気づいている人は気づいている、ハロー効果に関するあれこれを読みやすい文体と実例で説いている好著が、本件「人生は、運よりも実力よりも『勘違いさせる力』で決まっている」です。ネットやテレビでも取り上げられて多くの人たちが目を通している内容なのですが、いわゆるハロー効果による導入心理を「錯覚資産」と名付け、そのものズバリを歯切れよく指摘している件については、思わず鼻白む読者も少なくないのではないでしょうか。
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている(Amazonはこちら)
いろんな意味で読み手を選ぶ本ですし、読み解きやすい分、内容は薄く感じるかもしれません。ただ、自分の身の処し方や、いままでの来し方を思い返しながら目を通すと、思わず前かがみになってしまうような目の寄り方をする人もいることでしょう。
その点では、著者も分かっていて煽っている部分は大きいと思うんですよね。大きく打ち出しておいて、期待感を高めたり、好感を得たりして、物事を有利に進める。そして本書でも繰り返し指摘されている通り、人間誰しも最初から能力を持ち、完璧な存在であるはずもないわけで、そういう背伸びもしながら期待を持ってもらい、自分もその期待に応えようと努力することで、ハロー効果で得た「ゲタ」をいつしか実力に換え、大きい仕事を手掛ける人間になっていく。
思い返せば、認知バイアスと一口に言っても、どこかの会社や学校の面接、行動観察、SPIによるテストも含めて、そんなに長い時間かけてその人の人間性を判断する時間などなく、この人を採用するのか、合格させるのかを決断するのが実社会です。であるならば、その一瞬に向けて何かを詰め込んで輝ける対策を打つだけではなく、向こうから「ああ、この人が欲しい」と思うような後光を輝かせることの大事さもまたあるのでしょう。
優れていると見せられる一面を引き出すことで、一瞬で判断することを求められる社会での決め事を有利に運んでいくことは大事でしょうし、その錯覚資産的な評価軸と、一定の知名度という評価軸とで大きな人間の期待感を抱かせることがいわゆる評価経済的な現代社会のネットの世界観ともシンクロしていく部分もあります。
そして、そういう自己啓発的で、ある種のシークレットブーツ的な手法が性格的に嫌だ、受け入れられないと思う人たちも一定の割合いる、ということも踏まえて、本書は当然のように賛否両論になります。おそらく、著者のふろむださんも、そういう賛否両論になることを分かって、または期待して、本書が話題になることを企図していたであろうことは何となく見て取れます。それが良いか悪いかは人の価値観の中としても、実力が無くても一面の輝きで高く評価されて人生をうまく運ばせるなかであとから実力をつける機会にじっくり取り組むのもまた生き残り戦略になるのだろうとも思います。
では、どのようにしてそういう錯覚資産を築くのか、という具体的な導入については、敢えてかわざとか分かりませんが本書ではあまり多くは触れていません。そういうもので社会が動き、人は判断して成り立っているのだということをまずは知り、受け入れるところからスタートしろよということなのでしょうか。あるいは、そのようにした掴んだチャンスの先にはその人の本当の実力や性格、あるいは行った先の相性など、本当の意味での成功へのプロセスが敷かれているわけですから、仮に錯覚資産で何らかの成就をしたとしてもその先の成功を保証するものではないと言いたいのかもしれません。
その意味では本書は著者ふろむださんにとっても未完であり、これから補遺として、あるいは続編を執筆するような期待感を抱かせる、ふろむださんにとっての錯覚資産を築いているのかも知れず、コンテクストを読み取ることのむつかしさを改めて感じるわけであります。
なお、蛇足ではありますが先日、某大学の三年生にまとめて喋る機会があり、インターン後にどのように就職先選びをするのかというワークショップをやった際、男女20数名の大学生にこの本を課題図書として読ませてみました。この中で、文系の男の子には圧倒的な人気と共感を得る一方、女性全般や理系男性は「このような考え方はなかなか受け入れられない」とグループディスカッションで話していたのが印象的でした。むしろ「世の中で、会社や同期でこういう考え方をしている人間がいると思うと怖い」という見解も出るぐらいで、しかしながら、これは日本社会を確かに動かしている摂理のひとつなんだよ、好むと好まざるとに限らずそういう人たちも身の回りにいて組織であり仕事であり社会なのだ、と説明をしたりもしました。
やはり、ある種の「文系らしい要領の良さ」や世渡りと勘違いされてしまう側面はあるのかもしれません。この本の内容を実践するか拒絶するかを問わず、実際に「こういう考え方もあるのだ」と知ることの大切さを簡潔な文章で分かりやすく知らしめてくれた、興味深い本なのでありました。

往き方を悩むときに目を通す本として、お薦めしておきます。

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その点では、著者も分かっていて煽っている部分は大きいと思うんですよね。大きく打ち出しておいて、期待感を高めたり、好感を得たりして、物事を有利に進める。そして本書でも繰り返し指摘されている通り、人間誰しも最初から能力を持ち、完璧な存在であるはずもないわけで、そういう背伸びもしながら期待を持ってもらい、自分もその期待に応えようと努力することで、ハロー効果で得た「ゲタ」をいつしか実力に換え、大きい仕事を手掛ける人間になっていく。
思い返せば、認知バイアスと一口に言っても、どこかの会社や学校の面接、行動観察、SPIによるテストも含めて、そんなに長い時間かけてその人の人間性を判断する時間などなく、この人を採用するのか、合格させるのかを決断するのが実社会です。であるならば、その一瞬に向けて何かを詰め込んで輝ける対策を打つだけではなく、向こうから「ああ、この人が欲しい」と思うような後光を輝かせることの大事さもまたあるのでしょう。
優れていると見せられる一面を引き出すことで、一瞬で判断することを求められる社会での決め事を有利に運んでいくことは大事でしょうし、その錯覚資産的な評価軸と、一定の知名度という評価軸とで大きな人間の期待感を抱かせることがいわゆる評価経済的な現代社会のネットの世界観ともシンクロしていく部分もあります。
そして、そういう自己啓発的で、ある種のシークレットブーツ的な手法が性格的に嫌だ、受け入れられないと思う人たちも一定の割合いる、ということも踏まえて、本書は当然のように賛否両論になります。おそらく、著者のふろむださんも、そういう賛否両論になることを分かって、または期待して、本書が話題になることを企図していたであろうことは何となく見て取れます。それが良いか悪いかは人の価値観の中としても、実力が無くても一面の輝きで高く評価されて人生をうまく運ばせるなかであとから実力をつける機会にじっくり取り組むのもまた生き残り戦略になるのだろうとも思います。
では、どのようにしてそういう錯覚資産を築くのか、という具体的な導入については、敢えてかわざとか分かりませんが本書ではあまり多くは触れていません。そういうもので社会が動き、人は判断して成り立っているのだということをまずは知り、受け入れるところからスタートしろよということなのでしょうか。あるいは、そのようにした掴んだチャンスの先にはその人の本当の実力や性格、あるいは行った先の相性など、本当の意味での成功へのプロセスが敷かれているわけですから、仮に錯覚資産で何らかの成就をしたとしてもその先の成功を保証するものではないと言いたいのかもしれません。
その意味では本書は著者ふろむださんにとっても未完であり、これから補遺として、あるいは続編を執筆するような期待感を抱かせる、ふろむださんにとっての錯覚資産を築いているのかも知れず、コンテクストを読み取ることのむつかしさを改めて感じるわけであります。
なお、蛇足ではありますが先日、某大学の三年生にまとめて喋る機会があり、インターン後にどのように就職先選びをするのかというワークショップをやった際、男女20数名の大学生にこの本を課題図書として読ませてみました。この中で、文系の男の子には圧倒的な人気と共感を得る一方、女性全般や理系男性は「このような考え方はなかなか受け入れられない」とグループディスカッションで話していたのが印象的でした。むしろ「世の中で、会社や同期でこういう考え方をしている人間がいると思うと怖い」という見解も出るぐらいで、しかしながら、これは日本社会を確かに動かしている摂理のひとつなんだよ、好むと好まざるとに限らずそういう人たちも身の回りにいて組織であり仕事であり社会なのだ、と説明をしたりもしました。
やはり、ある種の「文系らしい要領の良さ」や世渡りと勘違いされてしまう側面はあるのかもしれません。この本の内容を実践するか拒絶するかを問わず、実際に「こういう考え方もあるのだ」と知ることの大切さを簡潔な文章で分かりやすく知らしめてくれた、興味深い本なのでありました。
往き方を悩むときに目を通す本として、お薦めしておきます。