月別アーカイブ / 2016年12月

 

匿名サイトで、私が手掛けたAppBankなどに対する記事が「ステルスポジショントーク」ではないかという憶測記事がありましたが、そもそも継続的にポジションを頂戴している仕事についてはすべて立場を公開しています。特定の問題や事象について「こういう記事を書いてほしい」などの指示があったことはありませんし、掲載された媒体からの原稿料以外で資金を供出されたり、当事者に資金を求めたこともありません。

 

 匿名サイトでの憶測についてはネットでの発言などしか根拠がなく、現投資先や契約先から頼まれた、当事者に私が金員を要求した、何らかの金員を私が受け取った、といった事実関係は全く書かれていません。当然のことながら、そのような事実はないので、書きようがないのでしょう。そして、匿名ブログの記事について、私に対する事実の確認や取材もありませんでした。

 

私自身は投資を本業にしていますが、記事で触れる企業やその業界周辺の株式の売買を行うこともありませんし、証券会社などから指摘や問い合わせを受けたことも一度もありません。証券を触る者であると同時に、自分が必要だと思う記事を執筆する者として、当事者に対して取材をし、相応の確証をもって記事を掲載するからにはそれで証券売買による収益が上がってはいけないという戒めを徹底しているからです。

 

匿名記事中にありました、私の現投資先であるユーフォロスも、Aetas4gamer.net)も、吉本興業も、楽天グループも、私に何らかの対価を支払って記事を書いてほしいなどという依頼を受けたこともなければ、行うこともありません。これらのプロフィールは匿名サイトも知っている通り、公開された立場であり、そもそも隠していません。

 

また、第三者に「資金を出してほしい」と要望することもありません。自分で問題と感じたことを好きに調べて、好きに書いているからです。タッチプランニングのタレント登録にいたっては、単純に当時吉本興業が手掛けていた番組制作の後継番組への出演をするにあたり、所属事務所がなければ文化人扱いになってギャラを増やせないからと相談されて、一時的に登録したものです。芸能界の特定の企業や業界団体のために、資金を提供されて何かを書くということはありません。2004年の当該番組出演終了後は、私はテレビもラジオもすべて一般人、文化人として出演しています。

 

匿名サイトでは、何か裏があって私が記事を書いたという憶測で構成されていますが、時系列や関係者の捉え方が滅茶苦茶で、金銭の授受や請託といった事実に関する記載がまったくありません。AppBankの記事を掲載している時期に原稿料以外で4Gamer.netから資金が入ったことはありませんし(映像制作の調達業務で外部EPの仕事を請けたのはAppBank記事の後)、そもそも私がサイバーエージェントの株式を売買していた件はCAモバイルの取引とは無関係、楽天との契約は2015年からであってCAモバイルから事業譲渡された2008年のユーフォロスは無関係であって、事実関係なしに憶測を書き連ねられても困ります。

 

 楽天との取引の発端については、そもそも堀江貴文さんが書いたツイート自体が嘘です。

 私はヤクルトファンですが、もともと他のプロ野球球団でもデータ解析の取引があり、その一部契約の満了とともに楽天野球団から声をかけていただいたもので、今は楽天以外のほかのスポーツビジネスでも解析について受注しており、楽天とは、球団やスポーツマーケティングのことぐらいしかお話をしていません。

 

 私に対する憶測や邪推はネットで書かれやすいですし、匿名サイトの書き込みをいちいち全否定、反論しても仕方がないので通常は反応しないのですが、わざわざ自分が関係している先の話を承認なく批判記事にすることなどしませんし、逆に誰かに頼まれて金をもらい記事にすることも無いことぐらいは年末ですし書いてもいいのかな、と思いました。

 

 金銭の授受があったと事実摘示したいのであれば、その内容を匿名ブログの執筆者や、その内容を広めている人たちに疎明してほしいと考えます。

 

 来年はいま以上にいろんなネタを調べて書いていきたいと思っていますし、書いたり書かれたりはこの世の摂理ですので、いままで通り着々と進めてまいります。

 

 お読みいただきまして、ありがとうございました。

 皆さま、2016年も残りわずかですが、良い年をお迎えください。

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 今年上期で契約期間が満了した福島県の経済復興・支援事業の仕事が終わって、先日総括の会合がありました。普通、仕事が終わって、さあ次は何をしようかと前向きな気分になることが多いはずなんですが、今回のケースで言えば、お通夜とまでは言いませんが、あんまりみんなこの仕事をやっていこう、続けていこうという気持ちにはなれないみたいで、話として果たした責任の内容や苦労話よりは、年始に解散はあるのかとか、カジノはどうなるのかといった、別の次元の話題を敢えてしていたのが印象的でした。

 仕事の委細を書くわけにはいかないので、雑記調に「私が何を考えているのか」をまとめておこうと思うわけなんですが。

 もちろん、被災地だけでなくいわれなき風評被害を被った福島の方々に対しては、なにかもっと抜本的な方法でご一緒できたんじゃないかとか、このような話で本当に被災前の状態にできるんだろうか、他にやり様はあったんじゃないかといった忸怩たるところはあります。例えば、本当に地震やそれに続く福島第一原発事故の影響で、建屋が壊れて操業できない工場や、陥没した道路といったものは、ハードウェアですから、お金が突っ込まれればそれなりに直って、元通り以上に機能させることはできます。

 しかしながら、そこで働く人がいない、作っても地元でモノが売れない、なぜならば消費者としての県民が避難して県外に出て行ったまま帰ってこないから、という現状は「復興」でも「復旧」でもありません。さらには、県外に出ていく人は労働者、お勤めとして立派に働ける人です。福島に残るのは子育ても仕事のキャリアも終えた年金生活者か地方公務員の塊である、みたいな現状ですと、事業所を修復しても働き手がいないという状況に陥るのは当たり前です。リタイアした日本人は救わなくていいのか、という議論をするつもりはないのですが、その救う原資は税金であって、生産性のないところに突っ込む税金は将来の税収に繋がらないという意味でどぶに捨てるのと同義であるのも事実です。

「社会保障」「地方再生」失敗の轍を抜けるには http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/275866/121200011/

  夢のある復興とは、みたいな話は地方再生の「賢人会議」に呼んでいただいたときにも少し語りましたが、結局は「限りあるリソースをどう有望な分野にきちんと振り分けていくか」という選択をするべき政治と、「みんなのリソースなのだからなるだけ平等に、納得感のあるように分配していくか」という政治との衝突であるわけです。

 例えば、南会津町はいま巷で話題になっている医師偏在問題の象徴とされる地域で、それなりに山間の土地に1万6,000人が暮らしていて若年率が10%ぐらいという典型的な過疎なのですが、ものすごい勢いで人口が減少していっています。まさに秘境ともいうべき地域ですが、ここには産婦人科が一人もいません。10年前が2万人の街でしたから、ざっくり10年で2割人が減ったということで、何しろ20歳ごろになると世代人口が半分になるのですからどうしようもありません。

 地方再生の問題は、仕事の問題、教育の問題、育児の問題も孕みます。仕事が無ければ家族を養えず土地を離れるしかありませんし、良い教育を受けられなければ安い賃金の働き場で妥協せざるを得ず、育児のサポートが無ければ複数の子供を儲けることができないので、地域の人口が減り、労働者の流出を呼び、地方再生は不可能になるのです。

 「人口減少社会を悲観的に見るな」 という言動は多いのですが、現場を見ると「人口が減ったため、明らかに成り立たない地域がある」という現実を見ます。そこに、ある種の「復興は可能だ」と中央の人たちが頑張って予算を取ってきてくれるところまではいいのですが、自分で立ち上がれない、自律した経済圏を構築できない地域の人たちに対して、億単位、十億単位の予算がついて立派な道路整備されたり改修された工場が建っても地方経済が動きません。むしろ、イニシャルで初期費用をどーんとかけて地元活性化予算が消化されても、その何倍もの維持費が賄えるほどに採算が合わず、負担が増えて過疎化が進展するという本末転倒があります。

 理想としては、繁栄する福島を取り戻したい、そのために何ができるか、を考えたいわけです。

 しかしながら、現実に起きることはもう二度と帰ってくることのない地元民のために有効かどうか分からない除染作業が「とりあえず」行われ、子供が減っているのに学校が増築されている割に教師が減員しているとか、平均就労年齢が60代の喫水の浅い漁港が全部整備され直してるけど船の出入りがほとんどないなぜならみんな補償金もらって毎日漁に出る必要はいまはないから、といった状態です。

 これは福島に暮らしている人たちが駄目なのではなくて、福島にどういう活気を取り戻し、何を収益の根幹として、福島にどう稼げる地域として復活してもらうのか、そこにどういう仕事を増やし、家庭を養い、子供を教育し、大きく地域経済を育てていこうかというビジョンの欠如もあるんだろうと思います。それは、福島県民だけが考えることではなくて、高齢化社会のモデルケースとして何を考えるべきかや、少ないリソース、子供や若者たちにどういう社会を理想として行くかでしょう。

 みなさん、口々に「林業には未来がない」とか「若者は山を愛さなくなった」などと仰るわけです。確かに、昔ながらの林業を細々とやっていくだけでは、なかなか明るい将来展望がないかもしれません。なのに、なぜ彼らは林業を続けているのかと言えば、林業が廃れて所得が細っても年金と併せて暮らしていけるだけの収入があるからという面もあります。林業でどうやって食っていくかという方向に知恵が回らないのは、農業や漁業も同様にどうにかなっちゃっているからです。

 なので、地方経済の現状を見てしまうと、どうしても日本の労働生産性とセットで考えるべきなんだろうなと思うわけです。日本の衰退の最前線であり、税金も社会保障費もすべてこういうもう戻れないところに資金を突っ込んでいるから重税感や日本死ねが起きるんだということでもあります。

 なんだ、解決策ないじゃないか、とよく言われるんですが、これはあるんです。単純な話、採算の取れない地域にお金を突っ込まないだけで、ざっと試算するだけでも年間の歳出ベースで8兆円、9兆円といった資金が合理化できる余地があります。しかしながら、山を愛するお爺ちゃんたちに、人間の情として「ごめんな、具合悪くなっても救急車出せなくなるし、林道も整備しないから。ドカ雪降っても除雪いかないからね」というのは文字通り「貧乏だから爺さん死んでくれ」という処刑通告みたいなものになってしまいます。

 いまの日本の地方経済をみえていると、経営の傾いた大企業が、過去の栄光を引きずって不採算事業をリストラできず、全体が沈没していっているのと大して変わりません。企業経営であれば「リストラしろよ無能経営者め」と罵声を投げかければそれですみますが、政治はそうはいかないのです。だから、痛みを伴う政策を政権も霞が関も早期にやらなければいけない。

 利己的に私自身が生きようと思うならば、まあ死んでいく地域はしょうがないよね、誰かがどうにかするんでしょう、で終わる話なんですけど… やっぱり誰も管理しなくなった蔵に置いてある誇り被ったお神輿が丁寧に飾り付けられてるのを見ると、 この地で生まれ、この地を愛した人たちが日々を暮らし、息づいていた時代を感じて懊悩するわけですよ。それが摂理なんでしょうけれども、あれだけの事故を起こしても変われなかった日本社会が自発的に何かを切り替えられるとしたら、どういう方法があるのでしょうか。

旧知の竹田圭吾さんが亡くなってしばらく経つんですけど、秋口に竹田さんとお仕事ご一緒した皆さんと宴席を設ける機会があって、故人を偲びながらも思い出話で議論百出し、あまり湿っぽくならないのが印象的だったわけです。

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 先日、竹田さんの未亡人となられた竹田裕子女史と対談させていただく機会を頂戴しました。
 ちょうど竹田裕子女史が竹田圭吾さんの思い出話をまとめた本を上梓されるにあたっての内容だったのですが、黄色いランドセル話から馴れ初めまで、私たちにはついぞ見せてこなかった竹田圭吾さんの家庭での姿と、私どもが良く知る知識人であり面倒くさい人である竹田圭吾さんの存在感が交わる感じがしまして。

竹田圭吾と彼が生きた最後の数年間について(山本一郎) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160111-00053314/

 竹田裕子女史の本でもありますし、私にも彼の語ったところで言う「国際ジャーナリストとして、竹田圭吾でしかできないという実績を」という願いこそ成就しなかったものの、難解な国際政治を分かりやすく語れるおじさんとしての商品価値以上のものを追い求めてきた彼の姿勢には共感はしないまでも理解はできるわけであります。かなり硬骨漢でしたし、見た目や話しっぷりの穏やかさとは別に、感情豊かで言い出したら聞かない人だったあたりは、やはり家の中でも外でも「竹田圭吾は竹田圭吾であった」のであります。

 一方で、病気の再発にあたっては繰り返し仰っていた「人は一人で死ぬものだ」「キーボードが打てない。どうしようもなく孤独を感じる」ような内容を奥様には伝えていなかったのが意外でした。当方としては、あの竹田さんが弱気になっているという感じはなく、むしろ「思い通り仕事ができない焦燥感」みたいな感じなのかなと思ってはいたのですが、寄り添うように、献身的に看病をされてきた竹田裕子女史からするとやはり憤慨しておられたのでしょうか。

 実のところ、私も近しい親戚が全く同じ病気で一時期大変な闘病生活を送っていたのですが、仕事や家庭が充実していればいるほど「いま死んではいけない」という強いプレッシャーに苛まれるものなのかなあとぼんやり見ておったわけです。実父も似たような病気ですし、壊れていく自分、昔のようには動けなくなる自分、思い通りにならない自分といったものへの向き合い方は壮絶なものがあります。

 それでも、ゆっくりと坂を下りるように、家族との残された時間を大事にする姿勢、仕事仲間には遠慮しつつも分担は無理だときちんと仁義を切ってくるあり方が、竹田圭吾流なのだなあと改めて思った次第であります。

 国際ジャーナリストとして不動の何かを遺したわけではないけれど、この竹田圭吾流のモノの見方、考え方というのは生き様も含めて思うことがたくさんあります。「自分は常に少数の見方を解く」とか「世にある情報が感じ取れるエアコンであれ」などといった竹田流の話は、いろんな意味で何にでも通じる哲学のようなものなのでしょう。

 大きい存在が突然ドーンと亡くなったというよりは、飄々と生きた気になる人がスーッといなくなったという雰囲気でありまして、仕事人として、父として、短いながらも彼らしく全うしたんだな、と改めて感じることしきりです。



 「この衰退を始めた時代の日本に、彼のような人がいたのだ」と思い返すのには最適な本だと思いますので、ご関心があればぜひ手に取ってみてあげていただければと存じます。 

 竹田圭吾さんもチャーミングなおじさんでしたが、裕子女史も力の抜けた、なるほど圭吾さんが選び取りそうな黄色いランドセルであります。うん。 

来年のトランプ政権発足に向けて米IT大手がどのように対峙していくのか気になるところです。

米IT大手幹部、トランプ氏との会合に出席へ=リコード



なにがなにやら真相はまったく不明ながら、国際政治・安全保障の観点から今後の展開は注視せざるをえない事件ですね。

米CIA、「ロシアが大統領選に干渉」 サイバー攻撃通じ
トランプ氏勝たせる目的=ロシアのサイバー攻撃でCIA-米紙
ロシアが米大統領選に干渉との分析「ばかげている」=トランプ氏



なんとローマ法王までが今のネットに横行する虚偽ニュースに言及。

ローマ法王がメディアに強い警告、「偽りの情報拡散は罪」



MicrosoftがARM系プロセッサ環境へのWindows対応を発表。比較的低スペックなマシンでのVR対応は成功すれば一気にモバイル戦略失敗から挽回できる可能性もありそう?

これから始まるWindowsの大冒険
見えてきたWindowsの未来。Qualcomm対応で選択肢拡大、OS標準でVR・MR対応



Samsungがかなり思い切った回収措置へ。近未来を考えるとリコール対象車がマーカー配信の強制アップデートによって走行不能にされるといったことが起きるのかもしれません。

サムスン、「Galaxy Note7」の機能を強制的に無効化するアップデートをリリースへ



IT製品として考えれば発売開始から4年でサポート終了というのは極端に短いライフサイクルではありませんが、テレビのような家電の感覚ではやや短い印象。ユーザーからこれが受け入れられるかどうか気になります。

NTTドコモ、SmartTV dstick 01のサポートを2017年3月31日で終了


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これまでソフトバンクを選択していたようなコストにプライオリティを置くユーザー層はより安価なMVNOに流れているということでしょう。逆にトータルコストが同じならブランド的にドコモが選ばれるという話でもありそう。

ソフトバンクショップ、ゼロ円禁止で窮地に

今回の問題で気になったのは「著名芸人ノンスタイル井上が当て逃げ」となったときに、どんな謝罪対応するのだろうか、という点だったわけですよ。

【GIF】NON STYLE井上裕介の事故時の走行方法が酷すぎる件wwwwwww http://alfalfalfa.com/articles/171548.html


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 吉本興業でご一緒していたときに、竹中功さんというまさに「謝罪会見の第一人者」の方がいらっしゃって、某案件でちらりとご一緒したとき見事な火消しをされたわけであります。

 その竹中さんとはいえ、消せなかった事案というのは「ちゃんとやらかした奴が正直に『こういう話でした』と説明しなかったケース」であって、せっかく謝罪の取り仕切りをやっても、後から後からグズグズと醜聞が出ると完璧な謝罪会見が逆効果になるわけでして、そこは日ごろの事務所と芸人の信頼関係が大事だ、と常々仰っていたのが印象的です。
 
 吉本興業は体質的にやらないほうですが、一部の界隈では「フォローになる事実をかぶせるようにスポーツ紙に流させる」という、俗に「スピン」を入れるやり方を得意とするところがあります。週刊誌報道などでは、必ず一発目は脇の甘い記事を用意して、相手が反論したのを見計らって事実関係を追った第二弾第三弾を用意するという手法に対する対抗策でもあります。まあ、賛否両論や情に訴えかけるやり方で逃げ切るわけですね。

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 今回のケースでは、ノンスタイル井上が心を折ったように「逃げてしまいました」と真摯に反省することでやり過ごす方法をとるわけですけど、実際その通りでしょうし、ここから「名古屋抜きの常習犯だった」みたいなタレコミでも来ない限りは大丈夫でしょう。その点では、意外に素直な人なのかもしれません。

 最近ですと、やはりキングオブコメディ高橋逮捕という衝撃的な事件からSMAP解散、ベッキー騒動ときて、DeNA問題と謝罪についての技術がやはり問題となる世の中になったんですかね。はい。

 

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