。
臭いおしぼりだと、「二度と来ねえよ、クソ」と心の中で悪態を吐く。

分厚くて、清涼感のあるにおいのするおしぼりのときは、手を拭いたあとの手の匂いも嗅ぐ。そればかりか、ある程度の厚みをもつおしぼりで「おしぼりチムポ」まで作ってしまう始末だ。


おれは、これは本当に行儀が悪いのではないかと思っている。
いつもおれと食事に行く人間(言うまでもなく夏目や木原や梶原など)は、幼少期に泣くほどテーブルマナーを躾けられておきながら、毎回おしぼりの匂いチェックをするおれの悪癖をどう思っているのだろうか。

ああしかし、思い出す。熊本の、実家の近所にある「凛や」というカフェは、せっけんで洗ったと思われる手拭いがおしぼりとしてつきだされ、そのしっとり具合といい、手のひらへの馴染みっぷりといい、たまらない気持ちになるのだ。


そういえば、ぐるぐる巻きで手元に届くおしぼりを、使用後みんながどういう畳み方をするのかまで、見てしまう。
使用後、使用前と同じ状態にくるくると巻き直すもの、くしゃっと放置するもの、など、色んなパターンがあり、そこで人間性を判断したりすることもある。(ちなみに自分は三つ折りにして、右手側に置く)(最終的には「おしぼりチムポ」になるのだが)


たとえば美女と食事に行くとする、その女が素晴らしくしなやかな肢体、扇情的な目つきや言葉遣いで一流の格闘家のようににじり寄って来ても、おしぼりがくしゃっとしていたら、ぼくは、ケダモノ……と思うだけだろう(悪くないかもしれない)


偏屈で奇怪な行動、とても「育ちが良い」とは思えない。しかし、我慢出来ないのだ。
そういえば今日母親から送られてきた安物のハンドソープの匂いを嗅いだとき、紅茶の染みたマドレーヌを齧ったプルーストのように、リノリウムの床を駆け回るような懐かしい爽やかさが全身にめぐるのを感じた。


店に入って、おしぼりで手を拭くとき、心の底からホッとしている。
仲の良い友人でも、家に来たとき、1日履いていたジーンズでベッドに座ったりして欲しくないなと思う。そこは、静謐な、守られなければならない、不浄の領域なのだ。
おれは良いおしぼりで手を拭くとき、ちょっとしたセーブポイントにたどり着いた気持ちになり、ホッとする。取り乱していた精神は安定、自分の人間性を獲得、血液がサラサラとやさしく流れだすように思う。


そして、夏目が必ずおしぼりで顔を拭くのを見て、とても羨ましく思う。熱の篭った溜息が漏れ、完全に自分だけの精神空間に突入する夏目を見ると、憧れでよだれが出る。首まで拭く。汗かくもんね。


おれは「拭くと、肌が乾燥する気がする……」みたいな気持ちになって、怖くて顔を拭けないのだった。
あと、幼稚園児のときにみた、「手についたバイ菌は手に残っていて拭いてもおちません」みたいなイメージ映像を意識してしまい、顔にバイ菌を塗りたくるような気がして、出来ない。が、あれは間違いなく気持ち良いのだ。


「おれは、育ちが良いから、拭かない……」
というおれのむなしい負け惜しみは、匂いを嗅ぐために鼻に近づけたおしぼりにだけ聞こえるささやきで放たれるのだった。




⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン



散々言っておいてなんだが、今日は小説を2冊読んだ。どちらもとても良かった。
読書体験を旅行に喩えるのはよく聞くが、個人的にはあまりピンとこない。感情移入はするが、自分が主人公を体験すると言ったような感覚とも少し違う。しかし、未知との遭遇を喜ぶような気持ちはある。


書きながら思い出していたのだが、変身願望のようなものが自分の中に、幼い頃から常々あるなと、最近感じた。


普段人と話せない太っちょの男の子。性欲をもて余し、抱えたルサンチマンの大きさを自分の中の眠れる才能だと思い混んでいるキッズ。


まあ、要するに中学くらいのぼくなのだが、バンド始める前のぼくなんて、けたたましい音楽が好きなだけのただのそういうブキミくんなわけで、やり場の無い感情を「芸術」みたいなステージにぶつけることによって、自分の存在を意味のあるものにせん、と、バンドを結成したというわけだ。


本当は不二周助みたいになりたかったはずだが、むしろ無意識下で「なりたい」と考えていた自分の姿が現在の自分なのでしょう。「不二周助になりたいと思いこんでいる自分……」
今の自分が自分のことをちっとも愛せないところまで含めて、無意識的に憧れていた自分の姿になっているということなんだろうなと思いますね……。


ウザい話が続きますね、
今、何もかもが同時にすべて終了し、モバゲーの初期アバターのようになってしまったら、おれは、一切人見知りの気配を見せない人間になるのではないかと思う。そして、おぞましいほどにキザで(今でもかなりですが)漫画や映画の登場人物のような口調で喋りだすだろう。
おれの身体でやったら、大人の厨二病、バケモノみたいになるに違いない。そんな、如何にも狂人になるだろうと思うのは、憧れているからだ、そういう……言い方悪く言うと、恥知らずに……最近自覚したが、おれは……カッコつけるのが、好きだ……。
しかも、確信的にそういう人間になると思っている。散々中学のときに思い描いた狂人の人生を歩んでいるが、ここにきて、狂人の度合いを強めようとしている。そうならないのはおれの自我が強いのか、軽薄なのか、よくわからない、纏まらないまま書いているおれのこの文章も、何が言いたいのか、わからない、今は深夜2時半、カップヌードルの美味い時間。すべてを許してくれ。おれが、今以上にキザになって、不謹慎なジョークで寄り添うときも、同じになって、許してくれないか……。



⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン


家で食事をするので、普段とりたてて思い出さない「おしぼり」みたいなものに想いを馳せる1日だった。今日「いいな」と思った音楽はヒップホップだった。

ブログを3日続けて書いて思うのは、間違いなく一日ずつ経過しているということだ。茫漠とした不安などを抱えている人もいるだろうが、停滞しているわけではない。たぶん。


ヤなことを考えたり想像したりするのを辞めろとは思わない。辞められるものではないので。それとは別で、愉快な想像もする。おれは、今日、色々終わったら、温泉施設の畳ばりの大広間で酒飲んで大の字になって横になりたいなと思った。



ハブ・ア・ナイス・デイ




🎈今日の一曲
Art Of Noise / Robinson Crusoe



    糸冬                            ---------------