アラサーの所謂「ゆとり世代」が、いよいよプロデューサーなり監督なりで作品を作るようになった。

しかし、傍から見ていると、あれれ・・・?

期待はしたいから、あんまり批判的にならず会話をしてみるのだが、
「いや、もうリクープはしてるんです!」
「赤字にはなってないんです!」

いやいや、そうじゃなくてさぁ・・・。

基よりサバイバル能力は高いと思っていたが、結局今のところ自分のサバイバルのみに腐心しているようだ。
そりゃ君らはサバイバルできても、コンテンツとしての力は上がるどころか急降下だぜ・・・?


「底上げ」としてのアニメの復興が今できないならば、業界としてはいよいよ窮地に追いやられるだろう。
「最悪の20年」とは言ってみたが、これは20年どころの話ではないかも知れない。



僕は災害が起きたら、募金する。
最近は体調も優れないから、身一つでボランティア活動も難しい。

基本的に金を出すか身一つで被災地に飛び込むか、どちらかだ。

身一つにしても、ボランティアセンターに登録して、そこに要請があって必要とされる作業をこなすだけ。
過去に避難所に土足で上がり込んでなんもせずギター弾いて歌ってばかりいる自分探しバカがいたようだが、とにかく被災地にとっての「ありがた迷惑」を一通り知った。

避難所で炊き出しや支援物資仕分けの作業もしたが、は?みたいな物資も結構あった。
そうなると、かさばるだけなのだ。

今は、もう若くはないのだから、慌てず騒がず、金を出す。
善意を示すことは結構なことだが、まずは「ありがた迷惑」をなくすことも考えるべきだ。


すっかり災害大国になってしまった日本だから、じっくり経験を積んでいこう。

随分昔、自分の仕事を小料理屋に例えたことがあったが、今はもっと進んで、会員制のバーというところだろう。
「いちげんさんお断り」だ。
どこの馬の骨か解らん人はハナから来んでよろし。

変な自信がある訳じゃない、馴染みの顔以外の客にサービスする余裕なんかないのだ。

「どうして俺を店に入れないんだ!!」
知りまへん。とにかく無理。

祇園他京都のお茶屋は頑なにこれを守っている。だから僕も京都に10数年住みながら、お茶屋に入ることは今までまったくなかった。
それでいいのだ。

「すべての市民に舞妓遊びをさせろ!!」
そうなったら京都中の業界人が、自らを犠牲にしてでも守護防衛するだろう。

同じことが大阪・北新地にも言える。


そういう京都や大阪の心意気、商魂が僕の身体に染みついている。
商売や遊びのイロハ、粋を知らんのは、おたくさんら野暮な人らや、出直してき。


野暮なんだよ、今の消費者は。

↑このページのトップへ