最近読んだ大槻ケンヂの「僕はこんなことを考えている」にも、
伊集院光の「のはなし」にも書いてあったのが、
"人は嫌いになる理由を見つけようとする"というお話。
後者の場合は落語家を辞める際、
伊集院光が立川談志に言われたのだけど、
まぁ細かい話は置いといて、なるほどとお風呂の中でブクブク。

アーティストだったり、夢だったり、
人だったりモノだったりに対し、
僕らは叶いそうになかったり、
届きそうになかったり、手に入りそうになかったり、
また傷つけられるのが怖かったりする場合に、
適当に理由を見つけてきて、先に嫌いになる。
ように出来ている。←これも防衛本能。

上に書いたことさえも理由だと捉えたら、
本当は理由なんてないってのが本当の理由かもしれない。
逆説的でニヒリスティックで、
まるでフリッパーズギターの歌詞みたいだけど、
そんな格好いいものでなく、
「なんとな~く嫌いになっちゃった、デヘヘ」
って感じなん"だろう"。(←ちょっとだけフリッパーズギターを意識)

ここで終わったらなんだか暗~いお話になっちゃうので、
裏返すとだね、同じく"好きなものにも理由がない"という風になる。
いや、理由はあるんだろうけど、
それはおそらく言葉では言い表せないぼんやりふわふわしたもので、
正確には"探してきた理由など些細なこと"ということ。

先日『イラストレーション』のインタビューで
好きなモノと理由を聞かれて、映画監督のウディ・アレンを挙げ、
"好きな理由がわからなくなるほど大好きです"
って答えたけど、これは理に叶っている。
我ながらでかしたぞ。

ここで終わったらなんだか自慢みたいになっちゃうので、
最後に男性ファンだけでも味方につけておこう。
好きな女の子に「ねぇ、わたしのどこが好き?」と聞かれ困ったら、
↑のような屁理屈をこねたらいい。
「ふ~ん・・・」て言われるだけだろうけど。