イラストレーターという職業柄、"ルール"というものが大好きだ。僕の場合は「おまかせで」という依頼が多いが、それでも「この本の物語、このCDの内容、サイズで、あなたならどうわかりやすく表現できる?」という挑戦に、スポ根漫画よろしく「ベランメエ、やってやるぜー!」と応えたくなる。

でも中高生の頃は、学校や家庭でのルールすべてに、とにかく不満を持っていた。今でもほんとうに不当で無意味だと感じるものはあるが、それは50個あれば1つくらいで、大人になった今だと「あった方が効率的だし、我慢できるなら別にいいじゃん」と見過ごせるようなものがほとんどだ。中にはむしろ好ましいほどで、「何で反対していたのだろう?」と疑問に思うものさえある。

例えば制服の有無。僕は中高ともに学ランで、6年間「ダッサイなぁ」と感じていたが、ならばもし私服だったらどうだったろう。小学生ならまだしも、人目が気になる時期だから、最低1週間(7着)は違うものが欲しがる。とは言え、家庭のふところ事情は変わらないので、ほんとうはそれより大切なゲームや漫画に対し「先週、あたらしい服買ってあげたんだから我慢しなさい」となるのは目に見える。それは経済的側面。だったらシステムとしてはどうだろう。

私服にしろ制服にしろ、「自由」となれば、必ず平均値から突出してしまう子が現れる。全裸はいないまでも、今の時代だと金髪やピアスがそのラインのギリギリに該当するだろう。その上なら、モヒカン、トゲトゲのついた革ジャン、お尻に穴の空いたジーンズ…etc。それはそれで「個人」の趣味では格好良いとは思うものの、「学校」単位で考えるとまた違って見えてくる。いくらその子がほんとうに優しい子でも、知らない方からすれば、目立つ一人を見つけ、「あそこの学校の子は危ないから付き合っちゃダメよ」というような噂が他校の友人まで周る。「男だから~」「○○人だから~」みたいなレッテル貼りは、今もそこかしこから、かなり聞き覚えがある国ならではだ。

まぁ、これらは僕個人の価値観が大きくはたらいた意見でもあるのだが、ほとんどの反対していた理由がやはり無根拠で、いま思い返すと、それは"反対"ではなく、自立心から来る漠然とした"反抗"だったことがわかる。親離れを前に、自分の力を試す為、「何でもいいから反抗してみたい」時期なのだ。それを"中2病"といって「バカなことやってたなぁ」と受け流すことは簡単だが、それが無意味だったかと聞かれると、そうでもないように思ったのは、ごく最近。犬と暮らしはじめてからだ。

前々回の記事でもご紹介した愛犬のぽん太。柴の4カ月だが、この時期の成長は早く、あれからこんなに大きくなった。
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もう、僕の仕事道具の画面ももう見えないほどである。(※決して締切の遅れに対する言い訳ではない)

犬がはしゃぐ時は2通り。うれしい時。そして心が不安定な時だ。通常の精神状態ではないと捉えるなら、どちらも同じ状態ではあるが、不安定な時は食欲や便意もなくなり、健康状態まで悪くなるのだから、「どうすれば心を安定させてやれるか」と考えるのは世の愛犬家共通の願いだろう。

そしてぽんちゃんと暮らしていると、ひとつの共通点が見えてきた。それは"ルール"。そう、先程から話しているそのルール。例えば眠る時間、ケージ(犬小屋)に入れてやると、「外へ出して!」とクンクンキャンキャン訴えることもあるが、しばらくすると落ち着いてグッスリ眠る。だが、お望み通り、「じゃあ、どこで寝てもいいよ」と扉を開けた日には、居場所が決められずウロウロ。しばらくして目をつむっても、僕と妻の話し声や足音で起きてしまい、結局寝不足がつのりイライラ。自分のしっぽを噛んだり、食欲も落ちたり。

ま、この事に関しては、人間の価値観で考える「ケージなんて狭くて暗くて、かわいそう」も、狭くて暗い穴の中を巣にする犬本来の習性も作用しているのだろうが、その他にも、首輪、リード、行動範囲、ご飯の量、散歩の時間など、無条件で「良い」とされる"自由"とは、真逆のルールを決めることによって、だんだんと安定が続くようになってきたのは、「え、なんでなんで?」と思いも寄らぬ発見だった。

それならと、自分が安心するものを挙げても、決して「野宿」「サバイバル」「旅」「外国」「海」「空」など自由から連想されるものではなく、むしろ真逆の「自宅」「家族」「友人」「仕事」「紙幣」「流行」「日常」「日本語」「地面」…etc、ある程度、ルールや価値観がすでに決められているものばかり、つまり不自由に近い。もちろん「あなたが好きなものは?」の理想の問いになら、また違う答えを出すだろうが、そのように不自由と安心が結び付くなんて、考えたこともなかった。

よくよく考えたら当たり前のことで、強いられたルールを受け入れるのは、圧倒的な力の前にひれ伏しているという状態なので聞こえは悪いが、「(その力に)守られている」と言いかえると、途端に心地よくなってくる。母体の中でぐっすり眠る赤ちゃんのような心の状態。なるほど、自由と引き換えにもらえる安心もたくさんあったのか。

だからと言って、反抗=無駄な時間とも思わない。時代がどんどん新しくなり、同時に便利な世の中を保ってきたのは、そんな無根拠に大人のルールを抗って超えたいという若者たちのエネルギーが、原動力のひとつだからだ。「そんなにイヤなら出ていきなさい!」と言われ、言葉を詰まらす時期を乗り越え、「うん、出て行くよ」と自然と行動に移せるまで、黙って見守ることこそ大人の務めなのだろう。長々となったが、先日リリースされたASIAN KUNG-FU GENERATIONのシングルブラッドサーキュレーターのCDジャケットを描いている時、そんなことを考えていた。
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内容ももちろんだが、CD、プラケース、紙という決まったパッケージのルールの中に、精一杯おもしろい事も閉じ籠めた1作なので、ぜひ実物を覗いて欲しい次第である。そして今日もぽん太は同じケージの中で眠っている。安心して大きくなあれ。