生まれてはじめて書店にて1冊まるまる立ち読みをした。
申し訳なく思い、別の本を2冊買って帰った。

公園に似た読者層が幅広いこのLINEブログという場において、今回の記事を書くかどうかとても迷ったが、だからこそお伝えしたいと思う。僕が一通り目を通したが買わなかった本のタイトルは元少年A著『絶歌』で、結果から言うと、「買うべき本ではない」と感じた。だからリンクも張らないし、この記事を読んで好奇心や話題性から本書を購入することなく、これ以上の悪影響の助長に少しでも歯止めをかけられる事を切に願う。「言われるまでもなく買わない」という方は、これ以上、当記事自体も読み進める必要はない。

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初刷10万部という破格の数字や、被害者のご遺族には無断で出版された事からも、この書籍が本当に出版社の言うような「社会的意義」を持たせたかったのなら、モラルのない売り逃げ炎上商売を目的としていなかったのなら、なぜ警察や心理学者、教育関係者だけが閲覧できる資料として役立てなかったのだろうという別の可能性を考えると、ただたださみしい。

僕はあの神戸事件の少年Aに対し、年代も近く、同じ兵庫県に住んでいた事からも、今に至る18年間、ずっとモヤモヤして気持ちを抱えていた。もしもロボットの誤作動のように「アイツは人間ではないから」と、自分たちと完全に隔離して考えられるなら、モヤモヤはせず、ただ被害者とご遺族の辛さに共感し、かなしみと怒りだけがこみあげてくるだろう。そのモヤの正体は、我々と少年Aの決して見たくはない小さな共通点を隠す霧なのではないかと考える。

幼児期に、小さな虫を踏んづけた事はなかっただろうか。小学生に上がり、好きな子にイジワルしたり、友達をわざと怒らせて、友情を試すような事はしなかっただろうか。中学生の頃に、ホラー映画を見たり、傷だらけで眼帯をつけたキャラクターの絵を落書きした事はなかっただろうか。高校生の頃に、親以外の人に特別な唯一の存在として認めてもらいたいと願ったことはないだろうか。また今も、自分だけが抱えている到底共感されないだろう世界観を、同じようにわかって欲しいと願う事はないだろうか。

ポエム調の表現を外し要約すると、元少年Aによる手記はまさにこんな感じの内容だった。事件と状況の特異性を切り離して考えると、かつて想像していたような異次元のものではなく、至ってオーソドックスなこどもの願望が大人の知識で語られていた。

少年Aが特殊だったのは2つ。その幼い欲望が世間との折り合いがつかず、止まったままである事。そしてその影響を第3者に与えたいというもの。僕は仕事柄、特にこの後者は、モラルや生産性がなく、人をイヤがる要素の方が多いと「迷惑行為」、その逆が「創作」と呼ばれているだけで、根底に流れているものは同じだと思っている。今や仕事になったから「お金(生活)のため」等と強がりも言えるが、子供の頃は、一銭にもならないのに、やらなきゃいけない宿題をさぼって先生に怒られてでも、何が何でも絵を描いて両親や友達に見せなくては、息が吸えないほど苦しく、孤独感に迫られたことを憶えている。今思い返すと、習った日本語(ことば)ではコミュニケーションできない感情を抱えていたのだろうと思う。

何もそれは特別なことではなく、絵を描かない方も、理由なくイライラしてヤツあたりしてしまったり、無意味に泣きたくなったり、妙に機嫌よく笑っちゃう日はないだろうか。「なんで?」と聞かれても「わかんないけど」としか返せないようなこと。表情や語彙に乏しかった僕の場合、それが絵だっただけなのだろう。そこから当時の少年Aがその手段を犯行以外に持てなかったのだと推測でき、「どうしても書かずにはいられませんでした」というあとがきも理解できる。

ただし、そんな個人的なことは被害者遺族にとっては何の理由にはならないという事が、まだ飲み込めていないのだから、少年Aは決して「元」なんかではなく30代の「少年A」のままで、社会適応としての更生プログラムは役に立たなかったと考えざるを得ないだろう。それぞれの価値観、関心、反面教師としての予防策もあるので「読むべきではない」とは言えない。ただ出版社は一般書として発売するべきではなかった。内容以前に、この本が誰もが目につく書店の店頭に「ベストセラー」として並んでいる事実自体が、まだ分別のつかない子供たちに与える「あ、許されるんだ」という悪影響の方が遥かに大きい。


少年Aに本当の償いの気持ちを持つことが出来たなら、本当に文学と向かい合う時が来たのなら、決して世間には明かさない偽名を使って、事件とは関係のないオリジナル小説で何が何でもヒット作を出し、その印税を被害者遺族への賠償金に当てて欲しい。

そして「世間との隔たり」を感じてどうしても絵を描いちゃう子供たちは、かわいそうな自分の為ではなく、次は一度、それでも近くにいてくれる家族や友人の喜ぶ顔を想像しながら、1枚描いてみて欲しい。喜んでもらえるだろうか? それなら次はどこをどうすれば良いだろう。そんな事を続けてイラストレーターになった今、あの頃よりずっと生きている感じがする。


以上が僕が「『絶歌』は買うべき本ではない」と考えた理由だ。ご遺族の方々をこれ以上苦しめないよう、子供たちへの悪影響を少しでも減らすよう、一刻も早く本を回収する決断をして欲しい。それが出来ないなら僕も今後、太田出版の書籍表紙を描くことは出来ない事を、ご了承頂きたい。