黒川くんという友達がいる。
妙に腫れぼったい顔に、ムチムチとした体つき、髪はド直毛だけど生え方の癖で自然と真ん中わけになってしまう。そしてなぜかモミアゲだけマジックテープのようにグチャグチャの癖っ毛になっており、同じクラスのヤンキーからは「モミアゲがチン毛みたい=モミティン」と罵られ、本人も本人で「そこをいじられてるんだから、何もそんなまっすぐに剃らなくていいのに」と思わず同情してしまうほどバキバキに真横一直線にモミアゲを剃り落としており、サイズ感もさることながらそれは完全に「習字の時に使う削るタイプの墨」である。そして年がら年中インナーにはタンクトップを着ている。キモすぎる。


彼との初めてのコンタクトは本当に昨日のことのように思い出せる。
高校の入学式から数日、偏差値の低さからくる牽制のしあいがまだまだ続きヒリついている教室内で、俺が入学初日にだけ間違えて筆箱につけていた長門有希のキーホルダーを見逃さなかったあいつは突然俺の席の前までやってきて、そのヒリついた空気と沈黙をブチ破るように、

「君!ハルヒ好きなの!?」
「俺、黒川富彦!トミーって呼んで!」

と、目を爛々と輝かせながら強烈過ぎる自己紹介をかましてきた。
きっと数日間誰に話しかけて、誰と友達になろうか吟味してたのだろう。悶々としていたのか「やっと言えた!」と顔に書いてあるようだった。


僕はというと「最悪だ」と心の底から思った。

クラスに一人はいる、マジでやばいタイプのやつにいきなり目をつけられてしまった、と思った。(孔子曰く「僕の学園生活の終わる音」というやつである。)
当然だ、決して入学するのに学力の必要な学校ではない。こんなタイミングで大声で話しているのはクラス内のイニシアチブを握りたいツッパリか、マジで空気の読めないヤバいやつかのどっちかしかいない。
案の定、黒川は後者で、マジで空気の読めないヤバいやつだった。


それからしばらく経つと、不思議なものであれだけ嫌だった黒川と僕はいつも行動を共にしていた。もちろん「最悪だなこいつ」と心底思うほど話が通じない部分(放課後にしていた約束を「風が強そうだから」「雨が降りそうだから」と言ってドタキャンしたり、思い込みが激しくどれだけその理屈が間違っていても一度そうだと思ったら人の話を一ミリも聞かないなど挙げればキリがない。)もあるし、決してお互い性格の馬が合って共にいた感じではないんだけど、不思議と何かに引き寄せられるように時には不仲になりながらも3年間共に過ごした。


音楽を始めた時もそのことは一番最初に彼に話したし、初めて作った曲を鼻歌で彼に披露した時に彼は「すごいよ!夏目すごい才能あるよ!めちゃくちゃいい曲だよ!」と本当に嬉しそうに言ってくれたり、俺が失恋をして髪の毛モヒカンにするわ、と宣言した時も戸惑いながらも僕の頭にバリカンを当てて、次の日学校までの10キロ程の田んぼしかない道のりを二人乗りで走ったり。
ライブをしたらいつもステージの上から見るとあいつがいて、俺が誰もいないライブハウスでダイブをした時もあいつが一人で受け止めて、骨を折った僕と一緒に病院まで行ってくれたり、いつまでも僕の作る音楽や、僕の好きな音楽を心から楽しんでくれて、一緒に色んなバンドのライブを二人で観に行っては、その興奮を飽きることなく語り合ったり。



あれから10年近い時が経ち、時は2019年1月20日。
丁度10年近く前に2人で毛皮のマリーズやOKAMOTO'Sを観に行って熱狂した、僕がボーカルをやっていたバンドで出演してボロボロのライブをしたあのアポロベース、旧アポロシアター。

挫・人間でギターを弾き始めてもう何年も経ち、今作のツアーはいよいよセミファイナル。死に物狂いで演奏しているライブ本編の最後の曲の最中、僕の目の前に突然黒川があの日とおんなじ顔で、汗だくになりながら、ずっと後ろで観ていたはずのあいつが、「我慢できなくなっちゃった」と顔に書いてあるあいつが、あの日と同じように嬉しそうな顔をしながらモッシュピットに現れた。嘘みたいだった。幻かと思った。
意識が朦朧とする中、2人でアポロシアターにライブを観に行って熱狂したこと、地元のライブハウスで誰も知らないようなバンドを観て心をときめかせたこと、その時の空気、湿気、温度、そんな色んな景色が一瞬で頭の中を駆け巡って、僕はもしかしたら泣いていたかもしれない。俺たちさ、決して似てなんかなかったけど、きっとそれがよかったよな。

爆音と狂熱で震える新栄の地下であの瞬間に僕とあいつは、あの瞬間、あのほんの一瞬だけ17歳になった。



人生は過去の自分に話したとしても信じてもらえないような嬉しい出来事や悲しい出来事がいくつも待っているし、今まで待っていた。
今作のツアーで去年から今日に至るまで全国16箇所を回って、今まで会ったことのない人、どこにいても顔を見せてくれるよう人、久しぶりに顔を見る人、沢山の人に出会えた。
こんなに沢山のバンドや音楽がある中で僕らのライブに足を運んでくれる方々、本当に心の底から感謝をしたいと思います。ありがとう。
そして同時にその全ての人に僕らは今のあなた達に話しても信じられないような未来を見せていきたいと思います。

日付が変わって明日はいよいよツアーファイナル、渋谷クラブクアトロでワンマンライブ。
17歳の俺も、17歳のあいつも、今日に至るまでの全ても、僕らを信じてここまでついてきてくれたあなたも、そんなあなたの今日までも、その全てを背負って明日死んでもいいような、全身全霊の、そんなライブをしたいと心の底から思っています。覚悟はとっくの昔に決まっています。
どうぞ、よろしく。

何もない町に煌々と差す月明かりによって出来る窓枠の影が、そんなはずもないのに少しだけ檻に見えた。
「どこにも行けないよ」と、「逃げられないよ」と自分自身に言われているような気がした。
どこにも行けず、誰とも話せず、眠ることもままならない。まるで世界にひとりぼっちだった。

夜は檻のない牢屋。
そう思った数え切れない夜と孤独達といつかの僕。

たまらず家を飛び出したことも何度もあった。
いつも行く神社の猫は最終的にひどく懐いた。
臆病な道を選んで人を傷つけた夜もあった。
カッターナイフじゃ戦えなかった。
盗めるバイクもなかった。


そんな時だって、手元にはなくたって、いつでも音楽がそばにいてくれたな、とふと思う。

誰よりも早く帰る学校の帰り道、
楽しそうに笑う同級生を横目に歩く渡り廊下、
初めての彼女にフラれた夜のしじま、
電車から見える景色とそれに溶けるメロディ。

その全てのどこかに、メロディが鳴っていた、そんな気がする。

こんな夜にも起きている人がいるのかい?

この夜のどこかに今、そんな気持ちでいる誰かがもしいるのだとしたら、僕はそんな檻に流れるメロディになりたい。
そして僕は、そんなあの頃の僕と同じあなたと、ライブハウスで会いたい。
何度だって立ち上がって、僕らはなんとか今日まで来たよ。
鍵なんていらない、ぶち壊して入るだけ。

改めて、明日からツアーが本格的にスタート、全国各地の皆さん何卒よろしくお願いいたします。
はぁー、みんなどんな顔してんだろーな。

拝復


挫・人間のニューアルバム『OSジャンクション』発売5日目の深夜である。
11.7の発売日から5日連続で行われたリリースイベントが本日終了したのであった。

11.14の新宿レッドクロスワンマンから始まるツアーを控えて、今日この日以外にブログを書ける日はないので、乱文も構わず書く。



今回のインストアイベントは、まったく楽器を使わずに、オケを流し、3人で歌いまくり、舞いまくるという、そろそろロックバンドの誰かしらが怒りそうなライブを全会場で行った。(しかも、チェキの撮影会まであるのだ。未来とは想像のつかないものである。ぼくは元々被虐的でおぞましいパンクをあらゆるものにまみれながら熱演し、自分の人間らしさを曝け出すという名目で露悪し、人から嫌がられ、人生を諦めたかったのだ。それが今は「ぶりっ子してください♡」と言われれば0.2秒で「にゃん♡」などとポーズを決めては、チェキを増やしているのだ。まったく未来とは想像のつかないものである。何が「にゃん♡」だ。妹が泣くぞ。)


(タワーレコード横浜店)
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アイドルではなく、ロックバンドが楽器を置いて歌い舞うことに意味があるので、一貫して「ロックバンドです!」という姿勢を保ってきたのであるが、ついに今回事故的にタワーレコード川崎店(通称タワ崎)では、我々の後ろにドでかく「アイドル」というピンク色のパネルが設置されており(ステージがアイドルの棚の前だったのだ)、自我が緩やかに失われていくのを感じた。私は、砂。
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アイドルのためのパネルから不服さが伝わってくる。


毎回インストアイベントをやる度に、目に見えて来てくれる人が増えているのが分かって、とてもうれしい!(今回、布教されて好きになった!という人が沢山いたのが印象的だった。布教してくれた人と素直に受け取ってくれたひと、どうもありがとう!)

初めてタワーレコード横浜店(通称タワ横)でやったとき、楽器を投げ捨て「☆君☆と☆メ☆タ☆モ☆る☆」を裏声で初披露したときの、客の絶望的な顔を今でも思い出す。まだお客さんも数人しか来ていなくて、横浜が一瞬で地獄になった。

が、しかし、人から嫌がられることや、世間から憚られるものでも続けてみるもので、意地になって腰を振り続けているうちに、客の社会常識が音を立てて崩壊し始め、絶望もやがて快感に変わり、人の目を憚らず踊る奴らが随分と増えた。大声でコールを披露する奴までいる始末だ(あろうことかぼくは自分のライブで初めてそれを見たのである。口上?というのだろうか)。初めて挫・人間と隅っコによるライブを観た人は、もちろん心的外傷を負って帰る人もいるだろう。軽蔑して帰る人もいるだろう。しかし、そんなときでも、誰よりも軽蔑されるのは、ステージに立つおれたちだから、安心してくれよな……。(「一期は夢よ ただ狂へ」というぼくの大好きな小唄の一節がありますね。人生はまぼろしなのだからまじめくさって過ごすより狂ってしまうくらいが良いということです。実存主義的ですね。勘のいい人は気付いたかも知れませんが、あの挫・人間の1stアルバム『苺苺苺苺苺』の『苺』はここで用いられている『一期』から来ています。嘘ですが。)


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これは屋外でパラパラを踊りまくる挫・人間と、知らないフリをする人たちです。(2018年 日本)


チェキ会も、あんなにたくさん来てくれるとは思ってもいなかったので、感激しました。心から、ありがとう。

普段隅っコ(念のために言うと挫・人間ファンのことです)と直接関わる機会はないので、これは我々にとっても貴重な機会なのです。オフ会ですね。この日のためにめかしこんで来てくれる方もいることを知っているので、髪をきったりワックスをつけたりして挑みました。衣装も会場ごとにちょっと変えたりしましたとさ。


今回は所謂接触イベントで、直接手紙を受け取ることが出来たからか、この5日間でたくさんの手紙を受け取ることが出来て嬉しかった(いつもは物販で預かるか、事務所に届くか)。
挫・人間は、同じ規模のバンドの中では、最もお手紙を貰うことが多いバンドなのではないかと思っています(正直他のバンドのことは知らないので、違ったらただぼくが傷つきます)。誇らしい気持ちもあります。曲の感想や、ライブの感想。バンドに関係ない自分の日常の出来事。イラスト。プリクラ。メルアド。なんでも嬉しいです。返事は書きませんが(人生で一度も手紙を出したことがないのです。年賀状含め)。返事を書かないから、一方的に自分のことや、挫・人間のことを書けるということもあるのでしょう。とても良いと思います。


直接言葉で伝えるのが苦手という人もいれば、伝えたいことが整理しきれず、たくさんの文字で伝えようとしてくれるものなど、色々あって、ぼくはそれを読むのがとても好きなのです……。

何度も手紙をくれる人のことは、覚え始めたりして、「この子、あの恋愛上手くいかなかったんだな……」とか、「あの人と上手くいかなかったあと、そんな恋愛のクロニクルが繰り広げられていたのか……」と、勝手にその人の物語を受け取って、こちらがファンになったような気さえする。(○○って状況下でたまらなくなったときに挫・人間のこの曲を流した、みたいな話、映画を観ているような気分になるときすらある)
顔を覚えてるけど、どんな人かあまり話したことがない人からの心情を綴った手紙も、読むことが出来るのは嬉しい。割とみんな自分が嫌いで、本当にきれいだと思う。その人生に音楽で関われてうれしく思う。
悲痛な手紙も、痛みで胸がいっぱいになる、ぼくの宝物だ。


話はちょっと変わるが、『愛をひっかけるための釘』という中島らも大先生の本がある。もう、らもさんのエッセイはたくさん読んだので、この本に何が収録されているのかイマイチ覚えていない。多分、内容も覚えていない。しかし、タイトルを見たとき自分がどう思ったかということは覚えている。愛をひっかけるための釘、愛をひっかけるのに釘である必要があるのか?手のひらで受け取ることは出来ないものなのだろうか。愛のように壊れそうなイメージのものに対して、釘という、鋭く突き刺さるものは、遠いイメージのように思った。釘。こういうものが刺ささると、身動きをとれなくしてしまったり、逆にそれによって助けられたりもする。愛をひっかけるための釘はしかし、こころとか、そういうやわらかなところに刺さるのだろう。……まぁぼくもありとあらゆる素晴らしい作品や思い出が、釘や杭として呪いのように刺さっている。しかも、これによって人間性が、いびつになっていく。が、人生を惑わす病気を希望と呼ぶように、その「でっぱり」が愛をひっかけるのだろう。思えば、何かを愛するときは、いつもでっぱりの形や手触りを確かめる気分だ。決して心地いいばかりではない。でも、いびつでもいつか愛がひっかかればいい。その可愛らしい服を、ひっかけて破いてしまわぬようにしながら。

OSジャンクションというアルバムは、バンドが、あまねくすべての音楽が、すべからく人の心を救うということに自覚的なアルバムです。「音楽で人や世界を救うなんて何様だ、明日食うパンでも出してみろ」というお言葉、結構です。音楽は役に立ちません。それどころか心を波立てるものです。悪意として伝わることや、兵器代わりに用いられる歴史すらあり、やる人間も利用する人間も罪深く、音楽に救われてきました。どんなにくだらない曲でも誰かの何かに響いてくる曲があります。ぼくは過去の自分を救い出すために今までたくさん手を自分に伸ばした。自分だけの世界で鳴る音楽が誰かと繋がったりすることがうれしくもあり、自分を無責任な奴だと感じることもあった。しかし、他人に対して頼まれてもいないのにきみを救いたいだなんておこがましいという気持ちが拭えずにもいた。それでも音楽に救済の機能はあり、挫・人間で作った、本当に、親に聴かせられないような曲まで(時として、そういう曲、だからこそ)誰かの心を救うことが、ある。「いい日もあるから生きていこう」という歌に救われたことがある。いい日っていつだよ、と思いながら、その言葉を紡ぐ勇気に救われた日が、沢山あった。もし挫・人間を好きでいてくれるひとにとっての「いい日」が、ライブの日だったりするのならば、ぼくは、救われる。だからぼくはおこがましいという自意識以上に、聴く人間に手を差し伸べる勇気が欲しかった。そう思うようになったのも、たくさん手紙を読んだり、ありとあらゆるやりかたでおれに送られてきたメッセージを見たりしていたからだろう。救われたいのなら、救うぞ、おこがましい奴だと後ろ指を指されても、もう痛くもかゆくもない。それよりも自分勝手に作り上げたやり方で、無軌道に絡まり重なりあいながらゴチャゴチャと伸びて放出されるエネルギーが作る道の先に誰かがいて欲しい。自分の曲は誰かを救うために鳴っているのだ、と、ただそれだけのことを言えるようになるのに、一年近くかかってしまった。情けない話だが。それでもやっとアルバムを完成させることが出来た。オタクでサブカルの人間に何が言えるかって、本当に「死ね殺すだるい鬱」しかないのか?それも勿論誰かを救い続けるだろう。でも、それだけを親鳥のように与えることしかおれには出来ないのかと嫌になるほど悩んだ。おかげで自分の言葉で自分だけの回答を出すことが出来た。聴きなれないしギョッとするかもしれないが、おれの中の大正解だ。大間違いだといわれたら、もうちぢむしかない。つまり、だ。ある意味、ぼくにとって本当に恥ずかしいアルバムなのである。これがぼくの、初めてひとに伸ばした自分自身の手なのである。はたき返されたら、痛い。そういう想像ばかり得意なものだから、制作の段階でも、リリースの直前でも、精神がまったくめちゃくちゃな状態になってしまった。でも、この思い切り届くように伸ばした手を握り返してもらえたら、おれはこの上なくしあわせだろう、と、そう思う。そしてこの作品が釘のようにあなたの心にぶっ刺さり、それがいつか少しの痛みと共に愛をひっかけることが出来ることを、ぼくは世界で一番祈るだろう。

だから、つまり長くなったが、おれの幸せのために、『OSジャンクション』買って聴いてくれということだ。そして明後日から始まるツアーで会いたい。おれが幸せになる。そしてあなたも幸せになる。これ以上あろうか?いや、ない。ウンコブリ……。



追伸、「『♪舌ピを見てビックリ』されたかったから、舌ピを開けたよ」と書いた手紙の人、今度会ったらぼくに思いっきりあっかんべーしてみせてね。

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