金曜に朝10時から飲みはじめて、夜19時頃に解散して、帰りの道中、多分何回も電車乗り過ごしながら、夜中1時にやっと家にたどり着いた。
9時間ほど飲み続けたから、もう記憶もなんもない😫
気絶しながら飲んでた感じ(笑)
焼酎1本、紹興酒2本ボトルを空け、ビール、ハイボールを合間に飲んだ。
いや~、溜まってたんだなぁ、色々と😅

その状態で翌日は24時間の泊まり仕事。
今日は泊まり明けで、ごろ寝して過ごしてる。

しかし、あれだけ飲み潰れて、よく怪我もなく無事に帰宅できたものだ。
ホームから転げ落ちて電車にひかれてもおかしくなかった。
自分は、たまたまラッキーなだっけだったのだ。

いつ死んじゃってもおかしくないバカなことをたくさんしてきたが、こうして今も生きていることは、ラッキーとしか言いようがない。

スーパーカーというバンドがいて、短い活動期間だったが、キラキラと輝くようなフレッシュな印象の曲をたくさん残してくれた。
マコトヤスダの名曲劇場。
スーパーカーで「Lucky」です。
どうぞ😊👍

私は、子供の頃からよく父に映画へ連れていってもらっていたが、アニメなどの子供向けの映画へ連れていってもらった記憶はほとんどなく、サスペンス物やアクション物の洋画が多かった。
たまに子供には理解しにくい法廷ものとか、社会派と呼ばれるような作品のこともあった。

『クレイマークレイマー』という映画は、私はまだ小学3年生か4年生の頃に映画館へ父と見に行った記憶がある。
原題の『クレイマー vs クレイマー』からわかるように、親権を法廷で争う父親と母親の話。
その背景には、ウーマンリブ運動というものがあって…など、大きくなってからテレビで放映されたときに見直してみていろいろ理解できたことはあったのだが、子供の頃に見た時に印象に残っていることは、有名なあのシーン。

フレンチトーストというものは、こうやって作るのか!?

この映画を見て、私は高校時代の勉強の夜食や、独り暮らしはじめてからの、独り侘しく食べる朝食などで、しょっちゅうフレンチトーストを作って食べた。

とんでもなくオシャレな食べ物だと思っていたものが、こんなに簡単なもので作れるのか?
これは子供だったわたしにとって、感動的な発見であった。

でも、ダスティン・ホフマン演じる父が、妻が出ていってから間もない頃、子供に作ってあげるフレンチトーストは、ひどい仕上がりだったのと同様、私も作り方はわかっても、やはり水っぽくなったり、焦げ付かせてしまったり、うまく作れるようになるまで、かなりの年月を必要とした。

あと、この映画で不思議だったのは、母が子供を置いて、突然独り出ていって、最後に親権を勝ち取るのに、子供を預かることを結局は諦めること。

大人には色々と難しいことがあるのだな…そんなことを何となく感じた。

子供のわたしにとっては、理解しにくい導入部と不思議な結末。だからこそ、未だにものすごく記憶に残っている映画だし、たまに見てみたくなる思い出の作品だ。


最近のアニメやゲームなどに描かれるストーリーの傾向を表す言葉として「セカイ系」と呼ばれるものがあるらしい。

それを色んな解説を読んで自分なりに解釈すると、こんなことではないかと思う。

世界とは、地球上の人間社会の全てを意味する、とてつもなく広い範囲の場合もあれば、ごく限られた狭い分野、領域のことを意味する場合もある。
「きみとぼく」の世界とは、二人だけの閉じられた小さな世界。
その小さな世界の中で起こることなんて、些細なことにすぎないはずであるのが、セカイ系では、「地球滅亡」「この世の終わり」のようなとてつもないスケールの話が、実社会の様々な事柄を抜きにして「きみとぼく」との世界の中で展開される。

まぁ、私は「セカイ系」と呼ばれているアニメはあまり見たことがないし、ゲームは全くやらない。
そんな人間がセカイ系を語ったとしても説得力がないだろう。

しかし、セカイ系が、先程のような話だとしたら、私は、子供の頃からよく想像したり作ったりしていたなぁ。

子供というのは人生経験が浅い。想像するにしても、身近な身の回りの狭い世界を突破口にスタートするしかない。
しかしながら、子供は壮大な夢を見たい。地球滅亡の危機を救うヒーローにでもなりたいと憧れている。
浅い人生経験の中で、壮大な夢を見ようとする。

セカイ系と呼ばれる作品は、いい大人が作っているものだろうし、制作者たちは人生経験が浅いわけはないと思う。
あえて実社会の様々な手順を省くのは、それが面倒なのか?興味がそもそもないのか?

私はセカイ系をディスりたい訳ではない。むしろ、面白いと思うし、何となく共感できるなぁ、と思う。

大人が、子供の頃のワクワクする感じを味わうなら、セカイ系はぴったりだ。実社会の面倒臭さを忘れて、ひとっ飛びでスペクタクルな世界へ連れていってくれる。

でも、子供には面白くないんじゃないだろうか?たぶん自分で想像できるものだから。
実社会の面倒なことの方が、子供にとっては想像が及ばない未知の面白さがあるはず。

話は少し脱線するが、私はもし自分に娘がいてたら、「世界」という名前にしたかった。
私が好きな漫画『月とスッポン』のヒロインが、花岡世界という名前で、昔からいい名前だなぁと思っていたのだ。
「世界」。その名前は、彼女の亡くなった母が、「広い心を持つ子になるように」との願いを込め、つけたものだ。

「世界」は広いものだ。広いものでなくてはダメだと思う。
子供には、「セカイ系」ではなく、「世界系」のエンターテイメントをもっと見てほしいと思うし、私もどちらかというと、そっちの方が見たい。

スキーター・デイビスの「The End Of The World」
あなたの愛をうしなって、世界が終わりを告げたはずなのに、なぜ世の中はいつものように続いているの?
そんな歌。









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