先日、ユーチューバーのヒカルさんが派手にVALUでやらかしましたが、事後対応策が適切ではなかったこともあり、被害者の一部が消費者庁や警察庁に申し立てを行い、日弁連でも金融サービス部会に照会の申し送りが出たようです。


本件はVALUが仕組みとしてインチキというよりは、単純にVALUの発行人にたいする「性善説」がアダとなって、非常に緩い利用規約でサービスが運営されていたことを、ヒカルさんやその一派が悪用した形になっています。もちろん、規約上それが可能になってしまうVALUも悪いと裁定が下る可能性はありますし、本来は取引上発生した被害は当事者同士の対応だけでなくプラットフォーム事業者であるVALUも責任を問われる部分ですから、今回の対応が被害者の全面的な救済には至らなかったとみられても仕方のない部分はあります。


いくつか前提条件があるのですが、VALUが発表している内容を信じるならば「このサービスは有価証券ではなく、金融商品ではない」という結論からスタートします。金融庁にも確認をとりましたが、金商法や資金決済法、フィンテック関連法の対象ではなさそうです。実際、VALUの経営陣もインタビューで金融庁とオルタナティブに議論しながら適法性を確認していたと説明しています。


しかしながら、ヒカルさんやラファエルさんほか一派の取引経緯を見てみますと、インサイダー取引というよりは典型的な詐欺行為であって、金商法云々無関係な消費者事案であることが分かります。すでに公開されている情報を見るだけでも言い逃れはむつかしく、損失が確定した被害者がイキって所轄署に雪崩れ込まないことを祈るのみです。


つまり、VALUは「有価証券など金融商品ではない」という言質を金融庁からもらっただけであって、金融商品でないならば、VALUで取引されているVAはすべて相対取引、すなわち匿名のC2Cによる個別の取引にすぎない、ということになります。その点では、発行人(田端信太郎さんなど)の出したVAを商品に、ヤフオクやメルカリ、フリマなどに出品しているのと構造は変わりません。


また、金融庁やこの方面に詳しい弁護士の共通見解として、VALUの仕組み上、金融商品ではない、すなわち金商法その他の適用ではないようにする方法として、VAの投資的性格を完全にゼロにしているところに特徴があります。これは、VAの発行人(田端信太郎さんなど)は、発行するVAの総量をコントロールできる一方、VALUはこの発行総額に対する手数料を取る割に、発行者に対して配当は出させず、優待も義務付けていないということで、非常に緩やかな規制しか敷いていません。


ここですぐピンとくるのは、これは税法上は贈与そのものだという点です。普通に対価となる役務もなしに資金が提供されるということは、純粋な贈与であって、国税庁にも問い合わせをしてみると「基礎控除額(やまもと註:110万円)を超える金額が移動した場合には、贈与税の対象となります」と明言されます。これは、フィンテックだICOだ関係なく、ビットコインだろうがなんだろうが個人に対する資産の譲渡という性質である限りは、納税しなければ税務署が槍持って自宅に突入してくるパターンの事業です。


それもこれも、これらのVALUの仕組みは金融商品ではない、だから金融業界の関連規制の枠内ではないと頑張って金融庁と交渉した結果、そうですね金融商品ではありませんねと金融庁から適法のお墨付きをもらってしまったが故の悲劇であると言えましょう。どうも国税庁はVALUを認知していなかったようですが、30分ぐらい電話で説明したら「それは贈与ですね。その事業体を詳しく教えてください」とか言われてしまって、藪蛇になってしまったかもしれませんが、そのようなことは問題とせずに頑張っていきたいと思います。


さて、ヒカルさん一派の話で言いますと、VALUの仕組みで問題となるのは「詐欺行為」であり「売り逃げ」です。今回、VALUの対応はそうするしかなかったので仕方がない部分がある一方(そのうち詳述します)、いわゆる買い煽りでヒカルさんのVAを買ってしまい、暴落後に損切りした人は、今回のヒカルさんの買い戻し措置では被害を回復できません。損害は損切りした時点で確定してしまっており、ヒカルさんがVALUのプラットフォーム上でVAを買い直して価格が回復しても無意味だからです。


したがって、ヒカルさんが問題を解決するためには「VALUでVAを買い直す」ことではなく「VALUにヒカルさんのVAを買って損害を出した投資家を特定してもらい、出た被害額に応じて個別に払い戻す」ことが必要となります。繰り返しますが、VALU

で売買しているVAは金融商品ではなく、相対取引にすぎませんから、VALUは例えば被害者の代理人が通知してくる取引先開示の23条照会を拒否できないでしょう。


そして、本来はVAを買って損害を出してしまった人に対する補償義務は、発行人であるヒカルさんだけでなく、プラットフォーム事業者であるVALUにもあります。何度も書きますが、これは金融商品ではありませんので、厳密なルールや規約が存在せず(あえてそうしているわけですが)、だからこそ、自己責任の投資原則が適用になりません。いわば、メルカリでパチモンのブランド品を買わされて被害が出たようなものです。


また、規約上よく読むとヒカルさんはあれだけのことをしでかしておきながら、例えばアカウント閉鎖して逃亡してもプラットフォーム事業者は規約違反を問えても損害賠償までは請求できるかどうか微妙な状況になっています。たぶん、日弁連が気にするのはその辺じゃないかと思いますが、規約を緩くして発行者を増やすことで、結果として発行者のデフォルト(逃亡)リスクをVA購入者に乗っけている形になってしまいます。


それゆえに、金融商品ではないが、資金移動業者じゃないのVALUは、という問いかけも今後は出てくるでしょう。BTC(ビットコイン)が財として認められている以上、それを仲介しているサービスは供託金でも積んでね、という話になるかもしれません。そうなると、すんごい時価総額でVA発行している発行人(田端信太郎さんなど)のデフォルトリスクに対応するために、プラットフォーム事業者は保険会社に請託するか供託金積むかといったメルカリ同様の問題を起こすんじゃないかと思ったりもします。


本来なら、そういう問題は細かなデフォルトが何件かあって、徐々に消費者保護の話が出るはずが、突然ヒカルさんみたいな特定方面で知名度の高い人がいきなりやらかしたものだから、受身を取れずに二階から落下みたいな感じになってて、このお盆の大変な時期に関係者の皆様もお疲れ様だなあと思うわけであります。


ヒカルさんにおかれましては、VALUで儲かった金額でしか補償をかけていないという時点で犯罪者同然のお作法に見えてしまいますし、ちゃんとお詫びをするのであればVALUでの買い直しではなく損失を出した被害者の個別救済をしないと事の次第によっては刑事事件一直線ですので、ご留意いただきたいと存じます。


現場からは以上です。



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 なんかこう、尼子家と毛利家の勢力争いに巻き込まれた熊谷家のような心境を持つのは、どちらにも多少なりともご縁があって原稿を寄せさせていただいたりインタビューやご取材でやり取りしている経緯があるからでしょうか。

 まだ記事を読んだわけではありませんが、文春が東洋経済オンラインを叩いているというので、この辺の経済ライターやジャーナリストの中で一部騒ぎが広がっているので、記事を読まずに言いたいことを言いたいと思います。別にどちらかの陣営から「書け」と言われたわけではないことは最初にお伝えしておきます。私はそんな器用な男ではありません。

「週刊文春」8月9日発売号掲載記事について 編集部からのお知らせ
http://toyokeizai.net/articles/-/183823
「東洋経済オンライン」衝撃の内部告発  
http://bunshun.jp/articles/-/3708

 私も地味に連載させていただいているので、みんなよろしくねって思うわけですけど。

子育てにおける「お姉さん」と「おばさん」の境界線問題
http://bunshun.jp/articles/-/3646

 で、叩かれた東洋経済オンラインも自らのメディアで激しく反論しているわけですが、そこのアクセスランキングで上位に「男はみんな『元カノの成分』でできている」とか「ディズニーランドでバレる『残念な人』の末路」とか「女よりアニメを選んだ男が46歳で迎えた転機」など、どこを切り取っても東洋ではあっても経済ではない記事が読まれているわけで、週刊文春のいう「下ネタ」とは言えずとも「下世話」ではあるわけで、東洋経済にいた石橋湛山が脳梗塞で倒れかねないような状況であることは確かです。

 一方、文春オンラインも記事上位が「ローラ 「10年奴隷契約」をロサンゼルスで独占直撃!」であり「雨上がり宮迫博之“決死の不倫”直撃動画を公開!」であるあたりに格式の高さでは東洋経済と芸術的な譲り合いを披露しているようにも見えるあたりに微妙な雰囲気はします。逆に言えば、それだけ文春も東洋経済も話題を呼びそうな下世話な記事でネットユーザーにアピールし、しっかりとページビューを稼ぎながらメディアとしての信頼感を確保してメディアビジネスで頑張っているという風にも言えるわけであります。

 もちろん、インターネットでビジネスをする私からすれば、ページビュー(PV)を稼ぐための記事の質の良し悪しもさることながら、メディアの勝ちを計るのにPVはもはや最適解から遠くなったというのもまた事実でありまして、もにょもにょする部分はあります。いまや、東洋経済オンラインよりも文春オンラインのほうが後発なのに良い読者層を抱えていると思われて啖呵が高くなってきているわけで、いずれ文春オンラインがブランドコンテンツと称してオンライン広告特集でも営業を始めかねない勢いです。

 仮に本当に東洋経済が「編集部の一貫した方針は『幅広い対象をファクトとエビデンスに基いて正確に報じていく』という点にあ」ると主張するならば、わざわざロイター配信記事の中からブラジルの美尻コンテストの記事を買ってきて東洋経済のカンムリで配信(アグリゲート)し、アクセスを取りに行く姿勢はどうなのかと言われてどう説明するんだろうという気持ちはあります。「そういう記事ばかりじゃないよ」と言いたいのでしょうが、反論文の中で出ているアクセスランキング上位の記事で、むしろ純正な本来の経済記事は上位20位にひとつもない印象です、少なくともタイトルを見る限りでは。

ブラジル「美尻」コンテスト、水着でパレード 候補者27人が金融街で美しいお尻を披露 | ロイター - 東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/183938

 この手の「ブラジル美尻コンテスト」のような下世話な記事もランキング上位だったわけで、その東洋経済の内部告発者は総じてインチキ臭いとしても、アドネットワークや記事ランキングをヲチしている人からすれば「文春に適当なこと書かれて東洋経済編集部もムカついたのかもしれないけど、経済系のジャーナルを真面目にやっている人はアクセス稼ぎでこういう記事を出されるのはげんなりする」部分はあるかもしれません。

 東洋経済の本誌で地道に企業取材をしたり、決算発表などの記者会見周りをしている人たちからすれば、東洋経済本誌と東洋経済オンラインとで抜き差しならぬ相容れないところがあるのだろうなあというのは想像がつきます。あんな記事を東洋経済の看板で掲載して、本誌に良い影響があるとは思えない、という話は以前からずっとあります。でも、読まれているしビジネスにもなるのであれば、オンラインは独自の整腸の道を歩みたいと思うのも自然なことなので、そこはうまく折り合いをつけるしかないんじゃないかと思うんですよね。今回の文春が取り上げた告発者も、オンラインではなく本誌や周辺の人がいるんだろうなあというエピソードが混ざっている気もします。

 逆に、ビジネスの文脈とは異なる形で柔らかい記事を増やしてアクセスを伸ばしていくことは文春にとっても脅威でしょうから、そういう「告発」に乗りやすかった側面はあるのかもしれません。文春も来た告発内容をもう少し詳しく検証していれば、東洋経済オンライン編集部から「ガセネタ流すんじゃねえ死ね」というような反論を喰らわずに済んだのではないかとすら思います。これはもう「詰め」の問題だと思うので。

 書き手としてもビジネスの面からしても、週刊文春や東洋経済オンラインが相互監視しながら緊張感をもって良い品質の記事を出し続けることが大事だと思っています。やっぱり読まれてナンボと、良いものを読まれたいという、両立させるのがむつかしい世界でやっているのが無料オンラインコンテンツの宿命ですからね。文春側も東洋経済オンライン側もイライラするところはあるとは感じますが、良い意味で切磋琢磨していっていただきたい、と強く願うところでございます。

 なお、Newspicksはクソみたいなピッカーのコメントで他人の記事を安全なところからDISるのやめてください。徳力基彦送り込むぞ

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 例によって、経営共創基盤CEOの冨山和彦さんが騒いでいました。

「大人の嘘」とインターンシップ有識者会議 冨山和彦(経営共創基盤CEO)|経済界 http://net.keizaikai.co.jp/archives/25751

 文部科学省での議論も退廃的だけど、冨山さんの企業人教育万歳で文系理系も中央地方も一緒くたに語る雑な姿勢も微妙だなと思うところでして、インターンシップは必要だけど授業内容や成果に見合った仕組みづくりは大事だろうという方向で議論が発展的に進むことを希望してやみません。

 ちなみに、冨山和彦さんは以前「G型大学とL型大学に分けて、国際的に通用するエリートを教育する大学と、実務家として国内社会の経済活動を担う人材を育成する大学を政策的に分けよう」と提言して物議を醸した御仁でもあります。

 網羅的な議論はソーシャルメディアリスク研究所の田淵義朗さんがプレジデントに記事を掲載していたのでご参照いただければと思います。いい奴もダメな奴も一緒に大学行かせてもしょうがないし、国際的に通用する奴を選抜する仕組みぐらい作れよというのは一見合理的だけど、どうも冨山さんは文系学部しか見てない気がするんですよねえ。

「G型大学×L型大学」一部のトップ校以外は職業訓練校へ発言の波紋:PRESIDENT Online - プレジデント http://president.jp/articles/-/14035

 で、冨山さんの文章の中では「日本の大学生の勉強量が欧米より少ないのは、大半の大学および教員の無為無策、無能怠慢が主因である」と痛烈に批判していますが、個人的に大学の中から見て思うのは大学が無為無策というより教授陣が少ない予算で研究せざるを得ないこと、スタッフも充実しないところで雑務も教務も研究も営業も兼ねていること、教職員規程が厳格なため高給で優秀な研究者を教授待遇で呼ぶことができないこと、人事が硬直化していて優秀な若手研究者ほど海外に出て行ってしまうこと、優秀な教員も二線級な教員も評価のKPIがはっきりしないので研究にも教育内容にも優劣がつかずインセンティブが働かないことなどが挙げられます。

 要するに大学に然るべきマネジメントが備わらず、学問の世界で名を挙げた人が教授会に上がり、そこの互選で学長が決まるというシステムである以上、マネジメントもガバナンスも働かないのは当然なんですよね。

 この辺の議論は大学改革支援・学位授与機構などでも散々議論されていることであって、別に冨山さんが叫ばなくても10年以上前から言われてきたことなんですが、なぜそれでも改革されないのか、改善された大学が日本国内で評価されないのかといったあたりは考えるべき部分は大きいと思います。

http://www.niad.ac.jp/n_chousa/

 で、いわゆる科研費が行き渡らない問題にしても、経営不振の大学が行政の責任で統廃合されない事情にしても、かなりの意味で文部科学省の組織的な硬直が課題になっているのはまあ事実だと思うのです。先日問題になった文科省前次官の前川喜平さんのケースにしても、前川さんが個人的に駄目だというより、長年にわたって文科省は微妙であり続けた結果がこれだったという風にも言えなくもありません。文科省の中にもまともな官僚は少なくないし、問題意識を持っている人たちもたくさんいるのですが、具体的な対応も改善もなされないまま、少ない予算で研究者が大学内に放置され、スタッフも置けずマネジメントもない状態では学生の学力も上がらないであろうし、研究成果としての論文も日本だけが低迷するということだって考えられます。

 勢い、そういう大学であるべきかという議論になると、俄然冨山さんの話に合理性を見出すことになるわけですけど、それは文部科学省が駄目なのでどうにかしよう、中からでも外からでも大学改革できるようにしようという話と、日本の産業力強化のためにどういう教育であるべきか考えようという話とは切り分けて考える必要があるわけです。前者からすれば冨山さんの話は正論だけど、後者からすれば冨山さんは事情も満足に知らずに高飛車に論じやがって馬鹿なんじゃないのという結論になるわけですよ。

 それが、周り回って大学から社会人になるにあたってのパスの一つであるインターンをどう扱うかですら、満足に着地しないことになるわけです。加計学園が獣医学部を作る作らないの問題や文科省からの大学教員への天下りなどなどの事情と同様に、これらはいわば「症状」であって、「病気の原因」はこの国の若者をどちらの方向に育成し、どういうリソースを分配し、高等教育としてどのような仕組みを提供し、さらに優秀な教員に然るべき待遇を与えて研究なり教育に専念させるのか、という話をまずしないと駄目なんですよね。

 ちなみに、この冨山さんが批判してる文科省の文書、ちゃんと読んだほうがいいです。前提条件として、はっきり「日本のインターンシップは国際的に見て参加率が特に低い」けど「事前・事後学習が実施されず教育的効果が十分でないなど、質的な充実についても課題」だとはっきり書いてあります。

 冨山さんがわいわい言うのであれば、採用直結のインターンシップの教育効果がどこにあり、これを拡大することで日本の大学教育にどのような質的貢献が果たされるのかをまず論じないと有効な批判にならないよな、と思うわけです。

インターンシップの更なる充実に向けて 議論の取りまとめ
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/076/gaiyou/1386864.htm

 私なんかは、もしもいまの大学をどうにかしろと言われたら、まず教授以下教員において、研究と教育に分けて、評価基準をより明確にし、研究にも教育にも無関係な雑務から教員を開放することを先にやると思います。マネジメントが存在しないのが日本の大学の共通した問題点だと思うからです。

 より政策面で言うならば、文科省の考えも踏まえたうえで、欠員の多い大学の統廃合に踏み込みつつ、国家予算である科学研究費の使い方についてもっと相応しいルールを作ることが大事だと思っています。きちんとKPIを設定し、何をクリアするために文部科学行政が行われるべきかについて、しっかりと議論することが大事であって、職業人として質の良い学生を大学卒業後に産業界に送り込むのはそのKPIの向こう側にある変数だと理解する必要があるんじゃないでしょうか。

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 そんなわけで、民進党代表・蓮舫女史が辞意を表明することになりました。
 求心力の高まらなかった民進党を救うべく人気のある蓮舫女史が代表になり、陣頭に立って党勢回復を図るはずが、二重国籍問題を最後まで引っ張られ、都議会選挙ではお膝元から離脱者が続出するという状況でしたので、まったく本意ではない退陣ではないかと思います。

 ともあれ、蓮舫女史はお疲れさまでした。
 思い残すことだらけで、悔いのあるところかとは思いますが、まずは臥薪嘗胆、再起を目指してほしいと思います。

 時を同じくして、防衛大臣の稲田朋美女史が辞意。防衛次官の黒江哲郎さんの更迭が発表され、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長・岡部俊哉さんも辞意という流れになっております。蓮舫女史退陣が好機だと思ったのかと思いきや、改造前に大臣辞職を前提としていたような話も伝わってきて世の中うまく回らないものだなと感じるわけです。

稲田朋美防衛大臣、辞任の意向を固める謎展開(山本一郎) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20170727-00073812/
民進党代表・蓮舫女史が、代表辞任の意向を伝える(追記あり)(山本一郎) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20170727-00073794/
民進党・蓮舫代表”二重国籍”で戸籍出す出さない攻防を見る側の心情|やまもといちろうコラム http://dailynewsonline.jp/article/1334843/ 

 で、今の安倍政権に対する森友学園、加計学園に各種政治家の「このハゲーーーッ」やらスピード不倫みたいなスキャンダル、頭の変わったファーストレディの奇行に、受け皿になれない民進党みたいなジレンマを見るに、国民不在、政策不在にあわせてメディアの咀嚼機能の劣化が組み合わさって、とんでもないことになっているように見えます。

 まず、明らかに行き詰っているアベノミクスから、一億総活躍社会になり、今年もなんか変なキャッチフレーズがついてましたが、つまりはポストアベノミクスの状況がしばらく続いていて、日銀では一日千秋のごとき出口戦略の話が出て、デフレ脱却を掲げて頑張ってきたけどまあなかなかむつかしかったよね、という話であります。

 ただ、お陰様で以前よりは円安になり、トリクルダウンとやらが当初の狙いほどの効果は無かったものの高齢者を中心に嘱託再雇用の動きから非正規雇用も正規雇用も一応は拡大、有効求人倍率が1.4倍とかになったため、少子高齢化からの人手不足が深刻化。海外からも移民が増えてきたので国民の暮らし向きはデータを見る限りそこまで悪くはありません。日経平均も3年ぐらいかけて2万円を超えて、不充分だけど成果はあったよね、でもこれからどうすんのというのが安倍政権の経済政策の状況ではないかと思います。

 その意味では、アベノミクスは無効だった、なぜならば物価は上がらなかったからだ、という話はナンセンスで、安倍政権は打てる手を全部打ったけど物価は上がらなかった、でも何もしなければもっとひどいことになっていただろうという言い方になるんじゃないかと思うわけです。

 本来であれば、安倍政権の金看板であったアベノミクスがどうやら失速していそうだ、となれば、野党が出てきて「お前らの経済政策では不充分だ。我々が新しい経済政策であるレンホミクスを提案する」とかいうべき必要があるわけです。最低賃金の引き上げなどは自民党のほうが実績が出てしまっている手前、より経済成長を実感できるような政策を本来は民進党が打たなければならないわけですよ。

 ところが、脱成長とかいう人たちも民進党の支持者には少なくありません。私は脱成長とかいう大人は馬鹿なのかなと思うほうですが、彼らだって一票を持っていますし無視などできるはずはないのです。それが民進党の少なくない割合の支持基盤となっているならば、彼らの納得のいく経済政策を打ち出し、よりよい日本経済、よりよい日本社会、よりよい日本政治にしていく使命があるはずなんですよ。

 ここで必要になるのは、もちろん安倍政権は野党にとっては倒す対象かもしれないけど、何でもいいから攻撃してしまえという戦術では確かに安倍政権の支持率は下がっても国民のためにはならないことはあるんじゃないの、という考え方だと思います。安倍政権を憎悪して倒したところで、倒した後に何の具体的な政策もなかったらそれは亡国の極みです。やはり自民党に政策があり、野党に対案があって、これをぶつけ合うからこそ意義のある議論ができるという青臭いことは実は大事なんじゃないかと思います。

 民進党は、少なくともそういう安倍政権の経済政策に見合うような具体的な対案や政策パッケージを用意することはありませんでした。むしろ、崩壊していく党内の融和を目指して中で頑張って調整ばかりしていたようにすら思います。支持母体である連合が共産党系労組と不倶戴天の敵で、その共産党と野党共闘しますと蓮舫・野田体制が話を進めるほどに溝が深まるのは当たり前のことじゃないですか。

 「連合なんて支持母体はいらない、民進党は政策オンリーで頑張るのだ」と勇ましいことを考えたとしても、実際に出てくるのは同様に支持母体から見放されて党消滅の危機にある旧社会党、社民党のような滅びの道です。そことつるんで野党共闘やろうというのですから、まあなかなか話が進められないのは当然でしょう。

 それもこれも、野党共闘路線は反自民の軸足で、野合をしているからに外なりません。もちろん、その選挙協力には意味はあります。ただ、政策でも人事でも共産党に引っ張られて、本当に現実的で、かつ自民党に対抗できる経済政策を立案できるのか、という話です。だって、仲間に共産主義者を抱き込むんですよ。選挙協力と称して支持者の票を集めたり、候補者を立てないで「共産党候補を応援してね」とやるわけです。反自民が本当に結実したとして、うっかり政権に手が届くところで喧嘩になるに決まってるじゃないですか。政策がないんだもの。

 それでも、政党が崩壊するよりはマシだ、解党的出直しなどせずとも人気を回復させられる方法を模索しようというのが蓮舫女史の立ち位置だったとするならば、文字通り悲劇しかおきません。実際、悲劇が起きました。蓮舫女史というのは、そういう人柄でしょうから使うべき状況が限定されるカードだったと思います。拠点防衛に向かない兵科を要塞に立て籠もらせて玉砕させてしまうような方法論は本来は避けるべきだったのでしょうが、それでも他にいなかったし、状況的にそうならざるを得なかったのでしょう。

 その意味では、つくづく運がなかった、巡り合わせが悪かったと思います。民進党は、局面によっては大化けするはずだった蓮舫女史というカードを場に出して、何の利益もなく失いかねない状況になったからです。もっと早くアベノミクスにほころびが出たり、安全保障で致命的な外交ミスがあったり、先に中国や東南アジアで経済危機が起きていれば、真の意味で政策議論をするためのツールとして蓮舫女史の突破力が生きたのではないかと思うと、何と不運な政治家だったのだろうと忸怩たるところがあります。森友や加計は印象操作というよりは国民生活の中枢を揺るがすような大事件ではなく、ただただ安倍晋三さんの脇が甘いというだけのネタでしかありませんから、同様に二重国籍問題のようなたいしたことのない案件で揉めている民進党に声望が集まるはずもないのです。

 もしも、民進党が本当に回帰するのであれば、わたしなら徹底的な組織化と併せてマーケティングを頑張って、スローガンを打ち立て、経済政策の根幹を考えられるよう努力するでしょう。国内でも海外でも経済政策の柱となるような理論的バックボーンを構築し、文字通り三顧の礼を持ってでも一流の経済学者にアベノミクスを超える実効性のありそうな経済政策をパッケージにしてぶつけていくことを考えるでしょう。ただし、支持母体は連合であり、これはこれで大事なので、中道左派的な経済政策の立案と運営を一緒に考え、浸透させていく必要がどうしてもあるのです。

 おそらくは、蓮舫女史の周辺にそのような構想力のある人物が乏しかったか、いたとしても蓮舫女史と手を携えて党勢を支えようという働きをしなかったのでしょう。蓮舫女史はもったいないことをしました。

 蛇足ながら、私自身は蓮舫女史をあまり支持していません。どうみても家庭を顧みるような個性を感じないからです。カメラマンをしておられる村田さんに対する仕打ちがテレビで放送されているのを見て、これは厳しいなと思いました。また、ツイッターで蓮舫女史が飼っているとする猫の写真が出ていたのですが、耳がデスフェイスになり、目ヤニがついていて、とても可哀想な育てられ方をしている猫であることは、猫を飼っている人間であれば気づいたのではないかと思います。パブリックイメージと同様に、おそらく蓮舫女史は冷たい人なのだ、非常に勝気な性格なのだと理解できます。人格の円熟には程遠く、失策をして頭をかくことのできない政治家だと思うと、それに本人が気づくまでは一回休みでいいんじゃないかと思いました。

 それでも、蓮舫女史は稀有な能力を持った優れた政治家になる資質は今なお秘めていると感じます。
 まずはいったん休んで、そこで何を思い返したか、考えてほしいと切に願います。


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 ネタ列挙本だし、一度二度読んで「わははーw」と笑って終わるタイプの内容ではあるんだけど、深すぎず、浅すぎず、さらっと読んで面白がれる本に仕上がっていました。

 んで、言葉遊びだと舐めていると、やっぱり太宰治とか夏目漱石とかの古典を読み返したくなるノスタルジーに駆られてしまい、ついつい本棚を漁るわけですよ。そして、往々にして目当ての本は無い。引っ越ししたとき処分したのか、誰かに貸したままどっかにいったのか、無いもんだから買いに走る、ダウンロードしてしまう。

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もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら [ 神田桂一 ]
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 そこで、ハッと思うんです。文化ってのは時代の連鎖なんだと。思い返すと、なんでこの本が面白いかと言えば、小学校時代に受験勉強の中で出てきて何度も読んだり、勉強から解放されて自分自身が好きで読んだり、人生に繰り返し出てきて、心の中でイメージして、共感して、怒ったり泣いたり笑ったりしている。そういう共通体験があるから、焼きそば作る文豪というネタにピンとくるんだろうなあと。

 読後感としては、パロディというより落語に近いです。この並びの100人の文豪の中になぜか山本一郎も入れられていて、なんか別人格が歩いているかのような錯覚になるのも含めて、異様な体験でした。そして、同じテーマでは二匹目のドジョウはいないかもしれないし、次なる新しいネタを探り当てて本にしたりするんでしょうけど、そういう楽しみ方も感じさせる一冊であります。

 昔読んだ本をフラッシュバックさせる内容ですので、ある意味で「読んだ文章の記憶のリファレンス」みたいなものなんでしょうか。述べた通り、うっかりKindleに入れっぱなしだった『こころ』とか私も読んじゃいましたからね。

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 何しろ、読んでて面白いわりに読後感がさわやかです。古典って何だろうなあっていう風には思うんですよね。「読み継がれるから古典なのだ」としたとき、文体が持つ味って何だろうかと思いを馳せてしまいます。はい。


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