正司敏江師匠が亡くなられた。
松竹芸能の師匠です。
正司敏江玲児。
僕らが養成所に入った1990年、それはそれは怖い師匠でした。
話せないと言うのか、その輪に入れない。
正月番組 初笑い浪花の陣 とう番組で、笑福亭鶴瓶(当時39歳)サンがテレビで浪花座から中継されてて
僕が入った時では1番偉い人 と思ってた。
(何も知らない高校出たての若造の考えです)
楽屋に入って 鶴瓶さんが全員に敬語で話してはって、
なんで?
って思ってたのを覚えてる。今の僕の年齢(49歳)よりも10歳若い。
そんな中でもやっぱり、 正司敏江玲児さんと絡んではる鶴瓶さんは緊張感があった。
僕が怖い師匠と思ってたからかも知れんけど。
玲児さんとは、1度もちゃんとお話をさしていただいたことがないままでした。
でも、敏江さんとは何度もお話さしていただいた。
ここから昔話。
松竹芸能が角座と言う劇場(キャパ1000人ほど)の舞台を、当時はまだ消防法やらが緩かった?
のかなかったからなのか、席は満席、通路もビッチリ、入れない人は扉を開けて、
それでも、みんな外からでも見に来てくれて、で舞台に上がったら、
「敏江ちゃん!子供潰れてしまうわ!」
って客席から声が聞こえ、
「ほな、子供と爺ちゃん婆ちゃんは舞台上がって!」
と、ぞろぞろ上がってもらい舞台の中で体育座りするお客さんも居る中、
センターマイクの周り50センチとかだけ開けてもらって、その輪の中漫才をしていたそうだ。
土日は銀行もやってないけど、銀行の人がやってきて、
「練炭箱、炭入れてる木箱にやな、その日の売り上げ入れて、入らへんから銀行の人も踏んづけて入れて、してたなー。」
そんな日があったんや。
「そんなんが毎日やで。土日はそれが三公演とかやで」
へー。よく覚えてはるなー。
と感心(←失礼)
で、最近。
心斎橋角座があった頃の師匠は、トレードマークの振袖、頭のリボンで、ちゃんと舞台に上がる。
酒井くにおさんが着付けの手伝いをしてはった。
1人で舞台に上がって、すぐ客席降りて、お客さんと話す。
芸人がやってはいけないとされる 客いじり をする。
それがもう、凄い面白い。
「どこから来たん?」
 「へー男1人で来たん、独身か」
「あんたらどっから来たん?」
「へー、子供は?娘が独身?ちょうどええのがおるわ」 
ってくっつけようとしたり、
大阪で時間あったら、角座で見させてもらってたけど、まあハズレなしでウケてはる。
これをやりなさい
って言われても無理や。 
その日も、仕事終わりで大阪やったので、誰か師匠いてはるかなと、心斎橋角座による。
その日のトリは酒井くにおとおるさん。
「舞台降りてくれへんわ」
と、とおるさんが笑ってはる。
楽屋のモニターを見ると、客席側1番奥から舞台を写してる画面に
リボン付けた頭が客席をちょこちょこ映ってる、正司敏江三さんだ。
これは止めてきていいんですか?
「できる?」
と、とおるさんに確認取って舞台へ。
「もう帰りたいけど、舞台上がられへんわ、お兄ちゃん舞台上げてぇな」
と、客いじり中でした。
「敏江ちゃん、もう帰ろう!
あ、後輩のよゐこ有野ですー。」
と、少し拍手をいただいた、良かった。
「長いことすみませんね、まだ次の出番の方もおられるので。」
で、僕も客席へ。
敏江さんをお姫様抱っこして
「いや!力持ちやねぇ!」
そんな師匠を舞台へ置く。
僕は階段で上がって、酒井くにおとおるさんが出る音楽が鳴る。
抜群のタイミングやな
慣れっこなのか。
こんなん、浪花座の頃では考えられへんな。
でも、楽しかった。
そんな師匠とちゃんと話してみたい
と、
僕が大阪でイベント(2016年)をやるにあたって、2人でお話をする機会も作っていただいた。
今度、こういう舞台で出ていただけると言うことで有難う御座います、当日宜しくお願いいたします。
と、挨拶に伺ったら、
「そうやねん、今度舞台でなんか昔の話するねん、何あんた?作家か?」


 (そのすぐ後の1枚)

ありがたい。
当日のオープニングの話いただいた。
と、思ってたら、当日。
「歯ぁ忘れたわ」
と、入れ歯忘れて来はった。
もー、ずーっと面白い。こんな師匠になりたい。可愛い。
で、当日色々聞かせていただいた。
新聞では #どつき漫才  の印象が強い #正司敏江玲児
そこでのイベントで伺って驚いたのが
「ちゃんとした漫才がしたかった。」
と言う敏江さん。でも、自分が台本覚えが悪くって
と。
「でも、浮気してるので腹が立って腹が立って舞台でぶちまけたってん
そしたら、口塞ぎに来て、手ぇ離せ!ってやって、やかましい!ってどつかれて
ほんならこっちも腹立ってるから、蹴り返して」
どつき漫才の始まりだ。
楽屋で延長戦は1度もなかったそうだ。
玲児さんが終わったら、すぐ劇場を出て行ってたそうで。
でも、これも敏江さんからの話やから、別の方に聞いたら時系列も違うかも。
そんな敏江さんと玲児さんの出会いってどんなんやったんですか?
18歳の頃、輪にも入れなかった若造(僕)が舞台というアドレナリンが出てる中やから聞ける話
か、
玲児さんが居ないから聞けたのか(←多分こっち)。
出会った当時、敏江さんは #かしまし娘 さんの住み込みのお手伝いさんでした。
芸能に興味があったわけでもなくって、ただ、
「自分とこは子供が多くて、食い扶持減らすために外に出されたんや」
で、かしまし娘、歌江さん、照江さん、花江さんのお世話をしていたそうな。
衣装の用意、ご飯、雑用全て。
で、なんでか、三味線が弾ける2人姉妹がおるからと、その中に入って
#ちゃっかり娘 が結成される。でも、すぐその姉妹は
「青森帰ってしもうてん」
へー。
敏江さん、そろそろ出会いの話聞きたいんですけど?
「あー、そやったな」
舞台でこんな感じでした。もう、何言うてもウケる。敏江さんのお客さんもいてはるけど、
僕のお客さんにもウケてる。すげーなこの師匠はって肌で感じてました。
「玲児さんは、別のタレントのマネージャーやってん」
えー!誰かのお弟子さんじゃないんですか!!
これ、会場でも驚かれてました。
そこから、なんかえーなーって思うけど、自分は住み込みのお手伝いやし、自由な時間はない。
あるとしたら、犬の散歩
携帯電話もない。家の電話はあるけど、かけたら
「誰や?」
て家の人に知れる。ややこしなる。そこで敏江さんらの取った行動は
隣の家の物干しからこっちの物干しにせんたくばさみを投げる。
二階のベランダからベランダにせんたくばさみを投げて、会えるかどうかを知らせてた。
会えない日は、今日もない、今日もせんたくばさみないってみてる敏江さん、可愛い。
で、ベランダでせんたくばさみを見つける。
「そしたら、今日は玲児さんが会えるんやって、『犬の散歩行ってきますー』って、出かけて
神社で会うねん。『長かったなー』って言われたら、全然うんこ出ませんでしてんって言い訳して。」
細かくは、玲児さんが隣の家行くとバレるから、その家に電話して
「せんたくばさみ入れてくれ」
と、頼んでたそうな。なんて純愛!
そら、色々あって、
そうなったら、
可愛さ残らず憎さ100倍だ。
なんで別れてまで漫才続けたんですか(←もうズカズカ入り込んでる)?
「その頃には子供もいてたし、お手伝いさんもおったからな」
家族を食べさせる為に、漫才を続ける。
玲児さんも断らずに漫才をする。
どついて、でも、また明日も漫才できるように怪我しないように。
憎さも減っていったのやろうか。
あちらに行かれてもどつきあってはるんやろうか、
だったら怪我しないようにお願いします。

正司敏江さん、お疲れ様で御座いました、沢山勉強させて頂きました。