私の中では作品は心の鏡で、そして良くも悪くも絵は音楽より心の鏡で、汚かったら汚くなるし嘘があれば嘘が浮かんでくるし余裕がなければ余裕のない作品になるし迷いや矛盾も映される。
そして今私は依頼以外で本当にもう何ヶ月も描く事ができてない。どうして生み出せてたのかも忘れてしまいそう。今部屋に大きなキャンバスがあるのにずっと何も描かれないまま




音楽や歌う事だって、勿論嘘や焦りとか心象はその作品に現れるし必ずみえてくるけど
でもキャンバスの上より譜面上はルールが多いのだと、竹谷さんとの対談で教えてもらった。心を誤魔化すのがしやすいと思う
腐ってしまった。



創作が心の鏡だからこそ、今の湯木慧は濁りきって何も見えなくなってる
創作が自分にとって生きる事とイコールだからこそ、今の湯木慧は死んでる
創作とだけただ向き合うには、ごめんなさいもどうしますか?もお金の事も「でも、もしかしたら、だって」なんてない世界に戻るには。
世間から切り離されたいと思うようになった
もしくは切り離されたりする切り替えスイッチが欲しい



創るモノ創作の仕方捧げるもの、どんなものでもいい訳じゃなくて創作が息をするのと同じだから
生きることが苦しくなってしまってる

透明な心と透明な血で作らないと
創造者湯木慧は存在しないのに



皆を楽しませたい驚かせたいっていうのと溢れてきたものと濁りのない感情で創作してきたのに、創作に向き合う時他のことを考え出してこりゃいかんと、"守るべき心"が、"生み出す場所"が濁らないように濁らないようにしてたらどんどん濁っていってそうで吐きそう






創造、創作、表現、作品、
に、ただ、ただまっすぐで居たい
向かい合うものはそれだけでいいのに
人間となんて向かいあいたくないのに






きっと皆に響くのは作品が心の鏡だから




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このサイト作ってホームの言葉をこれにしたのは一体何年前のことか分からないけど
どの位の事があってどの位の時間が経ったと体が感じてるか分からないくらいだけど



いつかの自分が刺さる
ただこの言葉を残しておいてよかったと思う