月別アーカイブ / 2022年08月



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開催時間 13:00~ 15:30 

  時間構成
13:00 近況報告
13:15 第1講義
13:50 シェア会(グループに分かれて)
14:00 発表&質疑
14:15 休憩
14:25 第2講義
15:00 シェア会(グループに分かれて)
15:10 発表&質疑
15:25 事務局からアナウンス
15:30 終了

 

〇1回のみ参加          5,000円(税込)   

 

 

年間テーマ 『理性革命〜理性とどうつきあうか』
思風先生からは改めて感性についてを教えて頂き、まず理性に支配された現実の世界はどの様な状況なのかから教えて頂きました。

人間性が破壊されると
心無い言動、誹謗中傷などを発する様になる。
やたらと対立し、権利を主張し人を責める様になる。

 

この1年近く、自分も人間性が崩れ続けた1年の様な感じで
人を注意する時や怒るときに、理性を基に正論をぶつけても
心がダウンしている状態だと、どうなのかな?と。

特に上に立つ人間が人の心を持っていないと
責めあったり、プレッシャーと不安の中で日々を過ごす事になり
体か精神に異常が出てしまうのを実感しています。

ちょうどこの時期我が青森でも毎年子供の自殺問題が出てきて
まだ、大人は逃げ場所や他を選ぶ事が出来ても、子供は学校と家庭がほぼほぼの中で
逃げ場所を選べない状態で責められると病んでしまう。
今年二十歳になる女の子と思うと心が苦しいです

https://www.youtube.com/watch?v=hbc3RoUf9Jo

思風先生は
多くの人達は問題があってから考える。
それは哲学なき生き方であり、哲学を持って生きるという事が大切

とおっしゃっていて
起きた出来事に対して、判断するというのは哲学がないということ
理性を基に心を無視して管理する、非難する、批判する
というのが問題

※キルケゴールの死に至る病の状態
(正論で倫理的になればなろうとする程、絶望に陥り、絶望が絶望を呼び自己を喪失して、喪失を深化していくと真の自己になるという教え且つ死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態)

つまり、現代においては心を求める時代になってきたという事。それが今まで理性的な考えで日々の生活や世の中が動いてきたことがこれからは感性を大切にする時代への過渡期になろうとしている。

 

人間が幸せになる、幸せにする為には理性だけでは難しく感性を取り入れる事でより日々の生活や仕事、人間関係において良好な関係を築くという心が求められる時代。

 

子供の生活で見てみると分かりやすく
興味関心がない状態で、勉強をする、習い事をする
というのに対して
〇〇先生が好き!
野球が大好き!
だから〇〇をやりたい

というのでは天と地の差があるなと。

だから、管理する、偏差値重視の教育から
1人1人の興味や個性を伸ばすというところにシフトしてきているんだと思います。
理性が先になってしまうと
やりたい事よりもやらされる事が優先して
結局それが何年も経過する事で
何がしたいの?
それに答えれない人間になってしまうという事





いつもおせわになっているお三方の先生から

 

世界の幸せの量を増やすために

一般社団法人日本コミュニケーション心理セラピー協会を立ち上げることとなりました

https://www.trt33.jp/lp/kinen1/

 

おさんかたの先生を見ている中ですごいのは
雑談ベースで話していた事がいつの間にか現実になっていて
またいつの間にか支援者、応援者がたくさんいる!
10年近くご一緒させていただいてて、何というか 不思議で素敵な人間力をお持ちでいつ寝てるのか。。という感じのエネルギッシュな方々です。

 

日 程:2022年9月3日(土)
時 間:14:00~17:00(開場13時半)
場所1:リーガロイヤル東京
※リアル参加は限定40名様(記念親睦会付)
※記念親睦会(食事会)は17:30~19:30
場所2:オンライン(ライブ配信)

 ※オンラインはZoomウェビナー
講 師:池川明、町田明生晴、土橋優子
特 典:①過去の特別セミナーの映像2本
②当日の録画の後日視聴権

 

 

「自分らしく生きる」は本当に正しいのか?

「自分らしく生きる」という価値観は、本当に私たちを幸せにするのでしょうか? 日本企業が手放した「誰も見捨てずに皆でやる」という価値観は、間違っていたのでしょうか? 失われた30年といわれる今、さまざまなことを見直して良いタイミングなのかもしれません。

 

次世代のコミュニケーションが幸せへの鍵

この講座では、分離を多様性としてシンプルに受け入れます。そして、どうすれば分離を超えて、人や社会と調和して生きることができるのか明らかにしていきます。その為の大切な鍵のひとつが次世代のコミュニケーションとなります。人が自分らしく自由に生きて、しかも、人と調和し、豊かに幸せに生きるための「新しい人の在り方」と「コミュニケーションの技術」について、ぜひ一緒に考えていきましょう。

 

自分らしく生きると不幸になる?

池川明博士・町田明生晴先生とのコラボ講演会を開催

私たちが失ってしまった大切なものとは何か? この先、私たちが幸せに生きるためには、どうすれば良いのか?

このセミナーで皆様と一緒に、その答えに迫ります!

 

 

町田先生と土橋先生の講座から

町田先生のTRT心理学から心をクリアにするクリアリングについて
ヒントになる3つの流れを解説頂きました。

我々の記憶は
映像、感情、言語
の順で矢印のとおりになっている。
(これを知るだけで全然変わってくる)

 

この中で、意識的に変えようと思って変えれるのは言語だけ!
無意識は厄介だから私たちはこのループを意識的に変えたい!

順番を見ていくと
言葉を言うとイメージが生まれる。
イメージが生まれたら感情を感じる。

「私はとことんしあわせになっていい!」
と言葉を発してみると
しあわせになるイメージをしている

その時にどんな感情があったかで
ワクワクする!引っかかる!とげがある!

※ここに引っかかる、とげがあるというのが心の中にあったなら
無意識的に不快を感じ、しあわせを避けている。

 

無意識(潜在意識)は365日24時間の世界、それに対して顕在意識は忘れるし飽きてしまう。

潜在意識は常に心の中にあるものなので、仮に頭で不幸になる!と思っていても
潜在意識の中でしあわせのスイッチが入っていればいつの間にか無意識にしあわせになっている。

そして、書き換えるにはコツがあり
図のとおり矢印の方向でしか作用しない事。

この3つのうち我々が使いこなせるのは言語のみで
負に感じているならばこの矢印のループを変更する事(その中でも変更できるのは言語)

矢印では、言葉を使って変えれるのは映像(イメージ)だけ
ただし、言葉では感情を変えられない



兼ちゃん先生の しあわせ講座とは
「これまで歩んできた道のりは、失敗したり、挫折したり、さまざまな体験経験出逢いをたっぷり味わってきた日々でした。一番の誇りは「出逢い」。

両親、家族、パートナー、師、友人、ライバル、マスターこんなにも素晴らしい方々と出逢えたことを、神に感謝したいと思います。その出逢いによって気づかされてきた「しあわせ」への道。

新しい幕開けを感じさせる本年から「しあわせ講座」をスタートさせたいと思いました。

最終回を迎える時、しあわせな人生を歩み始めた実感を感じとっていただけるよう、ご縁ある皆さまの背中をそっと押すことができればと願っています。」





初女先生と思風先生が教えてくれた透明な在り方







佐藤初女先生
「今を生きる」

初女先生は「言葉を超えた行動が魂に響く」をモットーにされていらっしゃいます。

今を生きるで生きていて、そこで何があってもまた切り替えていくから、後悔はない

との事で、まずは目の前のことを精一杯やって生きていきましょう。希望や夢などいいことを考えてまっぐに進まないよりも、もっと心を向けて生きたい。今、このときを感謝しながら真実に生きていると、必ず目的に通じます。





イスキアとは、イタリアの南西にある火山島の名前

 

ナポリの大富豪の子息で、教養もあり美しいナポリの大富豪の息子が、愛する女性とボートを漕ぎながら愛を打ち明けた。彼女がそれを受け入れた時、しかし、彼はなぜか虚脱感に襲われた。何かが足りない、虚しいと感じた彼は、少年時代に訪れたイスキアを思い出し、それ以後、何もかもが退屈で、何をする気にもなれなくなってしまった彼がふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪ねたイスキア島のことだった。

 

彼は「みずみずしい感性で、すべてのものに好奇心を持ち、生き生きとしていた自分をもう一度取り戻したい」と願い、一人イスキア島に出かけた。

 


地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになった。


どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば癒され、自分を見つめ直し、 新たなエネルギーを得ることができる・・・。そんな場になって欲しいという願いを込め、 このエピソードから「イスキア」という名が付けられた。

心に重荷を抱え、虚ろさに苦しむ人々の「駆け込み寺」として、イスキアは運営された。訪れる人が増え、1992年には、彼女によって助けられた人々の協力のもとに、岩木山の麓に「森のイスキア」が開設された。

龍村仁監督が制作した映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』は、人物に関する取材や対談などから成り、初めは配給会社が見向きもせず、やがて監督自身がチケットを引き受けることを条件に、短期間の上映が行われた。これを見て感動した人々が、自主上映会などを催すようになり、ファンが増えた。かつては各地で開かれる上演会を探さなければならなかったが、今では有限会社龍村仁事務所から、DVD も発売されている。その「第二番」に初女先生が登場する。その取材時の思い出を、龍村監督は次のように記す。

映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。その日の夜の私達の食事に、ふきのとうの味噌和えをつくって下さるために始まったシーンでした。初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ていると、なんと先生は、小さな枯れ枝を使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうの周りの雪をやさしく取り除き始めたのです。「なんと“めんどくさい”採り方をされるのだろうか」、そう思った私は、先生が作られた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです。

 

大切なのは効率などではない。来訪者に向ける思いは、言葉を交わさないふきのとうにも向けられる。その下には地下茎があるのだから。そしてまた、そのひたすらな思いを来訪者に向ける。来訪者は、最後の支えを求めてすがる思いで訪れる。そして、ひたすらな思いで迎えられる。その「訪ね/迎えられる」ということが大切である。

 

訪れた人とはまず手料理で食膳を共にします。春でしたら、ふきのとうやたらの芽、わらび、うどなどの山の幸、そして北国ならではの海の幸が食卓に賑わいをもたらします。岩木山の麓の澄んだ空気と豊かな緑に囲まれて、自然の恵みを与えてくださった神様に感謝しながら一緒に食事をいただくと、緊張もほぐれて、ゆったりした気持ちになっていきます。そんなところから、苦しみの中で閉ざされていた心の扉が少しずつ開きはじめることもあります。

訪れた方は、「心のふるさとにたどりついた気がする」「生きることの原点を教えてもらった」「人生の岐路を乗り越える勇気が湧いた」など様々な思いを抱くようです。共通するのは、皆、休息と安らぎを得て、元気を回復していくということです。

 

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。心に傷を負ったとき、すぐに家族や友人たちの中に支えてくれる人を見つけることができればいいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分ではわからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。

 

このように、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを、自宅に受け入れ、共に歩みはじめてもう三十年以上になりますが、食事と生き方との間には神秘的なつながりを感じます。食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません。

なにも受けつけなかった人が、少しずつ食べられるようになるのを見ていると、やっと心が動きはじめたのだなあということがわかります。

 

「食べる/食べない」ということは、「生きる/生きない」ということと、相関にも似た、深い繋がりがあるようである。

アドバンスコースメンバー第1期生と事務所前の桜の下にて


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