どういう理由か、このネタをまとめて東京大学で話した際に整理していたのですが、これ、いままでのネット炎上のメカニズムだけではどうにもならない要素を含んでいて、それは単純に「威力営業妨害に類する話として処理するべきなのか」とか「学術的に保護すべき主張の多様性と、社会的に有害なヘイトスピーチとをきちんと区別するべきなのか」などという結構深淵な話に収斂していくので、議論は見る人の価値観の問題に落とし込まれて行ってしょうもないことになるわけですよ。

 私個人の意見はというと、正直百田尚樹さんからブロックされているので最近の彼の主張は知りませんが、彼が執筆した『殉愛』を巡る騒動は彼自身が取材対象にのめり込んで事実確認をしないまま執筆してしまう書き手さんであると同時に、それ以外の著書で見るとヒロイックな事象を小説に落とし込ませればかなり天才的な作家であることもまた事実です。作家としての価値と人間性は別、としたときに、彼が講演に呼ばれるのは作家としての価値だが、根拠不明のヘイトスピーチを繰り返し公言する人間性は別の意味で問題とするならば、公の場で彼を発言させるのは相応しくないと考える一橋関係者がいても不思議ではないし、どっちの意見も成立するぞということなのであります。

 その意味では、彼がエッセイとして売り出した『大放言』なんかは典型で、見る人が見れば本音全開の痛快な書下ろしだと絶賛する一方、彼に批判的な人は根拠薄弱な単なる妄言だろうという話になり、ある種の神学論争みたいになるわけです。それを大学で言論のひとつとして講演させることの是非でいうならば「まあ控えとけや」となるのが最大公約数なんだろうなと思うわけです。

 敢えて極論を言うと、これは『狂人の価値』の話であって、教科書的、教条的な「人の良いところを見て評価しましょう」という一般論を当てはめていいのかという問いです。少数の顧客に絶賛される百田尚樹さんに、多数の一般人に唾棄のように嫌われかねない側面を見たとき、際立った芸風の人たちが生きる一線を見る気がします。メディアビジネスで言う「ロイヤリティの高い少数客をしっかり握ったクリエイターの勝ち」という話が拡大解釈されていくと、売れる大作家が人間的に、または政治的に物議を醸すときのそこはかとないタブー感はどうしてもあるわけですよ。

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 そこには嫉妬もあるだろうし、むつかしいところなんです。以前も書評でピース又吉直樹さんの『火花』を擁護したら全力で叩かれましたし、いまでも筒井康隆さんの小説が好きだというと微妙な表情をされることは経験してます。百田さんのことを好意的にも酷評もしたくないという雰囲気は、出版社界隈では特に出るぐらい、作家タブーの際たるものになっちゃってるんですよね。

 だから、冒頭の話で言うならば、あくまで百田さんの政治的、社会的な言論を聞くという立て付けではなくて、ベストセラー作家が教える「読まれる作風の作り方」みたいな作家性に依存したところに論点をもっていっていれば、そこまで問題視されることは無かったのかなと思うわけですが。

 なもんで、百田尚樹作品を知るうえで知ったほうがいいのはむしろ『殉愛の真実』のほうだろうと思います。