5/27は、初代ドラゴンクエストの発売した日。
1986年……昭和61年という今となっては大昔の出来事だ。
 

初代DQは、発売当初はそこまで話題ではなく、
世間は半年以上も前に発売されたスーパーマリオブラザーズを、まだまだ狂ったようにプレイし続けていたように記憶している。
 

勿論、85年9月のスーパーマリオ〜の発売から、86年5月のDQの発売までの間にも数々の名作がリリースされた。


キン肉マン(マッスルタッグマッチ)

ポートピア連続殺人事件

パックランド

カラテカ

いっき

頭脳戦艦ガル

バイナリィランド

ボンバーマン

スペランカー

テグザー

ハイドライドスペシャル

グーニーズ

ツインビー

影の伝説

アトランチスの謎

スパイvsスパイ

グラディウス

マイティボンジャック



etc...



うーん……挙げるとキリがないな、、、なんでこんなに名作が出まくっているんだ。。。
いや、名作と記憶が言っているだけで、実際はそうでもなかったりしたのかな?
子供心に全てが新鮮だっただけな気もしてきたな……だいいち自分以外で頭脳戦艦ガルを名作って言ってる人に出会ったことないもんな……。
 
まぁ、そんなことはどうでもよくて、、、
 
初代DQが発売した頃、まだ俺はその作品の存在を知らず、
当時1番の友人だった「うえっち」の家で、そのゲームを知った。
 
ウィザードリィやウルティマを代表としたRPGはすでにあったのだけれど、
家庭用ゲーム機での日本初のオリジナルRPGと言われたDQは、まだ馴染みのないジャンルで
画面を見ていても、イマイチ何が起きているのか把握できないものだった。
それまでの作品とは何もかもが違っていたから。
 
今思うと「うえっち」は、かなり変な奴だった。
DQの主人公の名前は「しししし」だった。
彼は「獅子」が凄く好きだったからだ。
 
飼っていた犬の名前は「りゅう」。
ドラゴンだ。
龍か竜かは定かではないが、たぶん「龍」だったと思う。
「そこは獅子じゃないんだ…」と子供ながらに思っていた記憶がある。
 
Twitterにも書いたが、「うえっち」は、兄のことを「オニール」と呼んでいた。
父のことを「パピー」、母のことを「ババンツ」。
そしオニール(兄)は、うえっち(弟)のことを「サル」と呼んでいた。
 
「オニール」は、かなりの暴君で怖かった。
彼の決めたルールに従って遊ばないとダメなことが多く、
ミスをしたりすると無理やり正露丸を飲まされたりした。
とてもイヤだったので、「オニール」がいないことをいつも願っていた(笑)
 
「りゅう(犬)」がマジックで眉毛描かれてる日があったり、
芝犬か何かだったと思うのだが、毛の白い部分を紫に塗られてる日とかもあった気がする。
今だと「動物虐待!」とかなりそうだが、連中はイジメのつもりは皆無だった。まぁ、子供だったしね。
何より今とは、そういうものへの考え方が全然違った。
側で見ていて、連中が「りゅう」を可愛がっているのは確実だったし。
 
「オニール」の友人に、「門田(カドタ)くん」ってのがいた。
我々は、よく一緒に野球をした。
当然のごとく「オニール」が全てを仕切る。
我々は全員、彼が率いる「マグネッツ」というチームの一員にされた。 
「オニール」がピッチャーだった。
恐ろしいほどコントロールがよく、サイドスローなのに球威もあり、変化もつけてくる
正直めちゃくちゃ野球が上手く、なんなら勉強もできたし…とにかく凄い人だった。
 
「門田くん」はキャッチャーだった。
そして、もう1人パンチのある人がいた。
本名は忘れたが、彼のアダ名は「うんこ君」。
今考えると完全にアカンやつ。
 
我々は、マグネッツの2軍(1軍も人数足りないのに)をやらされていた。
2軍vs1軍の試合とかで、何の容赦もなくプレイしてくる「オニール」が、やはり苦手だった。
 
 
すっかり「うえっち」じゃなく「オニール」の話になってしまっている……。
 
 
話を「うえっち」に戻そう。
「ドラゴンクエスト」に戻すわけじゃない(笑)
 
先述の通り「うえっち」は、幼少期の俺にとって1番の友人だった。
学校でもずっと同じクラスだったし、ほぼ毎日一緒に遊んでいた。
自分にとっての昭和の光景には、いつも彼がいると言っても過言ではない。
 
 
多分、この時期のことを比較的鮮明に覚えているのには理由がある気がしている。
それは、自分のこれまでの人生において、
健やかだったり、楽しかったり…ようは、輝いた時間だったからだと思う。
 
小学生高学年になるぐらいまでは、無邪気に楽しく過ごしていた。
が、高学年ぐらいから学力や体力、腕力、その他いろいろの差が生じ始めていき、
そこから高校3年生ぐらいまでスクールカーストの底辺のような時間を過ごした。
 
ちなみに、「うえっち」は、中学は訳アリで別の学校になった。
当時は、よくわからずにいたが、今思うと彼は複雑な家庭環境だった気がする。
今考えると決して裕福な環境下の家には見えないのに日々のお小遣いが我々の10倍ほどあり、
件のファミコンソフトなどをジャンジャン購入できていたこと。
彼の部屋が家本体から少し離れたプレハブ小屋だったこと。
高校に行ってから各々の出身中学の卒業アルバムを見せ合ったときに、
「うえっち」の名前が変わって「元うえっち」になっていたこと。
その他にもいろいろと、子供にはわからないことが沢山あった。
 
中学1年から高校3年までの記憶は、あまりない。
もちろん皆無ではないけれど、薄い。
「高橋」という幼馴染がいて、そいつとはずっと腐れ縁だったし、
当時にしては珍しいパソコンが自宅にあったことから「福原」という友人ができたし、
カーストの最上層にいるにも関わらず声をかけてくれた「山本進也」と「岡田信介」と仲良くなったのもこの時期だし、
他にも挙げていくとキリがないほどの連中と刹那的に仲良くはしたが、なんだか色が薄い。
浅井の家で狂ったほどにPCエンジンのボンバーマンやモトローダー2をプレイしたし、
我が家で色んな連中と頭おかしいぐらい三国志を語りあったりもしたんだがな。
やはり自分にとって、輝かしい時間ではなかったんだな〜と今になって思う。
その時分は、そういうもんだと思って過ごしていたのだけど。
 
高校に入って最初の2年なんて、焦るぐらい何も覚えていない。
今、しばらく文字を打つのを止め、思い出そうとしてみたけれど、
それが具体的にいつのことなのか、果たして現実だったのか妄想だったのかもわからない。
それぐらい空虚な時間を過ごしていたな〜と思う。
毎日、なんとなく学校に行き、特に誰とも深入りせず、
授業が終わると即帰宅し、毎日ゲームをしていた。
謎の正義感……いや、義務感かな? で、学校は休まずに行った。
「休む」ということを考えることさえ放棄していたような気がする。
 
 
高校3年のとき、ヒョンなキッカケでバンドを組むことになった。
経緯は過去にもいろいろなところで述べてきた気がするが、
正直、自分の中でもどんどん曖昧な記憶になってきている。
ようは先述の理由と一緒で、バンドを始めた理由とか時期なんて自分にとってどうでもいいことになってきているんだと思う。
振り返ってみると輝かしい時間は、そこにはなかったんだなと。
バンドを始めてしばらくは、本当に何となくでやっていた。
みんなが受験勉強をする中で始めてしまったし、親もきっと勉強してほしかっただろうけれど、引くに引けない感じではあった。
言ってしまえば、遅すぎる高校デビュー、遅すぎる反抗期だったんじゃないだろうか。
特に、それまでスクールカーストの最下層にいたせいもあってか、
バンドを始めてから後輩に慕われたりして、有頂天だったんだと思う。
 
けれど校内のバンドメンバーが受験勉強をするようになり、
俺と友人(本田くん)以外は後輩しかバンドをしていない状態になってしまって、
トチ狂った我々は、他校のバンドマンや楽器屋で出会う連中と音楽をするようになった。
なんだかんだ音楽に夢中になり始めていたのかもしれないな。。。
 
 
 
いや、「うえっち」もう出てくることないな、コレ。。。
 
なんでこんなこと書いてるのかもよくわからんようになってきたし、いきなりやけど終わります(笑)

ようは、ドラクエの発売のこと思い出すと、「うえっち」を思い出し、
考えてみると「うえっち」って自分の人生で最初に「親友」と感じた人なんやな〜と感慨深くなった、という話。
山本進也や岡田信介は今も続く仲で、それこそ親とかもお世話になったりしているけれど、
自分の中でキラキラした時間を一緒に過ごしていないせいか、あまり思い出がないんだよな。
 
そう、自分にとっての「キラキラした時間」にあったことって、明確に残っていくのよね。
人との記憶だけじゃなく、ニオイとか温度とか景色とか、、、とにかくいろんなものが。
色褪せない、色濃い時間って、この先どれぐらいあるんだろうな。
 




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画像は、桑野が最初に描いた「うえっち」を模写したもの。
桑野は「うえっち」のことを「ゴンタ」って呼んでました。
 
ていうか俺の周り、マジで変な奴しかいなかったんじゃないのか……って気がしてきた。。。
子供の頃って、みんなこんな感じなのかな。。。