バチカンといっても、中国におけるカソリックのモグリ神父任命に関する抗争が原因であり、宗教戦争というか正統性の問題になっているのが気になるのだが、中国政府もバチカンに対して正式に非難声明を出し、着々と騒ぎが拡大しております。

 ある意味で、キリスト教対中華思想という現代の宗教戦になってて、どちらもご本尊組織のご事情というものが下敷きにある分だけ、どうもお互い折り合う気がまったくないのが清々しいわけです。

中国、バチカンを非難 カトリック会議開催めぐり
http://sankei.jp.msn.com/world/china/101222/chn1012222003002-n1.htm
 純粋に政治的な観点からしますと、ソ連時代のキリスト教の扱いや、古くは国教会など、カソリック側も時代に合わせて結構なご都合主義を通している部分もありますが、現代という枠内で言うと国家ぐるみで正面切ってバチカンの正統性に立ち向かっているのは中国ぐらいのもんで、しかも対立の根底に国内での宗派の文脈もなければ中国の規定するキリスト教が結構なアレであることを考えるとキリスト教圏の不快感ではすまない何かがあるように感じます。

 何より、中国ではキリスト教の布教や団体活動そのものが禁じられていますので、中国が特定の理由をもって独自の解釈によるカソリックの神父任免を行っている背景は極めて重要です。一義的には、地下教会にもぐったキリスト教徒を文字通り弾圧した場合には、法輪功やチベット仏教への攻撃よりもはるかに深刻な人権問題による反撃を国際社会から喰らうので、形だけでも統制の効くキリスト教団を中国政府の暗黙の元で作ってしまいたいという中国共産党の考え方があるのでしょう。

 一方で、過去の宗教弾圧でいうと、まさにソビエト連邦がギリシャ正教会(東方正教会)との係わり合いの中でロシア正教会を統制しようとし、最近ロシア正教が復権するにあたって次々と出てきた不思議な取り扱いの数々を見るに、宗教組織に対する統制と弾圧はベクトルとして直接の対立関係だけで考えるべきではないのかと考える部分でもあります。

 中国ではあくまで建前としての信教の自由があるものの、中国政府公認の聖職者でなければ正当な指導者と認めないという方針を貫いており、その是非はともかく中国国内の経済発展に伴うキリスト教徒の急激な増加はどこまで黙認できるのか、その統制をどう考えるのかは結構重要な部分です。

 陳日君枢機卿のような、中国(香港)発のキリスト教コミュニティで世界に認められた重要人物がことごとく中国の宗教政策を批判している現状もあるため、レトリックとして中国政府はキリスト教の正統な代弁者に対して「反中」「反共産党」のレッテルを貼ることで対抗するパターンが物凄く多い。そもそも、バチカンが中国政府と本来的な意味で迎合するには信教の自由の確保だけでなく、神学的な意味での無神論の放棄と現実での台湾との国交を中国側が無条件で認めるという荒唐無稽な落としどころしか考えられないわけです。

 なので、中国としてはキリスト教が国内で無原則に浸透して地下活動化し、それがバチカンと結びついてしまう状況というのは法輪功以上に悪夢なので、非難はしつつも現実的なところで折り合おうとするも、バチカンは中国のお家事情などまったく関心がなく、また弾圧の歴史などいまに始まったことでもないので言いたい放題言えるという状況にあります。

 YOU信教の自由認めちゃえよと言いたいところなんでしょうが、実際には共産党自体がイデオロギーであると同時に価値観、宗教的な側面もあるため、厳密な意味では違うんだろうけど現象としては先にも述べたようなカソリック対中華思想の落としどころなき対立、って奴なんでしょうね。

 そして、無神論者の束となっている大多数の中国人は、本件に何の興味もない、と。

 個人的には、バチカンに次々と異端指定を中国政府公認神父に下してもらって、ポーランドばりの正統論争を繰り広げて欲しいものです。

 たぶん、中国は国内での統制はある程度できるでしょうが、世界的にはキリスト教というシステム自体が持つ正統に挑んでも誰も支持しないことでしょう。ダヴィンチ・コードにおけるナグ・ハマディ文書が、正統性を脅かすよりもキリスト教はその起こりからいろんな解釈をされ吟味されて神学の土台の多様性という肥やしとなってましたね的な方向へ落着していったのと同様、中国が国家として宗教を文字通り弾圧する姿勢が続く限りは、バチカンの側から現状を追認して折れるということは考えられませんので。