さっきドイツ赴任中の横田明美さんの記事が出ていて、読んでいて「あー」と感じておったわけです。

 ご指摘の通りなんですよね。

ドイツで政策を見て痛感…日本政府が「法治主義」を軽視しすぎという大問題
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85384

 私も毎日新聞にコメントを寄せましたけれども、個人的には行政法(侵害留保説)の根幹だし、実際に行政がこれで酒類販売を規制するぞとなれば独占禁止法(優越的地位の濫用)にもあたりかねないので悩ましいわけですよ。

批判くすぶる酒類停止要請 騒動ににじむ菅政権の体質 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210716/k00/00m/010/466000c

 別でも論考記事を書くつもりではあるのですが、横田さんの話を日本の政策立案の現場、プロセスで見る限りは「裁量行政の遊びの部分もあるので、使えるものは何でも使え」という話になるわけです。

 感染症対策以外にも、例えば先日の経済産業省の東芝買収のプロセスなんかも同じ問題にかかってくるのですが、防衛産業なんだから外為法使って外資を排除しろとなり、水野弘道さんが出てきてハーバード基金に法外な恫喝をしたと報告書に書かれた件も、つまりは裁量の幅があり、それが合目的的に使われる場合に法治主義の本来の名目とは違うところで(場合によっては法外に強権的な)手段として使われるということを意味します。

 それもこれも、日本では何事かに関して先回りして政策議論を行って法的な手当てをするということがあまり得意ではないように思います。問題が起きてから他国の先進事例を並べて検証し、そこで「良し」となってから大綱が編まれたり法改正や新法の議論になるので、それまでは既存法の遊びの部分で裁量行政の枠内での対応を強いられるのも議論として出るのも日本流の法治主義であって、ドイツ法から見れば「そんなものは法治とは言えない」と言われればその通りなのであろうと。

 ワイからすれば、きちんとした立法によらずに業界団体を中心としたガイドラインを作り、それを遵守させるという日本の統治方法というのは、事実上の隣組みたいなものであって、そういう考え方があるからこそ今回のような「感染症対策のためには酒席を設けさせたくない」→「酒を提供する店に酒を売らなければ良いのだ」→「でもそのような法律はないので、金融機関や広告代理店を通じた『お願い』ベースでやればOK」という「民 対 民」の構造ができ、私権を制限された民間企業が訴え出ようにも行政側の姿が見えなくなる現象になるのでしょう。

 そんなこんなで面白いなと思って読んでいたわけですが、そこに来て池田信夫とかいう人が出てきて意味の分からない論考を反響として挙げていました。

https://twitter.com/ikedanob/status/1418107519377960964




 何言ってるのこの人? いきなり与太話が横から出てきて、しかもそれなりに池田信夫論に迎合する人もいるようで、この手の問題を理解できない人が少なくないという意味なんでしょうかね?

 このあたりの話はもう少し広く間口を取った議論が必要なんじゃないのかな、と感じました。