40歳になって、快楽への耐性(慣れ)が出来たことや、若い人の文化がその親世代のリバイバルも多いので「もうまったく新しい刺激には出会えないのかな…」と退屈になる日も多い。そんな中、マーベルやピクサーを含めた最近のディズニー映画を見ると、ストーリーはもちろんだけど、まるで海のように、(ターゲットの)広さと(表現の)奥深さって両立できるんだなぁとその姿勢や結果に感動する。そしてまだ文化に対して、あたらしい感動ができたこと自体に毎回驚く。

イラストレーターを志しはじめる前の若い時は、「メジャーな作品=(全て)浅い」と感じ、それなら逆にと、漫画も音楽も映画も絵画もゲームも、マイナーやインディの作品ばかり需要していた。そこにこそ「深さ」があると思ったからだ。いや、そうでなければ困ったからだ。当時の何者でもない自分にとっては。というのも、その行為自体は、深さの追求というよりも、まだ発展途上で自分らしさを確立したい自分の自己投影であって、親しみやすさに近かったのだと思い出す。そして、その当時に指していた「深い⇔浅い」も、今考えると「過激⇔穏やか」という単なるパッと見の表層の模様で、とく中身である深度には関係なかったような気がする。当時好きだったマイナーな作品の表現の水面は、ただグロかったり、ただエロかったり、ただ抽象的だったりで、マグマのようにグツグツと泡部いている。でも実際、膝くらいまでしかない浅い川だったりした。もちろん、マイナーで深いものもたくさんあったけど、また、インターネットで知の集約ができて以後は、そういった知られてないけど良いものは、だいたい浅瀬に浮上し、買う買わない、好き嫌いは別にして、みんな知ってる存在になった気がする。音楽でいうと、個人的ではない「隠れた名盤」など、だんだん存在しえなくなってきてるのかと思うと、それもそれで探す楽しみが減ったようで寂しい気もするけど。

逆を考えると、多数決のように、ターゲット層の広いメジャー作品は、表現はわかりやすく噛み砕き、モラルは厳しめになりらざるを得ないが、それらとテーマ(深い⇔浅い)はまったく別のところにあることに気付いていなかった。すなわち広さと深さの両立も可能であると、例えば最近のディズニー映画『ズートピア』はすんなり教えてくれる。

「差別とは何か?」という、これだけ聞くととても難しそうなテーマを持っている映画だが、子供が見たら擬人化された動物たちのルックに可愛さを覚え、「がんばれー!」って感情移入できるストーリーで、観終わったら感動できる。けど、大人が見ても、世界観がユニークで、考えさせられる作りだ。絵のことを言うと、これまでのディズニー映画のディフォルメと、昨今のCGのリアルさとが違和感なく幸せな共存をしていて、目が気持ちいい。各動物の特徴を活かした繊細な動きや設定も見事だ。

また、実写版『ジャングルブック』は、ジャングルの動物たちに育てられた人間の子の話で、ズートピアと同様の「差別とは何か?」を踏まえ、さらにその先の「しあわせとは何か?」というテーマに突っ込んでいるが、一見すると、ほんとうにかわいくてただただワクワクする映画だなのが驚きの一作だ。

『ズートピア』同様、日本語吹替も素晴らしかった。スタッフロールではじめて「え、この芸能人だったの?ウソでしょ!?」と疑った程。そして観終わるとやっぱり、少し過去を振り返って、背筋を正そうとなる。すごいのは、それらのテーマが、我々の生活を決して否定する姿勢ではないので、罪悪感には苛まわず、ただただ前向きに考えさせる点。『ズートピア』と『もののけ姫』が好きな方はぜひ。また同時に、ほぼ同じ設定なのに違った着地を見せる『ピートと秘密の友達』もセットで見たい。


マーベルの一連の映画もほんとすごい。最新作『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』はもう言葉で説明できないほどすごい。インフィニティすごい。インフィニティすき。

『アイアンマン』や『キャプテンアメリカ』『ハルク』『マイティソー』『ガーディアンズオブギャラクシー』『ブラックパンサー』『ドクターストレンジ』『スパイダーマン』…etc、ヒーローと言う共通点だけで、まったく毛色もテーマも違った作品たちが違和感なく一堂に会している様は、豪華な幕ノ内弁当の箱をパカッと開いて見せられたように見事な手腕だ。そして、集合もの、コラボものではどうしてもキャラクター紹介に徹し、ストーリーが薄くなってしまいがちなところを、何十人もの主役が出演する映画としては短すぎる上映時間内に、すべてに"らしい見せ場"を作り、かつストーリーは止まることなくきちんと進行していく。これも広さと深さの共存だろう。敵のボス・サノスを巡る物語が、これまた勧善懲悪ではないところも、早くも自作への期待が高まる。

これらは公開規模により莫大にかけられる制作費や、監督さえも複数立て、互いに意見を出し合い、表現の行き過ぎに歯止めを聞かせる姿勢、また圧倒的な人員(スタッフ数)の違いもあるが、やはり違うのは、意識なのだろうなぁと思う。ぜんぜん諦めてないっていう。それっていちばん簡単そうで難しいんだな。例えば子供の前で、「努力すれば何でも叶う!」と説く研究家がいたとして、「じゃああなたが今日からオリンピック選手目指して」とお願いで返すと、「今仕事で忙しいから、またね」とだいたいははぐらかすだろう。ほんとはみんな何かを諦めている。でも、だからこそ日々の生活や継続ができる。

そんな夢を追いかける若い時に話を戻すと、知る人ぞ知るインディーズのアーティストがメジャーになったら聴かなくなってしまったりもした。それは才能が世の中に認めるほど大きくなったという、とても喜ばしいことのはずのに、自分の元から去ってしまったと感じた。けどいつだって去ったのは自分からだったなぁ。その人を応援していたんじゃなくって、どっちかって言うと、自分を応援していたのだろう。誰も応援してくれない(と思っていた)ので、自分くらい味方じゃないと、心がポキッと折れそうなほど、心細かったのだ。

ディズニーの映画を観おわると毎回、その頃の決して甘さなどなく、出張帰りのお父さんの靴下のような、ただただ酸っぱいだけの記憶が蘇り、鼻の奥がツンとする。それでもまだディズニーの新作に期待してしまうほどには辛くはなしに、楽しみの方が大きい。そんな作品、自分もいつか作れるんだ、ともう一度信じようと思う。だから昨日は仕事をせずに、ずっと映画を観ていました。という長い言い訳でした。はい。

おはようございます。