月別アーカイブ / 2018年08月

40歳になって、快楽への耐性(慣れ)が出来たことや、若い人の文化がその親世代のリバイバルも多いので「もうまったく新しい刺激には出会えないのかな…」と退屈になる日も多い。そんな中、マーベルやピクサーを含めた最近のディズニー映画を見ると、ストーリーはもちろんだけど、まるで海のように、(ターゲットの)広さと(表現の)奥深さって両立できるんだなぁとその姿勢や結果に感動する。そしてまだ文化に対して、あたらしい感動ができたこと自体に毎回驚く。

イラストレーターを志しはじめる前の若い時は、「メジャーな作品=(全て)浅い」と感じ、それなら逆にと、漫画も音楽も映画も絵画もゲームも、マイナーやインディの作品ばかり需要していた。そこにこそ「深さ」があると思ったからだ。いや、そうでなければ困ったからだ。当時の何者でもない自分にとっては。というのも、その行為自体は、深さの追求というよりも、まだ発展途上で自分らしさを確立したい自分の自己投影であって、親しみやすさに近かったのだと思い出す。そして、その当時に指していた「深い⇔浅い」も、今考えると「過激⇔穏やか」という単なるパッと見の表層の模様で、とく中身である深度には関係なかったような気がする。当時好きだったマイナーな作品の表現の水面は、ただグロかったり、ただエロかったり、ただ抽象的だったりで、マグマのようにグツグツと泡部いている。でも実際、膝くらいまでしかない浅い川だったりした。もちろん、マイナーで深いものもたくさんあったけど、また、インターネットで知の集約ができて以後は、そういった知られてないけど良いものは、だいたい浅瀬に浮上し、買う買わない、好き嫌いは別にして、みんな知ってる存在になった気がする。音楽でいうと、個人的ではない「隠れた名盤」など、だんだん存在しえなくなってきてるのかと思うと、それもそれで探す楽しみが減ったようで寂しい気もするけど。

逆を考えると、多数決のように、ターゲット層の広いメジャー作品は、表現はわかりやすく噛み砕き、モラルは厳しめになりらざるを得ないが、それらとテーマ(深い⇔浅い)はまったく別のところにあることに気付いていなかった。すなわち広さと深さの両立も可能であると、例えば最近のディズニー映画『ズートピア』はすんなり教えてくれる。

「差別とは何か?」という、これだけ聞くととても難しそうなテーマを持っている映画だが、子供が見たら擬人化された動物たちのルックに可愛さを覚え、「がんばれー!」って感情移入できるストーリーで、観終わったら感動できる。けど、大人が見ても、世界観がユニークで、考えさせられる作りだ。絵のことを言うと、これまでのディズニー映画のディフォルメと、昨今のCGのリアルさとが違和感なく幸せな共存をしていて、目が気持ちいい。各動物の特徴を活かした繊細な動きや設定も見事だ。

また、実写版『ジャングルブック』は、ジャングルの動物たちに育てられた人間の子の話で、ズートピアと同様の「差別とは何か?」を踏まえ、さらにその先の「しあわせとは何か?」というテーマに突っ込んでいるが、一見すると、ほんとうにかわいくてただただワクワクする映画だなのが驚きの一作だ。

『ズートピア』同様、日本語吹替も素晴らしかった。スタッフロールではじめて「え、この芸能人だったの?ウソでしょ!?」と疑った程。そして観終わるとやっぱり、少し過去を振り返って、背筋を正そうとなる。すごいのは、それらのテーマが、我々の生活を決して否定する姿勢ではないので、罪悪感には苛まわず、ただただ前向きに考えさせる点。『ズートピア』と『もののけ姫』が好きな方はぜひ。また同時に、ほぼ同じ設定なのに違った着地を見せる『ピートと秘密の友達』もセットで見たい。


マーベルの一連の映画もほんとすごい。最新作『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』はもう言葉で説明できないほどすごい。インフィニティすごい。インフィニティすき。

『アイアンマン』や『キャプテンアメリカ』『ハルク』『マイティソー』『ガーディアンズオブギャラクシー』『ブラックパンサー』『ドクターストレンジ』『スパイダーマン』…etc、ヒーローと言う共通点だけで、まったく毛色もテーマも違った作品たちが違和感なく一堂に会している様は、豪華な幕ノ内弁当の箱をパカッと開いて見せられたように見事な手腕だ。そして、集合もの、コラボものではどうしてもキャラクター紹介に徹し、ストーリーが薄くなってしまいがちなところを、何十人もの主役が出演する映画としては短すぎる上映時間内に、すべてに"らしい見せ場"を作り、かつストーリーは止まることなくきちんと進行していく。これも広さと深さの共存だろう。敵のボス・サノスを巡る物語が、これまた勧善懲悪ではないところも、早くも自作への期待が高まる。

これらは公開規模により莫大にかけられる制作費や、監督さえも複数立て、互いに意見を出し合い、表現の行き過ぎに歯止めを聞かせる姿勢、また圧倒的な人員(スタッフ数)の違いもあるが、やはり違うのは、意識なのだろうなぁと思う。ぜんぜん諦めてないっていう。それっていちばん簡単そうで難しいんだな。例えば子供の前で、「努力すれば何でも叶う!」と説く研究家がいたとして、「じゃああなたが今日からオリンピック選手目指して」とお願いで返すと、「今仕事で忙しいから、またね」とだいたいははぐらかすだろう。ほんとはみんな何かを諦めている。でも、だからこそ日々の生活や継続ができる。

そんな夢を追いかける若い時に話を戻すと、知る人ぞ知るインディーズのアーティストがメジャーになったら聴かなくなってしまったりもした。それは才能が世の中に認めるほど大きくなったという、とても喜ばしいことのはずのに、自分の元から去ってしまったと感じた。けどいつだって去ったのは自分からだったなぁ。その人を応援していたんじゃなくって、どっちかって言うと、自分を応援していたのだろう。誰も応援してくれない(と思っていた)ので、自分くらい味方じゃないと、心がポキッと折れそうなほど、心細かったのだ。

ディズニーの映画を観おわると毎回、その頃の決して甘さなどなく、出張帰りのお父さんの靴下のような、ただただ酸っぱいだけの記憶が蘇り、鼻の奥がツンとする。それでもまだディズニーの新作に期待してしまうほどには辛くはなしに、楽しみの方が大きい。そんな作品、自分もいつか作れるんだ、ともう一度信じようと思う。だから昨日は仕事をせずに、ずっと映画を観ていました。という長い言い訳でした。はい。

おはようございます。

来年は久々にカレンダーを出します。2019年版だから今年末くらい。

ほんとうは毎年出したい気持ちもあるのですが、決まり事になるとどんどん麻痺して「また来年もあるしこれでいっかー」って流れ作業になるのが、将来的な目線で考えるととても恐ろしいので、エネルギーが溜まった時に、超必殺技のように出すことにしています。

そこで、収録する絵や、デザインはもちろん、例えば日付の部分にもミシン目を入れて、使い終わったら綺麗にポスターとして使える仕様や(そうなると好きな絵で1年を過ごすことも可)、裏面をぬりえにするなど、何かひと工夫して、手に取って下さった方の1年がもっと楽しめるようにできないかと、出版社や印刷所に色々とアイデアを提案するのですが、やはりそこで問題になってくるのはコスト(費用)。ミシン目を1つ増やすと、また塗り絵用の裏写りしない紙にすると、お金がかかって値段が高くなっていちゃうんですよね。画集ではないので、1200円(税込)くらいなら「こんなもんだよね」と思えるけど、じゃあ上記のアイデアも入れて、金箔も貼って、化粧箱に入れて「2000円!!(税別)」と言われると、カレンダーとしてはちょっと高いなぁって、消費者の僕は思ってしまう。

それを回避する方法が1つあって、生産数を増やすこと。1個作るより、同じものを100個作る方が安くなるのは、スーパーで大きいお肉を買ったことある人なら知ってる通り。ただ、イラストレーターのカレンダーだと、「初版100万部刷りました!」なんてのは非現実的で、半年後、書店からの返品により出版社の倉庫がパンパンになってしまいます。

だからその方法を取るためには、僕のイラストや、イラストレーターとしての知名度をもっとアップする必要があり、今日明日にすぐ出来るのは、悪い意味で炎上する時くらいでしょう。で、そのためには、毎回毎回絵を描くごとに慣れに甘えず、気を抜かないこと。これは最初の話にもつながりますね。

とどのつまり、「いい作品を継続していく」という単純な答えに行き着くのですが、そう考えると、あらためてマクドナルドってすごいなって思います。

もう見慣れた風景なので、一見、マクドナルドは値段が安いから、全世界にたくさんの店舗が増えたと錯覚してしまうけど、よく考えたら、すごく単純な話、その逆で、おいしいから、「オレにも食わせろー!」とみんなが求め、店舗が増えて、結果的に安くできた。僕が子供の頃(80年代)は、ハンバーガー1つ230円でしたので、高級店とまではいかないまでも、ファーストフードというよりレストランに近い存在感で、だからこそよくマクドナルドで子供が誕生日会を開いてもらっていました。特別だったのですね。それでもみんなが求め続け、店舗と生産数を増やし、結果的に安くできた。それくらいおいしかったし、オリジナリティがあった。

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しばしば「初デートでマクドナルドや吉野家は考えられない」という声を聞くことがありますが、そういうときはこんなイフも考えてみてほしい。もし今、マクドナルドを体験したことのない世界だったとして、あのてりやきマックとポテトとシェイクを出してくれるお店を、自分の暮らす住宅街の片隅にたまたま発見しました。もちろん食べたことはありません。そしてまだ大量生産できないので、セットで値段はじゃあ750円としましょう。近所にはないアメリカンな内装。そして口にすると「こんなおいしいものが世の中に存在するのか!?」と、少なくとも僕は驚いて、もしたくさん貯金があったら、「ぜったい流行るよ!」と店長を口説いてチェーン展開を持ちかけるでしょう。吉野家も同じです。僕は値段の2倍以上、美味しし、価値のあるものだと思います。

逆に、高級食材=美味しいと錯覚している、ウニやうなぎやマツタケやキャビアやフォアグラが、余るくらい大量に収穫され、もやしくらいの価格でいつでも食べれるようになれば、今と同じようにありがたく、また美味しく感じるでしょうか。

個人の価値観や美意識って、そんな風に実は絶対的なものではなく、相対的にコロコロと変容してしまうんですよね。かくいう僕も、あんまり欲しくなかったものでも、「限定!」や「残り1点」と言われたら、急にそれが輝いて見えてしまう時があるので、よくわかります。

結局、久しぶりにブログを書いてまで、何の話をしたかったのかと言うと、カレンダーの仕様がどうなるかはまだわからないけど、一寸の希望を持って夜通し使うかわからない塗り絵の線画を作っていた中、朝が来て、お腹が空いてきて、とにかく今はマクドナルドが食べたいってことです。でもうちの近所だとちょっとだけ遠いから、億劫になってお腹を鳴らしてPCの前から動けない。今以上にマクドナルドが人気になって、もっと僕ん家の近くに来てくれたらなぁ。。。カレンダーのことも含め、どちらもすぐには実現できないけど、引き続きがんばっていくしかないですね。

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