いきなりだがニーチェの話をしよう。
多少脚色も入るけど。

彼はこう言う。
生物には自然淘汰がある。だから強者と弱者がいる。
ただ、強者はしょっちゅう暴虐の限りを尽くす。弱者はしょっちゅうそれに苛まれる。

しかし強者は強者、弱者は弱者だ。それには理由があり、必然性がある。
それは覆すことは無理、というか、「不自然」である。


アスリートに例えると解りやすい。
全てが平等であるべきならば、レスリングから卓球から陸上競技にいたるまで、「強者」を決めるスポーツなど、とっとと潰してしまえばいい。
「強者」と「弱者」を仕分けする作業など、言語道断である。

しかし、優秀な者は優秀、劣等な者は劣等である。
人は、いや人に限らず全ての生物が、それを絶えず確かめ合って生きている。
強者が栄光の光を浴び、弱者が日陰でくすぶる。これは事実上「不平等」である。
しかしこれが、自然の原則なのだ。


ニーチェは全ての人間に「強者(超人)」であることを求めた。
「強者」であるためには、実にいろんな方法がある。

頭の悪い人間は身体を鍛えたらいい。
身体の弱い人間は、面白くなればいい。
面白くもない人間は、料理が上手くなればいい。
頭も身体も弱くて面白くもなく料理が下手な人間は、優しくなればいい。
そしてその優しさに惹かれた素晴らしい奥さんをめとればいい。

人間が「強く」なる方法は、無限にあるのだ。

それを、「劣った人間こそが護られるべきだ!」「弱い人間を護るのが世の義務だ!」と叫んだ、大バカ者がいた。
それはイエス・キリスト。
彼による倒錯的な「ルサンチマン革命」は見事成功し、今なお2000年以上の時を経て、世界に絶大なる影響を与え続ける。

僕はニーチェに代わり、これを改めて「弱者ファシズム」と呼称しよう。
弱者こそが力を持ち、社会で優位でいられる。
強くありたいと身体を鍛えたり、猛勉強したり、努力する人間を一蹴する、悪魔的な必殺技だ。

弱く、怠惰で、無能で、社会に何の役にも立たない人間が、こうして無条件に優位に立てる。
ニーチェはそんな「弱者ファシズム」を、敢然と攻撃した。

「不自然である!」と。


僕は今巻き起こるセクハラ・パワハラの類も、この「弱者ファシズム」に相当すると断言する。
弱者であれば無条件に護られる、無条件に我儘が押し通せる、そんな社会は、もはや崩壊するしかない。

弱者が無体に滅びることはさすがに避けたい。ある程度の「上げ底」は必要だろう。
しかし、弱者であれば無条件に優位であるという考え方は、種の危機であるとさえ言えるだろう。


「全てが平等だ!」「全ての生きとし生けるものに無条件に権利がある!」「弱者こそ護られるべきだ!」と、そこまで強弁するのなら、まずゴキブリに殺虫剤をかけないことから始めてみてはいかがだろう。
ゴキブリがお前に何をした?

お前はゴキブリという弱者にパワハラをしているのだ。
いや、命まで奪っているのだ。
そんな「強者」のお前が、どうして「弱者」の権利を訴えようとしているの?