昨夜、たっくん(楠瀬拓哉)と一緒に、とある作業をしていた。
んで、作業が終わったと同時くらいに、彼が
「この作業をしている間に、cuneから亮三クンが脱退したみたい」
と言い、ツイッターを見たら脱退声明が出されてました。
ここのところ、コウジ君とも泰造とも、あまり会っていなかったので
(次は27日にリハで会いますが)
それなりにビックリはしたものの、
以前からの状態や会話の数々の中から、ある程度の耐性が出来ているからか
「え? 今?」
ということしか思わなかった、というのが正直なところ。
そりゃ俺も、それなりに長いこと、音楽続けさせてもらってるので
多くのバンドが解散したし、自分が過去に組んだバンドもそうだし、
脱退したメンバーもいっぱい見てきたし、
それによって悲しむファンも見てきたつもりでいるし、
逆にソレがプラスに働くという稀なケースも、時々は見ただろうし、色々です。
でも、持論として、ずっとバンドマンとの会話で言ってることの1つに
「一度辞めたヤツは、次のバンドでも辞める」
ってのがあって、
だいたい同じ人間が、いくつかのバンドを解散させたり脱退するもんだったりします。
これってクセというか何というか、そういった類のものだと思うんです。
バンドを作る人(結成の核になる人)が、だいたい同じ人なのと似てるんです。
理想(?)の追い求め方の種類なんだと思うんですよね。
自分が追い求めているものを「作りたい」って人と、
自分の追い求めているものに「入りたい」って人。
後者が、先述の「辞める人」なワケだけど、こういう人の理想って
後から入ったバンドでは"簡単に"は成せないので、また辞めちゃうんですよ。
実際どうか知らないけど、俺はそう思って見てます。
(全員ってことはないと思うけど、比較的多いと思ってます)
亮三とは、かれこれ10年以上も前に一緒にバンドをしてましたが、
彼の話をするときに、よく俺が話題に上げるのが、
初めて2人で遊びに行ったとき(出会って次の週ぐらい、まだバンドは一緒にしてない)
俺が卒業した学校の文化祭を見に行こう!となって、待ち合わせたんだが
それに大きく遅刻してきて、着いたら文化祭が終わった(笑)
それからしばらくしてバンドを組み、当時はスタジオリハーサル代さえ無くて、
必死にかき集めてリハしてたのだけど、2時間の練習時間に対して、
1時間45分くらいは遅刻してくる。
でも、彼の歌声が好きだったし、彼のメロディーが好きだったし、
何より自分がミュージシャンとして未熟の未熟だったから、
それを内心でどう思っていたところで、本気で咎めることが出来なかった。
よく誤解されているんだけど、彼と一緒にやっていたRayというバンドは、
結成当初は俺がリーダーじゃなかったんです。
いや、正確には結成した時はリーダーだったのだけれど、
活動を開始して1ヶ月もしないうちにリーダーの権限を
ドラムの人に剥奪されたのです(笑)
「君は下手だから、バンドの売り込みとか考えずギターを練習しなさい」
と言われまして(笑)
いや、まぁ確かに当時の俺は凄く下手だったのですが、
コレにはツッコミどころが多くて、笑い無しでは語れないのですが...まぁ置いといて、
先述の「理想のものを作ろうとする」側のタイプの俺ですが、
このバンドでは案外、中心人物になるまで地道な活動(?)があったんです。
そんなことを経て、再びリーダーの座をもぎ取り(?)、
すったもんだありながらも人生で初めてのCDの録音に至り
(今みたいに誰でもCD出せるような時代じゃなかったので)
1999年の2月に、このCDのRec作業をし、5月26日に発売という流れでしたが、
その頃には亮三は既にRayを「辞めたい、辞めたい」と言っていて、
特に脱退とか解散は決まっていなかったけれど、
なぜかよくわからないまま何の相談もなくcuneというバンドを組み、ライブをし、
(Rayは、まだ活動中だったにも関わらず)
コウジ君とは険悪になり(いや、当時は元々険悪だったかも)
なぜか泰造とは険悪にはならず(単純に、シバかれそうで怖かったのかも/笑)、
埒がアカンってことで8月に解散を発表し、11月29日に解散ライブをした、と。
その後、彼らがcuneで活動していく中でも色々あっただろうし、
俺がWaiveというバンドを作り、彼らと同じ時期にバンド活動していたことで
プライベートでも、また話す機会があったり、
お互いの環境が変わっていくうちに、当時とは違った感情で接するようになってきて
愛し、憎み、色々な経験をしていったと思うんだけれど、
そこでのことは俺はcuneってバンドを俯瞰で見てただけでしかないから今も語れず、
ただ単純に亮三って人は、ずっと変わらないなぁ......
声は好きだし、歌も好きだけど、どうもバンドマンとしては敬愛出来ないな、
というのが本音で(ずっと本人にも、周囲にも言ってきましたが)、
お互い、またバンドを失い、俺はソロ活動を開始し、
昨今ではコウジ君と泰造と一緒にステージワークをこなすようになり、
彼ら2人が俺をサポートしようと思ってくれる気持ちと、
出来るだけ、それに呼吸を合わせられるように愛したいな、と思うようにもなり、
そんな最中で昨年のcuneの活動再開があり、
色々な相談を受けたし、俺の経験からの見解も語ってきたけれど、
冒頭の通りの展開になった、と。
そして、俺は、その事実には何ら驚かないというか、当然の展開と感じつつも
「え? 今?」
と思ったのが、全てなんだろうな、と思うのです。
出来ることなら、このことで、1人でも多くのファンが嘆かず、
メンバーが痛まなければいいのにな、と神に祈る程度のことしか出来ないけれど、
そんなことで何が変わることもないって知ってはいるし、切ないね。
ソロ活動を初めてすぐの頃
「ソロだと解散がない。終わりがない!」
なんて思ってたけど、そんなことなくて
結局、ソロでもバンドでも一緒。
奏でる側のモチベーションの尽きが最期の瞬間に繋がってしまう。
モチベーションなんて言うとカッコイイけど、結局は「やる気」のことで。
アーティストたるもの、カッコ付けなきゃダメなことも多く
「俺たちが動いて、それでオーディエンスを一体化させる」
みたいなことインタビューで言ってる連中を腐るほど見てきたけど、
でも、実際問題は、心のどこかで、自分らだけじゃどうにもならないものを感じてて、
ライブも音源も、その他の色んなことも、ファンの存在が基調な部分って存在するし、
その比率って、なかなか簡単に10:0にはならないというか、、、
「応援が少なくて解散」
「応援が少なくて活動休止」
これが存在するのも事実だし、揺るがないと思うんだよね。
けど、だからって、応援が多くても
「モチベーションが上がらない」
「音楽性の不一致(?)」
「メンバーが嫌い」
「環境が嫌い」
「なんかしんどい」
「なんとなく」
みたいなエゴの中のエゴみたいなものも、なくならないのが事実だと思う。
こんなこと考え出すと悲しいし虚しいのだけれど、
それが形ある音楽活動の真実であり、けれどボヤケていて常に不安定であるという
いかんせん曖昧な「答え」なんじゃないだろうか。
人ってのは、欲張ってしまうから悲しみを体感するんだろうけど
欲張らない人生だって悲しい気もするし、
身の程をわきまえた人生から奇跡は生まれにくい気がしてもいるし...難しい。
それなりにバンドもやって、それなりにソロもやった結果思うけど、
結局、どんな形でも『続ける』のが一番難しい。
いい曲を書くことや、いい詞を書くこと、いいライブをすること、いい演奏を、etc...
そのどれよりも難しいことな気がする(気のせいかもしらんけど)。
いや......人気出すほうが難しいかな?笑
わからんことだらけやけど、とりあえず言えるのは、
色んな経験して、笑って泣いて喜んで怒って、、、
全部が全部、音楽があったお陰であり、音楽があるせいなんだな、って。
その存在自体には絶対に何の罪もないけれど、
音楽への理想が身の丈とバランス悪いときに感情はマイナスに揺らぐし、
バランスいいときは痛まずに済む。
ただ楽譜を追って演奏をするだけじゃなく、感情ってものを関わらせるうえで
俺らが今でも最も苦戦しているのは、このバランス競技の部分なんじゃなかろうか。
俺も、やっぱり今日も揺らぐし、周りの仲間たちも揺れているような気がする。
あぁ......安定したい(笑)