月別アーカイブ / 2011年03月

 まだ初動対応は終わっていない、という気持ちもあるけど、11日に震災が起きて一応は約三週間経過したというのもあって、個人的に考えていることの総括の項目出しでもしようと思います。ありがたいことに月刊誌からも寄稿のご依頼を頂戴していたのですが、この手の話題を披露して原稿料を貰うようなのは流儀じゃないのと、いますぐ書いてアップしてしまうことで一刻も早く自分の気持ちに整理をつけたいというのがありまして、ブログで書くことにしました。

 最初に書いてしまいますが、理性では「大丈夫だろう」と思っていても、いまだにとても不安です。それも、誰かと分かち合えるような不安ではなく、また、自分の生命に対する不安ではなくてですね。

 もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが営々と築き上げてきた我が国の社会における信頼や価値というものが震災復興の困難な長期化によって崩れ去ってしまうのではないかという不安、また、戦後と同じように復興していけばいいじゃないかという楽観論の裏側にある若者が少なくなっていていまの社会に復興させられるだけの活力が残っているのだろうか、私たちは次の世代にきちんとした社会を引き継ぐことができるのだろうか、という不安、などなど、結構複合的なものが来ているのです。
・東電が一日にしてJAL化したこと

 投資をやる人でなくとも、東京電力といえば誰しもが知っているディフェンシブな企業であり、安全神話とかいう安易な言葉では語り尽くせない社会の軸の要素のひとつだったと思っています。そうじゃないよ、それほどでもない、と否定したい人がいるかもしれませんが、東京電力が電気の供給を完全な形ではできなくなったことで、どれだけ私たちの生活の切り下げを余儀なくされ、不安を抱えることになったのか、きちんと向き合う必要があると思います。

 日本航空の場合は経営不振は誰の目にも明らかで、あるいは日本郵便、あるいは日本国有鉄道といった、こりゃどうしたもんかと皆が思う中で、政治がようやく踏ん切りをつけて処理する問題というのがありましたが、東京電力に関しては、文字通り一日にして経営が困難に陥るだろうことはモノを知る慎みある社会人ならば誰もが予見でき、また恐怖であるとも感じています。

 私たちは、東京に住む住まないに関わらず、それなりの金額を上乗せして電気料金を払い続け、この負債を贖罪のような形で解消していかなければなりません。東京電力に対して怒ったって始まりません。後悔してもダメで、これから一歩一歩、放射性物質と共に歩いていく必要があるのです。

・意外に日本人に優しい外国人

 日本人が思っているほど日本人は嫌われていないことは、海外に頻繁に出かける人であれば良く知っているとは思いますが、思っていた以上に外国人にとっても日本の今回の震災と、日本人が味わった苦難というのは共感を呼んでいました。

 いままで無理をして援助大国できた我が国の最後の輝きなのかなあとも思いつつも、意外なところで信頼され、また慈悲の対象となっていたことは、比較的外人とのお付き合いの多い私にとっても思った以上の出来事で、もう何年も連絡を取っていないような外人から突然メールやskypeで励まされたり、状況を聞かれたり、必要なものはないかと問われたり、モノを送られたりというのは、やはり来るものがあります。

 問題は、そういう日本、日本人に対する信頼感に今後どう応えていったらいいのか、また、次の世代、その次の世代へとどう引き継いでいったらいいのかを考えることです。グランドデザインと一言で言えば終わってしまいますけど、そのぐらい、私は重要なことだと思っています。

・この国の形とか

 地震や津波の被害が明らかになりつつある中で、結構早い段階で、感覚として「あ、戦後が終わったな」と思いました。何で? と言われると、結論を論理的に明示することもむつかしいのでしょうが、私は日本の歴史の中で繰り返されてきた秩序の崩壊期から再編期に入ってきたんだろうと感じています(東京大学の坂野教授の影響が強いのですけど)。

 必要なことは、議論することです。それも、繰り返し繰り返し、思うことや考えつくことをひとつでも多く、一人でも多い人たちが声を上げて議論してコンセンサスを作っていくこと、生産的で建設的な方向に進んでいくことだと思います。

 国が形を決めるのではなく、国民が国のあり方を決めるのだろうと思うので、財政や行政システム、中央と地方、法と国民、憲法と安全保障といった、枠組みを一つ一つ詳らかにしていくこと以外に、文字通り日本人のこの困難を乗り越えていく方策を見つけられないだろうと。

 そのために、国というフレームワークをどう使っていくのか、という議論にしていくことが肝要なのだろうと個人的には考えています。

・ソーシャルメディアは役に立ったのか

 各論に近いですけれども、今回は大本営発表といいますか政府の公式発表の受け皿がいわゆるマスコミだけではなくなり、国民同士が自在に情報を流通させる土台ができてきました。これ自体は、とても素晴らしいことだろうと思います。

 その上で、国民が何かを知りたいと思ったときに、正確でタイムリーに情報を提供していくための手段としてのソーシャルメディアの強みと課題をきちんと整理しておくことは極めて重要になりました。というのも、従来のマスコミに比べて、一個一個の情報の粒度は小さく、正確だったとしても情報を求める人に適切な形で情報が流通していかないこともまた、大きな問題だと認識できるからです。

 恐らくは、既存のマスコミとの補完関係を保ちながら、ソーシャルメディアの枠組みも成熟していくのだろうと思いますが、やはり従来の法制度や慣習の枠組みから一足飛びに進められるものではなく、少しずつ問題を消化していきながら成長していくのだろうと改めて感じました。

・東電の総括、ひいては日本組織の人事について

 話はやや戻る感じになりますが、我が国の組織や制度運用についての側面で、東京電力はひとつのモデルケースとなりました。簡単に言えば、現場から離れている人が昇進するため、問題が起きたときに組織として対処する能力を著しく欠く、という構造的な欠陥であり、例えばこの問題が他の大組織で起きたとしても、やはり同じように右往左往して問題の解決に至る道筋は遠かったのではないかと予見されます。

 組織が大きければそのガバナンスが複雑になり、外部からのショックやストレスに対して迅速な対応ができなくなるというのはある意味で宿命ですが、じゃあ東京電力のような巨大システムを運用し、数千万人のオーダーに対して電力を供給するインフラと膨大な処理を実現するのに機動的な組織は適用できません。

 解決をしていくための問題の所在はどこにあるのか、それを処理するためにはどのような優先順位で組織を動かしていかなければならないのか、といったリスクマネジメントがどうという以前の課題であって、たぶん、大組織には然るべきチェック機能がきちんと働き、相応の人物が相応のポジションに就く仕組みができなければ、同じ問題を起こすことになるのでしょう。

・国民背番号のようなもの

 いろいろな議論はありましたが、真面目に社会の経済効率やリスク回避を考えると国民を管理する方法については合理的な方策を採用する方向で考えたほうが良いように思いました。

 議論の呼び水が災害であるというのは情けないところですが、歳入庁の議論と同様に、私たちが私たちの抱えている問題を解決していくためには、新しい国民の管理システムが必要なのかなあと。まさか役場がバックアップごと津波で流されて、どこの誰がいなくなっているんだか判然としないというような問題が起きるとは思いませんでしたが。

・政策として、何を棄てるべきかの議論(何をするかではなく、何をやめるか)

 大前研一せんせが最近張り切って、海沿いの町は復興すべきではない、というようなお話までしておられましたが、その辺はまあ極論かなあとしても、今回の輪番停電などでも分かるとおり、いままでどおりすべての国民の生活レベルを維持することができないということがはっきりしたのも今回の災害です。

 これで復興国債でも出て、その財源はどうするんだよという議論も出てくるわけですけれども、震災がなくともこのままでいけば六年から七年ぐらいで国債の消化は厳しくなるのではないかと霞ヶ関方面では推論されてきました。

 いままでは、全産業を守る方針できたわけですけれども、成長戦略を考えるにあたっては重点的な政策課題をきちんと設けて、海外に依存するなど棄てる部分は棄てていく改革に着手していく時期が来たのだと思います。

・停電と高層ビルどうすんだよ

 地震や津波で一次被害が凄かったわけですけれども、恐らく次の四半期から不動産価格の急激な下落に見舞われたことが明らかになって、最終的な損害額は結構な金額になっていくと思います。全体では20兆どころではないのではないでしょうか。

 一番大変なのは、電力の不備によって、潤沢な電力供給を前提とした高層マンションなどの高付加価値な物件が極端に下落していく可能性で、ぶっちゃけ東京近郊のタワー型マンションとかで自力発電の設備がないと、上層階に住む人は帰宅できなかったり空調が使えずに高温になったりしてしまうでしょう。

 高層ビルに限らず、電力が充分に供給されるということが当たり前として組み立てられている財やサービスが文字通り溢れ返っています。東京電力が頑張って、また私たちが節電に凄く協力したとして、やはりそういうものは問い直す必要があるでしょう、と。

・科学と人情の差

 東京電力や保安院が情報を隠しているとか、官邸の説明は不十分だ、不安だ、という話はたくさん出ました。私も不安ですから、あまり人のことは言えませんけれども、少なくとも理屈においてはかなり正しい説明を行っているにも関わらず、科学者は「絶対」という言葉を使わない以上、人情として「絶対」の安全を宣言して欲しいニーズを叶えられず、じっとりとしたパニックがゆっくりと拡大していく、という事例が今回とても多かったように感じます。

 一連の官邸の危機管理が良くなかったかどうかはまだ判断がつかないわけですが、少なくとも原子力発電所は爆発してしまったわけで、やはり感情においてはこの手のトラブルが与える影響を科学がしっかり受け止めていられないという怖さはあります。結果的に、池上彰氏がテレビで解説したほうが、東京電力の記者会見による報道より不安が治まるというのは結構衝撃的でした。

・不安の大安売り

 一方で、やはりガセネタは多かったように思います。かくいう私も、ヨード剤がなければうがい薬を飲めばいいという文献を信じて拡散しちゃったりして反省したわけですが、善意に裏付けられた不安によるデマの拡大と、恐怖を煽って情報を売ろうとしたりワイドショー的に被災者や事件を扱おうとするマスコミは結果として本当にろくなことをしなかったと現段階でも思います。

 これが報道統制の結果だったら政府批判をしておけばいいんでしょうが、実際には報道の公開性や自由を求めている人たちが不確かな情報や推論を元に積極的にガセネタを流してきたことはまことに忌むべきことであります。自戒の側面もあります。ただし、今回とても良く分かったことは、情報は受け取るばかりではなく、発信もまたしており、そこにどう裏づけと責任を考えていくべきなのかという行動倫理のようなものでありました。私も、今後はなるだけ慎みたいと思います。

・知識人の世代交代

 おまけですが、結構尊敬してきた我が国の知識人の皆さんが、今回の震災でパニックとなり、冷静とはいえない発言や、冷静とはいえない行動や、冷静とはいえない主張をしておられ、極めて残念に感じることがままありました。いや、不安なのは事実であり、私も不安ですから、いまも東京に居て何かあったら家族をどう守ろうかと思案するわけですけれども、恐怖に直面して知識人が率先してパニックになって読者と一緒に動揺しているのは見ていてとても悲しくなるわけです。

 一方で、これから実績を上げていこうと考えている若い研究者や言論人には、落ち着いている人が多かったように記憶しています。冷静に報道に向き合い、情報を整理してコンパクトに提供し、論点を絞って思案しているのを散見しました。

 これらを以って「地が出たな」と難ずるつもりはありません。平時に優秀な人が非常時に使い物にならないというのは、その人の向き不向きにすぎませんから。ただ、自身を客観視してパニックに陥っているなあと思ったら、少し静かにしたほうが周囲から失望されずに済むのかなあと個人的には感じました。

社長「やまもとさんも、花粉症大変でしょう」
あちき「いや、あちきは花粉症がありませんで」
社長「マスクなしじゃ外出できなくてね」
あちき「大変そうですね」
社長「やまもとさんもマスクを常備で?」
あちき「してませんが」
社長「マスクなしで大丈夫?」
あちき「花粉症じゃありませんので」
社長「最近は普通のサングラスも目が痒いので」
あちき「はあはあ」
社長「水中眼鏡みたいなゴーグルをしているの」
あちき「そうですか」
社長「やまもとさんはいつも眼鏡ね」
あちき「花粉症じゃありませんから」
社長「普通の眼鏡で大丈夫なの」
あちき「ええ、まあ」
社長「目が痒くならない?」
あちき「なりませんね」
社長「汚い話で恐縮だけど、ちり紙を手放せなくて」
あちき「はあ」
社長「やまもとさんもポケットティッシュ持ってるんでしょ」
あちき「まあ、一個は」
社長「鼻水とか、大丈夫ですの」
あちき「風邪をひいてませんので」
社長「やまもとさんはマスクなしなんて凄いのね」

 こんな感じで15分ぐらい電話で話しておりました。
 期末で忙しいんですが…。

 何というか、ご愁傷様です。

【雑記】強く不快感を感じた!インデックス(アトラス)会社説明会レポート
http://blog.livedoor.jp/atlusch-p7866/archives/1396228.html?1301332027
http://megalodon.jp/2011-0329-0136-16/blog.livedoor.jp/atlusch-p7866/archives/1396228.html

 要するに、冷やかしなんでしょうかね。どういうつもりでこんな記事を書いたのかは良く分かりません。ただ、コンテンツ会社としてはこういう人にはなるだけ入ってきて欲しくないなあと思う会社さんが多いと思うのですが、読んでいて思うところがあったので雑談風に。
● 作品が好きで入ってくる人

 アトラスは「オタク」と書かれていますが、外注から見た旧アトラスはとても職人肌の人たちの集まりで、国内目線で品質の高いものを作りたいというウィルがはっきり出ているチーム構成になっていることが多いです。

 また、アトラスに限らず「このゲームに嵌った。だから、社会人になってこのゲームの続編を作りたい」という意欲で門を叩いてくる人たちがとても多いわけですね。で、うっかり入社すると「君はiPhoneアプリをやりなさい」とか指示されて、配属されて見ると私のような海千山千の外注を使いながら上司のPと百戦錬磨の現場の板ばさみになってしまうわけですね。

 基本的に、ゲームを遊んできた人がゲームを作りたいといってゲーム会社に入ってくると、実情の大変さや終わりのない修羅場の数々に遭遇してヒットポイントを減らして次々と倒れていく部分があるので、あんまり会社の製品やサービスに思い入れを持ち過ぎないほうが幸せだと思うんですけどね。

 著名クリエイターが興した会社で働きたいといって転職してきた人たちも、多少の業界経験があってなお幻滅したり擦り切れたりするケースがまたとても多いので。まあ、弊社もあまりいろいろ言うと「お前が言うな」と思われるわけですけれども。

● 合併企業のむつかしさ

 上記のブログの人は、インデックスと旧アトラスの社風の違いを感じ取っていたようですが、脱藩組がいろんな会社から人材を寄せ集めるケースはもちろん、大企業同士の合併でラインナップが揃わないうちに不協和音が収拾不能なほど拡がってしまったという事例は事欠かないぐらい大変なことであります。

 今後も業界が一部シュリンクして稼げる部門が変わってくると、どうしても合併だ提携だ合弁会社だという話が山ほど出てくるわけですけれども、このインデックスと旧アトラスのケースというのは思いのほか融合がまずまずうまく逝っているほうで、某京急線沿線の会社さんではこの程度では済まないぐらい社内がごちゃごちゃして、同じプロジェクトチームなのに元どっちが出身かで色分けが為されて提出すべき書類の訴求ポイントが違うというようなことまで起きるわけです。少しは納まるのかと思ってみていたら、そこの経営陣自らが「統合は失敗だった」とか「もう組織的に分離したままにする」とか語っちゃうわけですね。大変なことです。

 でも、合併企業というのはゲームに限らずどこの業界でもしばらくは融和に時間がかかるのであって、しかもほぼ全部のケースで「合併する両社の元首脳同士の主導権争い」と「合併する理由はそもそもの将来不安」とが並存するために、真の意味での幸せな結婚というのはなかなか不可能なんだろうと思うんです。

 どこかうまく逝っている事例があるようでしたら、どなたか教えてください。営業に逝くので。

● 開発子会社のむつかしさとか

 この記事には出ておりませんでしたが、インデックスはゴンゾロッソを買ってみたり、C&Cメディアを手に入れたり売却したりしています。ゲーム業界は開発能力の補充やIPの調達などを理由にして会社を売買することが比較的多い業界でもありますが、個人的に思うに合併よりも子会社買収のほうがさらに難易度が高いような気がするんですよ。

 とりわけ、この半年ぐらいはおかしくて、「えっ、あそこの会社が売りに出ているの?」とか「そんなに調達したら株式の大半がもってかれて乗っ取られちゃうじゃん」というような話がゴロゴロしています。それもこれも、大手のパブリッシャーが合併したり海外進出に失敗するなどして取り扱う年間のタイトル数が激減、その分が独立系のデベロッパーに回る仕事の数そのものが減って、その代わりアプリ仕事など細かい仕事が増えて利益を出すためのノウハウが変わってしまったのが原因でもあるわけで。

 で、実際この記事にもあったとおり、キャサリンは売れたからいいもののコンテンツの中身からすると二年半もかけて開発するようなプロジェクトにするのは大抵は会社としては困る話です。なので、開発環境を統合するとか外部エンジンやフレームワークを作ってマルチプラットフォーム展開するとかそういう原価を下げる苦心をするわけですけど、そういう方面にしっかりと投資できるデベロッパーが減ってきたのが結構な問題であることに変わりはありません。

 著名クリエイターが会社を辞めて独立してみたが、しばらくして仕事が途絶して業界そのものからの引退を余儀なくされることも多いので、やっぱり油断はできんなあ、実績にふんぞり返るとろくなことがないなあ、と外注的には思います。

 メールが一杯来たのでこの辺で。

 地震と津波の影響による東京電力の電力供給不安定の影響で、プロ野球の開幕が4月になってしまったばかりか東京などでの主催試合が軒並み西日本に移ってしまって、最近ではすっかりヤクルターとなった私も松山に無理矢理仕事を作って別荘でも買いかねない状況となってまいりました。

大沼幸二
http://www.baystars.co.jp/data/directory/detail.php?id=176

 西武のユニに見慣れているからか、やはり横浜ベイスターズのは何か違和感が。横浜二軍戦の動画とかを集めようにも先発も中継ぎも例外なく炎上しててどれが大沼なんだか分からないといった風情になってきました。さすがは横浜、人材が豊富です。
● 大沼、開幕一軍の座をゲット

 故障で少し出遅れ、ベイウォッチャーが気を揉んだ大沼の一群定着ですが、まさかの開幕そのものの延期が効いて、無事開幕から一軍の舞台で大沼の勇姿を見物することができそうです。

横浜、開幕延期で故障投手陣の復帰に期待
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/headlines/20110327-00000050-dal-base.html

 オープン戦からすでにマシンガン継投を試すなど、意欲的に本番への準備を進める尾花監督。かっこいいです。

● 横浜、西武の二軍相手にフルメンバーで連敗

 その横浜、開幕が延びてしまったので一足先に始まった二軍戦に実戦機会を求め贅沢に一軍戦力を投入、そして案の定返り討ちに遭い惨敗と惜敗と連敗を喫するという隙のないネタを披露しておりました。

横浜 ほぼベストメンバーで西武2軍に13失点惨敗
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/03/19/kiji/K20110319000459010.html
横浜:イースタン公式戦、1軍が西武に2連敗
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103210004/

 動画はなくスコアだけ見てたんですが、打つほうはだいたい落ちる球を盛大に引っ掛けてゴロ見本市、投げるほうは先発がきっちりと先制点を献上したあとは見事に決め手を欠いて絶妙な力尽き方をするという、まさにお手本のような試合運びを西武二軍相手に完遂しておりました。

 というか、一軍メンバーが引っ込んでからのほうが試合が引き締まるという不思議な展開でありまして、良い意味で一軍と二軍の戦力差がなく、層が厚い選手層だということが言えるでしょうか。

本気です!尾花監督、オープン戦「優勝」宣言
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/02/26/kiji/K20110226000319930.html

 オープン戦、頑張りたかったんでしょうけどねえ。まあ、二軍戦でしたから、オープン戦ではないと言えばそれまでですが。

● 横浜フロントも開幕延期騒動で存在感を示す

 毎年、不思議な補強や監督人選などで物議を醸す横浜のフロントですが、今年は一味違います。ソースが少ないので本当のところは分からないんですが、要するに最初は開幕延期を主張するもセリーグでは巨人を中心として開幕強行開催論が浮上、横浜の意向はきれいに無視されてセリーグは開幕強行に決まったので従ってみたら、すったもんだあって結局開幕は延期になってしまい、なんだったんだ横浜という状況に陥ったようです。

横浜:セ開幕騒動で流れつくれず、やむなくリーグ方針に従う
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103260033/

 本格的に頭痛が痛い雰囲気が醸し出されていますが、魔将もこう仰っておられます。

ガイエル 開幕延期支持「やっている場合じゃない」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/03/16/kiji/K20110316000436230.html

 横浜にも立場があるし、大変なんだろうなあと思うんですけど、やはり巨人の下請け感を感じるんですよね。力関係の圧倒的な違い、といいますか。でも、それでも野球に真面目に取り組んでいる関係者が多いので、本当に頑張って欲しいと思いますし、劣勢でも力を出し切ろうとする選手たちの気持ちが伝わるのがとてもいいんですよね、横浜。

 今日、家内が赤ちゃん向けのペットボトルを貰って来いというので、仕事の帰り際に区役所の赤坂地区総合支所なるところに寄って、母子手帳を出してお水を貰ってきた。500ml入りが12本。私はそんな対策を打たれていたことを知らなかったのだが、何でもこのところ降った雨で貯水場に放射性物質が流れ込み、幼児には影響のある濃度になってしまったことに対する措置らしい。でも、あまり周知されていなかったのか、係員の女性が言うには130人程度しか取りに来ている区民がいないのだそうだ。

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 本来なら私も海外に仕事で出る予定だったのだが、地震もあって国内の仕事が一部滞り、東京に結局ずっといる。ところが、周辺のセレブなご家庭が続々と東京からどこぞへ疎開していく。人によっては「山本さんは幼子が二人もいらっしゃるのに、どうして東京においでになるの」と訊いてくる。や、仕事があるからに決まってるじゃねーか。

 とはいえ、ふと思う。本当に仕事があるから東京にいるんだろうか。不安がないといえば嘘になるけど、ひょっとして、理由をつけて東京にいたいだけなんじゃないか。今回の大災害、それも3万人に迫ろうかというような犠牲者を出す事態を、東京がどう吸収し、どう変化するのかを現場で見届けたいという野次馬根性なんだろうか。

 とにかく、赤坂からは本当に住民が居なくなった。土日はゴーストタウンか被災地かと思うぐらい、人通りが少なくなる通りがあって、豪華な看板のネオンですら侘しく見えてしまう。こちらは、出産明け早々の家内と赤ちゃん二人である以上、焼肉屋や鍋屋やバーやラーメン屋などにファミリーで入るのは気が引けるから、普段足を向けないファミレス程度しか外食ができなくなった。

 思い切って、ベビーカーを2台仕立てて焼肉屋に入ってみた。客なのに、客が悲しくなるぐらいガラガラな店内に、店員の元気な声が響いてとても残念になる。普段はそれなりに繁盛している店だ。

 東京はこのまま駄目になってしまうんだろうか。結構、本気でそういうことを考えるようになった。いや、まあ復興が進めば解決するんだろうと楽観的に思う気持ちもある一方で、地震からそれなりの日数が経っているのに妙な余震は続いているし、原発は相変わらず煙っていて、毎日汚染情報についての情報が入ってくる。頭ではいずれどうにかなるだろうし、なるようになるのだと思って自分を説得しようと思っても、なんか良くなる感じがしない。どちらかといえば普段は前向きな私ですら、鬱々とした気分になるのだから、落ち込んでいる人も多いんじゃないだろうか。

 何が出来るんだろうか。自分に何が出来るかを考えると、せいぜい貯め込んだ金を寄付にぶち込むぐらいしか直接の貢献はできない。みんな「経済止めるな」と騒ぐけど、繁華街に人はいないし、地下鉄はなんか暗いし、何かみずほ銀行は止まってる。みずほは地震と関係ないか。でも、勇ましい掛け声と裏腹に、入ってくる情報も街角の肌感覚も現状はあまりいいもんじゃない。

 結局、思考は堂々巡りになって、いま立ち向かっている危機を解決するには、自分が精一杯生きていくしかないという結論に達する。地震とは関係なしに一生懸命働き、頑張って稼いで、人を雇って、あれこれ開発して、モノを海外から入れて海外に出して、試行錯誤していくしかない。自分ひとりじゃ生きていけないのだから、仕事と家庭のバランスを保って… という話にどうしてもなってしまう。

 なんだ、地震とか全然関係ないじゃないか。どうやって環境に適応していったらいいのか、変化に対応するのかを突き詰めていくと、最終的にはいまある自分の立場や役割をきっちりと認識して、より良い仕事人や家庭人になるしかない。
 地震があろうがなかろうが、生き残った人間ができることは頑張って生きていくこと以外にないのだな。でも、たぶん家内と結婚して家庭を持ち子供が出来て、こんな幸せを味わうことがなかったら、そういう考えを持つこと自体がなかったのかもしれない。さっき、一歳半の長男が、生まれたての次男用のペットボトルを積み木がわりにてこてこ組んだり並べたりしているのを見て、家族というのはこんなにもかけがえのないものなのかと改めて知った。

 そういう多くの貴重なものを失ってしまった人たちに、私らは何を手向ければいいのだろう。
 被災者や犠牲者の方々には、言葉に尽くせないぐらいに、お悔やみを申し上げます。

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