月別アーカイブ / 2019年01月

 先日政党を立ち上げてブイブイ言わせている音喜多駿さんという人が、子連れで式典に参加し、他の人から文句を言われるという事案が発生していたそうです。

「子連れ参加は非常識、不快」という強い指摘に衝撃。「子連れ政治活動」の難しさと課題 https://otokitashun.com/blog/daily/19751/

 それに対して、同じく先日年末某番組でR2D2になっていた乙武洋匡さんが有料noteで呼応しておられます。有料部分は読んでません。

「国民総我慢社会」は誰のため?|乙武 洋匡 @h_ototake|note(ノート) https://note.mu/h_ototake/n/nd8f01c40c433

 これ、私が思うに問題は子連れではなく、音喜多さんの存在感に対する嫌悪なんじゃないかと思うんですよ。音喜多さんが一人で歩いていたら「なんだそのネクタイの色は」と絡まれ、音喜多さんが何か喋れば「黙れ」と言われ、子連れで式典に参加すると「非常識だ」と論難されるという宿命にすぎないのではないかと思うのです。

 さっきアルファルファモザイクを読んでいたら、大物アニメ監督が弱音を吐いたということで話題になっていました。

【悲報】大物アニメ監督が激白!「もう本当、アニメ辞めたい。」 http://alfalfalfa.com/articles/244932.html

 この物言いや弱音もまあ理解できる内容なのですが、スレッドではこの弱音の主が山本寛さんであるということで、普通にバッシングになっていました。

もう限界 - 山本寛 公式ブログ https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13213525.html

 辻希美や紗栄子の炎上劇なんかもそうですけど、なんとなくネットの話題に引っかかったらとりあえず叩かれる人というポジションに来るとどうしてもこういうネタにされてしまうんじゃないかと思うんですが、これもまたある種のネットいじめとかそういう文脈になるのでしょうか。

 怖ろしくてTwitterとかできない世の中になってきてしまいました。酷いもんです。


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自衛隊航空機に対する韓国軍のレーダー照射事件については、すでにいろんな有識者が軍事面、外交面双方から解説を重ねています。いまなお物議が醸されている状況なので何なんですが、単純に韓国軍の報告体制の問題、韓国独自の政治環境、多難な日韓関係、とはいえそれまで積み重ねられてきた日韓両国・両軍の人事交流や、対北朝鮮対策の側面から見た日米韓の軍事協力の在り方といった、結構な話題の拡散が見られます。

 そのうえで、東アジアの安全保障全体で見たときの中国、ロシアと日本、朝鮮半島も議題になりますし、中国、ロシア、日本に囲まれた朝鮮半島というパワーバランスにおいて常に朝鮮半島は敏感に振り回され続けてきた地政学上の問題なんかも議論になってます。

 ただまあ、情報部門や外交分野において明確に言えるのは、韓国にとって日本の問題というのはたいして重要ではないということです。日本と反目して長期的に損をすることはあってもいますぐ何か手酷い報復を喰らうということはない相手である以上、当面の大統領任期を全うするために一定の支持率を稼ぎたいと考える韓国大統領府は日本の話題はどうでもいいか、利用できるときにだけ騒ぐという話になるのも仕方のないことだと思います。日本側も安倍晋三総理が中心となって「対韓報復」みたいなことを言っておるようですが、正直な話、フッ化水素の差し止めや貿易保険の縮小を言ったところで、日本の不況の輸出先である韓国に対するコントロール方法を失うだけであまりよろしくない、というのが実情です。

 言い方は悪いですが、韓国を「戦略的放置」することで日本国内は気持ちよくなるかもしれないけど、便利な貿易相手をひとつ失うことにもなるのでどうなのかなと思うわけです。むしろ日本サービスや製品を押し込み、中国に旅行するよりは日本に来てもらってお金を落とし友好関係を維持したほうが、日本にとっても韓国にとっても悪くない話のはずなのです。

 しかるにレーダー照射事件は偶発的なのか意図的なのかは分かりませんが、この面倒なときに起きてほしくなかった事故とみる向きもあります。ただ、個人的には北朝鮮問題があり、その先に米中対立からの中国経済の本格的な経済減速という不安要素のある中で、レーダー照射事件が軍事的にだけでなく政治的に問題になってくれたことで日本にとっては「なるほど、米韓同盟はあっても韓国軍を当てにしてはいけないのだな」といま良く分かった、というのは意義のあることだったと思うのです。これが、本格的に朝鮮半島が何らかの代理戦争的に戦火に巻き込まれるような残念な事態になったあとで、飛行する自衛隊機がレーダー照射されたり威嚇射撃を受けたり、場合によっては撃墜されかねない状況にもなり得るのだという状況認識がハッキリできた、というのは大きいです。

 そのような事故が起きてはいけなかったというのは当然としても、その後の韓国側の対応は本来ならば沈静化を図り、場合によっては平謝りも内々にしたうえで、お互いに名誉を守るような妥協を外交的に行うことだってできたはずなのですが、結果的に日本側が安倍官邸の主導で掛け金を上げてみたら韓国がその数倍突っ張ってきた、というのは「大事な時に信頼してはいけない相手なのだ」という明確なシグナルを出してきてくれたとも言えます。

 おそらくは、韓国が国家ぐるみで北朝鮮に対してエネルギー供給を内々でしていたのだとか、北朝鮮のネットハッキングを手助けする仕組みを韓国が提供していたのだなどの情報がどんどん出てくると思いますが、国際連合による制裁対象であったはずの北朝鮮がその体制を存続するために手を尽くしているのが韓国だったのだという話が出るとしたら、いまここで日本がきちんと韓国軍とのデカップリングを判断できるような事件が起きたことは僥倖に他なりません。

 そのうえで、平和が守られているあいだは、ウォン高に資する関係を構築し不況の輸出先としての韓国が通貨危機を起こさない程度に関係を維持しておく形が日本にとってはベストでしょうし、願うべきは「大国間のパワーバランスの大風の中で、いつまでも朝鮮半島は草や柳のように大揺れに揺れ続けていてほしい」ということではないかと思います。

 たぶん、韓国にとっても日本のことを重要と思っていないでしょうし、日本も韓国が何をしようと軍事的にクリティカルでない限りはどうでもいいわけでして、韓国も日本もお互いがお互いに「バーカ」「お前こそバーカ」とやっているうちは支持率も45%内外をキープする材料になるでしょうから、WINWINでいいんじゃないかということで。

 蛇足ながら、韓国の文在寅大統領の国内支持率は48%ぐらいで、我が国の安倍晋三総理は43%と、文大統領のほうが国民に指示されている政権を現段階では運営できていることになります。もう一個、蛇足ながら、韓国企業が、サムソンが、財閥が、という話をする人たちも少なくありませんが、サムソンに関してはすでに純正アメリカ系資本が過半を占めており、アメリカによる韓国経済の間接統治装置みたいになっているので、日本人があまり気にする必要はないと思います。


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 騒ぎが広がっていたカルロス・ゴーン氏の逮捕話ですが、検察側からのリークと見られる内容が核心に入って来て、当初騒がれていた不当逮捕話は鳴りを潜め、逆に国際金融でかなり大掛かりなマネーロンダリングが行われてきた経緯について取り沙汰されるようになってきました。

 検察からのリーク内容についてはその真偽を云々することは避けますが、報じられている通りに法廷で出てくる場合、冤罪でもなんでもなくど真ん中の特別背任事案であるだけでなく、オランダや中東地域を使った結構ポピュラーなマネーロンダリング手法を使ってゴーン氏が個人的に資金をガメていたことになります。さすがにこれは放置できませんし、放置してきた日産の経営陣も同罪であることから、司法取引でも何でもして一刻も早く歯止めをかけなければならなかったという話じゃないかと思います。また、告発の起点となった昨年2月以降のゴーン氏離婚裁判では日産が個人の所得と把握できていなかった収入がゴーン氏の個人口座から出てきているようで、また、すでにフランスでも報じられている通り、フランスでは税金を納めずより税体系が柔軟なオランダで非居住者納税をしていたことも判明しています。

 事件が発覚した直後、ルノーグループやフランス政府に取材をかけたり、ご一緒している媒体で事情を確認したりしていたのですが、フランス側があまり状況をきちんと把握していない雰囲気で回答も鈍く、(ルノーの株主であるはずの)政府として回答できる内容はないとの返事だったので、何だろうと思っておりました。ふたを開けてみれば、フランス政府としては国内最大の社会問題になっている黄色いベスト運動への対処が大火事になっており、ゴーン氏の件を問い合わせても「彼はレバノン人だから」という突き放した回答をする関係者がいたのも分からないでもありません。

 そうなると、ゴーン氏の問題についてはあくまで司法による自白強要のような長期勾留の是非といった、日本の旧態依然とした司法の在り方を問う、みたいな内容までどうしても後退せざるを得なくなっているのが現状で、曲がりなりにもプロの経営者として日産のリストラを主導しV字回復の立役者となったゴーン氏に対する扱いはどうなの、という話ぐらいになってしまうのは残念なことです。もちろん、ゴーン氏のやってきたことはただのコストカッターだ、と批判する向きも多いのですが、そのコストカットができてないので経営危機に陥っていたのが日産ですから、そこはまあもう少し評価したほうがいいんじゃないのと思うわけです。

 さて、ゴーン氏が手掛けたとされるマネーロンダリングについては、むしろ日本の当局というよりは各国協調のもとで資金の流れと行方を追うべきものであることは言うまでもありません。手口としては、見る限り日産の決済用クレジットラインを循環還流スキームの偽装としてよく使われる銀行保証経由で証券化し、現金にしてゴーン氏自身に還流させるという一般的なものであると見られます。これは日産内部から訴え出がない限り資金洗浄の入り口が違法性のある資金だと断定できませんから、その意味ではゴーン氏やこれらを主導した人は「日産は裏切らない」と信じていたのかもしれません。

 あるいは、これらの取引が違法性のないものと判断していた可能性はあるわけですが、そのまま問い合わせれば当然のように金融庁からは「違法な取引であると判断される疑いが強い」と返答されることになります。実際、類似の迂回取引は役員が主導しようが一般社員だろうが横領・特別背任であることは疑いがありませんし、個人所得であるはずのものが計上されていなければ脱税になります。オランダでの納税が問題となり、フランス政府やルノーグループがゴーン氏の資金還流について「知らなかった」とされるのは当たり前で、ほぼ間違いなくゴーン氏の所得を彼らは把握できていなかったのです(そして、それはフランス政府の落ち度ではない)。

 ここでオマーンの独特な税制や銀行保証の仕組みの問題になるわけですが、仔細については本稿では触れません。ただ、アメリカ政府の監視下になりやすいケイマンやパナマのようなオフショアを使わず、一般的な輸出業務での支出を偽装するために中東を使ったというのは、中東バーレーンにオリジンを持つゴーン氏には何らかの土地勘があったということかもしれません。このあたりは、日本の公判で明らかになっていくと思います。

 フランスは、おそらくは「それどころではなかった」のでしょう。足元で起きている暴動の件もそうですが、自国への納税さえも回避していたゴーン氏を庇って、資産価値を毀損するようなルノー日産三菱自動車アライアンスを解体するような方針はどうしても取れなくなっているのもまた事実だろうからです。忘れられがちですが、フランス外交の生命線として、対ロシアの窓口として露最大の自動車メーカー・アフトヴァース社がルノーグループ傘下にあり、このアフロヴァースの会長を歴任してきたゴーン氏のダメージコントロールを図るには、ゴーン氏「後」をきちんとコーディネートしなければならない状況になっています。自動車業界の文脈ではなく、まるでモザイクのようなルノーグループについてより政治的な観点から読み解かなければならないのが本件だ、ということです。

 そして、フランスが大変警戒していた三菱自動車(三菱グループ)にやられた的な話は、取り立てて三菱が悪いわけではなく、三菱グループ全体を考えたうえでゴーン氏を戴いている三菱自動車のままで良いのかと良く判断した結果と言えばそれまでではないかと感じます。

 いずれにせよ、あくまで検察のリークと見られる情報が正しいとするならば、むしろゴーン氏逮捕の問題は入り口であり、より奥には中東のマネーロンダリングの仕組みの解題が必要であり、それはもはや日本とフランス両政府の関係とひとつの大企業グループの問題では収まらなくなってきているのだということはご理解いただければよいのではないかと思います。

 なお、蛇足ですが東京オリンピックの件でJOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長が嫌疑の対象となっている件は、本件とは必ずしも連動しているモノではなく、昨年夏頃すでにブラックタイディング社との契約に関する捜査を行うことで決定されたことと見られます。

竹田会長「仏当局と協力し潔白を主張」 東京五輪招致贈賄疑惑 - FNNプライムオンライン https://www.fnn.jp/posts/00409740CX

 いろいろハレーションは起きるかと思いますが、果たしてそのまま話は進むのでしょうか。


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私立正則学園高校というとこで教師によるストライキがありまして、早朝に理事長や学園長に挨拶をしなければならない、遅刻したりサボったりすると叱責されたりいろいろあるらしいというので報じられていました。

正則学園高校で先生たちストライキ!「毎朝の理事長への挨拶と参拝強要やめて!」 
https://www.j-cast.com/tv/2019/01/09347579.html 

 で、どうもその裏側に「私学教員ユニオン」という労働組合ができているようで、これはこれで騒ぎになっております。正則学園高校は教職員約50名のうち、ストライキに参画したのは18名とのことなので、全員ではないってことだそうで。

 なにぶん、私の住居から徒歩で15分ほどのところにあることもあり、教員の方や、ご子弟を正則学園高校に通わせている親御さんも管理組合などでご一緒してたりするので、去年ぐらいからあれこれ雲行きが怪しかったことは伝え聞いております。もちろん、現場で取材したわけではありませんから、私が全容のすべてを知っているわけでもないのですが、教員や保護者のお話を総合すると「行き届いた厳格な教育環境を作ろうとする校風である」とのことで、この辺が教職員に対するストレスの原因になっているのではないか、というのが共通した意見でした。

 ただまあ、500名以上の学生が通う高校とのことで、また都会のど真ん中に位置することもあり、いろんなタイプの学生が学んでいる学校だという風にも言っておりまして、保護者の中には「理事長が漬物石のようにどっしり仕切っていないと学校が生徒ごと弾けてしまうんじゃないか」と笑う人もいれば「このご時世で軍隊的な縦社会を作って高校生活を送らせるのは生徒にとってもストレス」と困っている人もいます。都立九段高校(いまは閉校)や日比谷高校に行けなかった子が行く高校、と自嘲する人もいれば、親子で正則学園にお世話になった、厳格でいい高校だという人もいます。

 これほど見事に賛否両論になることも珍しく、その意味ではそれなりに歴史がある中で濃い特徴・校風が培われた学校ならではのアクの強さもあるのでしょう。

 で、教師・教職員は公立私立を問わず非常に膨大な仕事量を捌かなければならない状況に置かれていて、内田良さんの『ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う』なんてのも読むと「おい、これはちょっと」という職場環境の困難さってのが浮き彫りになります。

 両親が共働きになり、核家族化が進んで子どもたちの教育だけでなく一般的なしつけも学校に押し付けられる傾向が強まる中で、いろんな個性を持ち、必ずしもデキが揃っているわけでもない学校教育を円滑に行うにあたって、一定の教師数ですべてを賄うのはもうなかなか無理なんじゃないの、と思わずにはいられない事例です。質実剛健だからパワハラされる学校の環境で良いとは全く思いませんし、きょうびの教育の在り方を見直すような事案に本件も組み込まれていくのでしょうか。

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他できちんとした論考にまとめる依頼があり、まだ請けるかどうか決めてない本件ですけど、『文學界』と文春オンライン掲載版は著者校正のタイムラグから表現が一部異なっています。すでに荻上チキさんが指摘済みですが、校正後のほうが触れるには正しかろうということで、文春オンラインのリンクだけ先に貼っておきます。

落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語る #1「『平成』が終わり『魔法元年』が始まる」 #落合陽一 #古市憲寿 #文学界 http://bunshun.jp/articles/-/10178

 論点が幾つかあるんですが、個人的には「そこまで燃えるほどの内容なのかな」という感じはしました。落合さんもフォローアップ的に釈明のnoteを掲載していましたが、古市さんも落合さんも福祉・介護を当人の価値と治療のコストにおいて国家財政や社会的負担の観点から述べるのみで、たいした知識がないことは明確です。

 ただ、高齢化が進展する中で、高齢者を扶助するコストを国庫で賄えなくなる、天引きとなる社会保険料が実質的な重税となって次の世代の負担になっている、財政が硬直化し社会保障費が増えれば未来への投資(出生率向上や教育投資、科研費などの研究開発費)が細っていくので先が暗くなる、ということへの処方箋として、高齢者のQOLを引き上げ、それを実現するテクノロジーを実現していくことで乗り越える、というのが落合さんの主張であるという風に読みます。

 また、問題の端緒となり、批判の矛先になった古市さんの「財務省の友人」との勉強会で出た「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月」というガセネタについては、財務省の社会保障関連チームはそれこそ1990年から継続的に国民一人当たりの年代別・疾病別医療費の現状についての研究をやっているわけで、おそらくは大した勉強会をしていなかったか、自分の意見を補強するために財務省の友人を持ち出してきて演出しただけじゃないかと思います。

 高齢者・長期闘病者をお金で仕分ける問題の是非については、厚生労働省も調査や研究を重ねているもので、問題提起という観点以外で、古市×落合対談で新しい知見があるとは思えないので、ごく単純に古市さんや落合さんの問題意識を改めて提示したモノってことじゃないかと思うわけです。

患者をお金で仕分ける“人の命の線引き”。後期高齢者の負担を引き上げ、高額医療に保険をきかせず…で、国民“皆”保険制度と言えるのだろうか https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson26/

 しかしながら、落合さんも釈明されていますが高齢者の終末医療を高コストであると論じたうえで、それが国家財政を圧迫している(だから削減するべき)という流れで話が進んでいったのは、単純にガセネタベースの与太話というよりは、長谷川豊さんの「人工透析患者は死ね」という暴言にも直結するような内容にも見られますし、Twitterでも多数指摘されたように「優生学にも近しい」という批判も出ることはまあしょうがないのかなと思います。

 社会保障の制度や研究をしてきた中では、一般的に高齢者の医療費だけの問題というよりは、そういう闘病中の高齢者を支える家族・勤労世代の家庭的負担、独居老人に対する地域包括ケアに対する社会的負担のほうが大きく、介護離職や高齢者の集住化などの幅広い政策にリンクしていきます。

 さらに、それを支える医療体制として、対談でも出ているような日本医師会ほか団体の意見と厚生労働省(と元厚労大臣の塩崎恭久さんなど)の議論だけでなく、ブラック体質が常態化している医師や歯科医師、看護師などなどの医療関係者の働き方問題、さらには医学部定員問題、地方の医療を誰が支えるのかという医師偏在の問題といった、政策上のトリレンマを持つ部分です。これらはテクノロジーとはほぼ無縁の世界で、例えば遠隔医療が実現しましたといってもベッド数のやりくりやかかりつけ医制度への転換といった構造的な問題のほうが大きすぎて、技術革新によって改善するQOLよりもかかるコストのほうが圧倒的に高いので話が進まないという点は当然に指摘されるべきじゃないかと思います。

 たいていここで霞が関批判になるはずなのですが、そういう話に一切触れられませんでした。何か理由があるんでしょうか。

 そして、高齢者のために技術革新をしてQOLを高めるという話は夢も希望もあるので可能なら是非にという風に私も思うわけですけれども、ここでも立ちはだかるのはコストの問題です。治療費においてはすでにオプジーボ(小野薬品工業)などの高額治療薬によってがん患者が助かるよねって話が出るわけなんですが、これらの高額治療費については患者負担は一定の安い金額に抑えられ、費用はほとんど公共の社会保障費が丸抱えすることになります。上記の「命に値段をつけるな」と「そうはいっても社会保障費が」という折り合いをどうつけるのかこそが「思想」であり、古市さんも落合さんもこのあたりの核心には触れているようで触れておらず、はっきりしません。隔靴掻痒な対談だなあと思える部分は、誰に配慮しているのか分からないけど歯切れが悪すぎて、絵空事でしか現段階ではないテクノロジーでQOLを高めましょう(ただしコスト面は誰が負担するのかはっきりしない)という緩い内容になっているのが気になるわけであります。

 これらはいずれも1990年代から社会保障論としては語られ続けてきたことであって、古市さんや落合さんはそのあたりの専門的な議論のフォローアップなしに社会時評として「平成の次」というテーマで高齢者問題を取り上げ対談しているわけですから、イデオロギー論争に踏み入れる一歩手前でお茶を濁すようにバラ色っぽい技術論・科学による救済というテーゼを示したということです。

 上記取りこぼしている問題でなお大きいのは、介護業界が非常な低賃金で重労働を強いられる状況に陥ってしまっていて改善の可能性はほぼなく絶望的なこと、また介護人材の不足に直面してもっぱら外国人を増やすことで対応をしようという国の乱暴な政策が発動して訳が分からなくなりそうなことなどは特筆されるべきだと思います。そして、高齢者は単に年取ってるだけじゃなく、家族がおり、愛する人がおり… そういう人たちへの負担をどう軽減していくのか。さらに今後爆発的に増える独居老人の介護問題あたりは、本当の意味で「平成の次」の主たるテーマとして語っていくべきもので、そしてそれはいまの私の世代とちょい上から、どーんと顕在化していくものです。ヤバイ。だからこそ、古市さん、落合さんという新しい年代の英俊が綺麗事を抜きにして「思想」や「哲学」を明示して先導していくべき物事だと思っていたのですが、残念ながら、どうとでも取れるような内容で対談が進んでしまったのはすっきりしません。

 でまあ、落合陽一さんの本を読み、noteも目を通している私からしますと、落合さんの前向きであるが故の気持ちと論旨のズレが気になります。

 落合さんは「士農工商の考え方である『ものをつくる』農民や職人たちの方が商人たちよりもえらいという考え方を取り戻すべき」と著書の中でメインテーマとして述べ、東洋的なある程度の身分制度を軸に据えたらどうやねんという話をされています。

落合陽一は日本のムダとムラを壊す救世主猪瀬直樹がみる「魔法使い」の実力
http://president.jp/articles/-/26795

 ところが、古市さんとの対談の中では「汗をかかなくてもお金が儲かるようにならないと駄目」とかなってて、すでに現代では否定されている身分制度である士農工商において農と工は汗をかかなくては儲からない身分であることをすっ飛ばして論じているわけです。

 おそらくは、パッチワーク的な思考を積み重ねて「落合陽一的世界観」を構築し、いろんな人との交流の中で固めていっている最中なのだと思いますが、前述の社会保障論であれ、一連の身分制度への論及であれ、介護に直面している人や身分制度が社会に染み付いている国や地域に対する考察が不足しているように感じます。

 もちろん、当事者として感じる社会保障と数字で見る現状とでは掴み取り方も異なるでしょうし、古市さん、落合さんには大人の事情を抜きにしていろいろと話し合っていってほしいです。

 蛇足ながら、最後に考察の不足で言うならば、古市さんの「荒野行動」の元ネタになった「PLAYERUNKNOWN’SBATTLEGROUNDS」への言及をするのであれば、多くのプレイヤーを賑わわせているEpic Gamesの「FORTNITE」をしっかりと論じるべきだと思いました。

 やっぱこう、猪瀬直樹さんっていうのは新世代のデスノートなんじゃないかと強く感じたひとときでした。


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