月別アーカイブ / 2010年08月


4月のライブで初披露した新曲『再帰性信仰ショートカット』
 
そいつのアレンジに明け暮れる日々でした。
 
 
これは27日のアレンジ状態。
 

 
100827saiki1.jpg
 
 
結構変わったでしょ?
 
 
まぁ、見てわかるわけないけども(笑)
 
 
 
そして、これは本日のアレンジ状態。
 

 
100829saiki1.jpg
 
 
…。

 
結構、完成が見えて来たよな?

 

 
Waiveのサイトが更新されました。
 
そして先日撮影したNEWアー写解禁です。
 
 
wvhpnew.jpg
 
 
 
 
 
 
■以下、追記■
 
 
6月、7月に行われた再演、
本来はそこで完結するつもりだった活動の中、
大阪公演から渋谷公演の間に、今回のGIGSを決めた。
 
渋谷のMCや、このブログでも述べたように、
自分で始めたことを自分で終わらせている感が無いことに疑問を感じたからだ。
元々、Waiveの解散ってのはそうだったのだが、
再演なんてタブーが許されるのなら、
幕の下ろし直しも許されるのかな?とか色々考えた。
 
勿論、そんなことで解決しないことだっていっぱいあるし、
上塗りは所詮上塗りでしかなく、下地が無くなるわけではない。
まぁ、それについては月末発売のフールズで話した内容とも被るので
今ここで書いちゃうと雑誌にアレなので控えておくが(笑)
 
今回のサイトのリニューアルに伴い、
初めてスタッフBLOGみたいなのを読んだ。
彼の表現に添うと、俺は旗を振るということになる。
 
とは言え、一度(二度?)終わったものなので、
活き活きと輝きを放ちながら云々かんぬん?みたいなのでは無く、
いかに安らかに眠らせてあげるか…みたいなイメージもあったり無かったり(笑)
 
 
撮影の打ち合わせをした時に、
「ガーリッシュマインドのアー写のパスタ食べてるやつが、事務所入る前では会心の作品と思う」
という話になって、食事に関わる写真でいくことになった。
 
食事ってテーマでいくなら、最後の写真だし「最後の晩餐」にするか。
ってな流れになった。
いや、こんなにスムーズな会議じゃなかったけども。
 
2005年の解散の際の衣装等のコンセプトは「バカげた葬式」だったので、
今回も「葬儀」的な意味合いはキーワードに置いて話を進めた。
なので、スタイリストが用意した田澤の衣装が白だったことに激怒した。
(撮影の当日まで衣装を知らなかったので)
写真のテイスト感や色味なども、俺に確認がなく撮影が進行されていて、
正直メチャクチャ不愉快だった。
 
いや、スタイリストのミカコさん、カメラマンの小松さん、デザイナーの吉田さん、
どの人のセンスも疑ったことはない。尊敬している。敬愛している。
「悪いものになる」と思って不愉快だったのでは無い。決して。
 
ただ、終わらせるに当たって、俺が俺らしくWaiveに関わるには、
当時と同じように、もっと牛耳っていかなきゃ駄目だと思っていた。
そして、俺以外に最初から最後までクリエイティブに関わっていた人物は居ないんだし
代わりは存在しないという自覚があったから。
 
とは言え、撮影の途中から気持ちを切り替えるように努力した。
これはもう自分の個人的な気持ちとしてだが、
Waiveの最後の写真撮影が「不愉快だったなー!」とかだと嫌だったし(笑)
 
これは、まぁ当たり前っちゃ当たり前のことなんだが、
上記の人達も、
上Bも、ナオエさんも、俺とニノカタのヘアメイクをしたウィッキーさんも、
田澤のメイクさんも、淳のメイクさんも、酒井さんも、鳥居ちゃんも、
あの場にいた全員が、やっぱり最後の撮影の1ピースなわけやしね。
 
で、出来上がって来たものを見て、
まぁ、、、結果としては俺がジャッジして進めたよりも
良い物になったに違いない!と信じるようにして(笑)
(いや、実際に良いものが出来たと思っている)
 
次は、GIGSなので、ライブクルーや会場に集まるファン全員、
そして来られなくても、思いを寄せてくれる全ての人々がそのピースになる、と。
 
 
そんな感じで…
「完結」って言葉も俺が選んだのですが、
愛してもらえると幸いです。
 
 
 
 
====さらに追記====

ソロの方も、いつでも動き出せるように色々努力はしております。
ミンナに心配かけて申し訳ないです。
  
 


先日、
 
ピュッさんこと知一氏が、
「今、家の前に居ます」
と、いきなりウチに訪れたので、
男と男の語らいをしてきました。
 
 
100818.jpg
 
 
メロンソーダおよびクリームソーダは永遠の少年の味。
 
 
…。
 
 
ぶっちゃけ、何を語り合ったか、あまり覚えてません(笑)
 
 
 
とりあえず、CDというメディアや、
その中に入っているもの(俺らの場合、音楽)が、
この先どのようになっていくか、なんてことを話していた気はする。
 
 
そんなこんなで、
もうすぐ丸1年CDをリリースしていない状態になる俺なわけだが、
少なくとも半年以上、次のリリースについて考えてはいる。
 
こう言うと、よく
「配信オンリーにするかどうか」を悩んでいると思われがちなんだが
それとはまた違った悩みでして、
もっと根底について悩んでいるような、いや、逆に浅い部分なのかな…?
 
 
まず、単純に、
俺らは音をクリエイトしているわけなので、
それをCDやらデータやな、まぁメディアは何でもいいのだが、
そういったものの中にソレを閉じ込めて人々に届ける。
それは決して間違っていないと思う。
 
けれど、考え方によっては、
CDやデータっていう、お決まりのメディアでなくてもイイわけだ。
頭の中の硬い部分が「メディアはコレで!」って押し付けてくる。
 
でも、例えばDVDシングルなんてものが存在するのと一緒で、
別の手段で新曲を届ける方法もあるのかもしれないなー、、、
もっと言えば、結局「音」はデータで渡されるんであったとしても、
携帯とかiTunesとかで買うんじゃなく、
フラッシュメモリーに曲が入っている状態で売るのも、最近たまに存在するし、
他の方法だって、きっと、もっとあると思うんだよな。
 
 
 
世の中、CD屋が潰れまくってるでしょ?
言わずもがなCDっていうメディア自体が売れてない世の中だし、
まぁ、引いては音楽自体のセールスも落ちていると思う。
 
これって何でかな?って考えた時期もあったのだが、
俺の中では1つの結論を見出していて、
 
・音の作り手は音を作って満足し、
その先に、誰がどんな風に形にしているか、
どのようにリリースされ、販売され、
どんな人の手から手に渡っていっているかなんてことに関心を持っていない奴が大半

ということと、
 
・売り手は、メディアの変化やアーティストの低迷により
CDのセールスが低下したり、さらには景気の悪化などの煽りを受けていると考え、
各々の販売形態に疑念を抱くのが遅かった、または今も抱いていない
 
ということが大きなファクターなんじゃないだろうか、と思っている。
 
 
無論、全ての作り手や全てのバイヤーに当てはまることでは無いが。
 
 
長くインディーズ活動をしているので
色々な人と話してきたので、全否定出来るわけがないくらいに
各々が一生懸命にやってるとも思っているのだが、
自分も含めて、本当は、もっと、今まで以上に、
そして今以上に、考えて考えて考えて
『作品づくり?販売』の行程をパッケージングしないと駄目なんじゃないかな?
そう思っているのです。
 
 
曲を書いて、資本を投入し、存在するシステムの中でユーザーに行き渡る。
 
それだって何も無いところから誰かが作ったものなのだから
決して間違っていないし、
買い手にとって、わかりやすい馴染みのあることだろうけど
それが永遠に不変のシステムだ!と思ってしまったり、
それが常識だ、と思ってしまったりするのは、
作り手側、ようは発信側としては良くない傾向なんだと思うのです。
 
 
些細な変化、ホント些細な、1mmでもいいから
常にアイデンティティを投影出来る方法を探るべきなんじゃないか、と
そんな風に考えているわけです。
 
 
 
まぁ、それで1年も考えて何も意見が無いのはどうかと思ってはいるが(笑)
 
 

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