このところ短い出張が立て込んだりして、空き時間に本を読み倒していたのですが、「うわ、面白い!」というよりは「これは興味深いですね」な雰囲気の佇まいの本と何冊か巡り合ったので、備忘録がてら綴ってみたいと思います。

 中でも、思いのほか出色だったのは『物部氏と石上神宮の古代史 ヤマト王権・天皇・神祇祭祀・仏教 』(平林章仁・著)は、難解とされる日本古代史の扉を開くような書き口・装丁による間口の広さと、そこから広がる世界の奥行きの深さが読み手の心に響く内容になっていました。類書はそれなりに読んでいるつもりでも、物部氏と古代王権の関係、古代国家と仏教の繋がりも含めた「なるほど、その可能性は高いんだろうなあ」と思わせるしっかりとした論述が、人間社会における権力とは何なのかを思わせます。


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[引用]
p141

 要するに、彼ら僧侶や技術集団は、百済からヤマト王権・天皇に贈与されたものである。王権・天皇に贈与された僧侶、工人集団と資材を用いて造立している点からも、飛鳥寺を単なる曽我氏の「氏寺」とみなすことは適切ではなく、国家的性格の強い寺院であったと解されなければならない。

 先進文物の集約である仏教は、天皇がその信仰を受容できなくても、王権に帰属する、天皇の優先的占有物であった。

--ここまで--


 本書でも定義されているように、古代日本は世界観や慣習法が多元的であり、氏族と神話の内容から古代日本人が何をアイデンティティとしたか、どんな生活を社会規範としていたのかが書き表されます。広大な原っぱの、ここからここまでが敷地ですよ、と最初に杭がしっかりと打たれる感じ。そこから、日本社会全体的の動きから物部氏と古代政権(権力)との関わりがいかなるものであったのか、章を追うごとに解き明かしていく過程は、その広く定義された敷地に、古い日本の時代を意味する建築物がどんどん建築され、意味を持つ装飾が施されていくような、知的関心を覚えます。

 いまの日本人からすれば「亀卜」と言われても何でそんなものが根拠になって権力が行使されているのか訳が分からないのかもしれません。だが、律令時代の神祇祭祀や仏教の扱われ方は、慣習としての祭祀を権力による社会のイデオロギー統制に転化させるプロセスと考えれば、本書に登場する謎に包まれた物部氏が、実は海外事情に通暁した人々で、当時の先端技術を取り入れ社会を安定に導いていたようにも見えます。

 古代日本というテーマは、まだ日本人が信仰とともに生きていた時代に社会を維持するための権力構造・価値により迫るものであって、本書から、人々が営む息遣いが伝わるようにすら感じます。本書の価値は、しっかりとした資料を読み込んだ研究の上に考察を丁寧に積み重ねたことで得られる、古代日本の人々の暮らしを読み解いていることにあると思います。物部氏については、本書でも指摘のある通り、ヤマト王権が各有力氏族たちから徴収した各種宝器を管理する氏族であるとするならば、事実上の徴税機関的なもので、王権を補佐する側として非常に重要な役割を果たしてきたと言えそうです。

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 古代日本に関する基本的な知識に言及した『天皇はいつから天皇になったか』(祥伝社新書)や、『物部氏―剣神奉斎の軍事大族 (古代氏族の研究) 』(青垣出版 宝賀寿男・著)『物部氏の伝承と史実』(同成社 前田晴人・著)、古代法制の論文は物凄く平易で分かりやすいと思います。

日本古代神祇祭祀法における「法意識」についての基礎的考察 大宝神祇令から延喜神祇式へ(榎村寛之
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalha/59/0/59_53/_article/-char/ja/


 読書っていいもんだと思うんですよね。なんかこう、知的な建設物が構築されていく感じがするあたりが、特に。





 皆さんも、良い読書生活を。

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