月別アーカイブ / 2017年06月


  田舎から高速道路に乗り、車に揺られ数時間、都市部にある有名な病院に入院しました。
部活メンバーや塾の先生などが見舞いに来てくれると言っていましたが精神と体力が限界だったので丁重に断りました。

 入院した頃の僕は何も食べられず、常にトイレに行きたいと感じていました。胃カメラ、内視鏡などを終えて、クローン病と診断されました。症状としては小腸・大腸型の難治性とのことで、クローン病患者さん達の中でも治りにくい方だと伝えられました。

 この話を聞いた時の僕は絶望ではなく、やっと病名が分かったという安堵の気持ちが大きかったです。ただひとつ怖かったのが32kgの体重で、骨と皮の状態だったのに自分がだんだん痩せているとはこうなるまで気がつかなかったことです・・(病気は恐ろしい・・)
 そして、このままでは何も食べられない(食べるとお腹を鈍器で殴られたような激痛がはしる)ので、レミケードという薬を服用し始めました。 
 絶食のみで薬を服用せず、他の疾患になるリスクを回避するという選択肢も一般的には考えられるのですが年単位で何も食べないでいくのは今の精神力では無理と思ったのと絶食療法より薬による効果の方があると入院により分かってきたので、薬と食事療法でやっていこうと決断しました。


 最初、お医者さんから成長を妨げる、骨が弱くなるなどの話を聞いたときは両親も他の薬はないのかと問いただしていましたが現代の医学では治らない病気で、レミケードが最も効果的という話を聞き、始めてみることにしました。

 また同時期にエレンタールという栄養剤も飲み始めました。これは飲んだことがある人しか分からないのですがとても不味いです
 この不味さに耐えられない人や飲むと便意を催す人などは寝ている間に鼻からチューブを通して、ゆっくりと流す方法で栄養を吸収します。

 僕も飲むと便意を催して、鼻から栄養を吸収する方法を試そうか悩みましたが恐怖心から断念しました

 そこから暫くして夏休みがちょうど終わった頃に退院しました。


 



 
 

 陸上競技部全員参加の大会も終わり、気分的にほっとした僕ですが体調はますます悪化していくばかりでした。自宅での勉強にも全く集中できず、トイレに何十回も駆け込むことが日課となっていきます。
 中学3年になってからは修学旅行という一大イベントが待っていました。東京、千葉観光といった豪華な内容で僕の気持ちも高揚していました。一方で修学旅行前の部活中も途中でトイレに行くことが多くて、叱られないようにこっそりトイレに行っていました。
 このような状態で修学旅行に行けるか不安でしたがなんとか無事に楽しむことができました。振り返ればクローン病の人が食べてはいけないようなものばかり食べていました。
修学旅行が終わると、陸上部として最後の競技大会が待っていました 。
 しかし・・案の定、修学旅行から帰ってきた僕は腹痛が酷く、牛肉、豚肉などの肉類が食べられない状態になりました。
発熱も37・5分が平均になりました。
 この時にようやく両親も根気の問題ではないと思って、車で30分程行ったところにある(交通手段がバスしかないような田舎だったので笑)個人開業医院 を訪れました。そこでの診断は過敏性腸症候群とのことでした。
しかし、それから数日経過しても痛みは酷くなるばかりでした。
 そして、また別の個人経営のクリニックを訪れました。そこでも、過敏性腸症候群か胃潰瘍の疑いがあると言われました。また、近くの国立病院への紹介状を渡されました。 
 病院で診てもらった結果・ ・この病院では分からないという診断を言い渡されました。エコーをして、触診を受け、レントゲンも撮ったが原因が特定できなかったようです。しかし、腸に何らかの異常、潰瘍の可能性があると伝えて頂きました。
 このため、内視鏡を行う必要があるということになったのですがこの病院には消火器に専門的な知識のある人が少ないと言われました。 そこで、他府県にある大病院を紹介されます。
 
 そして、即入院という形で一番勉強するべき時期を遠く離れた病院で過ごすことになりました。期末試験が終わった後、夏休み前に入院したので、成績などには想像していたものよりかは響きませんでした。
 
 続く



 いよいよ陸上競技部全員参加のマラソン大会がやってきました。簡潔に説明すると田舎のたんぼ道をひたすら走るといったものでした。 
 この時の僕は学力テストなどの点数が落ちたり、陸上の部活中もよく脇腹が痛いと感じていました。また平熱が37度を少し超える程度で、今考えるとこの頃からクローン病の兆候が目立ってきたような気がします。
 このマラソン大会も数人の後輩にまで負けてしまい、悔しい結果となってしまいます。
 両親からも、根性が足りなかった、練習不足などと言われてしまいます。
 まだ僕はこの先もっと病状が悪化するとは考えてもいませんでした・・

続く

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