月別アーカイブ / 2016年04月

 梅木雄平さんが吠えているというので、見物にいってきました。
 確かに、これはそう言いたくなる事案ですね。

 事の成り行きはハゲ子さんのブログを参照。彼は梅木さんにとてもハードストライクですけれども。

挑戦者を批判する人は大抵なにも挑戦していない人

自称挑戦者の梅木雄平氏(@umekida)の言い訳が面白い

 梅木さんに無関係な私が勝手に思うことを言うと、梅木さんは梅木さんなりに挑戦はしていると思うんですよね。内容がいつまで経ってもアレだ、というのは、hagexさんなどずっと見ている人からすると定点観測者が同じところをぐるぐるしている対象者を見て「あいつは同じところをずっとぐるぐるしている」と分かるからであって、梅木さんなりに何かしようとして、何かを企画し、打ち立てて、告知するところまでやっている、という点で、挑戦者ではあるのだろうと思うわけです。

 ヲチ的コンテンツとして梅木さんの完成度が高いことは言うまでもなく、 はあちゅう女史、イケダハヤト師と並んで炎上三銃士的な評価のされ方をするのも、ある意味でとても目立つし、壊れないサンドバッグ的なポジションに彼ら自身がなってしまっているからなのでしょう。また、彼らも積極的に批判する人の意見に絡みに行くしね。だから、コンテンツとして成立してしまっているのは彼らにとって幸いなのか不幸なのか良く分からんけど、見ていて面白いからそれはそれで良しとされるんですよね。

 一方で、 これらをネットヲチの素材として面白がっている人は、炎上商法の犠牲者というか、養分になっているというのは改めて指摘されるべきことです。つまり、取り上げれば取り上げるほど、認知度は高まってしまい、一定数存在する「そういうものが好きな人たち」の目に留まる。そして、彼らのお客さんになっていく。物事が賛否両論であるほどに、知名度が高まることによって入る実入りが増えることは、体験的にもわかっているのです。

 そもそも、Hagexさんやヲチ方面の批判的な人たちは、梅木さんが何をやろうともお金を払おうとはしません。もちろん、好事家的な興味として安藤美冬女史の謎サービスに毎月5,000円払って心底馬鹿にすることはあるかもしれないけど、一般的には彼らにPVをくれてやろうとも、有料サロンに金を払おうとも思わないわけです。

 つまり、ヲチ側というのはよほど根性が据わってない限り彼らのマーケティングの外にいる者であって、たとえ風評的に彼らに騒がれることで毀損しようともあまり影響はないのです。見られて嫌だ、批判もされたくない、というちきりん女史メソッドなら話は別ですが。ただ、自分にお金なり情報なりだしてくれる人たちにまずは誠実であれば、彼らの挑戦は誰から批判されようとそれは構わないのでしょう。あの梅木さんの説明の仕方や遁走の方法はともかくとして。

 でもまあ、モノを世間に向かって言うからには、間違ったことを言って「しまった」となることもあれば、イケると思ったのに、なかなか思い通りいかなくて揶揄されてムカつくこともあるわけです。これはもう、リスクとって何かをするからには仕方のないことなんですよね。駄目だったことは批判されようが何だろうが割り切ってやめちゃって、次いこうってなる。だから、壊れないサンドバッグのほうが強いというか、受けた批判は片目で見つつも半笑いで次の仕事や挑戦にさっさと着手するほうが、望む成功は得られやすいのではないかと思います。いっぱい転んで、致命傷にせず反省して前に進んだ人が勝率上がるのが世の中の摂理ですから。

 翻って、梅木さんの場合は彼の本来の価値はこういう炎上を起こすことではなくて、トボケたキャラクターでスタートアップ界隈の経営者に愛でられ、彼自身はたいしたことなくても、そのたいしたことない存在ゆえに珍重されてお布施が集まることにあります。彼がいっぱしのことを言い始めたら日本が沈没します。むしろ彼に対してHagexさんというのは貴重で、梅木さんがむくむくと自意識を肥大させたときにIVSでやらかすとか、ネットでうっかり無許可なのに助言業じみた情報商材を売ってしまうとか、そういうろくでもないことをしでかすのです。

 いちいち批判に対応する必要はないと思います。ただ、「ああ、自分はいま調子に乗ってるな」というときに問題を起こしがちなのが人生だとするならば、 自動戒めツールとして批判者の発言に目を通しておくのは良いのではないかと感じるわけです。

 また、批判者の身なりを見て、完全にこれは自分のマーケットの人ではないなということが分かれば、ギャンギャン自分を批判してきても無視しとけばいいわけです。茂木健一郎さんなんかその典型ですね。彼らは自分の客ではなく、いまいる自分のお客様と同じイケスに入れても混乱するだけだと判断されるようなら、それらマーケット外の批判者の満足度を無理に引き上げようとしたり、迎合して味方につけようとすることそのものが無意味です。批判を受け入れるか無視するかは、常に批判を受ける主体者の側に取捨選択のイニシアチブがあって、大炎上しようがスキャンダルが起きようが本業に影響のない限り数日から二週間ぐらいで話は納まると割り切ればどうってこともないんです。

 Hagexさんがどのような道を歩もうとしているのか外部からは分からないですが、個人的には「悩みもあれどもあのスタイルで成り立っている梅木さんは梅木さんなりに頑張っているし、凄い」という風には思います。 うらやましいとは一遍も感じないですが。

 というわけで、一瞬花見に足を向けてきます。 

先日、サイボウズ式というサイトでお声がけを賜り、女のプロである川崎貴子女史と対談して来ました。

 途中、かなり込み入った話になったり、いったりきたりしてしまったので大変な対談だったのですが、見事にポイントを押さえた素晴らしい原稿になって返ってきてびっくりです。あんなのどうまとめるんだろうと思ってたんですが、杞憂でした。

「料理は手作りこそが愛情」という同調圧力が、日本の子育てをつらくする──山本一郎×川崎貴子
それでも結婚し、子どもを持つ意義はどこにある?──山本一郎×川崎貴子

  この手の話をすると、大抵において「もう取り返しのつかない独身高齢者に対して失礼だ」とか「子供がほしくてもできない家庭に配慮しろ」などというお話がくるわけなんですが、私は私の人生しか歩んでおらず、投資先や社員といえど彼らの人生のすべてに責任を持つことはできないし、ましてや読者の個々の状況において配慮し責任を持つことなど無理であります。女が「男には女の気持ちが分からない」のは、男は女でないからであって、女性は産む道具ではないのはごもっともとしても女性が産んでくれないと子供が増えず、社会が維持されないので、いままでの昭和時代の働き方を改め、必要であれば女性の社会進出も支援し、公的な扶助も増やしていこうよ、という話ですね。

 だからこそ、人生には解がなく、また誰かが手を差し伸べてくれるものでもない、だからこそ、自分自身で解決していかなければ絶対に駄目なのだとも言えます。子供ができないのは社会が悪いからだ、政治がよくないからだ、政策が不足しているからだ、と言い、それが一部そのとおりだとしても、一定の年齢になってもなお結婚できないとか、高齢になって出産できなくなって子供がほしくなったなどの話は、社会や政策や知識も含めたその個人の合理的な選択の結果や、状況に流された所以でしかないでしょう、という話です。

 私なんかは、本当に奇跡的に結婚できただけの人間ですから、神に感謝しつつも自分がもし伴侶と巡り合えなかったらと思うとゾッとします。でも、その結婚できたことも物凄く細い糸のような可能性の結果であって、一歩間違えばゴールインしなかったかもしれないことを思い返すと謙虚にならざるを得ません。産経新聞「iRONNA」とBLOGOSメルマガやプレタポルテで書いたのは、結局のところ共感を呼ぶ文章をいくら書き綴ったところで意味がないのではないかという問題意識からきています。具体的なアクションを求める人が行い、自分の人生を作り上げていくことへの支援が必要だ、解そのものを与えることなどできないので、自分で考えて実現していくしかないのだ、という自助論的な精神です。

「保育園落ちた日本死ね」から考える政策が必要な人に届かない理由
乙武洋匡さんの問題が投げかけたもの
http://pret.yakan-hiko.com/2016/03/31/yamamoto-6/ 

 おそらくは、公共と自助の観点はこれからどんどん問題が出てくることでしょう。この辺の議論は、いつ蒸し返しても興味深いところになるので、『自助論』や『家族でできる 7つの習慣』でもどうぞ。

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 どうもこの辺の話は、以前流行したライフワークバランスみたいな議論の延長線上にある、当たり前だけどあまり立場表明しにくい問題のひとつじゃないかと思ってます。個人的には、共働きだから保育園に補助を出す、ということよりも、子供が生まれた場合は保育園に預けようが預けまいが助成を出して社会全体の支援を行い、選択肢を与えていくほうが望ましいように思うわけですね。

 そして、今後はもっと世の中は厳しく、苦しく、やりづらくなっていきます。それは仕方ないこととして、それでも自分の人生を輝かせるために、幸福を得るために何をしなければならないのかを、考えつめていくことが大事なんじゃないかと思いました。

 まあ、仕事入れすぎて年度末に死ぬほど苦労した私が言うべきことではないのかもしれませんが。
 いろいろ遅れててほんとすいません。




 

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