森絵都「永遠の出口」に関する最後(3つ目)のブログ。この小説で私が一番心に残った部分です。少し掘り下げてみたいと思います。


"すべてを見届け、大事に記憶して生きていきたいのに、
この世界には私の目の届かないものたちが多すぎた。とりこぼした何かを嘆いているうちに、また新しい何かを見逃してしまう。
裏を返せば、私がそれだけ世界を小さく見積もっていた、
ということだろう。
年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものや
こぼれおちたものばかりであふれていることを知った。
自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部にすぎないのだ。"(p.11)


この部分を読んで思う3つのこと。
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1. 私も小さい頃は世界を小さく見積もっていたのだと思う
私はどちらかというと何でもやりたいタイプ。一個一個丁寧に。気になったことがあったら何でも調べたいタイプ。小さい頃の私は、どちらかというと完璧主義者的な考え方だったような気がします。全部うまくできる気がしていた。「永遠の出口」の文章のとおり"世界を小さく見積っていた"のでしょう。でも大人になるにつれて世界は広く、こぼれ落ちるものばかりであることを知ります。

2. こぼれ落ちてしまうのは当たり前だと考えて良いと思う
わかりやすい例をあげると、学生時代のテスト範囲。小中学生の頃はテスト内容や範囲を完璧に網羅しようとすれば、一夜漬けでもなんとかなりましたが、高校になるとそうはいきません。教科も多いし内容も濃いし範囲も広いし…。こぼれ落ちた知識を一つずつ丁寧に拾っていったのでは時間が足りません。その何年か後、社会に出れば答えがない問題が時間制限付きで絶えず出題されます。

変な例だったかもしれませんが、日常生活でも感情ベースでも、このようなイメージで自分の世界は広がっていくはずです。広がっていくぶんだけこぼれ落ちてしまうのは仕方のないことだと思います。おそらく比較的小さな世界で生きている子どもの頃でも、自分が知らないだけでこぼれ落としたものはたくさんあるのかもしれません。

3. 「何を拾っていきたいか」に焦点を当てたいと思う
今の私はというと、こぼれ落ちてしまうことを前提として「何を拾っていきたいか」に焦点を当てるようにしています。ときにはこぼれ落ちていることを自分で認識していながら見過ごすことだってあります。「あぁ…やばい、こぼれ落ちてるわ…あぁ」と思いながら笑。でも後悔している時間はもったいない。道は前に続いているんですもの。「これだけは落とさずに拾っていきたい」という視点を大切にしていきたいのです。


まとめ
森絵都「永遠の出口」のなかで一番心に残った部分があります。
その部分を読んで思うことは・・・
1. 私も小さい頃は世界を小さく見積もっていたのだと思う
2. こぼれ落ちてしまうのは当たり前だと考えて良いと思う
3. 「何を拾っていきたいか」に焦点を当てたいと思う

でした。この小説に関するブログはとりあえず一旦終わり。私にとって大切な小説となりました。過去2つのブログもぜひご覧ください。


▼森絵都「永遠の出口」第八章 恋 のなかでなんとなく好きな3つの比喩

▼森絵都「永遠の出口」で気になった3つの文章

森絵都「永遠の出口」を読みました。実は夏に読んでいたのですが、スキマ時間で細々書いていたら、こんなに経ってしまいました…笑 外は肌寒いですが、この本のおかげで私の心はまだ夏の余韻でいっぱいです。気になった文章はこちら。
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1. 子供の世界はある面、大人の世界よりも残酷で手厳しい。融通がきかないだけに他人を許せず、怒りも喜びもストレートなぶん、その矢はまっすぐ突き刺さる。(p.22)
"融通がきかない"発端は、相手の"考え"や"気持ち"をうまく想像することができないことである気がします。それをうまく想像するためには、自分自身が意識して"考え"、自分の"考え"をもつことが必要だと思います。そうしてはじめて相手の"考え"の存在に気づくのかと。今になって子どもの頃を思い返すと、私の場合それができていなかった。もし周りの人もそうであったと勝手に仮定したなら、たしかに子どもの世界もなかなか生きづらいのかも。

2. 先生というのは神様ではなく、もちろん魔女でもなく、その原型は普通のおばさんなんだ。学校の先生もおばさんなんだ、という発見は私にとって大きな衝撃だった。(p.71)
子どもの頃は、家庭や学級といった比較的狭い世界を生きているせいか、両親や先生から言われたことが基準であり絶対なのかも…となりがち。この文章では"学校の先生も普通のおばさんなんだ"という発見が取り上げられています。私の場合は先生ではなく"親も一人の人間なんだ"という発見が印象強いのです。それは、いつも自分の悩みを聞いてくれていた親にも悩みがあることを知ったとき。子どもは普段、大人の強さや大きさを感じているせいか、大人の弱さには敏感なのかもしれませんね。

3. 宇宙が広ければ広いほど、人間ひとりあたまの持ちぶんも増えるっていうか、担当範囲が広がるっていうかさ。(p.310)
ビッグバンによって誕生した宇宙は、いまだ膨張を続けていると言われています。ときには(あるいは常時)、文章のようなポジティブさが必要かもしれませんね。日常を生きる狭い世界から、拡げて拡げて宇宙まで拡げてみる。世界はこんなに広いんだ、またまだ拡がっているから私の担当範囲も拡がっているんだと。なんてポジティブ…。でも、拡げるだけ拡げてしぼめてしぼめていくと、逆に日常の大切さが身にしみたりするものですよね。


まとめ
森絵都「永遠の出口」を読みました。
そのなかで気になった文章は・・・
1. 子供の世界はある面、大人の世界よりも残酷で手厳しい。融通がきかないだけに他人を許せず、怒りも喜びもストレートなぶん、その矢はまっすぐ突き刺さる。(p.22)
2. 先生というのは神様ではなく、もちろん魔女でもなく、その原型は普通のおばさんなんだ。学校の先生もおばさんなんだ、という発見は私にとって大きな衝撃だった。(p.71)
3. 宇宙が広ければ広いほど、人間ひとりあたまの持ちぶんも増えるっていうか、担当範囲が広がるっていうかさ。(p.310)

でした。この小説は特におすすめなので、さらにもうひとブログ書いてみようと思います。


▼ひとつ前のブログはこちら

森絵都「永遠の出口」。第八章 恋 では想像力豊かな比喩が盛り沢山。そのなかで私がなんとなく好きだなあと感じたものを書いてみようと思います。
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1. まるで恋の女神が校舎の上空から投げキッスをふりまいているかのようだった。(p.259)
多分女神様はいないとは思うけど「いや待てよ、ひょっとしたらいるのかもしれない」みたいな話が好き笑。大人になるにつれて、サンタクロースという白髭の生えたおじいさんは本当はいないって気づくけど、でもどこかでプレゼントをせっせと用意しているかもしれない…というような子供ごころを忘れずに持っていたい笑。

2. おまけに女癖も最悪で、泣かされた女の子の数は阿修羅の指でも数えきれないと言われていたのだった。(p.265)
とてつもなく多い、と言ったらそれまで。それを阿修羅の指でも数えきれないという想像力豊かな言葉で表現しています。普通に言えばそれで済むけど、少しだけ頭を使って想像をふくらませてわかりやすい何かに置き換えたりしながら、伝えられるような人に私もなりたい。

3. もうとっくに着陸しているというのに、滑走路を無駄に、無制御に暴走し続ける飛行機みたいだ。(p.273)
相手側の恋はもう冷めているのに、がんばる私…それを飛行機に例えて表現しています。制御できないという共通点を見つけ、恋から飛行機を連想するっていいですよねえ。共感してくれる方いるでしょうか…笑 その恋を諦め半分、何か余韻に浸っているような、そんな気持ちをうまく表現した文章だなあと。事故もなく無事着陸しているのであれば、ひとまず良しとしましょう笑


まとめ
森絵都「永遠の出口」を読みました。
そのなかでなんとなく好きな比喩は・・・
1. まるで恋の女神が校舎の上空から投げキッスをふりまいているかのようだった。(p.259)
2. おまけに女癖も最悪で、泣かされた女子の数は阿修羅の指でも数えきれないと言われていたのだった。(p.265)
3. もうとっくに着陸しているというのに、滑走路を無駄に、無制御に暴走し続ける飛行機みたいだ。(p.273)

でした。「永遠の出口」は一人の少女 紀子の小学三年から高校卒業までを追いかけた小説。読み進めていくうちに、紀子の成長や紀子が生きる時代とあわせて、様々な"色"が頭をかけめぐります。

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