JINの身元がバレたとか。
ざまぁみろ、と言うよりは、これさすがにTwitter社ひどくね??

虚偽の申告に対し凍結をし、更には個人情報まで晒してしまった訳だ。
まず何より、その事態の異常さ、深刻さを十分批判的に指摘しておきたい。

だから今回はツイート引用するのは虫唾が走るので、敢えてまとめブログを貼っておく。

・・・JINとやら管って結構近所なんだな(ボソ。


何よりTwitter社が語るに落ちた(誤用)存在になったので、皆誰彼攻撃する前に、インターネットの異常さと恐ろしさを改めて感じた方がいいだろう。

Twitterが人間の憎悪と邪気を凝縮した、阿鼻叫喚の場と化しつつある。
人々の悪意を利用していた輩が、今度は自分にその悪意を向けられ、血祭に上げられる。
実を言うと、これ自体は目新しいことではない。
2ちゃんねる(5ちゃんねる)では、昔から結構あったことなのだ。

ただ問題は、2ちゃんねるがその後文字通り「便所の落書き」と化し、今も荒廃した精神の温床になっているということだ。
今回の件もまさにそうだ。

もし、それがTwitterに及んだら?
膨大な数の著名人、企業公式アカウントがあるTwitterが、完全に2ちゃんねる化したら?


僕は2ちゃんねる誕生直後から知っているだけに、この流れにはただならぬ恐怖を感じる。
「多くの有名人や企業がコテハンで居座っている2ちゃん」って、怖くない??

Twitterは近々大きなカタストロフを起こすのではないだろうか?
そんな気がしてならない。
注意喚起しておく。

ようやくだが、最近僕のファンが一生懸命考え、語るようになった。
ここ数年のイベントで直接会話してても、確実に変わった。
「フィルアニマチオン」も若干人の心を失ったバカが紛れ込んでいたようだが、実名にしてからはファン同士で日々熱い議論が交わされているようだ。

『フラクタル』から『WUG』にかけての努力が、やっと実を結んできたということだろうか。

昔は多かった。
「お前は俺の仕事のどこを見てきたんだ?」というファンが。
申し訳ないが、さすがに怒ることすらないにせよ、彼らの誤解に付き合っている暇はない。
そういうのは遠慮なく振り落としてきた。


アニメとオタクがどんどん白痴化する中で、僕は10年近く、逆流を遡っている。
流れはどんどん厳しくなる。中島みゆきの歌詞のごとく、「いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね」とも思うが、流れ落ちた先にいるのは「黒い目の魚たち」ばかりで、まぁもうクリエイターとしてはとっくに死んでて、今年も続々と死んでいってて、ああ、こうはなるまいと、踏ん張ってきた。

本当に少なくなったが、「諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく」同志はまだいるので、その期待に応えるのに必死だ。
そういう意味では僕ほどファンサービスが過ぎる監督はいないはずだが。


ファンの捉え方は、実はゆうこすと島田紳助は共通している。
ファンに合わせたら、本当のファンは減っていく。そして自分をダメにしてしまう、と。
本当のファンは、自分が本当にやりたいことを理解できるファンだ、と。
自分に嘘をついてなければ、ファンは勝手に増えてくる、と。


ファンもクリエイターもお互い嘘をつきまくりのアニメ業界、ちょっと本音を吐けばたちまち袋叩きのアニメ業界が、今後どうなるだろうか?
楽しみでただニヤつくばかりだ。

ハンナ・アーレントはまともに読んだことがない。
『全体主義の起源』、あれ長いんだよなぁ・・・。


なんかファンネルファンネルうるさいから、ん?ファンネル?あの『ガンダム』の?と思っていたら、どうやらそうらしい。
そんなにメジャーな単語だっけ?別にネットスラングでもないのに、ひとりが使いだしたらみんなよってたかって使い出す。
ポタクの語彙の貧困さには頭が下がる。

そして相変わらず「ヤマカンは統失だ」「人としてますますおかしい」とか、根拠を一切書かずに垂れ流している。お前らbotか?AIですらないな?と気味悪くなる。
僕はこれを今まで、「ムカつく!」というてめぇ勝手な感情や気分を上手く言語化できない、ポタク特有の知性の欠落だと思っていた。

しかし、そうでないような気がしてきた。
彼らは「ムカつく」感情すら持ってないのかも知れない。

これって、「ヤマカンは人間性がおかしい」とだけ言っておけば、なんとなくネットの仲間意識の中に入っていられる、という帰属意識の表れなのではないだろうか?
つまりそこにあるのは帰属意識へのこだわりのみであり、ぶっちゃけヤマカンなんかどうでもいい、ヤマカン相手に感情が動いている訳ではないのだ。
同様にたつき監督に対しても、「ファンネル」という覚えたての単語を連呼しておけば、なんとなくネットで群れている、同族として扱われているという感覚が芽生えるだけなのだ。
『けもフレ』なんて、まったく興味がないのだ。


そこで気付いた。
ああ、これこそが「全体主義」の正体なのだ、と。

つまり全体主義の根底にあるのは、「思考停止」なだけでなく「感情停止」の状態にまで陥った群集心理だということだ。
思考だけではない、感情までオフになってしまうのだ。

これこそ「日本型全体主義」の構造なのかも知れない。
いや、アウシュビッツを指揮したルドルフ・ヘスも「言われたからやっただけ、感情など何もなかった」と述べているので、世界的にも同様に言えるのかも知れない。


ともあれ、ちょっとアーレントを勉強しよう。
何かヒントがあるかも知れない。

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