なんだか、
昨日のことは
全て夢だったんじゃないか、なんて思う。


朝起きたら雪は止んでいて
ベランダの外、向かい側の家の屋根には
しっかりと雪が積もったままだった。


ニュースでは、
雪道の安全な歩き方講座、みたいなのがやってる。

それを、ボーッと眺めていた。




昨日あの人が言っていたことの全てを
あたしがちゃんと理解できるまで
一体、何年の時間を必要とするだろうか。


頭で理解することは、簡単にできる。


でも、心から本当に理解するには
それなりの経験と、体験が必要だ。



あたしは、あたしにその経験と体感が訪れるのを待っている。



追いつきたい、
認めてもらいたい。



決して拒絶されているわけじゃないのに、
十分だよ、と言ってもらったのに、
それじゃ満足できないのは何故だろう。



きっと、目だ。言葉だ。
全体の雰囲気だ。

その全てから納得が得られるまで、
あたしは自分を恥じることを止められないだろう。



自分自身を、否定しているわけじゃない。

でも、まだ自分自身の全てを
納得し、満足出来ているわけでもない。



今の私がこうであることは、
認めている。
だって、私はこうなんだもの。
認めざるを得ない。



でも、未来の私は、
きっと今のままじゃない。

私の想像を超えるくらい
高い高い空へ飛び越していて欲しい。
それを望み続ける。

望み続ける限り、
きっと私は進んでいける。





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私があの人を偶像化していることは、
私自身も良く知っている。


あの人が私に対して忠告した言葉の意味も
私は良く解っている。



なぜなら

私も、ある種の人たちに
そうやって偶像化されてきているからだ。


それが如何に表面的で
その人のたった一部しか見ていないかは
私自身、偶像化されている中で
身をもって実感してきた。



私が、あの人の
たった一部しか見ていないことくらい
自分で良く解っている。



しかし、私はそれでいい、と思っている。



例えたった一部しか知らなくとも

私が知ったその一部には
紛れもなく私の世界を変える力があったし、
現に私を変えて来た。


それは、紛れもなく真実だ。


私があの人の全てを知る日は
きっと、永遠に来ないだろう。

あの人は私に全てを見せる事はないし、
それが私にとって必要でないということまで
あの人は、良く知っているからだ。



この関係が
私とあの人のコントラストだ。






写真:ひぃたん 「冬の陽の光を浴びて」