月別アーカイブ / 2018年02月

今日は暖かいね。
もう春がそこまで来ているのを感じます(気のせいじゃなければいいが)
この季節、植物を見るとその生命力を感じるね。

秋から冬に葉を落とし、雪や北風にさらされても
人間はまだ寒そうにしているけど
草木は息吹き始めているものね。 

一昨日はアキSONGBIRDのデビュー作のジャケット撮影でした。
カメラマンは柳さん。
またアキSONGBIRD本人が書くと思うけど
柳さんから「アキSONGBIRD、スイッチ持ってるね」的に
褒められるほど、いい写真が撮れたよ。

実は・・・正直、心配していました(笑)

だって写っちゃうから。
例えばクラス一番のイケメンでも、誰もが認める美人でも
持ってない人は「ただの人」に写っちゃうからさ。

もちろん柳さんに引き出してもらった部分は大きいけど
そんな中で「何かしら自分を出せた」ということは
ものすごく大きい。

その晩、俺はよほどホッとしたのか
爆睡してしまったよ(笑) 

まだ実力不足でみんな気づいていないし
多分本人も気づいていないかもしれないけど
ライブの 舞台袖で、グググッと上がってきてスイッチ入る感じ。
それと同じものが撮影でもブーストしていた。

その力を倍増させて、デビューワンマンでは爆発させろ。
「歌いたい!」という気持ちが強ければ強いほど
遠くまで夢を運べるぞ!頑張れアキSONGBIRD!

というわけで4月18日はアキSONGBIRDデビューワンマンです。 
興味ある人はぜひ参加してね。(チケットなどは本人かVSR事務所まで)


先日は、かつてのマネージャーであり
93年から02年まで在籍させて頂いた事務所
オフィスウォーカーグループの会長大谷勝巳氏を偲ぶ会でした。
カッコいい男だった。
痺れる くらい痛快な生き様だった。
音楽業界、芸能界でトップまで上り詰めた故人のことを
俺があれこれ書くのはおこがましいし
音楽の世界に生きる人ならみんな知ってることなので、ここでは個人的な想い出を。

最初に思い出すのは出会った頃。互いにまだ20代だったよ。

その頃の俺はメジャーデビューが決まっていたのに事務所が解散するという
不幸な出来事があり、次に一緒に仕事をしてくれる事務所を探していました。
その時に名乗りをあげてくれたのが大谷さん率いるオフィスウォーカーでした。
とある大手芸能プロダクションから松崎しげるさんと2人で独立した大谷さん
そんな大谷さんが初めて自分でスカウトしてマネージメント手かけたアーティストが
大変光栄なことに俺でした。

出会った時の俺は、ものすごく生意気で失礼なことをたくさん言ったらしいんだけど
「逆にそこが気にいったで!」と彼は言ってくれました。
また、新体制になるにもかかわらず、原盤制作は
それ以前の会社で一緒だったディレクターと組みたいと言う俺のワガママも
(普通じゃ有り得ないけど)聞き入れてくれた
そんな懐の深い人でした。


その後オフィスウォーカーは急成長し、六本木に自社ビルを建てるまでに。
大谷さんが素晴らしい人だったし、その他のアーティストやスタッフのみなさんが
すごかったからそうなりました。
俺は俺は全く貢献していないです。デビューしたけど、売れんかったからなぁ、、、。

けれど、その後社内で自社レーベルをやることになり
そこには参加させてもらった。(ヨシケンを名乗りはじめた頃)
色々な社内事情があったにせよ「賢太郎にもう一回チャンスを作りたかった」という言葉。
いまでも有難い。

そんな大谷さんと、一度だけ意見がぶつかったことがある。

2001年ヨシケンがある程度盛り上がってきた頃
俺は日本青年館大ホール、渋谷公会堂と半年で二本のホールワンマンをやると言い出し
現場のスタッフと勝手に決定してしまったのです。

「無謀すぎる、いつまでならキャンセルできるんや?」
まあ、大谷さんそりゃ反対するよね。

結局、なんとか説得してやることになりました。

これは後から外部の人に聞いた話なんだけど
やることが決まった後「賢太郎をよろしく頼む」と
関係各位に出向いて挨拶してくれていたらしい。
本当にありがたい。そして、カッコ良すぎだよね。

その後俺はオフィスウォーカーを離れることになり随分時が流れた。

次に再会したのは2011年。
大谷さんが病気を患い闘病していると言う噂を聞き聞き
電話をした。あいにくご本人はいらっしゃらずだったけど
その月に行った俺の赤坂BLITZワンマンライブの楽屋に
いきなりたこ焼きを大量に持った大谷さんが登場。
その時痩せすぎていて、一瞬誰だかわからなかったんだよね。
心配したけど「もう大丈夫」って言ってたし、彼なら大丈夫だと思ってた。
楽屋でいろいろ話してね、本番見ても観てらったな。

それからは時々電話やメールで話してたけど
まさか大谷さんの葬儀に参加する日が来るなんて
思いもしなかったよ。(彼だけは何があっても死なない・・・そんな気がしていました)

大谷さんね
まじでカッコよかったよ。
癌を患い闘病8年
再会した2011年はもう余命宣告もされてたって後で聞いて驚いた。
電話やメールやでいつもエールをもらったけど
本当は相当悪くなっていたの隠していたんだね。
周りの誰にも弱音を吐かず、最後の最後まで現場に立ち会ったそうです。
彼らしい。

そして、ご家族に残した最後の言葉は
「ほんまにありがとう、全然悔いないで」だったそうです。 

生前伝えてなかったこと
ひとつだけ、あなたの遺伝子が僕が作った小さな会社に
受け継がれています。
僕が新人の頃リハをやっている時、あなたはずっと立ちっぱなしでした。
気がついて理由を尋ねると
「アーティストが仕事してる時に、マネージャーが座るわけにいかない」 
そんなマネージャー魂みせられたら頑張るよね。

アーティストとスタッフは常に対等
どちらかが偉いわけではない
お互いがリスペクトしあわなければならない
小さな零細企業だけど、俺は全員に伝えてるから。

最後に。
声かけてくれてマネージメントしてくれて
デビューさせてくれてありがとうございました。
いい結果を残せずごめんなさい。
でもね、今からでも俺にできることを一生懸命やるね。
最後になったメールにあった言葉
「どんなにクソ爺になっても音楽の力を信じて自分を貫け」
ずっと忘れません。本当に本当にありがとうございました。
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昔ね、ものすごく気に入ったグラサンがあったんだ。
10代の頃から何度も買っては壊れ、買っては壊れして
そうだな〜10個までは買ってないけど
少なくとも5つ以上は買い換えたかな。

それはね、レイバンという有名なメーカーの、オリンピアン1というモデルなんだよね。
芸能人だと、よく世良公則さんがかけてました。
俺はそのサングラスがとても好きで、毎日してた。
それ以降もいくつもグラサンは持ったけど、あんなに使ってたのは
あのモデルだけだな。
だが残念ながら、今は(随分前から)製造されてないんだよね。

なんで急に思い出したかって?
今平昌オリンピックなので(笑・オリンピックに出る人をオリンピアンと呼ぶそうです)

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PS:この記事を書いた後にネットで調べたら
製造されていないはずなんだけど、オークション等で売ってる人がいるんだね。
あるところにはあるんだね。

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