ラブコメ大好き
大好き大好き大好き。
ラブひなが特に好きだ。あの極限のハーレム状態にして、絶妙にエロくなり過ぎない感じが最高だ。しかし、米粒を半分に切ったくらいのパンチラ描写でも、俺を釘付けにする。生まれ変わったら俺は浦島景太郎になる。男は、女の子のパンチラを見たときは、スケベー!と言われながら殴られて、バイキンマンみたいに山の向こう側に飛んでいかなければならない。
Pixivでちょっとした青春ほろ苦い学園ラブコメ漫画なんか読んだりすると、なんで俺は高校時代、恋の一つや出来なかったのかと死ぬほど苦しくなる。
おれの故郷は小樽…!小樽だぞ、小樽は時々帰省するとそのロマンチックな風景が見え隠れする街なんだ。住んでるウチはそんな事に気がつかない。ナウロマンチック不成立だ。しかし、時々あの山の上にある母校までの坂を、ヒィヒィ言いながら登ってた頃を愛おしく思う。あの頃、恋がしたくて堪らなかった。おそらく思春期の性欲も手伝って、それは堪らなく強い思いだった。しかし、みのる恋は一つもなかった。
特に、学園ものラブコメなどで胸がキュンキュン言ってる時は、例のごとくあの坂の上の母校までの長い坂を思い出す。坂を登っていた記憶は何故だろう?あの疲労感が、記憶との関連づけを強くするのだろうか。
おれはキョンだったんじゃないか、と思い込むほどだ。しかし、おれは授業中、涼宮ハルヒの憂鬱を読んでいた記憶がある。オタクの友達からセットで1000円で買ったやつだ。よって俺はキョンではない。坂を登って、ハルヒや長門や朝比奈さんがいる学校に行くキョンに、同じように坂を登って学校に行く自分を投影しつづけているのか…。
しかし、そんな俺にでも、よく思い出す甘酸っぱい風景がある。
雪の降る冬はとても寒い。しかし、男子はコートを忌み嫌う。学ランの中に、カーディガンを一枚羽織るだけだ。あの意地はなんだったんだ。みんな、防寒よりヒエラルキーを守るため、闇のドレスコードに従った。おれもそうだ。ヤンキー天下の下で、コートを羽織ろうものなら、おれの死守してきた、中の中の平凡なる地位が崩れてしまうような恐怖感があった。
一方、女子は氷点下のもと生足を死守する。女子がKAWAIIのために、耐え難きを耐える姿は素敵だ。いまでも、階段を上るオネイサンの足に出来たばかりの靴づれを発見すると、愛おしい気持ちになる。話は飛躍するが、第一次チェチェン紛争の時、戦闘が終わった翌日には、オシャレをした東欧ガールが彼に会うために、瓦礫の上を真っ赤なヒールを履いていたという話が大好きだ。
話は本題に戻って、そんな長い寒い冬の、とある日の帰りの道。雪の降る坂道の思い出。
横に歩く、隣のクラスの中田ちゃんが両手を合わせ、早く春が来る事をお祈りするかのように、手の平を摩擦して寒そうにしていた。手袋をしてない中田ちゃんに、おれは貸そうか?と、自分の手袋を片方だけ差し出した。
中田ちゃんは、それを左手に着け、二人でふわふわの雪をかき分け、坂を下る。でも、途中で中田ちゃんは何かを待ってるような顔をしておれをジーっと見ていた。なに?と聞くと「おそろいみたいでヤダよ」と、恥ずかしそうに手袋を俺に返してきた。同時に、おれも自分の鈍感さに恥ずかしくなって、なんとなくお互い無口でそのまま帰った。
この話の欠点。中田ちゃんは男だ。
このエピソードを思い出すとき、目の裏に映るのは必ず、ふわふわの雪の坂道を下る風景で、手袋を返される所までは良いんだけど、顔をあげると男の中田ちゃんがいる。
おれはただ、自分の「手あったかい」を、友達に半分こしてあげようとしただけなのに、それは中田ちゃんからすると、男女間によって行われるイチャイチャ行為の一つと認識されたため拒絶された。なんか、その時「このやりとり、幼馴染の女の子とやりたかった…」とかなんとか思ったのか、ずっとそのモヤモヤが、風景と相まって半端な記憶として残ってる。
強くてニューゲームしたら、モテてたのか?とか頻繁に思う。しかし、今の俺もモテてないので不可だ。強くなってない…。仮に、メチャモテても、田舎の高校生カップルはデートスポットや、金もないので親の目盗んでセックスばっかしてる(俺調査)と相場が決まっている。大変それもまた夢のある話だが、俺は浦島景太郎的、あるいはキョン的な、恋愛感を学園ものにおける理想形としてるので、ラブコメ不成立である。
よって、何度おれは俺に生まれ変わっても、青春ラブコメ不成立である。完