5日間のインストアイベントが終了した。
始まる前は「アイドルみたいにチェキ撮って、嫌がられて、最終的に誰も来なかったらめっちゃ笑えるな」とか思ってたんだけど、蓋を開けてみると本当に5日間チェキ撮影人数0人で悲しみで細胞が全て光の粒になり空中へ飛散し、ただの思念体になってしまった。
しかし、ライブもバシっとやったし、楽しんで貰えたんじゃないでしょうか。というか、終わってみたらぼくらが滅茶苦茶楽しんでおりました。ありです^^
HMVでは笑えないくらい遅刻して、退っ引きならぬ土下座を繰り返し、皆様に許しを乞う一日になりましたね。許せないという方はおれと一緒にすべてを許す心を育てましょう。憎しみは心を痩せさせる炎です……。
前回のブログではタワヨコのイベントのこと書いたけど、それを読んでくれたかどうかわからないが、日に日に"推しジャン"を繰り出す人が増えて嬉しかった、心にグッときましたね。しみました。
これはタワレコ新宿店での写真です。
新宿といえば挫・人間のホームである新宿レッドクロスがありますが、そこのボス、つまり新宿のラスボス的な存在であるイカリさんがよく言う
「下北は横、新宿は縦なんだよ」
という言葉、これは人間同士の関係性の在り方についてではなく、ファッションの話。下北はボーダー、新宿はストライプ、というエリアの性格のファッション的な表層についての話でして、イカリさんの迫力が説得力になって我々にせまり、疑うこともなくカッケー!とか思ってはや10年みたいな感じでして。
まぁ割愛すると新宿でカッコつけるときはストライプ着るぜ!という気持ちで、スーツがストライプなんですぼくの。まぁ横浜でも渋谷でも大阪でも名古屋でもストライプでしたけどね。死にます。
次の日は渋谷HMV、移転したとはいえ聖地ですよね、渋谷系の。まぁこの日は先述したようにド遅刻をかましたので写真を保存する心の余裕がありませんでした。各々digってください。
この日は、我々の愛する鈴木社長の誕生日だったので、お祝いの動画を送ったのですが、若かりし頃の社長の写真が送られてきました。そしてこれがまぁ、完全にバカとしか思えないもので、ついてきて良かったと思いました。
遅刻の件ですが、焦って駅構内を走っているときに、目の前でババアがぶっ倒れました。そのまま自慢のキャタピラでトドメさしたろかと考えたんですが、アドレナリン出まくりだったので奇声を発しながらババアを持ち上げるという徳積みイベントを遂行しました。まぁ徳は積み得みたいなところあるんでみんなも躊躇わずコレクションしていきましょうね。
反省しています。
それで、名古屋ですね。ご覧の通り屋外です。先日の遅刻のことなど秒で忘れてこの表情です。
その辺の人に、PARCOの入口で挫・人間となり、歌えや踊れの地獄発生させるのと、往来で全裸になり逆立ちしたまま脱糞して号泣するのどっちが嫌ですか?と質問したら、大体の人が死を選ぶと思うんですが、ぼくらは残念ながら死にませんでしたし、挫・人間のライブをした上で脱糞し、それを夏目創太の母親が見守るという最も狂った1日になってしまいましたね。
物の例えです。母親は発生していましたが……。
夏目創太の母親に「綺麗って言われたいの!!!」
と強く申し出たら「綺麗」と小さく応えてくれたのが、ハイライトですね。
ぼくらは何も恥ずかしいとも思わないのですが、往来の人が寧ろぼくらを観て、何か恥ずかしくなってはにかんでいるのが印象的でした。
大阪の写真は、まだ自分の元に届いておりませんので見たい各々はTwitterやインスタなどをチェックしてください。
上の写真は、この2人の弾き語りユニットはコブクロの出来損ないって感じがしていやだなと思った写真です。しかも名古屋で撮影しました。
この写真を眺めると自分の存在意義に自信を持てるので重宝します。
大阪は、毎回インストアと思えないくらいノリが良いので好きです。勿論ライブだと尚良いのです。素晴らしい街ですね。路駐が激しい街ですが、我々の機材車はブルドーザーなので基本問題ないです。
この日のノリがどれだけ良かったかと言うと、夏目は言語化されない気持ちを音声にしたときに奇声を発するのですが、その奇声を客がコピって
奇声でかえしてくるという仕上がりっぷりでした。最高ですね。
後ろの方で彼女?と観ていた、挫・人間を知らない男の子を無理に会場に引きずり込むという、死神の働きをしました。引きずりこまれた会場で、祭壇の上の珍妙な3人組を前に、奇妙な踊りを踊りながら、意味不明の言葉を叫びつづける人達に囲まれるという経験をつんだ彼は、おそらく、もう死ぬことも怖くないでしょう。強さを得たんだね……。
とまぁ、こんな感じで振り返ると、このイベントを通して楽しかったぼくらも皆様も、ただただ頭がおかしくなってしまったのかもしれない、という気持ちになる。挫・人間を知らずにこの説明をされても、恐らく誰もが困惑するだけだろう……。
でも、ぼくらは普段ライブに来てくれてる人とも直接話す機会も無いので、今回のイベントは嬉しいというのが本音で、喜んでほしいと思ってがんばった。まぁ、表明の仕方がおかしいのはいつものことなのだけれど……。
なんというか今回、ぼくらは直接話したりすることによって、すごくすごくすごく愛されているんだな、と
思うことが出来た。自己肯定力が低いので、すこし驚いてしまうほどだ。寵愛を受けているので、それをすこしでも返せたら、という気持ちがあったが、むしろ我々が更に愛を受け取るというのは不思議な話だ。
手紙も沢山もらった。いつも立派な筆字で名前を書いてくれて、曲の気付いてほしいポイントに敏感で居てくれる人だ〜。とか、顔がみえると嬉しいこともある。
色んな手紙をもらって、はじめてファンレターかきます、とか、この曲が好き!とか、学校に行くときに聴いてる、とか、ライブがたのしみ、とか、ぜんぶぜんぶぜんぶうれしくって抱きしめてる。
挫・人間のライブの空間がすごく好きだと書いた彼女は、その瞬間以外はとてもつらそうだ。「助けを求めることもできない」という孤独の告白は、今にも切れてしまいそうな細い糸が張り詰めているのを見るようだった。
ずっと挫・人間を好きで居てくれてる女の子は、片想いの恋が終わったときに、挫・人間を聴きたいと思ってくれたらしい。
誰かが本当にしんどいときにおれの音楽は本当に役に立つのか?と考えてしまうことがある。彼女はぼくらのことを生きる希望だと言う。消しゴムで何度も言葉を握りつぶしたあとが見える。そうやって言葉を尽くしながら愛を伝えてくれるのを心からうれしいと思う。思ったのだ。
「挫・人間のことずっと好きです」と言ってもらった。「ずっと」という言葉を使う曲がいくつかある。常に未来に悲観的なぼくはそれでもいつか何かを見つけると信じて手を伸ばす。伸ばした手は祈りの形のまま指で何かに触れる。これが、幸福だとしたらどうだろう、すこし怖いなと思う。でもその手触りはぼくをあたため続けた。何年もかけてすこしずつ。
「君の気持ちがわかる」だなんて、怖くてまだまだ言えないが、君の気持ちを知っている、と思う。ぜったいにその辺のやつより、ぼくが知っていたいしわかっていたい。ずっとやきっとはたぶんない、それは嘘ではない。でも、ずっと、という言葉を選んだ気持ちを信じていたいし、ぼくはその痛みや怖さもあたためていたい。バンドを始めた頃、理由もなく、全員死んでしまえばいいと思ったことは一度じゃない。今はあまりそう思わなくなった。全員死んでしまえ、と思ったとき、ぼくはひとりだったからだ。今ぼくはぼくの言葉を喚きながらかろうじて音楽の形をしているものを演奏していて、それをいのちにかえている人がいる。それは孤独とは違うのだ。どんなにカッコつけて斜に構えるよりもぼくはそのよろこびを、こわがりながらも全身で受け止めていたい。そうしてぼくが孤独でなくなれば、それをよろこぶあなたもきっと孤独ではないでしょう。ぼくは君が笑っていたほうがいい。それがうれしい。傷ついてしまうほど自分を守れないような歌をこれからたくさん歌っていたい。そして、今はよろこんでほしいと思う。ただ、掛け値なく。