宮台真司の話で一番注目したのは「人間は感情を持つことで進化した」という指摘だ。
これについては先日食事をしながら議論した。

ライオンのたとえをした。
ライオンはオス1匹が何匹ものメスを率い、君臨する。
そして子供を大量に生む。

しかし、別のオスライオンがこのコミュニティを襲い、オス同士の戦いに勝ったとする。
次にどうするか?

負けたオスライオンの子供を全部噛み殺すのだ。

そして更に、そうすることによって多くのメスライオンが、新しい「主」に発情するのだという。


実に恐ろしい話だが、やはりこういう不条理を「恐ろしい!」と思う衝動、すなわち「感情」が、いつしか人間に芽生えた。
ライオンの所業を恐ろしいと感じ、自分のコミュニティに対する愛情をますます深めることによって、当然のことながら、人間は種の保存を確固たるものにしていったのだ。


さてそんな宮台が最近提唱しているのが、「感情の劣化」である。




つまり為政者が民衆の「感情」を操作し、「全体主義」化することで、民衆はいつでも「入れ替え可能」になり、個としての主体性を失う、ということだ。

この中で宮台はこんなことも言っている。

いわば個人がむき出しのインターネットのなかで、自分が見たいものだけを見て、自分がコミュニケーションしたい仲間とだけコミュニケーションするので、感情の劣化が深刻化するのです

まぁこれはこの際今は置いといて、しかし、今人間に必要以上の感情の「進化」を求めるのは、「ライオンよりマシなくらいだしなぁ」と、悲観的に思うしかない。
同様に、人類史上、人間の感情が今よりマシだった時代も、考えにくい。

なんかどんどん悲観的になってしまうのだが、最近、人間に「これ以上」を求めることが、非常に不毛に思えてしょうがない。
人間は所詮「ライオンよりはマシ」なくらいであり、これ以上はないし、過去にもなかったのだ。

そのくらいで生きていくしか、もう方法は残ってないのかも知れない。
今日もTwitterをぼんやり眺めて、溜息混じりにそう思う。


感情があるだけ儲けものだ。もうそう思うしかない。

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箱根で実にいい宿を見付けた。
とにかく安い。

もちろんスーパー銭湯に比べたら高いのだが、温泉が豪華で山の中、安らぐ。
早速一泊したが、リフレッシュの度合いが半端ない。
頭痛も吐き気も吹っ飛んだ。

しかも小田急ロマンスカーがいい。
これに乗ってるだけで、ああー旅してるなぁーという感慨に浸れる。

これは通うしかないなぁ。毎週通いたいくらいだ。

最近弁護士先生と会話を続けているせいか、こういう話題にも興味を持ってきた。

どの罪に、どんな形の罰が相応しいのだろう?

それはやはり「法」でも語った通り、見事に恣意的な操作が行われているに過ぎない。
ありていに言えば、ただの感情論だ。


アニメ業界に入って3、4年経ったくらいの時期、四つ下の後輩のDと良くつるんでいた。
彼は大学が東京で、その頃は僕が東京出張の際、ちょっと明日日曜やから遊ぼか、と彼の家に泊まり、彼の車で湘南まで行き、意味もなく「ええ夕日やなぁ・・・」と、眺める仲だった。

その後彼が就職して大阪に戻ってきてからは、毎週のように会って、飲んでいた。
ビンテージウィスキーにハマったのもこの頃だ。

で、ある日、有馬温泉にでも日帰りで行こうか、という話になった。
彼は車が大好きで、特にH社の車が大好きで、しょっちゅうH車で六甲山などに登っては、薄暮の神戸を山頂から眺めて「ええなぁ・・・」と感慨に耽る、ちょっとアレな二人組になっていた。

とある日帰り温泉の駐車場まで来た。
この時、珍しく彼がバックで上手くいかず、あれあれ?と思っているウチに、出かけだった隣の車に、コツン、と当ててしまった。
あちゃー、やってしもた。
後輩Dは蒼ざめて運転席から飛び出し、当てた車の運転手も出てきて、うおーこれは結構いかつい顔やぞ!
Dはひたすら謝るのだが、相手は物凄い剣幕、
「何ぶつけとんねん、オイ車まるっと修理するから全額払わんかい」
Dは気が動転しすぎて、財布からいくらか札を出そうとしたのだが
「何こんなんで済まそうとしてんねん、車総とっかえや、全額払え!」
物凄い脅しだ。

お次は家族が飛び出してきた。
母親はヒステリー起こして何言ってるのか意味不明、息子も結構な歳だが、「こんな人間にはなりたくない」とか言い出す始末。
俺ら、そんな大それたことしたか??

僕は、動揺しつつも、こりゃ警察やなぁ、と思って助手席から出て、
「とりあえず、警察呼びましょうよ」
さすがに向こうの家族も納得したらしく、
「ああー!呼ぼ呼ぼ!」

警察が来て、その家族は僕らがいかに異常であるかをヒステリックに訴えるのだが、警察の方は、
「ああー、単に運転が下手やったってことやね」
と、軽くいなしていた。

そこでお互いの身元確認をするのだが、相手の運転手が会社名を訊かれた時、堂々と、
「H技研工業!」

唖然となった。
おい、車屋かい。
しかも、俺らの乗ってる車作ってる会社かい。

僕はこの瞬間、人間の常識というものを疑った。
僕にとっては、まぁ言わば、大事な顧客を理不尽に脅しにかかったとしか思えなかった。


僕はH社の車にだけは決して乗らないと決めた。


もう一度最初の話に戻るが、人が人を裁く時、人が人に罪をなすり付けるとき、感情というものを極力排さない限り、とんでもない異常な裁き、いやリンチが、往々にして行われるものだ、ということだ。
もちろんそれを抑制するために「法」や警察があるのだが、しかしそれ以上に、みんなの中にある「常識」というものが問われるのだろう。
でなければ、どんなハチャメチャなことも感情に任せて行われてしまうのだ。


「法」よりも「常識」、僕はそれをすべての人に訴えかけたい。

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