月別アーカイブ / 2018年02月

 我らが藤代裕之さんが素敵な記事を書いていたんですが。

(魚拓)ネットメディアの信頼向上に向け団体設立へ、ガイドライン設定を目指す(藤代裕之) - Y!ニュース
https://megalodon.jp/2018-0226-1614-44/https://news.yahoo.co.jp:443/byline/fujisiro/20180226-00082061/ 

 発起人にネットメディアの記事を各社と契約して配信するのがスマートニュースしかいなくて、とりあえずスマートニュースに誤報やフェイクニュースっぽいのがあったらどしどし送ってね! というメッセージなのでありましょうか。

 また、この団体には新聞社が毎日新聞しか入っていません。発起人がよりによって小川一さんであることも含めて考えると、真面目にやるつもりは一切ないという態度表明なのかもしれないし、いやまだこの団体には伸びしろがいっぱいあるから乞うご期待という話なのかもしれないし、誘い受けにしては大胆な手口だなと率直に感じるのであります。

 ここで「ネットニュースの質を問う」という風呂敷まで広がっているようであれば、むしろ対抗団体が乱立してプロレスのような状況になると面白いと思うんですけれども… 発起人にDIGIDAYや朝日新聞系のハフィントンポストまで入れておいて、お前ら仲間になろうぜって呼びかける筋の悪さは誰も指摘しなかったのかと思うと処女航海で沈没しかねない恐怖さえも感じます。

 とはいえ、どこかでフェイクニュース対策を行う団体を作り、窓口をこしらえておかないと、ただでさえアドフラウド問題で揺れる昨今ではネットメディアもリスクが大きくなっていくのは間違いありません。その意味で、広告主にも読者にも「質の良い記事を届ける努力はきちんと払っていますよ」と説明できるようにするという機能を担う団体ができるのは良いことなのでしょう。

 ここでLINE(旧ライブドア)が混ざってきた瞬間に「お前らのやっている2ちゃんねる系まとめサイトはなんであんなフェイクばっかなんだ」と難癖付けられるとか、LINE(旧NAVER)が混ざってきた瞬間に「お前らのやっているNAVERまとめはなんであんなフェイクばっかなんだ」と難癖を付けられるとか、LINE(旧ライブドアブログ)が混ざってきた瞬間に「お前らのやっているLINEブログはなんであんなフェイクばっかなんだ」と難癖を付けられるとか、LINE(BLOGOS)が混ざってきた瞬間に「お前らのやっているBLOGOSはなんであんなフェイクばっかなんだ」と難癖を付けられるとか、いろいろ起きてしまいかねないのでアレだと思うんですけれども。

 記事の質を担保しろっていうことであれば、週刊誌の発売前の記事を入手して「週刊誌が報じることによると」という要約記事を勝手に流したり、パブリシティ権やカメラマンの著作権を正面から踏みにじる芸能人画像を拝借してサムネイル加工して記事に掲載したり、PR会社からPV保証したペイドパブを普通の記事に混ぜて配信してステルスマーケティングしたり、そういう行為が横行していることに対してどう歯止めをかけていくか、というあたりは是非議論してほしいと重いのです。

 やはり、LINEに限らずGoogleもFacebookもYahoo!JAPANもいないってなると、団体のテーマや仕組みをもう少しマイルドにしないと駄目なんじゃないかと感じます。BuzzFeedはYahoo!JAPAN系だよとか、ハフィントンポストは朝日新聞系だよといった、植民地に立っている宗主国の旗の形で判断しろというにはすごく遠い気がするんですけどね。

 本格稼働は6月ごろだそうなので、良い形できちんと立ち上がっていくことを願ってやみません。


news_fake_dema.png

 JeSU(一般社団法人eスポーツ連合)が興行権を確保して、無理にでもプロ団体にしたいっていう理由は、単純に浜村通信がJeSU開催のプロ大会(たぶん日本選手権的なものを『闘会議』か東京ゲームショウでやる)の看板スポンサーの権利を電通に買い切らせて組織の運営費に充てたいというビジネス的なものでしょう。

全てのゲーム会社に考えて欲しい「プロ認定制度」の問題点と新しい提案 - カジノ合法化に関する100の質問
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/9774274.html

 別に「ゲームのe-sportsシーンを電通に売り渡そうとしている!」と噴き上がる必要はないでしょうが、Jリーグの運営やプロ野球機構主催試合のようにスポンサーを集めるためには代理店を持ってくる必要があります。自団体であるJeSUの興行に有力プレイヤーや観客を集めないとビジネスにならない、と浜村通信はきちんと説明するべきです。実際、それが悪いというわけではありません。ゲーム大会を開くのにも、団体を運営するのにも資金はどうしても必要ですし、電通や博報堂にスポンサー営業をお願いすることはむしろ正しいことです。

 ただ、ゲーマーにプロ化が必要という説明をするとき、木曽さんが繰り返し指摘しているように浜村通信が嘘をつきっぱなしというのは、あとあと構造がバレたときに取り返しのつかないダメージを受けると思います。

 そもそも、JOC(日本オリンピック委員会)は、要望としては「e-sportsを統括する唯一の団体であること」と「全国組織であること」としか言っていません。プロ化しろ、プロライセンスを出せという話はしてないことは、JOCに取材かければだいたい同じ話は聞けると思います。
 野球もその他のスポーツもプロアマ団体が併存している場合も多く、そういう競技団体の代表性をどう確保するのかは重要なテーマですから、JOCは特に理不尽なことは言っていません。ましてや、まだオリンピックのゲームが正式種目になる手前の段階ですので、込み入ったことを言う筋合いもJOCにはないのです。

 さらに、消費者庁の話があります。浜村通信が消費者庁に相談したら「プロ化しろ」「相談して決めた」と言われたと説明していますが、話がおかしいので確認した限りでは消費者庁は「プロライセンスを出せばよい」なんて話はしていません。あくまで役務として賞金に代わる金銭を勝ったプレイヤーに払うならば、優れたゲーム技術を披露する役務に対して契約して金を払えば景表法の枠内ではなくなるということであって、プロ認定しろとか、ゲーム大会にプロ協定を出せという話などはしていないはずです(建議官クラスが具体的にそういう話を本当にしたのだとしたら、その人が問題になるレベルです)。

 近いうちにちゃんとした記事は出るでしょうが、プロライセンス云々については、プロライセンスを出したJeSUは問題になりません。JeSUが勝手にプロ認定団体だと言っているだけで、法的根拠は何もないからです。しかし、そこにゲームを提供したゲームメーカーが責任を被る話になりかねません。賞金の出し方によってはゲームを提供した側が取引付随性があると認定されると、普通に景品表示法違反となり適法性が問われます。

 プロゲーマー・ウメハラ氏主催の座談会「ゲームと金」レポート。JeSU副会長・浜村弘一氏がプロライセンスの疑問に答えた
http://www.4gamer.net/games/397/G039789/20180221109/

プロライセンス制度、「消費者庁と相談して決めた」 eスポーツ団体の見解とプロゲーマーの思い - ITmedia NEWS http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1802/19/news082.html

[引用]

浜村副会長によると、消費者庁からは賞金付き大会を開催する方法として、(1)取引付随性のない第三者がお金を出す、(2)プロライセンスを発行し、プロの高度なパフォーマンスに対して報酬を出す――という2案を提示され、プロライセンス制度を作るに至ったという。

--


 「プロの高度なパフォーマンスに対して報酬を出す」のは役務そのものですから、当然賞金付き大会の適法性を担保するために消費者庁もOKであるという判断を出すでしょう。ですが、そのためにJeSUがこれといった法的な裏付けなくプロ認定団体となり、プレイヤーに対して「プロライセンスを発行」する必要はどこにもないのです。ここに、JeSUの取り返しのつかない嘘があります。

※追記・註 JeSUが雇用主となって、プロゲーマーを雇う形態であれば話は別です。大会を行うために、順位・成績にかかわらずプレイ技量のある参加プレイヤーに参加料を支払う形であれば問題になりません。ご指摘、ありがとうございました。ただし、その場合でもプロライセンスは不要です。

 最後に、なんか「オリンピックに選手を派遣したい」という夢は大事だと思いますが、少なくとも室内のアジア競技大会(2018年)については、アリババグループ子会社のアリスポーツが仕切るわけです。


アジアオリンピック評議会が「e-Sports」を競技種目に―2018年「アジア競技大会」から本格デモ導入 | エンタメウィーク
https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/321627

 そこで採用されているゲームは、オリンピック全体のゴールドスポンサーであるアリババグループの影響は受けざるを得ません。なので、目下のタイトルはValve「DOTA2」、ABの「Hearthstone」、「スタークラフト2」と、場合によってはエキシビジョンでEA「FIFA」シリーズであって、今後追加されるのは中華系タイトルが中心になるかもしれません。

 そういうオリンピックに日本国籍のゲーム選手を派遣するための座組をJeSUが作る話を、これらのゲームに全く絡みのないウメハラさんその他e-sportsのリアルプレイヤー並べてきてコミュニティと話し合っても、さほどの意味を持ちません。そもそも「ゲーム大会」と「e-Sports」と「オリンピック選手派遣」とが全部ごっちゃになっているのです。結局出る選手は世界的にプレイヤーがいて公平な競技性のあるゲームで活躍する人たちとなり、いま最前線で活躍している人たちとは全然違う分野の選手が増えることでしょう。

 また、オリンピック採用競技となるゲームでないからと言って、そのゲームで活躍しているプレイヤーの価値が低くなるという話でもありません。オリンピック採用競技には、カプコン「ストリートファイターV」シリーズやバンダイナムコ「鉄拳」シリーズは性的描写と暴力表現が多すぎることが理由で間違いなく採用されないとみられていますが、ではカプコン公式大会やEVO JAPANなどでの試合やパフォーマンスが価値が低いかというとそんなことはありません。オリンピックありきでプロライセンスを発行する団体としてJeSUが「日本で唯一のe-Sports統括団体となる」と言われても、HearthstoneやCrush of Clansなど世界的にプレイヤーの多いゲームはすでに日本国内にコミュニティもありますし、そちらも勝手に統括団体を名乗る権利があります。そうなると「日本で唯一の」という条件が外れて、JeSUが一時的にJOC認定団体になったとしても、除外されることになります。

 一方で、なぜかプロライセンス対象タイトルというものが、JeSUによって勝手に決められています。どういう根拠でタイトルが制限されているのか理解に苦しみますが、なぜか「パズルアンドドラゴンズ」とか「モンスターストライク」などが入っています。国内大会できちんとプレイヤーのいるゲームを選んだのかもしれませんが、要するに浜村通信が声をかけやすいメーカーから許諾が取れたから名前が挙がっているだけで、オリンピックの正式種目になるはずがないパズドラでプロライセンス発行する意味がどこにあるのか理解ができません。

 ましてや、コナミ「ウィニングイレブン」などをJeSU公式種目(何それ?)にしたところで、競合であるEA「FIFA」シリーズが大会エキシビジョンに採用されたとき、大会に人を出すJeSU浜村通信はコナミになんて説明するのかという話になります。JeSUではプロライセンスを出していないはずのゲームが室内競技としてジャカルタ大会で採用されたとき、JeSUはどうやって選手を派遣するつもりなのでしょうか。プロ認定していない選手を連れていくんでしょうか。そうだとすれば、JeSUは何のために存在するんでしょう。

 つまりは、オリンピックへの出場はJeSUのプロライセンス発行の口実に過ぎず、プロライセンス発行予定タイトルが1%もオリンピック正式種目になる可能性がないのにJOCや消費者庁の名前を勝手に持ち出してゲーム大会の箔付けに使うべきではないと思います。

 自分が大事に思っている東京ゲームショウ(での目玉イベントとしてのe-sports大会)とKADOKAWAドワンゴのイベントである『闘会議』のスポンサー営業のためにJeSU立ち上げましたという話にすぎないので、そうならばそうだとはっきり正直に言ってくれれば問題点がスッキリするのではないでしょうか。

 

money_stema_stealth_marketing.png

当たり外れの多いショービジネスで「何か際立ったことをして、頭ひとつ出る」ことのむつかしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。コンテンツファンド界隈の片隅で暮らしていると、大きな流れをつかんで大成功したかと思えば、あるきっかけでドボンしていく人たちというのが毎回いて、そういえばあいつどうなったっけ、みたいな後日談を聞かされることの多い世界でもあります。

 そんな中で、お笑いが好きなら溜まらないエピソードが詰まった本が『お金をかけずにモノを売る広報視点』(竹中功・著)です。

 エピソードとして、デビュー前のダウンタウンの二人がボウリング場横のスペースのうるさいところで面接に来たけど「まだ芸など習ってないのだから面白いわけがない」ということで、これといった話も聞かずに「採用」し、それが吉本興業躍進の原動力となったあたりは「滅茶苦茶じゃねえか」と「言われてみれば仕方ないよな」という複雑な気持ちを抱かせるわけですよ。そんな話のオンパレードです。




楽天ブックスはこちら
Amazonはこちら

 著者の竹中さんはもともと吉本興業叩き上げの、職人のような伝説のスタッフです。何がヤバいって、いったん火はついた漫才ブームが下火になってから吉本興業の劇場をどうにかした上に東京進出を果たし、テレビ全盛期にタレントを露出させながら劇場をしっかり回して、そこで芸人に地力をつけさせて育成し、雨風に耐えられる一人前にしてスターダムに押し上げていくというサイクルを作り上げた功労者の一人です。

 私も一時期、コンテンツ系で吉本興業にお世話になっていたころはあるのですが、竹中さんとはついぞお仕事でご一緒することはありませんでした。ただ、竹中さんの前著でベストセラーにもなった『よい謝罪 仕事の危機を乗り切るための謝る技術』でもある通り、虚構が渦巻く芸能界においても芯になるのは人間の力であり、芸に対する熱意や執念のようなもの(どんなに客入りが少なくてもいいから、いま目の前にいるこのおっさんを笑わせる、というような)が人を育て、客を増やし、事業を伸ばすということが貫徹されております。

 本書の良さは、かなりガチでさまざまな浮き沈みがあっても、カネ使わずにアイデア一丁で話題を作り、広報ネタに乗り、人をかき集めてどうにかしてしまうという、吉本流というよりは竹中流の秘伝のタレのようなものが羅列されているところです。どこに着眼して人の関心を惹くのか、不調の事業でやる気が低迷している関係者を奮い立たせて前を向かせ同じベクトルに仕立ててうまくやるのか、芸人が芸と人間性を育てていく過程で起きるさまざまなやらかしや問題をどう捌くのか、といった、世間様と人間学なんですよね。

 あまりにも面白かったので、今月売りの「MONOQLO(モノクロ) 2018年 04 月号 [雑誌]」にも書評で掲載しておきましたが、この「流れを読む」のは本当にセンスだと思います。思い付きだけでも駄目、行動力だけでもいけない、何か奔流があってその中に特異点というか重心でもあるんじゃないか、ツボってのがあるのかと思うぐらいに、それはもう見事なものです。

 翻って、テレビがもう駄目だ、ネットで面白いことをやろうという試みはたくさん出てきてはいますけれども、なにかハチャメチャなところでも「人を集め、モノを売る仕掛け」のエッセンスは変わらないのかもしれません。参考になる、ためになるというよりは、実体験、武勇伝の中から驚きを得るという感覚に近い気がします。「え、なんでそんな決断ができちゃったの」という答えがちゃんと書いてあり、その成功のプロセスを見て「あーーーー」となるという。

 繰り返しになりますが、世間様を見る目と、人間学の塊みたいなもんだと思います。本書は。
 仕事で悩みがある? そらええことですね、みたいな。悩んだらええがな。という。あっ、はい。


manzai.png

 先日、中日新聞の『考える広場』で、「元号のある風景」というお題でお話をしたのが掲載されました。小日向えりさんや、社会学者の鈴木洋仁さんがご一緒していて、個人的に触れるのが憚られていた「元気モリモリご飯パワー」について鈴木さんが正面から論じているのを見て留飲が下がった次第であります。

元号のある風景
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=525798&comment_sub_id=0&category_id=562&category_list=562
【速報】平成の次の元号が「元気モリモリご飯パワー」に http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/52025506.html

 個人的には「元号使わなくていいんじゃないか派」です。昭和に生まれて平成になって、さらに新しい元号になるのは、パッと計算するのに詰まることも多いですからね。単純な話、公的な統計資料とかまとめてて「昭和58年から平成23年までの期間は何年ですか」って言われてもすぐには思いつかないことは多々あるし、自分含め調査をしている際に簡単な引き算足し算でもケアレスミスを誘発してしまうことだってあるでしょうから。

 もちろん、情緒はありますし、日本固有の文化なのだから、元号は引き継いでいくべきという考えも分かります。公的資料以外での必要だと思うところで使っていただく分には何も問題ないんじゃないでしょうか。

 ただまあ、この手の話をすると必ず「お前は天皇制を否定するのか」とか「効率至上主義のグローバリズムがもたらす弊害だ」などというご反応は戴くわけですよ。そういう感情も理解できないわけじゃないですけどね。「元号は日本の伝統だ」と言われても、天皇一代で元号ひとつを扱うことが決まったのは明治以降でしかないですし、和暦云々は日本固有の何かだというにはいろいろと歴史が浅すぎる感じもします。それなら太陰暦でも使いますかね?

 ひとりの保守主義者として思うのは、日本の伝統や風習を維持するにしても、日々の生活や暮らし、商いがよりよく回るために社会制度を改善改革していくという漸進的な考え方が必要だと思っています。元号をどうするのか、議論するのは大いに結構でしょう。役所の紙の形式がB5からA4にようやく変更されたのと同じように、公的な場での元号・和暦と西暦の併用を少しずつ進め、少なくとも統計資料に関しては和暦をやめるようにするだけでずいぶん違うんじゃないかと思います。

 そういう議論があってしかるべきところに、政府内では新元号の決定が「あまり早いと盛り上がらなくなる」とかシステムエンジニア殺しのようなことを仰っている方がおられるようです。

新元号の公表時期 政府が年末以降で検討 #日テレNEWS24
http://www.news24.jp/articles/2018/01/22/04383529.html

 これほんと、どうにかならないのかなあと思うんですけど、どうなんでしょうね。


issyoumochi_kouhaku.png

 今朝、人工知能や統計的処理の界隈で話題になっていた記事はこちら。

(魚拓)採用選考に「AI」を導入しようとしたが、断念した会社の話が面白かった。
https://megalodon.jp/2018-0208-1612-38/blog.tinect.jp/?p=48905

 結論から言うと、こんな馬鹿な導入事例は存在しないだろう(少なくとも人工知能を生業にしている業者の周辺では)ということで、あっさりガセネタ判定というか与太話だろうで終わったんですけれども、問題は「人工知能に対するありがちな誤解が詰まっているよなあ」ということでありまして。

 先に結論を言うと、人工知能はそもそも何かを判断しません。出すのはおおよそのスコア(点数)であって、その点数に足りる人か足りない人か、採用の可否を判断するのは「このスコア以上は合格」と決める企業の人事の側です。

 また、記事中では「なぜその人を採用するに至ったか人工知能は説明できない」ことになっていますが、そのスコアを導き出したベクトルの大きさは、どのような経過であれ検証可能です。もちろん数式が読めないとか、そもそも教師データから導き出された(かもしれない)スコアが理解できない人はいるかもしれませんが、そういう人はそもそも採用選考にAIを導入することはできても運用することができませんから、断念することもあり得ません。もしも数式が分からない役員に説明しなければならないなら、その数式を自然言語に翻訳処理してくればいいだけなので、むしろ馬鹿が説明するよりも合理的かもしれません。

 例えば、その会社の面接までもっていく基準がスコア70点だったとして、そのスコアというのはその会社が「うちの組織で働くのにふさわしいと思われる基準」だと最初に人間による”決め”があります。むしろ、”決め”がない会社はそもそも人工知能による採用システムが導入できません。いちから決めるためには、高額のコンサルさんを雇ったり、たくさんのおカネをリクルートやNECその他の人工知能ベンダーに支払う必要があります。

 また、人工知能を構築する上での教師データは、たいてい過去の採用状況を食わせることになるわけですが、不幸にして早々にして退職してしまったとか、会社内で問題を起こして損害を与えた人というものも混ざってきます。そして、スコアリングすると女性のほうが大抵圧倒的に早く退職するので、人力でスコアに下駄を履かせたり、そもそも男性採用と女声採用で総量を決めて工数にかけます。しかし、それでもさらに体育会系出身者は今度は「キャリアが終わって辞めてほしいときに限って辞めてくれない」というジレンマをもったり、同業他社に転職して揉める可能性の高い某大学湘南藤沢キャンパスの塾員はスコアにマイナスがかかるなどの個別事情がどんどん出てきます。

 したがって、そういう「うちの会社にとって、欲しい人材ってそもそもどういう人なんだっけ?」という組織内の暗黙知を人材採用時の効用として掘り起こす作業がどうしても人工知能導入の前捌きとして必要になるのが実際で、人工知能による足切りを導入する企業は増えてもその運用は概ねテンプレ的なものにちょっとした「自社の風味」を加えた程度で回しているので、エントリーから面接まで辿り着けない人は何社受けても辿り着けないことになりかねないし、中途採用でもスコアが低くなる転職者をたくさん輩出している企業が経歴に書いてあると弾かれることになります。それは本人の適性というよりも、本人の出身校や経歴に書いてある企業の過去の面々が盛大にやらかしていると「ああ、こいつも同類なのだな」と人工知能に勝手に判断されて、人事担当者から活躍をお祈りされることになるのです。

 また、どこの人工知能ベンダーが提供しているサービスも、書類選考においてさえ、しっかりと基本設計された「その会社が欲しい人材」の定義づけがされていると、やはり運用2年程度でもはっきりと短期離職率が下がったり、事前に性格特性がきちんと把握されることが多いように見受けられるのも特徴です。逆に言うと、会社勤めが経歴的にも性格的にも向いていない人は、真の意味で歴戦の敗者になる可能性はあります。個人的には、人工知能がどんどん使われてほしいという気持ちもある一方、そういう人工知能に門前払いされるぐらい本格的にダメな人が会社に潜り込める可能性が低くなることで、性格による差別が起き得るよなあという危惧は持ちます。性差を除けば、圧倒的に勤続年数や会社に対する貢献の予測にマイナスのスコアリングになるのは双極性障害などの精神疾患やギャンブル依存症の可能性が高くなるエゴグラムの形(ビッグファイブなどで計測される)です。

 「能力はありそうだけど、問題を起こす可能性の高い奴は要らない」というのが組織にとっては当たり前ですが、まだ問題を起こしているわけでもない個人が「起こす可能性が高いから」といって就職で不利になるのはどうなのかなと思うのと、そういうのはそれなりにちゃんと運用すればスコアに出てきてしまうので、そう遠くない将来、これは就業における差別だという話はどっかで出てくるかもしれません。

 なお、前述の記事で書かれていた人工知能関連の与太話というのは非常に多く、先日もNHKで「人工知能にきいてみた」と称して、ヤバい内容が放送されていました。

NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「AIに聞いてみたどうすんのよ!?ニッポン」(前編)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586960/
『AIに聞いてみた』の疑問点を「NHKに聞いてみた」 “AI”から受ける印象と実態の「ちぐはぐさ」
(1/2) - ITmedia NEWS http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1708/02/news035.html

 人工知能研究の最前線を自称する人でさえ、その監修した番組で「健康になりたければ病院を減らせ」とか「40代一人暮らしが日本を滅ぼす」などと平然とご宣託を出してしまうのが実情でありまして、データサイエンスという言葉は流行ってもなかなか地に足の着いた利活用の方法は広まらないのだなあと憂慮するのでありました。


ai_pet_family.png

↑このページのトップへ