巨大台風一過ということで、凄い快晴になって気温もぐんぐん上昇して夏本番の東京界隈ですが、一昨日から昨日にかけて、かなりの暴風雨が吹き荒れて本当に往生しました。これはもうなるようにしかならないと思い、テレビ観ながらの宅飲みを決め込んでビール出してきて飲んでたんですが、階下は雲が低くて実に微妙でした。低気圧ってほんと何か変なのが降りてくる感じがします。亡くなられた方は大変気の毒ですが想定していたほどの大事件もいまのところなくて良かったですね。

 で、テレビで連呼されていた「落ち着いて、命を守る行動を取ってください」という表現、凄く大事なことだと思うんですよね、災害で大変なところを田んぼや川の増水の様子を観に行って死んでしまっては元も子もありませんから。また、もう台風が吹き荒れてしまっているところでうっかり外出して身を危険に晒すよりは、頑丈な建物の上階にいてじっとしていることがこの手の災害では一番の方策であることは良く分かっています。

 もちろん、そう呼びかけられたところでどうにもならないだろうという気もします。東京都でも、荒川区や江戸川区、墨田区のあたりは台風による堤防決壊だけじゃなくて高潮にも注意しないといけないし、いま「高いところへ逃げろ」と言われても、もう逃げられる状態にないわけでね。

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 まあ、意識高い系東京都民としてはそういう事態に追い込まれて右往左往する前に、なるだけきちんと備蓄の水や食料を買っておくことや、乾電池や懐中電灯、バッテリーなどの準備は大事だってことは分かってます。ですけど、あればあったで「あれ、3日分しかないお。これでうっかり本格的にここが陸の孤島になったらどうなるだろう」とか「目の前に流れている神田川が御茶ノ水駅を超えてこっちにきたら大丈夫か」などと余計な心配を始めることになります。

 高い建物に住んでいたら住んでいたで、台風のような大風だと建物全体がギーコギーコと音を立てて揺れるわけでありまして、猫ちゃんは暴れるし、赤ちゃんも泣き止まないので、まったく落ち着きません。

 そんなわけで、心配なので雨脚が強くなる前にと思って買い物に出かけると、みんな似たようなことを考えているのか見事に商品がない。


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 雨に濡れながら、戦果なしで帰宅するわけであります。ハイリスクノーゲインですよ奥さん。

 でもまあ、家庭の中では台風がゴーゴー言わせる風の中で、家族みんなでワイワイ言いながら一日中ごはんを食べ、テレビをみんなで観て、穏やかに過ごしました。

 で、朝になって地域の活動に出てみると、さすがに都心なだけあって堅牢な建物の上階に避難するなどして、みんな無事で、落ち着いた表情をしていました。あら、元気なら何より。意外としぶとくて安心しました。

 交通機関が死んでいるので、仕方なく車で浜離宮経由で青海方面に行くのですが、例のトライアスロン会場の近くを通ったら大変そうな物体がたくさん浮いていました。大雨だからあれこれ垂れ流しになるのは仕方がないとはいえ、大腸菌祭りと流木大集合のコンボって結構しんどいと思います。小池百合子が悪い。

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 川上量生さんと裁判をやっているんですが、大きなイベントもなく実に静かに進行しているんですよね。


 川上量生さんは私の書いたツイートがデマだと言っていたのに、クラウドフレア社は情報公開請求に応じ、NTTグループもブロッキングを一時は実施を表明しましたから、結果的に私の書いたことは全面的に正しかったわけです。でも、真実誤認性でも主張するために、クラウドフレア社に川上量生さんが行ったとしていた法的措置の内容も無ければ、NTTグループに「訴えてもいいですか」とまで言ったはずの川上量生さんの陳述書も出てきません。


 つつけば川上量生さんが何をしたかったのかもう少し分かるのかなと思っていたら、どうもまったく何も思っていなかったし、具体的には何もしてなかったようだということが分かったような感じで、非常に残念です。

 このままでは普通に裁判終わっちゃいますよ川上量生さん。まだ間に合います。ちゃんと川上量生さんが働きかけた先についての証拠が出てくればいいんですが。


 最近は、川上量生さんはメディアに呼ばれて出ることもなくなり、川上量生さんの珍説を目にする機会も減ってしまっていて、世間に川上量生さん発の笑いが途絶えてしまって残念ですが。みんな、笑える川上量生さんを待っていると思うんですけど、朝日新聞の取材に見事に釣り上げられていました。朝日新聞、グッジョブ。


川上量生さん、いまでもサイトブロッキングは必要ですか:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM9N468TM9NUCVL00H.html


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 まるで有料記事が落語のようになっていて、はなから馬鹿にされている感じで可哀想です、川上量生さん。

 そして今度は、川上量生さんがどこぞで書いた『総会屋2.0』なる表現について流用した変なサイトで言及した人は誰だろと思って私が情報開示請求を出しプロバイダであるIIJさんとやり取りしていた高裁判決を180度間違って解説した素人サイトがありました。当たり前のことですが、その変なサイトを作っていた人と私との裁判ではありません、発信者の情報開示請求でプロバイダのIIJさんとお話していた内容ですから。IIJさんとは私自身も間接的に取引があるので、プロバイダ責任制限法の枠内でのお話に過ぎません。


 素人サイトがあべこべなことを書いていたので、馬鹿なんだろうなあと思って壇俊光先生と笑っていたんですよ。


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 その高裁判決とは、川上量生さんが私について書いた『総会屋2.0』を変なサイトで記述した件は単なる意見論評であって、事実の摘示とは言えないので、書き込み者の発信者情報はIIJさんが開示せんでもええやろというだけの内容です。高裁は「私への総会屋発言を事実摘示とは言えないということで、発信者情報の開示を認めなかった」という判決ですので、そんなら中傷だなんだと訴えるのも野暮だし、まあいいかと思っていたわけですね。


 そしたら、これをどこかで見た川上量生さんが、判決文も掲載されてないこの素人サイトを見て、Facebookで「これは便利」とか書いて回覧していました。いや、これ川上量生さんが書いた「総会屋2.0」って発言は意見論評であって事実摘示とは言えないっていう、そういう趣旨の判決ですよね。川上量生さんがそう書いているということは、これは川上さんが事実摘示をしたということなんでしょうか。


 繰り返しますが、川上量生さんの「総会屋2.0」という発言は事実摘示とは言えないという高裁判決ですよ。


 この程度のことを書くから川上量生さんは笑われるんだろうと思うんですが、さらに面白いのは、フレンドのみ回覧となっているFacebookですら、川上量生さんの発言や意見に対して「いいね」をする人は悲しいぐらい少数であり、だいたい川上量生さんがかつて事業で一緒だった人ぐらいしか訪れてないってことですかね。


 一時期は、日本のネットコンテンツの旗手として最前線にいるとされた川上量生さんが、ネットの未来は中国的であるべきと海賊版サイトのブロッキング賛成を喚き散らしていたころが川上量生さんの全盛期でしょうか。知らんけど。その後、わざわざ情報法制研究所に削除と謝罪をカドカワ代表取締役名(当時)で封書で送りつけた川上量生さんが、結局はカドカワの業績悪化の責任の詰め腹を切らされて代表を降ろされ、雲の子を散らすように担いでいた人がいなくなったようで、実に寂しい末路を感じさせます。


 川上量生さんが威光を失った理由は私のせいじゃなくて川上量生さんの油断と人望のなさじゃないかとは思いますけれども、いい歳してそこそこの立場にあった人が、判決文も読めずにガセネタに引っかかって正反対の事実認識を持つ姿を見ると、そもそもその程度の人だったんじゃないかと思わずにはいられません。


 実際、川上量生さんがカドカワ取締役およびドワンゴ顧問に降格になってまで会社にしがみついているから、というのはありますが、その後まともなネット系企業の社外取締役などに就任したという話も聞きません。


 川上量生さんとはあれこれ裁判をやっているものの、川上量生さんが親しいとされたNTTグループから何か素敵な証言でもブロッキング絡みで出してくるんじゃないかと正座して待っていたのですが、本当に誰からもなんの助勢もない模様です。


 このままだと何事もなく裁判終わっちゃいますよ。

 川上量生さん、しっかりしてください。


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 長らく闘病されていた元『FACTA』の編集長・発行人だった阿部重夫さんが、リハビリを兼ねて独立し、自分メディアを立ち上げて調査報道の原点を探る事業を始めるのだそうです。マジかよ。

 新メディア名は『ストイカ(Σtoica)』とのこと。すでにパイロット版の募集が始まっているようで、一言、先に言ってくれればよかったのにと思うところ大であります。

阿部重夫 -note
https://note.mu/stoica_0110

 阿部さん、しばらくお加減が芳しくないことは存じていたのですが、骨の髄までジャーナリストなんだなあということで、率直に応援したいと思っています。

ストイカ(Σtoica)を創刊します|阿部 重夫|note(ノート) https://note.mu/stoica_0110/n/n60fce266091f

 結局、私自身は『FACTA』には一本も寄稿することはなかったのですが(本当です)、阿部さんが別の会員制月刊誌『選択』の編集長をされていたころから知己として主に証券系の経済事件でお話をお伺いする機会があり、その幅広い(幅広すぎる)人脈と、信頼できる複数の情報を組み合わせて事件を立体的に把握し記事に落とし込み、二度、三度と繰り返し報じて同じ標的を追い込む調査報道の凄みを拝見しておりました。

 その真骨頂は、ジャーナリスト山口義正さんを起用して一大スクープとなったオリンパス事件に関わる問題、そしてFIFAやオリンピックを巡る電通の一件、さらには鬼才・北尾吉孝さん率いるSBIグループを巡る騒動など、思い返せば調査報道に徹した阿部さんの『FACTA』がつけた一番槍がきっかけとなって世の中が問題に気づき、驚き、動いたというものも少なくありません。





 ある案件では、私がとても親しい企業の経営者が阿部重夫さんの筆に激しく追い立てられ、ツーブロック黒光りゴリラの典型だったのに、半年もしないうちに秋ナスの漬物みたいな風貌になっちゃったのは印象的でした。怖ろしい。実に怖ろしい。人間、上手くいったなとふんぞり返っているところへ、突然ガラリと襖が開けられて槍持った阿部重夫さんが闖入してくるという「好事魔多し」そのものだろうと思うわけです。

 悲しいかな、一人の読者として『FACTA』を見たときに、昨今は良くも悪くも筆のノリが悪くなったな、いかな阿部重夫さんと言えどネタが枯れることがあるのだと思っていたら、実は結構前から健康問題が理由で『FACTA』の現場からはずっと離れていたことを知りました。それを先に言ってくれ。やはり良いメディア、信頼できる記事というのは、箱ではなく人が作るものなのだ、ということを改めて感じずにはいられません。

 調査報道の観点から言えば、いまのネットや情報流通ではPV至上主義的な風潮で「量」がモノをいうこんにちにおいて、ぶっちゃけメディアが「質」を求めて調査報道をしても喰えません。よりセンセーショナルに潜入取材をして一旗揚げることはできても、定点観測で広く世間を網にかけながら継続的に問題を掘り起こし、商業的に成功させるモデルはなかなかないのが現状です。調査報道の機能は新聞各社や通信社が担ってきた部分もありつつ、週刊誌も含めて紙によるビジネスモデルの緩やかな崩壊とともにその行く先は危ぶまれているようにも見えます。

 具合が悪いので『FACTA』辞めるって話だったのに、いつの間にか「調査報道をやるために新しいメディアを立ち上げたよ」と笑ってる阿部重夫さんは、人生の最期の瞬間までジャーナリストなんだと思います。何という根性。死ぬぞ死ぬぞと見せかけて、紳士服屋の閉店セールよろしく令和時代最後までしぶとく駆け抜けるという悪い予感もしなくもありませんが、やはり『選択』や『FACTA』を愛読してきたわたくしとしても、これはもう謹んで『ストイカ(Σtoica)』を拝読しないわけにはいきません。

 事前に原稿をくれているわけでは全くないので、まだ『ストイカ(Σtoica)』を一行も読んでいない私がお薦めするのも変な話ですが、きっと阿部重夫さんのことですから、世に栄えるあんな人やこんな人が誌面で真っ二つにされるような調査報道を連発してくれるのではないかと心から期待しております。

 ご関心のある方は、ぜひどうぞ。

ストイカ(Σtoica)を創刊します|阿部 重夫|note(ノート) https://note.mu/stoica_0110/n/n60fce266091f

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まず、私の意見を申しますと、本件は法的に何ら問題のない展示物ではあったが、作品が示す政治的主張を受け入れられない人たちからの猛烈な反発があって、電凸などの「ソフトテロ」に見舞われて小展示自体が展示取りやめに追い込まれたものです。そうである以上、私は津田大介さんの展示を行う姿勢そのものには支持をしますし、表現の自由の観点からも、また、検閲の禁止からも、なるだけ作品の展示は続けられるよう各位が努力するべきものだったのだろうなあと思います。

 津田大介さんはダブルスタンダードである以外、擁護されるべき、というのが私の考えです。

 一方、愛知県が組成したあいちトリエンナーレの検証委員会は、その報告書で津田大介さんの美術監督としての責任を問う内容を示したということで、その内容が報道されました。

不自由展の混乱「最大の原因は芸術監督」 検証委が批判:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM9T528KM9TOIPE023.html

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunka/aititoriennale-kennsyou.html

[引用]

企画展の展示方法に多くの欠陥があったと指摘した上で、津田(大介)氏の責任に言及し、リスクを回避する仕組みが芸術祭実行委や愛知県庁に用意されていなかったと批判している。

(略)

報告は、不自由展の展示方法を問題視した。慰安婦を表現した少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などに抗議が集中したことについて、「作者の制作意図等に照らすと展示すること自体に問題はない作品だ」とするが、「制作の背景や内容の説明不足」を指摘。「政治性を認めた上で偏りのない説明」が必要で、「すなわちキュレーション(企画の実施手法)に失敗」したと批判した。


--ここまで--


 いやー、めっちゃ津田大介さんぶん殴られてますね…。

 つまり、報道の内容を見る限り、私の意見と同様に「展示すること自体に問題はない作品」と総括されています。だけれども、その展示の仕方が不適切だったとして、美術監督である津田大介さんの責任を問うという結論になっているのであれば、「すなわちキュレーション(企画の実施手法)に失敗」として津田大介さんの去就も含めて重大な判断が行われる可能性があるのかもしれません。

 かくして、東京新聞など左派系メディアにも登場し、騒ぎも過ぎて穏便に落ち着くかと思いきや、検証委員会が津田大介さんの眉間からつま先まで真っ二つにしてしまったため、まずは津田大介さんの美術監督としての責任の取り方を、そして津田大介さんを選任した審査員・運営委員会や、任命した愛知県知事・大村秀章さんの責任もどうするんだという話になるんじゃないかと思います。

 実際、今回の検証委員会の座長の山梨俊夫さんは国立国際美術館館長であり、また津田大介さんを芸術監督に選考した際の審査員の建畠哲さんは全国美術館会議の会長でもあります。要は、現代美術でイベント面でも面白いトリエンナーレに仕上げるために、門外漢の津田大介さんを面白がって美術監督に据えてみる、というリスクを担ったのは美術館業界・現代美術の大御所たちであって、そのリスクが不幸にも実現してしまい、焼け野原になった理由を津田大介さんの不始末ということで責任を押し付け、トカゲのしっぽを切りに行っている、とも言えます。

 もちろん、本当に悪いのは妙な抗議を殺到させた名もなきネトウヨの皆さんであって、本来ならば、わざわざ抗議するのではなく、主義主張の違う人たちが面白展示しているのを遠くから眺めているほうが正解だったと思うんですよ。こんな騒ぎにならなければ、たいして話題にもならなかったでしょうから。むしろ、そういう形で言論が封殺されかねない日本の悲しい文化的後進性を知らしめてしまったというのは、別の文脈においてですが残念です。

 また、津田大介さんの度重なるダブルスタンダードには辟易するところはありますし、秘書兼恋人的に見える女性の背中押しもあって未経験極まりない美術監督の就任を決断する津田大介さんのセンスの微妙さは指摘されることもあるでしょうが、津田大介さん的には左派的な党派性もあって「やってみたかったこと」であったのは間違いない。そういう面白そうなことをやってくれる津田大介さんだから、建畠さんも津田大介さんを美術監督に推薦するひとりになったはずじゃないかと思うんですよね。

 そのあいちトリエンナーレで下支えで頑張ったキュレーターさんたちや、現代美術界隈からは、津田大介さんからの根回しがそれほどない状態で「男性女性同数の作品展示にする」という大方針や、別の話でちゃぶ台返しもあったと言っていたのが事実ならば、津田大介さんのお陰で現代美術の相場がボロボロになり、関係者も芸術家からの抗議まで来てしまって頭を抱えているのかもしれません。

 でも、そういうドタバタも含めて津田大介さんの面白さだったんじゃないかと外からは思うんですよ。東浩紀さんもアドバイザーを降りる、あれほど親しく写真に写っていた愛知県知事大村さんも津田さんが悪いと切り捨てる。人間臭すぎて、これこそが芸術なんじゃないかとすら思うほどに。

 だから、表現の自由の大事さや、権力による検閲を認めない姿勢、また、今回改めてネトウヨその他からの電凸で騒ぎが広がるようなソフトテロも含めて、あいちトリエンナーレという大プロジェクトをたった420万の小展示で大混乱に陥れた壮大な時間と人間の織り成す芸術作品を津田大介さんは作ったんじゃないか、と私は思います。

 津田大介さんには私の変なスレを2ちゃんねるで立てられたり、不思議な怪文書が出てきたり、周辺で変なことはたくさん起きるけれど、本件に関しては圧倒的に津田大介さんを応援しています。

 そう思っているので、そろそろ津田大介さんは私へのブロックを解除してください。
 現在進行形で繰り広げられるこの芸術が観られませんので。


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このところ短い出張が立て込んだりして、空き時間に本を読み倒していたのですが、「うわ、面白い!」というよりは「これは興味深いですね」な雰囲気の佇まいの本と何冊か巡り合ったので、備忘録がてら綴ってみたいと思います。

 中でも、思いのほか出色だったのは『物部氏と石上神宮の古代史 ヤマト王権・天皇・神祇祭祀・仏教 』(平林章仁・著)は、難解とされる日本古代史の扉を開くような書き口・装丁による間口の広さと、そこから広がる世界の奥行きの深さが読み手の心に響く内容になっていました。類書はそれなりに読んでいるつもりでも、物部氏と古代王権の関係、古代国家と仏教の繋がりも含めた「なるほど、その可能性は高いんだろうなあ」と思わせるしっかりとした論述が、人間社会における権力とは何なのかを思わせます。


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[引用]
p141

 要するに、彼ら僧侶や技術集団は、百済からヤマト王権・天皇に贈与されたものである。王権・天皇に贈与された僧侶、工人集団と資材を用いて造立している点からも、飛鳥寺を単なる曽我氏の「氏寺」とみなすことは適切ではなく、国家的性格の強い寺院であったと解されなければならない。

 先進文物の集約である仏教は、天皇がその信仰を受容できなくても、王権に帰属する、天皇の優先的占有物であった。

--ここまで--


 本書でも定義されているように、古代日本は世界観や慣習法が多元的であり、氏族と神話の内容から古代日本人が何をアイデンティティとしたか、どんな生活を社会規範としていたのかが書き表されます。広大な原っぱの、ここからここまでが敷地ですよ、と最初に杭がしっかりと打たれる感じ。そこから、日本社会全体的の動きから物部氏と古代政権(権力)との関わりがいかなるものであったのか、章を追うごとに解き明かしていく過程は、その広く定義された敷地に、古い日本の時代を意味する建築物がどんどん建築され、意味を持つ装飾が施されていくような、知的関心を覚えます。

 いまの日本人からすれば「亀卜」と言われても何でそんなものが根拠になって権力が行使されているのか訳が分からないのかもしれません。だが、律令時代の神祇祭祀や仏教の扱われ方は、慣習としての祭祀を権力による社会のイデオロギー統制に転化させるプロセスと考えれば、本書に登場する謎に包まれた物部氏が、実は海外事情に通暁した人々で、当時の先端技術を取り入れ社会を安定に導いていたようにも見えます。

 古代日本というテーマは、まだ日本人が信仰とともに生きていた時代に社会を維持するための権力構造・価値により迫るものであって、本書から、人々が営む息遣いが伝わるようにすら感じます。本書の価値は、しっかりとした資料を読み込んだ研究の上に考察を丁寧に積み重ねたことで得られる、古代日本の人々の暮らしを読み解いていることにあると思います。物部氏については、本書でも指摘のある通り、ヤマト王権が各有力氏族たちから徴収した各種宝器を管理する氏族であるとするならば、事実上の徴税機関的なもので、王権を補佐する側として非常に重要な役割を果たしてきたと言えそうです。

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 古代日本に関する基本的な知識に言及した『天皇はいつから天皇になったか』(祥伝社新書)や、『物部氏―剣神奉斎の軍事大族 (古代氏族の研究) 』(青垣出版 宝賀寿男・著)『物部氏の伝承と史実』(同成社 前田晴人・著)、古代法制の論文は物凄く平易で分かりやすいと思います。

日本古代神祇祭祀法における「法意識」についての基礎的考察 大宝神祇令から延喜神祇式へ(榎村寛之
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalha/59/0/59_53/_article/-char/ja/


 読書っていいもんだと思うんですよね。なんかこう、知的な建設物が構築されていく感じがするあたりが、特に。





 皆さんも、良い読書生活を。

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