月別アーカイブ / 2010年01月

 イメージ的には2丁拳銃の「丁度ええの時間」の出題みたいな感じで。
○ 「若者は“テレビ離れ”していない」

若者は“テレビ離れ”していない--M1・F1総研の調査で明らかに
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20407542,00.htm

 ほとんどガセネタの域なので、あんまり考える必要もないんですが、一番問題なのは短期的にはテレビの前に座っている人の割合がぐんぐん低下していることと、長期的にはテレビの前に座っている人の可処分所得がぐんぐん低下していることにあります。

 ただ、総量で見た場合、いくらネットやケータイが盛り上がっているとはいえ、いまだに娯楽の中心がテレビであることに変わりはなく、テレビに娯楽を求めている層はそうそう減っていないが、好みが分散したり視聴時間帯の占有がゴールデンやプライムの割合低下で広告効果が下がったりということで。

 今後、テレビ業界全体が制作費の削減の影響をどう出してくるかというのはあるかもしれませんけれども。

○ twitterバブルについて

『Twitter』昨年9月をピークにユーザー数減少!
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0128&f=it_0128_014.shtml

 これも微妙なところなんですが、この手の調査だと格段に存在感を示す中国市場において、中国政府がtwitterを含むこの手のサービスを全面的に禁じた影響で、全世界でのユーザー数を劇的に減らしやがったという背景はややあり。

 それを踏まえても減少幅が大きいのが世界的なトレンドではありまして、facebookほかその他有力サービスと見比べても、またiPhoneアプリや専用ツールの利用率の下駄を履かせても、英語圏ではtwitterは終わりつつあるというのはまあ見解一致するところなんじゃないでしょうか。

 ただ、日本市場単独で見ると、熱量はまだまだ高く、もうしばらくブームは続くんだろうと思いますし、twitterをプラットフォームにした何らかのサービスは今後も様々出ると思います。
 個人的には、電波少年あたりが触りだすとブームが終わる、というジレンマを提唱したいです。

電波少年がTwitterで復活!「人はツブヤキだけで生きていけるか?」本日スタート!
http://rocketnews24.com/?p=23300

 景気が悪いのもあって、世間では能力本位でしっかり仕事をしてくれる人を選別するようになったのか、皆さん不思議な相談をお持ちかけになられるケースが増えました。ああ、もちろん私が一流だなどと傲慢な考えを持っているわけじゃないですよ。どちらかというと敗戦処理がエキスパートだというだけで、変な仕事が押し付けられてくるというだけの話です。
 で、あっと驚くような大手企業さんの、あーあと思うような下水処理案件が頻繁に流れてくるわけです。まるでクソ溜めのような世界ではあるんですが、もうそういう汚い案件を見てもどうも思わなくなってきました。金額がでかかったり、関わっている人数が多かったり、関係先が大手企業だったりするだけで、汚いものは汚いわけですね。

 そういう「みんなが逃げ散ろうと思っているところでの経済ババ抜き」で大事になる前段での見極めというのがありまして。

○ 失敗大型案件は、たいてい発起時点で偉い人が関与している。

 大型案件を立ち上げられるような人は、たいてい偉い人が作ったプロジェクトですから、案件をうっかり触ってしまった場合はその偉い人がまだその界隈に存在するかどうかを確かめます。酷い場合は、周辺の大手企業を焚きつけるだけ焚きつけて、集まったお金を自分の息のかかった会社を下請けに入れるなどして存分にカネを引き出したあと、頃合を見計らって別の椅子を確保して逃走していたりします。別に違法でもないし、問題があるのならその当時の関係者が声を上げなければならないのですが、何しろ相手は大物ですから、真正面から反対したら自分の身が危ない。結果として、吸い尽くされたあとはでっかいクソのような案件となって、世間のど真ん中で異臭を放っていることになります。

 あくまで一般論であり、例えばなんですが、竹中平蔵さんという素晴らしい政治家がおられまして、学術経験も豊富なので、良いポジションを用意して、お金も引っ張れる算段もあるからというので、彼の協力も得て大きいお社を建てKMDとか作ったのはいいんです。だけど、この不況の状態で、竹中さんの金看板でアホほどお金を出してくれるというような、見返りゼロの学術資金を凄い勢いで貢いでくれる篤志家など存在しません。何か別の事情でお金を出そうとされた方はいっぱいおったようですけれども、社会人大学院とはいえ、大学ですから教授のポストとか乱発して、論文を書かない岸博幸さんみたいな人を官邸から連れてきて据えちゃったので、当然揉めます。もちろん、合法ですし、彼らが直裁的に悪いというわけではありません。で、知らない間に竹中さんはパソナの役員とかに就任され、これほんとどうするんだよという話であります。

 敗戦処理の要諦というのは、敗戦を収拾するためのシナリオ作りと、後ろ向きな協力者のマイナスサムゲームをどうコントロールしながら最終的なシナリオに着地させるのか、というプロセスワークにあります。ステークホルダーに損切りを促し、放棄してもらうという考え方は、当面の資金繰りさえどうにかなれば法的整理でも良い場合のみで、実際問題として地雷のような案件というのは「潰すに潰せないけど、存在していると迷惑だし皆が損する」けど「カネで決着できない」問題で炸裂するわけです。

○ 逆に、大物がのめりこんじゃってて、周囲の言うことをまったく聞かなくなっている。

 いわゆる「誰が鈴をつけるんだ」系の敗戦処理は、必ず返り血を浴びる要員が必要とされる点で、より性質が悪いと言えます。だいたいのめりこんでる大物は、老人か、傲慢な性格特性をお持ちの方であることが多く、誰がどう見ても厳しい状況なのに、成功を信じ込んだうえに何も知らない他人を巻き込むので、放っておくとどんどん損害が大きくなります。偉人というのは、「失敗しない。何故なら成功するまで頑張るからだ」という価値観の人が多いんですが、成功するまでに道端に転がる累々とした屍の類は目に入らないのです。

 当然、関わるからには死体になりたくないので、どうにかしてプロジェクトを止めてもらうか、最低でも方向転換するか進むスピードを落としてもらうことで調整することになります。その場合、必ず必要なのは憎まれ役です。あいつが案件を潰した、と金看板を背負った人に罵倒される役割は、モノの分かっている人からすると神です。世間的にはババをひいた人ですけど。

 あくまで一般論であり、例えばなんですけれども、JAL再生タスクフォースというのがありまして、そこに冨山和彦さんという方がいらっしゃいました。彼を中心にして再生の専門家集団、という触れ込みで入ってきたものの、彼らの得意な方法は解体であって、失われた利益や低下した売上や喪失したモラルや消散した技術や墜落したブランドを立て直すノウハウではありません。JALという問題を解決するには、彼らの能力はミスマッチであることぐらいは皆分かっていました。とはいえ、プレゼンも上手いし能力も高く、大変魅力的な人々なのは間違いないのですが、本来は何の権限もないはずのタスクフォースの禅問答のような答申の影響で、結果として政策投資銀行から何千億か無闇な救済金が拠出される騒ぎとなり、これを指示した前なんとか大臣の金看板の問題も出て、結果的に地雷を皆で踏んで大爆発をしてしまうことになります。ただ、悪役としては最適の活動をされたのは事実で、本来ならJALの歴代経営陣が経営責任を取るべき事案であるにもかかわらず、冨山さんがアホ呼ばわりされる状況になったというのは特筆すべき点かなと感じるところであります。

○ 組織の目的を達成したのに、そこに偉い人が座っているから組織が存続してしまった。

 立派なお題目を掲げて予算が投じられ、それなりに成果を出して組織設立時点での趣旨や使命を果たした組織は結構あります。本来であれば、もうこれであんたがたの役割は終わりでありお払い箱であり用済みでありお疲れ様でしたというお話になるはずが、すでにその組織は人も雇ってるし偉い人に理事とかお願いしてるし関連団体に予算もつけててそこには外注先もぶら下がってるし潰すわけにはいかないよねそうだよねということで、やることないのに存続しちゃうことになります。

 で、本来やるべきことではない内容にまでダボハゼ的に機能拡張して存続していると、想定していなかった仕事が出たり、もともと向いてない人たちを組織してきたことなどが理由で、失敗案件が続くことになって能力が低下してきます。さすがに、周辺に居る人たちはまともなので、もう必要ないんじゃないかということぐらいは分かってるんですが、それを言うとそこに居る人は失職であり明日からハローワークであり夕飯はおかず一品であり妻は泣いて離婚であり日々酒浸りの生活を送るかもしれないので、積極的に「あれはお取り潰ししておこう」という話にはなかなかならんのが実情です。

 それもあって、民主党が「政治主導」「脱官僚主義」を言い出したとき、予算関連を考えるにもう不要な外郭団体や組織は自動的に取りやめになるんじゃないかとドキドキしており、業務仕分けをするっていうんで「こりゃいよいよ存続が危うくなってきたぞ」と覚悟をしていたんですが、何だか知らないが全面的に温存され、出向していた役人もいまだにそこにおり、理事にも普通に給料が払われている状態で、なーんだということであります。しかし、機能不全なのは変わりがないので、そこに組織が存在しているだけで常に敗戦処理を続けなければならないという苦行のような絵図が存在していることになります。

 ちなみに、あまりにも使えないので早く死んでくれないかなと日々願っていたところ、昨年暮れにご病気になられてお悔やみ申し上げます(AA略)と思っていたのが、関係省庁からもっと使えない人がやってこられまして、しかも大物OBなので文句も言えず、おいこれいったいどうするんだという問題が発生している事案がエネルギー方面にあるようですけど私は関係ありません。

○ より新しい、次世代の敗戦処理を目指して。

 基本的に、関わっている人たちがニコニコしている案件というのは、パイが大きくなって、利益が膨らんで、文句を言わなくても常識的な努力さえしっかり払っていれば不安がない状態に限られます。逆に言うならば、いま儲かっていても来年は分からんとか、いまもう金がなくなりつつあるとか、人事抗争に明け暮れてて本業に集中できる状態にないとかって事案は、再起可能かどうかの判断を下すリーダーシップのある人がいるかによって結論が異なることになります。このリーダーシップを取る人が、必ずしも偉い人とは限らないのが要注意です。偉い人は、やりたいことに集中したがるので、うまくいかない案件は取り巻きに任せて自分は常にフェードアウトしようとします。偉い人がリーダーシップを発揮するタイプの物件での敗戦処理は、偉い人がその物件にのめり込んでいるときです。

 偉い人がリーダーでない場合、たいてい、リーダーシップを発揮するための前提条件があります。創業者や大株主の一族や部門長であったり、その組織で主たる部門を育て上げた人だったり、財務部門のトップだったり、あるいは労組、役人あがり、銀行から来た、MBAとりました、社歴が長いなど、必ずその人のバックグラウンドがリーダーシップの根源となります。ところが、それは同時にその人の欠点であり、失敗のポイントを兼ねております。創業者が昔からの成功体験を引きずったまま組織を自滅に追い込むとか、自分の部門の利益ばかりを追求し調和の取れた予算が組めないとか、MBA取ったけど本人はただの馬鹿だったとか、そういう個別の事例ごとに行うべき解決策は異なります。そういう解決策が然るべきタイミングで発動できなかったとき、事案は再建・再生案件から敗戦処理へと自動的にシフトすることになるのです。そして、何故か敗戦処理に限っていうと、社内で話されている事情よりも、他所から出る話のほうがよほど正確で速い、ということも容易に起きるわけです。

 あくまで一般論であって、例えばの話ではありますが、講談社という立派な情報産業の会社があって、野間氏ご一族という高潔で素晴らしい人々が経営に関与されておりながら、まことに残念なことに新しい技術への対応が可能なビジネスモデルの構築にやや失敗し、なかなか調整に手間取っている会社さんがございます。この難局に、どういうリーダーシップを取られるのか周囲も注目して見ていたところ、何故か不動産業者から面白財団の物件が出ているという話がまことしやかに伝わり、ああ、そういう方法で再建をお考えなのであるなあと本体が何か言う前から関係各所で衆知の事柄であるというような類例は山とあります。それを見て、これは再生可能な案件なのか、敗戦処理に突入するのかという皮算用が始まるわけでありますが、個人的には大きいお取引もないのでどうでもいいです。

○ 敗戦処理のシナリオ作りとは。

 運悪く、悲しむべきことに敗戦処理をしなければならない、そういう状況になった場合にまず先に考えるべきことは、「この損害は誰が背負うべきか」という事柄です。ババは誰に押し付けられるために存在するのであり、ババを押し付けずに解決できる敗戦処理はありません。押し付ける側も押し付けられる側も、それ相応に合理的な理由をもってババを相手に渡そうとし、責任を取ることを求め、対応策を要求します。

 また、敗戦処理においては、すべてが腐ったみかんというわけではありません。腐ってないみかんは、どういう状況であれ、依然として価値があります。企業の敗戦処理だとグッドカンパニーとバッドカンパニーに分けて処理する方法で100%ではなくとも部分的に回収してよしとする類の方法論はありますが、リーダーシップを取りたいor取っている人の守りたいものがバッドカンパニーの事業だったりすると悲惨です。合理的でないので、被害が大きくなる可能性が高まるため、リーダーシップを取ろうとする人の、リーダーシップの源泉を奪う必要が出てきます。

 債権者集会のように、もう決まった手順で処理されるものであれば問題はないのですが、そうでない敗戦処理というのは解決に困難を極めます。パイが小さくなり、投じた資本が減少するかゼロになるか、場合によっては保証を入れちゃっててマイナスになる人も出かねないので、いかに関係者を束ね、根回しをして協定を結ぶか、そのためのシナリオとして、まったく敗戦処理の恩恵を蒙れないババ引き要員を早期かつ合理的に作り上げてしまわねばなりません。

 一番合理的な方法は、問題の根源を作った偉い人に、責任を取ってもらう方法です。そういう人に限って、社会正義や人間の精神について書き連ねたご著書があったりして、人に道を説いておられます。あるいは、自社の経営は満足にできてないけど業界団体活動や財界活動は非常に熱心に取り組んでおられたりします。そういう偉い人と信頼関係が築けるのが望ましいのでしょうが、だいたいにおいて我が国で権力を握っておられる人は他人を信用しません。高校が一緒だったとか、極少数の取り巻きに余事を任せて、こういう取り巻きに社会から隔離されながら、取り巻きと一緒に歳を取っている場合が多いわけですね。

 そういう人は、菓子折り持ってご挨拶にいってお願いを聞き届けていただくより、表でわーわー騒ぐのが手っ取り早い方法のようでありまして、ああなるほど本物の下水処理案件というのはこういうことなんだと、最近は新たな知見に多く遭遇し、一個人として大変感動しております。

○ まとめ、とか。

 ・ 全員が助かると考えるのはやめよう
 ・ リーダーシップを取っている人の背後関係を確認しよう
 ・ シナリオ(落としどころ)を作って根回しをしよう
 ・ 損を押し付ける先はしっかり決めておこう
 ・ 偉い人は必ずどこか癖があるので、見極めよう

 ちょっとちょっとちょっと。

ウィルコム、更生法活用で再建へ 機構・ソフトバンクと調整
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100127ATDD260FE26012010.html

 09年3月期の経常利益はたったの66億円で、かなり厳しいです。1,300億円弱ある負債を、まあ半減させましょうとしたとして650億のラインでゴミ箱ソフトバンクに接ぎ木してキメラみたいな感じになるんでしょうけれども。アドバンテッジもいたはずが、記事では姿が消えておりますね。

 ニフティというと、この前夕方ごろ大森へ所用で逝ったら駅前の通りを赤ら顔の和田さんがジーパンスタイルで歩いていたので、「こんなまだ薄明るい時間から、もう一杯ひっかけていたのか。早い。早すぎるな」と驚きをもってスルーしたんですが、国内勢でも本格的なクラウドサービスの投入は一番乗り気味であります。早いですね、ニフティ。

 略すときはニフクラとか言われちゃうんでしょうか。

「ニフティのクラウド」
http://cloud.nifty.com/
「ニフティクラウド」が始動 仮想サーバを1時間12.6円から貸し出し
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1001/26/news105.html
 ニフティというと、ブログサービスでもどこよりも早く開始して古河さんが実質的な「社長ブログ(死語)」の草分けとなったわけですが、脚質が「逃げ」だからか後ろからエロブログを大量構築した堀江時代のライブドアとかに追い抜かれて、いまでは古河ブログ自体が墓場になっております。古河ブログは最終更新3年前やがな。

古河建純ブログ
http://furukawa.cocolog-nifty.com/

 ただ、金額ベースでは下落なので、この手の囲い込みはそろそろゲーム終盤に差し掛かるような感じでしょうかね。

サーバ仮想化比率は高まるが、出荷金額ベースではマイナス成長――国内仮想化サーバ市場
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0912/07/news052.html

(粗品 23:03)

 粗品を頂戴しました。

http://twitpic.com/zuf7a

 ためにする議論をしたいわけではないのだけれど、いや、むしろうまくまとまってて良い記事だなあと思ったので。

なぜ、「働く」とこと「内面」がここまで結び付けられるのか?
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20100124/1264349181
 一応、私の立場など。就職活動は、4年で留年したので氷河期中に二度やりました。卒業は95年と96年。失われた10年真っ只中で、当時は就職氷河期と言われていました。ただ、私が氷河期だとされた時代の就職活動より、いまの新卒さんのほうがよほど厳しい就職戦線を迎えているように思います。95年はかなり大手から内定を貰いましたが、96年は留年するつもりのなかった二度目の4年生で就職活動に出遅れたものの、それでも複数内定を得るなど、比較的恵まれていました。もっとも、せっかく入った会社は半年で辞めてしまいましたけれども。

 その後は、様々あって最終的に自力で会社を興して現在は経営者として幾つか会社を経営しています。全体で見て、新卒は年間8名から10名ぐらい理数系を中心に採用しています。文系は、英語と数学ができる人のみの採用に絞っている形です。

[引用]それよりも、私が憤りを感じるのは、企業が労働者を採用するときの「自己PR」をどんどん先鋭化させていくところだ。

 いや、PRして貰わないと、その人がまずどういう人なのか分かりませんから、ある程度はやっぱり自分からアピールして欲しいと思います。もちろん、担当教授からも人となりを聴いたり、何度もあって人間性は確認しますけれども、やはり雇うからには教育コストもかけて、長ければ何十年と仕事をご一緒するわけですから、年齢の上下や地位にかかわらず、お互いのことを知っていたいという気持ちは人間としてあります。

[引用]企業に入って、企業の価値観を内面化してくのではなく、企業に入る前から、企業の好む価値観や役割期待に適応するように、「自己改革」を迫られる。

 これは、多少あるかもしれない。組織で働く形に最初はどうしてもなりますので、ある程度、学生が思う企業の価値観で構わないから「社会に出る最低限の心構え」程度は持っていて欲しい、ないのであれば自己改革をする意志は示して欲しいと思います。

 ただ、別に上司の言うことだけ訊けとか、使いやすい奴だけ欲しいとかではなく、自分のプロフェッショナルの方向が決まったら言われなくても研鑽するとか、分からない分野は人に任せて協調して作業分担しつつ大きい仕事をこなすとか、もっと最低限のところでいうと(なるだけ)締め切りを守るとかそういうレベルで。取引先にタメ口はやめてねとかさ。そういうのも自己改革のうちでありまして。

[引用]就活の中で、企業の価値と自分の価値とを相対化しなければならず、「価値のある自分」があるはずだと、内面を掘り進むという作業が就活に組み込まれている。
私はこの仕組みに大変怒りをかんじている。


 うーん、こんな仕組みはあるのかねえ。学んできたこととか、学生時代に熱中したこととか、価値の源泉になる部分は何かしら持っていて欲しいし、持っていたらそれはしっかりアピールして欲しいと思うもんなんじゃないでしょうか。あんまり悪意があってのことではないんだけどな。ただ、新卒採用をするとどっと集まるので、来ていただいた人数のかなりの人は、何らか理由をつけてお断りしなければならない、そういう口実のひとつとして、その人が提示できる価値についてだったりすることはあるかもしれないとは思います。

[引用]そして、本来、企業に入ってからでしか、生成されないはずであるの「対企業用自己」なるものをある程度装備させるために、自分史すら偽装させる行為である。

 これは、大学生などの就職活動に限らず、内申書や受験、あるいはその後訪れる転職など、「対誰か用自己」というのはあり、本当の自分はこうだけれども、立場上別のことにしておこうかというのは生きていて必ずあります。また、他人から評価されずに暮らしていくことなどできないので、評価をどこまで自分の内面に受け入れていくかは個人差がかなりあるだろうと思うのです。

 叩かれ弱い人強い人、アピール上手下手は様々ありますが、叩かれ弱そうなアピール下手の人が、かなり考えて書いてきたと思う「偽装自己」は、やはり多くの人を見てきたなかでは見抜きやすい性質のひとつではあります。でも、だからといってそういう人を門前払いするかというとそういう話でもない。

 企業からすると、組織を率いているわけですから、この人とずっと働きたいか、働く中でスキルを磨いてくれるのか、意義を持って働いてくれるか、お客様のために汗をかいてくれるのか、ありがとうとかすみませんとか人として大事な部分を持ち合わせているかといった側面から見ます。全員が全員見抜けるわけではないけれども、受け手が頑張って偽装していて、取る側がこれを見抜こうとしている一種のゲームのようなもんだと思うわけですけれども。

[引用]「将来、画家になりたい自分」とか「漫画家を目指す自分」とか「建築家を目指す自分」とか「インテリアコーディネーターを目指す自分」という確固とした文脈を持った中でしか生きていけないのではないかと。

 考えすぎだと思うんですよね… 美大卒だとか、医学部卒といった専門性を身に着けた人々はそれ相応の道というのはあるのだろうとは思いますけれども、大卒だったらやりたいことをやって二十代後半になってしまったとしても、それが糧となってスキルになったり人脈を得たりで、まったく別の道に進むことだって不可能じゃありません。前に雇っていた優秀な営業の人は、大学を8年とかかけて出て、社会に出たら二十代後半で、全然関係ない分野で結果を出してから高齢でIT分野にやってきましたが、あっという間にキャッチアップして、いまではベンチャー大手で立派に働いてます。

[引用]評価基準もあいまいなまま、なぜ、合格したのか? なぜ、不合格なのか? すら不明なまま、「合格する」ことに向かって、内面を企業のために統制していく。

 これは、職を得ることがゴールの場合の考え方で… 実際のビジネスというのはそういうもんじゃなくて、もとから合格とか不合格とかそういうレベルの話じゃなく、コストがあってお客様候補がいて、何らかの理由で売れない、コストをかけてしまって残金がこうなった、ではどうするかという事例の繰り返しです。なぜ合格か不合格かの原因を内面にだけ求めていては、いつまでもビジネスにならんのもまた事実です。

 内勤で経理だ企画だというセクションであったとしても、どちらにせよ試みと成果の繰り返しが発生しますしね。

 まあ、あとは社畜というか、言うことをきちんと聴いて組織の一員となりきることを求める企業もあれば、その人なりのパフォーマンスを集積してひとつの物事を作り込んでいく企業もあります。ただ、どちらも頑張ったから偉いと評価してくれる他人はあまり存在せず、何らかの実績や結果を残すことができて初めて生き残れる、評価されるといった側面はあるように思いますね。

 エントリーシートの件はいろんなところから話が出るけれども… 採用枠に比べて応募者が多いから、振り落とす口実に使うためにエントリーシート至上主義的な見え方をされるのだろうかねえ。かなりの部分、単に選考上の問題です。

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