先日のさいたま公演でのMCで話したことと重複する部分もあるのですが、
どうにも誤解を生んでいるのではないか? と感じているところがあるのと、
会場にいなかった人たちにも改めて伝えておきたい考えなので、
個人的見解をブログにも記しておきます。
  
 
まず、わかりやすい話からします。
完売している公演のチケットや、会場限定グッズなど、レアリティの高いものをネットオークションやフリーマーケットシステムなどを利用して転売する人がいます。
 
いやぁ、貿易商みたいで凄いですね(笑)
商売上手でうらやましいです(笑)
  
 
俺は、個人的に音楽だけじゃなく色んなものを商品として取り扱う仕事を、本当にイロイロと経験させていただいてきたので、
仕入れたものを原価以上の価格で販売し、それで生計を立てることに何の疑問もありません。
なので、「転売」することは自由にすればいいとさえ思っています。法的にどうか〜とかの話じゃなく、個人的にね。
ただ、なんだろうなぁ……暗黙の了解なのかもしれないけれど、その上でもやっていいことといけないことのラインは、きっとどこかに引かれているんじゃないかと思うわけです。
その線って、明確にしないといけないものかねぇ?
別に公式に何か発信していくことは構わないけれど、それってとても寂しいことだなと。
  
我々、ミュージシャンとかバンドとか何かしらんが、
そういった組織側も、もちろん企業(?)努力が必要だと思うし、
転売に限らないけれどいろいろと起きる事象ごとに考え、行動(対処)をしろよと思うのが顧客側からすると当然なのかもしれません。
けれど、超超超超超〜〜〜有名な世界規模バンドとかでもない俺らが、
本気出せば全員の顔から名前から住所までも覚えられる可能性さえあるような、数千人とかしかツアー全体で動員することのない我々が、
そんな中の誰かに対して、
『まだ終わっていないツアーの、会場限定グッズを販売している際に』、
「もしかして、こいつが転売してる奴か?」
なんて疑問を抱きながら1人1人に物販しなきゃいけないのって…どうやねん、と。
 
例えばグッズを買って使ってみたがサイズが合わなかったから売った、とか
入院中でライブに行けない友達の分を頼まれて買った、とか
いろんな理由があるだろうから、すべてを否定する気もないし、なんなら「いい奴やな」とか「偉いな」とか思う例だってあるだろうと思う。
だからこそ「何も言わない」のが公式的な見解の辿り着くべき答えだと思うのよ。
逆に『だからこそ』よ? お互いの暗黙の了解を深め合いたいもんでしょ。
それがインディーズ活動をしている我々の醍醐味というか、
アーティストとファンの距離が近いからこそ、こんなこと言わせるなよ、とね。
  
 
そりゃ会場限定グッズは、会場行けない人は手に入らないわけだし、
そこの需要と供給バランスを満たすためにアンオフィシャルな商魂が芽生えるのは、わかる。
それを潰すために公式が何らかの対処を考えたり、すべきなのかもしれない。そうしろという意見が出るのも、まぁわかる。
だが、悪いな……できないものもあるんだ。
すべての要望を叶えることはできないし、何かを満たせば何かにヒビが入ったりする。
至らないところが沢山あるとも思ってる。すまん、未熟で。
だがしかし、これはバンドの公式見解でもなく、あくまでも俺個人の見解だが、
俺らは作り手側も受け手側も含めてのチーム活動だと思っている。
その上で、リーダーを俺がしている(バンドでもソロでも)。
リーダーの見解として、転売も勝手にすりゃいいし、買う奴も勝手に買えばいいと思ってはいるが、冷たい目でそれを見てるぞ、俺は。
「いい」と言ってるから「いい」のかどうかは、個人の勝手で判断してくれ。
ただ、わかって欲しいなぁ……いや、わかるよなぁ?
教祖様(笑)が本当は何を仰っていらっしゃるのか、わからない信者って、、、ねぇ?
 
冗談は置いといても、ルールを敷くのは簡単。
 
だが、その手前で小さいチーム活動をしている俺らなんだから、もうちょっと自由でいようや。
そして、その自由ってのは、「好き勝手していい」ってだけではなく、「お互いに楽しめる」を目指したいよね、と。
それがわかんない奴と、俺は楽しくやってける気がしないんだわ。
 
言ってしまえば、転売やソレの購入は好きにすればいいけれど、公式のやってることにケチつけるようなタイミングでやってんじゃねーよ、と。せめてツアー終わってからにするとか、空気読めよ、と。
あと、上記のとおりだが、頼まれて買ったり何かしらの理由に則ったものと、貿易は大義のあり方が違うと思うぞ、俺は。
暗黙のルール、青臭い部分での共感がないと「ならではの共有」が得られないと思う。
   
 
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時間がかかったり、場合によっては解決できなかったりすることも、
今までがそうだったように今後もきっとイロイロとあるだろうと思っているけれど、
それでも懸命に考えるし、できるだけ拾い、救い、楽しんでもらえることをしたいし、
それでいて発信者としても疲弊せず、愛想尽きず、楽しめるようにバランスをとっていきたい。
ミンナのことを考え(会場に来れる人/来れない人/チケット買える人/買えない人/その他いろいろね)、その上で自分も歓びを得たいと思っているので、
そこんとこ、よろしく理解して欲しいです。
 


はい、始まりました。
Waive TOUR「Wave to Waive」!
全国ツアーは、なんと解散ツアーぶり……ようするに2005年ぶり。
 
すでに柏と、さいたま新都心の2公演を終えたわけですが、
そのどちらでも久々に演奏された曲があったり…(HONEY、ONE、DECIDEなど)
我々も緊張感ありつつも、良い開幕ができているのではないかと思います。
すでに参加してくれている皆さん、いかがでしょうか?
 
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新曲「BRiNG ME TO LiFE」も先行試聴など無しでライブにてお披露目をしました。
こちらは、自分の感覚としては、まだナロウな感じというか、
曲というか音というかメッセージというか何というかが、グワッと広がっていく感じに至れていないかな?
という印象もあったりするので、この先まだ進化するのではないかと思っています。
未聴の人も、お楽しみにしていてください。 
 
 
今のところ、両日ともに完売公演だったというのもあり、
まさに「ギュウギュウ」のフロアなので、ケガなどに気をつけてもらいたいな〜と思いつつ、
Waiveって、おそらく外側から知らずに見えているイメージの何倍もライブがパンク的に激しいので、
こういうのも似合ってて良いよね、とも思っていたりします。
ステージの上下ともに、いつまでこんなことできるかわからんし、
何なら、もうすでにアウトなのかもしらん(笑)とさえ感じる瞬間もあるっちゃあるのだけど、
でもまぁ少なくとも、この2公演は他のどこにもない個性的なものになっているんじゃないのかな、と。
 

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次の横浜公演まで少し時間が空きますが、
そこからまた、随分と久々に行く地域でのライブが控えているので
より高めあっていけるといいな! なんて思っています。
 
……。
 
ここまではWaiveというフィルターを通したブログ。
 
 
 

で、ここからは個人的なブログを書きます。
なので、以下は戯言だと思ってくれて良いというか
何なら読まないでもいいのかも(笑)
 
 
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楽屋でも話してたんですが、何や言うて僕は近年あまり表立ったステージ活動をしておらず、
柏でライブするのも人生初、さいたま新都心もニノカタと同じだけ来てなかったんじゃないかな、と。
(なんならステージに立ったのも、ニノカタの前回〜今回までの間で1,2回多いだけだし/笑)
そんな状態にも関わらず、ステージに出て自分を応援してくれる顔ぶれや声があることに心打たれる感じがあります。
きっと、Waiveが独特な活動形態になっているにも関わらず多くの人が集まってくれる事実が嬉しいのと同じか、それ以上にそう感じています。
  
ここ数ヶ月、あまり食欲もなく、不眠なので無理やり酒を飲んで寝たりしてるんですが、
ライブをしている間は邪念……ではないな、なんていうのが正確なのかわからないけど…を考えなくなるというか、
とにかく目の前の瞬間に対峙することが2〜3時間ほど、秒単位で連鎖することにより
そういった状態から否が応でも抜け出される状態になります。
それによって食欲も開放されるのか、楽屋弁当などもきちんといただけていたりするし、
激ヤセしたので、少しだけリバウンドしたいと思ってるので助かるな、と(笑)
 
正直なところ今も、いつもの自分というかフラットな自分ではない感じなんですが、
何かこう、刹那的であれギラギラした何かというか、とにかく日常にない何かが生まれる空間に身を置けていることで、
燃焼できるというか……うまく言えないけど、何か救われるような、そんな感覚を得られています。
感謝です。 
 
 
 
 
別に、いつのライブにだってそう思うと言われればそれまでなんだけど、
なんか今の気持ちとして今回の「Wave to Waive」は、
Waiveというものが生まれた2000年から今日2019年までに少しでもWaiveに関心を抱いてくれた方に
是非、観に来てほしいなと感じています。
 
「それだけ良いものを演ってるぜ!」みたいなことを言ってるつもりもないですし、
珍しく商魂から言ってるわけでもないです(笑)
ただ、なんとなくとても貴重な時間な気がしてるのよね……なんなんだろうか。
何の根拠も理由もなく、本当になんとなく、しかも個人的に思ってるだけのことなんですけど。
 
今回のツアーの残り、3月の仙台/福岡/京都は既に完売してしまっているけれど、
4月の大阪/名古屋、そして4/30のZepp東京は、まだ買えるようです。
あと追加公演5/1のリキッドルームの先行受付は、昨日から開始されたばかりです。
 
 
 
 
それから、めちゃくちゃどうでもいいことに触れておくと、
ライブをすると毎回、素人レポート的なのをしてくれる人ってのが昔から出てくるじゃないですか。
ブログとかツイッターとかそういうのに、いろいろ書いてくれるの。
ふと何年も昔の公演のレポートを見かけて「あぁ、あったあった!」とか「へぇ〜そうやったか」みたいに思うこともあるんですが、
逆に、直近のそういうのを見かけたときに「いや、そんなこと言ってない」とか思うこと多いんですよね(笑)
こちらの記憶が鮮明なうちだと「そうじゃない」、「それ別の人」、「それ完全に聞き間違え」とかがあるわけです。
でも時が流れて、こっちの記憶も曖昧になりだすと「そうやっけ? 覚えてないわ」となる。
これって結構怖いな〜って思うんですよ。
実際、現場でプロのレポートが入ったときとか、ライブレポじゃなくてインタビューとかでも
原稿のチェックをしたときに随分と歪んでしまって修正しないとダメなことってあるんですが、
これらは修正できる分、良くも悪くもアーティスト側のメッセージが正確に届けられるようになる。
けれどチェックなしのレポートで歪んでしまうと不本意なものが一人歩きしちゃうことがあって、
月日が流れてしまったあととか、実際にその場にいなかった人とかにとっては、それが真実のようになってしまう可能性あるよな〜と、そんなふうに思うことがしばしばあるんです。
まぁ、だからって「やめろー!」とか言う気もなく、むしろ楽しんで見てる性格でもあるんですが、
ただ何ていうのかなぁ……
インターネットあるあるの「みんなが平等に世界に発信できている事実」って、当然のことになりすぎてしまっているがゆえに見落としがちだな、と思ったりするわけです。
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《追記》
ここ、語弊を生みやすい気がしたので追記します。
私自身は、素人レポ(この呼び方イマイチだな)は好きです。歓迎。
口コミほど大事なものはないし、生の声が残るってすごく素敵なことだと思うので。
ただ、ライブで言うならば「MC」のレポートは好まないかも。

これはやはり、その場にいないと空気感とかニュアンスみたいなものが伝わらないことが多いし、
発音などの違いからも誤解が生じやすい(メールやLINEなどで感情を誤解されるのと似てるかも)と思うので。
これに関しては、あくまで個人的には『細かいセリフの内容や、やりとり』を拾おうとすればするほど違ったものになりがちな印象を受けているので、
『こんな感じのこと言っててウケた』みたいな『感想』は各々のものなので良いとして、
詳細に言葉をピックアップしてレポろうとすると、確実にメッセージが歪んでいく印象を持っています。

くれぐれも言いますが、個人の自由なんで好きにしてください(笑)
あくまで私的に上記のように思うだけです。
重ねて言っておきますが、レポや感想自体は大好きです。
そしてきっとそれを楽しんで読んでいる不特定多数が存在する時代になったことも、とても愉快に思ってみています。
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例えるなら、うたってみたり演奏してみたり、生放送してみたり何だかんだ〜ってのと一緒で
言わば「レポってみた」なわけですね、上記の場合。
そう考えると行為自体は素敵なことで、何なら流行ってほしいな〜とさえ思うけれど、
根底にある「無責任に他人のことを世界に発信している」という事実は意識してほしいな、と。
 
ネットは、この先ももっと便利になるだろうし、それによる弊害もあると思いますが、いずれにせよ多様化していくのは変わらずだと思います。
さいたま公演のMCでも言ったけれど、自分が音楽で世に出だした頃から比べると
今の時代のアーティストとファンの距離や関係値って、当時では想像もつかなかったものだし、
過渡期(今もそうなんだろうけど、それは置いといて)には、そこについて様々な意見があったと思うんです。
「私生活をミュージシャンが見せるのはイメージが崩れる」みたいな類の何某とかね。
それを否定する気もないけれど、やはり変化に順応することも大事だと思うし、
もっと言えば、その先の変化のあるべき形を提示していくのもアーティストの役目の1つなんじゃないかな〜と思っているタイプなので、
迷い悩み、トライ&エラーし、まるでブレたかのようになることもあるかもしれないけれど、
それでもやはり「その時」に思う「自分たちのあり方」を常々更新していきたいな、と思うのです。
そして、こういうことへの垣根が低くなったのが現代だとも思うので、
アーティストだけでなく世界への発信者すべてが、意識すべきことも多様化してきてるんだろうな〜と、そう思うのです。
 
 
ま、そんな感じで、、、(?)
ツアーまだ買えることあるんで、よかったら来てねってことです。
 
あとは超個人的ですが、BARKSコラムにも書いたように黒い溝なのか穴なのか何なのかに引きずり込まれるような感覚の中、
一瞬の火花を散らすことで、その溝も込みで照らすようにし、
自分なりに1つでも多く人生の凸凹に納得をしていきたいな、と感じています。
1ステージに立つ数時間なんて、僕の人生のごくごく一部でしかないんですが、
けれど、やっぱり、嘘をつけない時間がそこにあるというか、日々が凝縮されたものが赤裸々になる場所でもあるなと感じているので、
このごく一部は、自分自身でもあるんだな…と思う日々です。
きっと全てが、いつかなくなるんだろうと最近すごく思うようになりましたが、
楽しかった事実や大切にした時間など、儚くも愛しいと感じたすべてのことを、死ぬときなのか何なのか知らないけれど「おわり」を迎えるときにも心の中で抱きしめられるようにしたいです。
 
ソロの「オフホワイト」の歌詞への矛盾および重複になってしまうところがあるかもしれないけれど、
真っ白の中にある消せない小さなシミのようなものは生きていると、どうしても発生していきますが、
そのシミに焦点を当てて消そう消そうとすることも大事だし、わかるけれど、
それ以外の白の純度だって真実であり目を向けるべきことなんだろうな、と。
死ぬまで正解がわからず右往左往する部分かもしらんけど(笑)
 
 
まぁ、いいや。
文字になんかできるわけないこと書いてる気がしてきた。
 
めっちゃ急かつテキトーに〆ます。
では、また(笑)


こんにちは、こんばんは、どうも。
杉本善徳です。
もう1月も後半ですね、新年の挨拶がどうの〜って時期でもないので割愛しますね。
 
さて、
この年末年始は、文字や言葉にはできないけれど、
本当に本当にいろいろなことがあって、いろいろ考えて考えて考えて過ごしました。
上手く表現できないけれど、
きっと一生忘れない時間だった気もするし、逆にすべてが記憶から消えてしまいそうな気がする感じで、
とにかく今までの自分の人生で確実に一番自分という人間と向き合った数十日でした。
 
 
 
えーと、、、Waiveの新曲を作りました。
2月からのツアーで披露するかどうかは、まだわかりません。
リハーサルとかでバンド演奏してみてから決まってくることと思うので。
この曲に関してなどは、またBARKSの連載内で話すことになるかな? という気がするため
ここでは、あまり細かく触れないようにしますが、
杉本善徳が今、Waiveというバンドを意識して作る歌詞と曲の極限の1つになったと思います。
正直、制作中に何度も「もうやめたい、やめさせてくれ」と放棄しそうになりました。
 
 
IMG_5644.jpg
 
 
話は戻ってしまいますが、自分と随分と向き合いました。
結果、見えてくるものがあったり、見えていなかったんだと気づくものがあったり、
とにかく、自分は自分が思っているほどに自分ではないというか……
自分が信念のように思っていることや、口にすることに対し、
自分自身が伴っていない部分を目の当たりにし、なんとも情けなく思うのです。
口ほどにもない奴だな、お前は! と、自分に思うのです。
 
子供の頃から突出したものなど何も持たない、しょうもない自分だったことを知っているのに、
どこで何を勘違いしたのか、自分は特別だと思い込むようになってしまい、
そこまでは構わないことだが、いつの間にか「特別でないといけない/特別に見せないと」と考えるようになっていき、
気がつけば本当の自分と理想の自分がかけ離れていき、その差を曖昧な何か……
わかり易い言葉でいえば「嘘」のようなもので埋め合わせして取り繕っている。
そんな自分に辟易とするわけです。
 
自分は怠け者だし、とにかく愚かだ。
それを知っているからこそ、理想の自分になるには犠牲が必要で、
聞き馴染みがあるけれども縁遠いもので例えるなら、その犠牲は「努力」のようなものだろうし、
努力は苦手だからこそ怠け者だという自覚があるのだけれど、
苦手なことを避けている自分を許せるほど、自分は立派な人間ではなかったので、
まずは自分を律し、自分が思い描く自分になるため頑張ろう、とそう思うのです。
 
「人は本質的には変われない」と言う人もいるけれど、
自分を好きになれないまでも、嫌わないでいるためには
『変わらなきゃいけない』ことは、きっとあると思うのです。
人は経験し、気付き、学んでいく中で、些細かもしれないけれど変化を重ねていくから、
どこかで思い過ごしてしまった部分はあれど、少なくとも今の自分は子供の頃の自分とは本質さえも違っているはず。
3歩進んで2歩下がるんじゃなく、
2歩下がるのなら3歩進むしかないの精神で、自分の未熟さと向き合い、
完璧な人間になんて誰もなれないし、俺は特に元がヘッポコなので超人にはなれないだろうけれど、
自分が思う自分にはなれるんじゃないかな……なりたいな、ならなきゃな、って思うんです。
 
そんな2019年です。




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