月別アーカイブ / 2007年06月
王監督の外見がどんどん宮沢喜一化している件について
さっきネット中継で王監督がチラ映りしてて、どうみても宮沢喜一だったので。どうでもいいですかそうですか。ノーアウト二三塁で無得点というナイスなホークスですが、松中はいい加減、髪を振り乱して結果を出して欲しいところですね。
ところで、いつになく何か不思議なアクセスが大量に来た前回の故・宮沢喜一氏に関するエントリーだったんですが、財務省から何故かたくさん訪問者が。財務省の人見てる? イエーイ。
いろんな反響を見てたんですが、賛否両論というよりは、ある程度その方面のリアルタイムな業績を知悉している人ほど宮沢氏の生前を惜しみ、私のようなそれ爾後の世代からはブーイングされているのが特徴的でありました。
リンクを貼ると、こっちから腐海の蟲たちが流れ込んでしまうのでやめておくけど、私自身は御厨せんせの『ニヒリズムの宰相小泉純一郎論』や『「保守」の終わり』などの論考を理解はするけど(現実に直面して処理する人間として)価値観を共有するかどうか微妙。「戦後日本の参謀、知性派、知米派、海洋国家(シーパワー)日本の現実を認識し、その上で、軸がぶれることなく、政界、世論のバランスを図るリベラリスト」だとするなら、文中指摘する「総理としては、バブルの崩壊、再建、スキャンダル、解散、敗北とその手腕を発揮することなく、環境構造の不運に見舞われた」というのは個人的に「そういうときのための知日派でありシーパワー論標榜者だったのではないか」と思う。
言うなら、そのような知見を持っていたのは当然として、日本がそのような人材を政府に確保している僥倖があったのも事実として、さらに様々な経緯を経て、そのようなスキルを持っている人が、まさに必要とされる時期に宰相となった。高度成長を終えて、成熟した資本主義国のひとつとして国際社会に対してどのような立ち居振る舞いをするべきなのか、日本がギアチェンジをするべきとき、まさにそれに相応しい(と思われた)人物が宮沢氏だったのだろうと思う。
といって、いわゆる「保守本流」の議論を否定するものじゃない。宮沢氏が日米関係の古き良き日々最後の玉座に座った人物であって、バブル崩壊の後事を託されるのは歴史を見る限りまあ致し方なかったのだなあという理解、というか諦めはある。ただ、社会に出て紆余曲折の末外資系証券会社なんぞに出入りして話を聞く側だった際に「いま我々が好決算を上げ、この暑苦しい国で無理しても稼ぎたいと言う欲望のままに働けるのは宮沢のお陰だ」と外人が口々に言っていたことは忘れない。それが経済なんだと割り切っても、その経済に詳しいはずの閣僚が、経済問題がまさに火を吹くか吹かんかというところで、これといった指導力も発揮せず、バルクで右から左に物件を流すだけの海外ファンドに空前の利益を与え続けるような施策しか取らなかった現状を身をもって知った以上、彼がいかに政治思想や政治過程で重要な役割を示していたのだとしても認めるわけにはいかない。
ミクロの体験談をマクロの政策評価で語るなと言われれば「そうですね」という話であるし、じゃああのとき財政出動をしていればただ単にゾンビが増えただけじゃないかという議論もあるのは承知している。だけど、彼は経済政策において事細かにアメリカと協議を続けてきたのは誰しもが知っていて、彼が話したことが、結果として「自由経済社会の弱い環」として、ジャパンプレミアムだのジャパンパッシングだのシステミックリスクだのと言われる元凶となったのは、私の人生にとっても忘れがたい時節であった。結局、あのころの外資系証券会社には悪党がいっぱいいた。その悪党が合法にいろんな無茶をやるお墨付きを与え、金太郎飴だ何だと不思議金融商品をせっせと作り、バルクで価値の残っている不良債権を買い上げてバラして転売するなど、なぜそのようなことがまかり通るのかをつぶさに調べていくと、出てくるべくして出てきた人が、結果として「カネと貿易」のカネをスクイーズしてまとめて放り投げる変な政策のきっかけを作ったと見ることもできるわけだ。アホみたいに踊ったバブル経済が崩壊するのは当然だったとしても、それが弾けたことは誰よりも良く認識していたのだから、そこでカネのないプレイヤーが原理原則の「カネと貿易」を体現してしまったら、いまカネのあるプレイヤーがカネのないプレイヤーから巻き上げられるだけ巻き上げておこうと考えるに決まっている。
ましてや、当時はヘッジファンドの出かかりの時代で、珍奇な金融商品がわんさと出てきた時期だった。ここは宮沢氏一人の責に帰するのも困難だけど、これらのバックボーンとして機能してきたのは円キャリートレードだったわけだし、しかも困ったことにその後も宮沢氏は元首相にして平成の是清として財務担当相として再登板するに至った。”高度政治情報”の最大の出元として機能してきた人間を、なぜ困難な局面で持ってくるのか、また逆にそれを周囲にとどめられるだけの人材がちょうど自民党に枯渇していて、そこへ初回から大魔神佐々木が登板すると称して積極財政へさらにシフトしてデフレをどうにかするより世界の流動性を増やすエンジンとしての役割を果たす方向へ逝ってしまった。
本当に宮沢氏が理財の人であったのなら、妙な担ぎ上げられ方をしてタイミングを外した当時最大の国債を発行するようなことはしなかっただろうし、時代の伴奏者というより時代の節目に自民党の人材プールが枯渇していたことを示す象徴として語られるべきだろうと私は思う。
その一方で、一政治家の人生としてどうだったのかというと、明らかに平時の人材であって、いろいろ韜晦は交えつつも大過なく任期を終えるタイプの人だったのに、随分と遠くまで流されて首相まで流れ着いたもんだと感じる。彼は幸福だったと思う。
ところで、いつになく何か不思議なアクセスが大量に来た前回の故・宮沢喜一氏に関するエントリーだったんですが、財務省から何故かたくさん訪問者が。財務省の人見てる? イエーイ。
いろんな反響を見てたんですが、賛否両論というよりは、ある程度その方面のリアルタイムな業績を知悉している人ほど宮沢氏の生前を惜しみ、私のようなそれ爾後の世代からはブーイングされているのが特徴的でありました。
リンクを貼ると、こっちから腐海の蟲たちが流れ込んでしまうのでやめておくけど、私自身は御厨せんせの『ニヒリズムの宰相小泉純一郎論』や『「保守」の終わり』などの論考を理解はするけど(現実に直面して処理する人間として)価値観を共有するかどうか微妙。「戦後日本の参謀、知性派、知米派、海洋国家(シーパワー)日本の現実を認識し、その上で、軸がぶれることなく、政界、世論のバランスを図るリベラリスト」だとするなら、文中指摘する「総理としては、バブルの崩壊、再建、スキャンダル、解散、敗北とその手腕を発揮することなく、環境構造の不運に見舞われた」というのは個人的に「そういうときのための知日派でありシーパワー論標榜者だったのではないか」と思う。
言うなら、そのような知見を持っていたのは当然として、日本がそのような人材を政府に確保している僥倖があったのも事実として、さらに様々な経緯を経て、そのようなスキルを持っている人が、まさに必要とされる時期に宰相となった。高度成長を終えて、成熟した資本主義国のひとつとして国際社会に対してどのような立ち居振る舞いをするべきなのか、日本がギアチェンジをするべきとき、まさにそれに相応しい(と思われた)人物が宮沢氏だったのだろうと思う。
といって、いわゆる「保守本流」の議論を否定するものじゃない。宮沢氏が日米関係の古き良き日々最後の玉座に座った人物であって、バブル崩壊の後事を託されるのは歴史を見る限りまあ致し方なかったのだなあという理解、というか諦めはある。ただ、社会に出て紆余曲折の末外資系証券会社なんぞに出入りして話を聞く側だった際に「いま我々が好決算を上げ、この暑苦しい国で無理しても稼ぎたいと言う欲望のままに働けるのは宮沢のお陰だ」と外人が口々に言っていたことは忘れない。それが経済なんだと割り切っても、その経済に詳しいはずの閣僚が、経済問題がまさに火を吹くか吹かんかというところで、これといった指導力も発揮せず、バルクで右から左に物件を流すだけの海外ファンドに空前の利益を与え続けるような施策しか取らなかった現状を身をもって知った以上、彼がいかに政治思想や政治過程で重要な役割を示していたのだとしても認めるわけにはいかない。
ミクロの体験談をマクロの政策評価で語るなと言われれば「そうですね」という話であるし、じゃああのとき財政出動をしていればただ単にゾンビが増えただけじゃないかという議論もあるのは承知している。だけど、彼は経済政策において事細かにアメリカと協議を続けてきたのは誰しもが知っていて、彼が話したことが、結果として「自由経済社会の弱い環」として、ジャパンプレミアムだのジャパンパッシングだのシステミックリスクだのと言われる元凶となったのは、私の人生にとっても忘れがたい時節であった。結局、あのころの外資系証券会社には悪党がいっぱいいた。その悪党が合法にいろんな無茶をやるお墨付きを与え、金太郎飴だ何だと不思議金融商品をせっせと作り、バルクで価値の残っている不良債権を買い上げてバラして転売するなど、なぜそのようなことがまかり通るのかをつぶさに調べていくと、出てくるべくして出てきた人が、結果として「カネと貿易」のカネをスクイーズしてまとめて放り投げる変な政策のきっかけを作ったと見ることもできるわけだ。アホみたいに踊ったバブル経済が崩壊するのは当然だったとしても、それが弾けたことは誰よりも良く認識していたのだから、そこでカネのないプレイヤーが原理原則の「カネと貿易」を体現してしまったら、いまカネのあるプレイヤーがカネのないプレイヤーから巻き上げられるだけ巻き上げておこうと考えるに決まっている。
ましてや、当時はヘッジファンドの出かかりの時代で、珍奇な金融商品がわんさと出てきた時期だった。ここは宮沢氏一人の責に帰するのも困難だけど、これらのバックボーンとして機能してきたのは円キャリートレードだったわけだし、しかも困ったことにその後も宮沢氏は元首相にして平成の是清として財務担当相として再登板するに至った。”高度政治情報”の最大の出元として機能してきた人間を、なぜ困難な局面で持ってくるのか、また逆にそれを周囲にとどめられるだけの人材がちょうど自民党に枯渇していて、そこへ初回から大魔神佐々木が登板すると称して積極財政へさらにシフトしてデフレをどうにかするより世界の流動性を増やすエンジンとしての役割を果たす方向へ逝ってしまった。
本当に宮沢氏が理財の人であったのなら、妙な担ぎ上げられ方をしてタイミングを外した当時最大の国債を発行するようなことはしなかっただろうし、時代の伴奏者というより時代の節目に自民党の人材プールが枯渇していたことを示す象徴として語られるべきだろうと私は思う。
その一方で、一政治家の人生としてどうだったのかというと、明らかに平時の人材であって、いろいろ韜晦は交えつつも大過なく任期を終えるタイプの人だったのに、随分と遠くまで流されて首相まで流れ着いたもんだと感じる。彼は幸福だったと思う。
「タレントの羽賀研二容疑者ら逮捕・恐喝容疑」って、おいおい
公安調査庁解体論議は、ズボンを下ろさずにうんこしようと試みる行為だ
野田さんが頑張っている。
http://espio.air-nifty.com/
基本的にその通りの正論なので反対ではないのだが、一応は異論を述べておく。はいそこ、詭弁とか言わないように。
率直に、言いたいことは二つ。
1.ノウハウそのままに新組織設立、職員移籍というような社会保険庁スキームと一緒だったら同じこと起きるよ
「器変わっても酒同じ」という状況になったら寂しい。同様に、協力者名簿などもう終わった話の内容も蒸し返されたりするといろんな活動にネックになる。機能として不要という論理で解体したはずなのに、日本は情報機関が必要だねって言う人たちが日本版NSCあたりに公安調査庁職員と機能をそっくり移管したら内閣府の下に不思議組織が完成してしまうんじゃないかと思うんですけどね。それは困る。
ついでに、公安調査庁が”個人的プレイ”として容認してきた各種活動が明るみに出たとき、いわゆる社会的二次被害をどう防ぐのかあらかじめ考えておかないとヤバい。反共やオウム対策などほぼ終わった案件をずっと追いかけているような人たちでもノウハウはある(野田さんはそんなもんいらねと言うかも知れないが)。
横の繋がりがなさすぎて、あっと驚く話がアホほど出る展開は、物見遊山としちゃ面白いけど、テレビに出てたあの人のあの発言が馬鹿職員のペーパーが元だったとかっていう陰謀論ど真ん中の展開になるといろんな人困りすぎ。
公安調査庁解体ってことで頑張れば頑張るほど古き良き公調的何かが焼け太ることになるんじゃね? という心配はあると思うんですよ。
2.この方向で逝くと日本の情報機関が混乱を招いた責任のすべてってことになって、いつの間にか朝鮮総連が被害者になっている件について
より根幹の問題で逝くなら麻薬対策であれ破防法であれ向いてる先はとりあえず半島から来た馬鹿どもを一個のゴミ箱で管理しておいたほうがコストが安いし効率的だよねということで一切合財そのスキームで四十年間やってきた。
が、資金洗浄を出口にした上場企業詐欺だの暴力団フロント企業だのシステム金融だの、あるいはパチンコパチスロや消費者金融、食肉、不動産ころがしからREIT不正上場まで時代が移って面識率では反社会的組織の活動をフォローアップできなくなり、総連の動きを専門家であるはずの公安調査庁が網をかけきれなくなっているのはご承知の通り。しかも、大多数の関係者、すなわち監査法人や証券会社、パチの皆さんなどなどほとんどの人間は「まさかそういう片棒担いでいたとは」真剣に思ってない人がほとんど。それでは末端構成員に喰い込んで情報を収集するノウハウを地道に展開してきた組織にクリティカルな情報が入らないのも当たり前ですわね。ほほほ。
なので、機能不全省庁は社会保険庁ともども死んじゃえってことでお上でがちゃがちゃやるのは仕方がないんだが、ゲームとしては決定的に勝ちに逝ける場面で差し手を間違えてしまって、何故だか朝鮮総連が元公調長官を重要関係者とする詐欺事件の被害者ってことになってしまった。それはどうなんだよ、という話である。
北朝鮮系財界人はかなり仮面をしっかり被って暮らしているものの、その99%が人畜無害で真面目に商売しているだけなのだが、いざというときに金なり人なり場所なり出す拠点になりうるから監視してきたのはアリだけども、それはスリーパーという意味では別に否定しないものの「何故そういう人たちが財界のある程度のところまで上り詰めることができたの?」というプロセスに着目する仕事をする人が最後まで出てこなかったのが失敗の根幹だったと思うわけで。
それを言ったら、幹事長は日本人なのか、前首相の祖父はカタギだったのかというような根本のところから話さなければならない。ひょっとすると、私たちは民間のどうでもいい枝葉末節のところを殊更に問題視して、実は中枢の結構大事なところをヤバいところに持っていかれてしまっている疑念も、適切なレベルで持ってないといけないんじゃないか。
今回の事件は、本当に何の裏も表もなく元長官が担がれてただのアホだったという事案だったようなので拍子抜けなんだけれども、その結末で焼け太るのが「本来の公安調査庁的なるもの」で、話の流れに付け入られてやっちまったのが「朝鮮総連は詐欺の被害者」という結論だったとするなら、いったい何のために働いたんだという話になりはせんだろうか。
将棋の途中に駒取った取られたで騒ぐのは馬鹿馬鹿しいとも思いつつ、ただ取られた駒が局面支えてる可能性もあるんで気になるんだけどね。
http://espio.air-nifty.com/espio/2007/06/post_be13.html
だから、私の見るところこのクソ選挙前の資金集め時期に微妙案件ばっかり立ち上げやがって、社会保険庁だの公安調査庁だの解体論議が出てしまうのは相当誰かが焦って博打をやらかしているようにしか思えないのです。ちょうどこんな感じ。
http://image.blog.livedoor.jp/guideline/imgs/7/4/7425c410.jpg
http://espio.air-nifty.com/
基本的にその通りの正論なので反対ではないのだが、一応は異論を述べておく。はいそこ、詭弁とか言わないように。
率直に、言いたいことは二つ。
1.ノウハウそのままに新組織設立、職員移籍というような社会保険庁スキームと一緒だったら同じこと起きるよ
「器変わっても酒同じ」という状況になったら寂しい。同様に、協力者名簿などもう終わった話の内容も蒸し返されたりするといろんな活動にネックになる。機能として不要という論理で解体したはずなのに、日本は情報機関が必要だねって言う人たちが日本版NSCあたりに公安調査庁職員と機能をそっくり移管したら内閣府の下に不思議組織が完成してしまうんじゃないかと思うんですけどね。それは困る。
ついでに、公安調査庁が”個人的プレイ”として容認してきた各種活動が明るみに出たとき、いわゆる社会的二次被害をどう防ぐのかあらかじめ考えておかないとヤバい。反共やオウム対策などほぼ終わった案件をずっと追いかけているような人たちでもノウハウはある(野田さんはそんなもんいらねと言うかも知れないが)。
横の繋がりがなさすぎて、あっと驚く話がアホほど出る展開は、物見遊山としちゃ面白いけど、テレビに出てたあの人のあの発言が馬鹿職員のペーパーが元だったとかっていう陰謀論ど真ん中の展開になるといろんな人困りすぎ。
公安調査庁解体ってことで頑張れば頑張るほど古き良き公調的何かが焼け太ることになるんじゃね? という心配はあると思うんですよ。
2.この方向で逝くと日本の情報機関が混乱を招いた責任のすべてってことになって、いつの間にか朝鮮総連が被害者になっている件について
より根幹の問題で逝くなら麻薬対策であれ破防法であれ向いてる先はとりあえず半島から来た馬鹿どもを一個のゴミ箱で管理しておいたほうがコストが安いし効率的だよねということで一切合財そのスキームで四十年間やってきた。
が、資金洗浄を出口にした上場企業詐欺だの暴力団フロント企業だのシステム金融だの、あるいはパチンコパチスロや消費者金融、食肉、不動産ころがしからREIT不正上場まで時代が移って面識率では反社会的組織の活動をフォローアップできなくなり、総連の動きを専門家であるはずの公安調査庁が網をかけきれなくなっているのはご承知の通り。しかも、大多数の関係者、すなわち監査法人や証券会社、パチの皆さんなどなどほとんどの人間は「まさかそういう片棒担いでいたとは」真剣に思ってない人がほとんど。それでは末端構成員に喰い込んで情報を収集するノウハウを地道に展開してきた組織にクリティカルな情報が入らないのも当たり前ですわね。ほほほ。
なので、機能不全省庁は社会保険庁ともども死んじゃえってことでお上でがちゃがちゃやるのは仕方がないんだが、ゲームとしては決定的に勝ちに逝ける場面で差し手を間違えてしまって、何故だか朝鮮総連が元公調長官を重要関係者とする詐欺事件の被害者ってことになってしまった。それはどうなんだよ、という話である。
北朝鮮系財界人はかなり仮面をしっかり被って暮らしているものの、その99%が人畜無害で真面目に商売しているだけなのだが、いざというときに金なり人なり場所なり出す拠点になりうるから監視してきたのはアリだけども、それはスリーパーという意味では別に否定しないものの「何故そういう人たちが財界のある程度のところまで上り詰めることができたの?」というプロセスに着目する仕事をする人が最後まで出てこなかったのが失敗の根幹だったと思うわけで。
それを言ったら、幹事長は日本人なのか、前首相の祖父はカタギだったのかというような根本のところから話さなければならない。ひょっとすると、私たちは民間のどうでもいい枝葉末節のところを殊更に問題視して、実は中枢の結構大事なところをヤバいところに持っていかれてしまっている疑念も、適切なレベルで持ってないといけないんじゃないか。
今回の事件は、本当に何の裏も表もなく元長官が担がれてただのアホだったという事案だったようなので拍子抜けなんだけれども、その結末で焼け太るのが「本来の公安調査庁的なるもの」で、話の流れに付け入られてやっちまったのが「朝鮮総連は詐欺の被害者」という結論だったとするなら、いったい何のために働いたんだという話になりはせんだろうか。
将棋の途中に駒取った取られたで騒ぐのは馬鹿馬鹿しいとも思いつつ、ただ取られた駒が局面支えてる可能性もあるんで気になるんだけどね。
http://espio.air-nifty.com/espio/2007/06/post_be13.html
だから、私の見るところこのクソ選挙前の資金集め時期に微妙案件ばっかり立ち上げやがって、社会保険庁だの公安調査庁だの解体論議が出てしまうのは相当誰かが焦って博打をやらかしているようにしか思えないのです。ちょうどこんな感じ。
http://image.blog.livedoor.jp/guideline/imgs/7/4/7425c410.jpg
TBSが楽天に圧勝
資本主義の原理原則から言えば楽天の言い分にも理があるはずなのだが、通しで見ていくとTBS井上社長があれだけの際立った不快感を撒き散らしているにも関わらず楽天が負けて「おお(笑)」と思ってしまうこの心理状態は何と説明したらいいのだろう。
http://news.goo.ne.jp/article/reuters/business/JAPAN-266474.html
たださあ、楽天がTBSの株を手放すとして、借り入れた資金を返済してなおかなり残ることを考えると、また買い物症候群がむくむくと起動して買収先漁りに走り出すと迷惑な感じがしないでもない。
http://news.goo.ne.jp/article/reuters/business/JAPAN-266474.html
たださあ、楽天がTBSの株を手放すとして、借り入れた資金を返済してなおかなり残ることを考えると、また買い物症候群がむくむくと起動して買収先漁りに走り出すと迷惑な感じがしないでもない。