高校の軽音部の顧問から突然連絡が来た。たまたまライブの情報をみて、今度札幌くるんだって?って連絡だ。どうして俺が挫・人間であると?どうやって知った…?とかなりビビったが、まぁ、それは置いておいて…それから少しやり取りして、誰々先生が定年だとか、後輩も頑張ってるだとか、そういう話を聞いた。もちろん、誰が結婚するだとかも………


僕は軽音部部長で、しかし部長らしい事は全くしてなかった。部屋でひたすらベースの練習をして、具体性のない来たるべき時が来るのを待っていた。スチュアートゼンダーがJamiroquaiの1stのベース録ったのが17だか18だったという事で、大変焦っていた。ゼンダーに勝てないじゃないか!と。
井の中の蛙、ガラパゴスってのは、必ずしも悪いことじゃないと思う。周りのレベルがわからないので、おれはゼンダーに勝とうと頑張ってたわけだけら。それが、そこそこ自分よりベースの上手い同級生に勝とうなんて目標だったら、そんなに頑張らなかったと思う。


ぼくが高校の軽音学部に入部した時、先輩達はみんなメロコアをやっていた。ベーシスト不足により僕は先輩のメロコアのコピーバンドのベーシストになった。今はメロコアになんの恨みもないが、Jamiroquaiが好きな僕にとっては、ファンキーな指引きもスラップもできないメロコアのコピバンでは自分の好きな事があんまり出来なかったので鬱屈した。


中学時代に僕にロックミュージックを叩き込もうとした同級生、彼はVanHalen好きで、遊びに行くたびにVanHalenの良さを語り、VanHalenモデルのギターで速弾きの真似事をしてたのだが、彼は学内で一番頭の良いC高校へ行った。
彼から聞くに、C高校では大変軽音部が活発で、どうやらTeensMusicFestivalって大会でフュージョンバンドを結成して北海道代表になったらしいと。

C高校の軽音部は大変活発で、定期ライブのような物を学校の記念館で開催し、ジャンル問わず学内のバンドが何バンドも活動していた。
定期ライブを観に行き、驚いた。記念館に入ってそこで演奏していたのがマキシマムザホルモンのコピバン、次はギャルバン、次はオリジナルのメロコア、レッチリのコピバン、ジャムバンド、などなど大変ジャンルレスな感じで、しかもどれもかなり上手い。
制服がない学校で、私服制の学校だった。それなのに偏差値が高い。その感じがそのままみんなの演奏や自由な雰囲気に出ていた。

トリはもちろん例のオリジナルフュージョンバンドだ。
完全に打ちのめされた。セットリストは覚えてないが、ベーシストがハービーハンコックのカメレオンを弾き出した。アッシュメイプルのジャズベで、かなりリアピックアップよりを力強く弾いた。ギターが続く、ドラムが続く。完全無欠のジャズファンクの元祖、ハービーハンコックのカメレオンだ。
ギタリストが2人、キーボードもいて、どの曲でもそれぞれアドリブソロを回す。高校生が!ジャズファンクをやっている!上手い!!


僕は自分の高校進学を呪った。僕は自分の高校でスラップしたってただの自己満足に終わっていた。ギタリストが居ないと、ギャルバンで当時猛威を奮っていたNANAの曲を弾いたり、木村カエラのリルラリルハを弾いた。(これはASEさんの演奏だったため、大変楽しかったが)

C高校ではファンクベースが受け入れられて、人気者になれる。
C高校のイケてる私服のお洒落な学の偏差値の高い、自分で音楽をやらない人たちが、男女問わず大変たのしそうにアドリブソロやグルーヴを楽しんで踊っていた。

僕は何とかこの界隈に喰い込めないか頭を捻った。
そうして、C学校にいる中学時代のVanHalenとバンドを組み、本当は学外の人は出演出来ないところを無理矢理出演した。承認欲求!その物を披露した。たしかCREAMのコピバンだったと思う。僕はクロスロードのギターソロをベースでコピーして無理矢理ソロを取った。そして、認知を勝ち取った。それだけで十分だった。高校時代で一番頑張った事だと思う。


件のフュージョンバンドが受験シーズンはを迎えて定期ライブは休止。その後、進学組と浪人組に分かれたバンドは休止。しかし、幸運な事にリーダーのギタリストに誘って頂き、ジャズファンクバンドを組み少しの期間だったが活動する事ができた。高校時代とその時に色々勉強した事が無ければ今、こうやって東京で音楽を続けられる事は出来なかったと思う。


東京に出てきて、同時の小樽の高校生バンド事情が特殊だったと知った。
それもそうだ、そのギタリストは外園さんって人で、最近もドリカムの新曲で弾くような凄いギタリストとなったし、僕の一個下の学年のC高校の仲の良かったベーシストは菅田将暉さんのバンドのベーシストで、これまた高校時代はフュージョンをやってた越智くんだ。そういった意味で、当時の小樽という何故か技術が認められるガラパゴスの中で成長できたのは今のベーシストとしての自分としては良かったと思う。

驚くべき事は、もちろんC高校の人たちの中で今も活躍してる外園さんや、越智くんはもちろん当時から頭一個抜けてる感じだったが、それに負けずと個性で勝負しようとしている人達が多かったし、それも負けないくらい面白かった。
髪がもじゃもじゃで頭がデカくてMCの面白いドラマーがいたり、何故かジェフベックモデルのストラトで兎に角カッティングだけの上手い人がいたり……楽しかった。


なんでこういう話をしてるかというと、小樽の高校軽音部のパワーバランスが変わって、C高校の軽音部が大変元気がないという。当時顧問だったParkerのベースを持って定期ライブに出演してた先生がいなくなったのだろうか。まぁ、10何年もあれば状況はかわるだろうが、それでも本当に僕の憧れだったC高校の軽音部が…と思ってしまう。それに僕のルーツについて書いておきたいといつか思ってたし、顧問の先生から連絡がきて色々思い出したからだ。


ちなみに僕の母校の軽音部は「小さな恋の歌」のコピーでなんかの大会に出場して準グランプリになっているという。もうなんなんだ「小さな恋の歌」は。何年経っても高校生はアレを演奏し続けるらしい。あれは高校生に効く麻薬が入ってる曲なのか。


僕がいまバンドで指引きをする時スラップをする時、それはC高校の軽音部に認められるために練習した経験に基いてるし、ピック弾きをする時、それは高校時代の先輩と組んでたメロコアバンドのピック弾きの経験に基いている。
あるいは、中学時代椎名林檎のベーシストになりたくてコピーした無罪モラトリアムの亀田誠治のベースラインであったり、中学時代にFlashをみて感動しハマったBUMP OF CHICKEN、チャマのリストバンド……もちろん結局30歳になっても勝てる気がしないスチュアートゼンダーも然り…

今、自分がなりたいベーシストになれているか、分からないが、上京してバンドに加入して、自分の作ったベースラインを弾いて、それが色んな人に聞いてもらえている。ましてや、コピバンがいて僕の弾いたベースラインをなぞってもらえる!それは幸運な事だと思う。そのルーツの話。





まぁ結局それらの全てがクソフラッシュになったんですけどね!!!