長女が2歳になり、片言ながらはっきりとした言葉を喋るようになりました。覚えたての単語一個だったのが、二語となり、三語となって、存在や感情、主張を頑張って伝えようとする娘を見ると、また上の男の子3人とは違った「人格」の芽生えを感じますね。

長女「ママが大好き」
ワイ「パパは?」
長女「ママが好き!!!」

 強い子に育ってほしいと心から願っています。
 これから苦難の時代を迎える日本社会を、渡っていけるような。

 で、自民党総裁選が告示前から騒がしくなり、また、埋没するまいと立憲民主党や国民民主党、維新の会など野党サイドも政策主張を明確に示すようになってきました。良いことだと思います。

 ただ、男女同権だ社会参画だという建前とは裏腹に、コロナ下では国民も不安を拭えず社会環境や経済状況から見て「出生できる状態にない」と思う母親候補が多かったのか、出生率・出生数がコロナ時期に大きく減ってしまいました。非常に残念なことです。

 私は子どもが4人いますが、夫婦でお互い頑張って育てているとはいえ、やはり家内への負担は大きくなります。授乳や勉強、家事も含めてできる範囲のことを手伝おうとするも、子どもたちからすれば当然のごとく「ママファースト」なのであります。私に人徳がなかったばっかりに…。

 また、山本家は高齢親たちの介護や手配などもあります。仕事との両立が大変なのですよ。

 先日、社会保障系の勉強会で喋る機会があり、希望出生率の動向や人口減少後の日本社会について、特に地方経済の崩壊や地域社会への制度的介入の在り方なんてのを話しましたが、右肩上がりで作られたいまの制度を廃し、人口減少局面での「撤退戦」を考えましょうというテーマでもやはり地方自治体の皆さんや知事の方は「地方を見捨てるのか」という議論になります。

 感情では、そりゃ地方経済は救わなければならない、どうにかしたいという気持ちはあります。同じ日本人として生まれてきて、その同胞たる日本人が苦しんでいるのを見て、喜ぶはずもない。何か方法はないかと考えるのは当然のことです。

 他方で、私のような保守主義者からすれば、自然法の中で衰退を食い止められないのであれば綺麗事を言って、助からないものを助けようとして、助かる人たちも苦労したり死んでしまうよりは、助かる部分をきっちりと残し、みなが一緒に沈没しないようにまずは縮小への手当て、準備をしなければならないと思います。どこかから日本人が湧いて出てくることはなく、衰退がはじまった地方や産業や学術分野をいまから支え直すことは不可能です。

 そういうと「無責任だ」と正面から批判されます。でも、あなたがたは2000年以降20年以上にわたって衰退する地方と向き合って解決策を模索したけれども、当事者として残念ながら人口減少と衰退に抗うことはできなかったじゃないですか。

 そして、それは地方自治体や知事がどう頑張っても不可能なことで、それこそ明石市の泉房穂市長が頑張ったように本当に市民に寄り添う市政でない限り無理じゃないかと思うわけですよ。それだって、周辺自治体からすれば、かなり明確に明石市批判をし、つまりは周辺自治体から勤労世帯を引き抜く政策をし、ベッドタウンとして自分たちだけ成功しようとしているだけじゃないか、という議論になります。

 実際、明石市が市政としてうまくいったとしても、それは泉さんだから良かったのであって、周辺の自治体を合わせて見ればやっぱり人口は減少し、地域GDPは下がり、京阪神全体の地盤沈下を防ぐところまではいかない。もはや、大状況がこうである以上、戦術を駆使しても、そしてそれが本当に有能な市長によって上手く回ったのだとしても、挽回するのはむつかしいのです。

 そこで出てきたのが男女同権で女性の社会参画を促して地域の活性化につなげようという発想です。あまり興味はないけれど、それが正しいと思うのならば頑張ってやればいいんじゃないですか。

 ただ、子どもを4人育てて、介護もしている側からすれば、女性が社会進出して得られる富やキャリア、スキルと、働きに出ているあいだ保育園に入れ、小学校に上がったら学童に行くライフスタイルをもって「女性の社会進出」だと本当に言えるのかという難題があります。

 ぶっちゃけ、都市部の女性の初産が30代になっている地域があり、1σの上のほうは何と35歳台になります。これが3世代になると、0歳の子どもを育てている35歳の母親の親は70歳であって、二人目を出産するころには親が後期高齢者です。

 昔はこれが出生平均年齢が22歳から23歳台だったことを考えれば、0歳の孫、20代の母親、50代にさしかかるかどうかの高齢者だったのですから、介護問題なく女性が社会進出でき、複数の子どもを儲けることができたかもしれないのです。でも、その当時は多くの女性が家庭に入り、育児に専念する選択をしました。そのころは豊かだった、専業主婦は守られていたと言いたい人たちも多くいますが、実際には祖父、祖母もまだ50代で多くは働いていたので、3世代で暮らせる世帯は働き手が多かったのです。

 世帯収入の減少は、日本経済の停滞・衰退と軌を一にしていると言われがちなものの、それもありつつ、現実は3世代同居で働き手が多かった時代から、徐々に都市化、核家族化が進んで、働き手の問題から「女性が社会に進出して2馬力で働かなければ育児や介護を支えられる世帯収入が得られないよ」という社会構造の変化のほうが大きいわけですよ。

 結果として、ここで核家族化した日本の都市生活を維持するために、女性が社会に働きに出ざるを得ない代わりに、託児所や保育園、幼稚園を制度化し、全員使えるように公費で賄い、さらに小学校も下校後のお守りのために学童保育で面倒見なければならないという社会状況になりました。さらに、その爺さん婆さんも高齢化するので、今度はこっちも老人養護施設や高齢者サービス付き住宅、介護保険などを駆使して公費で面倒を見なければならなくなった。

 身の回りで、高齢者の面倒を看る子ども「ヤングケアラー」問題が勃発しました。ただ、ヤングケアラーはまだ良いほうで、東日本では長男が、西日本では長女が伝統的に親の面倒を看るのが常態化し、介護離職が社会問題化したけれどまったく解決せず、さらに話は進んで親の年金に依存して介護をしていた中高年男女が親の死去と共に収入源を失って自立支援を受けたり生活保護世帯になるケースまで出ます。

 そう考えると、女性の社会進出を応援するというだけの話ではなく、女性の選択として「母親という職業を選ぶ」「収入やキャリアを求めるより介護や育児のために家庭に入る」こともまた、認めなければならない時代に差し掛かっているのではないか、と思うのです。

 そもそも、社会保障の原点は国民が自らの意志で人生を選択し、その過程で、病気や失業、事故などで働けなくなっても再起できる社会を構築することにあります。女性が輝く時代だから子どもは施設に預けて社会に出て働けということが、本当にすべての女性、世帯、夫婦において正しいと言えるのか。

 本当に社会保障を考えるなら、あるいは、真に人間の多様な選択を認めるリベラルならば、画一的に社会に出ろ、子どもは預けろという方向だけでなく、女性のあらゆる選択に対して公平に、平等な支援を行えるような社会保障体系を築き、また、地域の差なく足りない人口を補える構造をどう考えるかではないかと思うのですよ。

 必然的に、社会が貧しくなり、世帯収入が足りなくなれば、明らかに社会的に贅沢品である核家族が回らず、1960年代ぐらいの3世代同居も選択肢の一つになるような制度設計は必要でしょうし、なんでも地域が、自治体が、国がカネを出して社会問題を解決するという構造から脱却しないと社会全体の生産性を上げることができず、ますます地域の産業が死滅して魅力のない地方経済、地域社会になっていくのではないかと危惧します。

 逆に、リベラルだと自認されている国会議員の方、地方首長の方ほど、ほぼ完全に「女性は社会進出するものだ」「子どもは公的機関が預けるのは当然だ」という強迫観念的な思い込みに近い硬直化が進んでいて、複数子どもを育てたり、育児と介護が同時に発生している家庭が直面する困難や課題には理解が乏しいように思います。

 山本家は家内や祖母の多大な苦労やカネの力である程度は何とかなっているのはラッキーだからで、そうではない家庭で母親が社会進出し両親が働きに出て、子どもは保育園や学童、学習塾に投げっぱなしということでいいのか、というのは問題意識として強く持っているのですが。



 アフガニスタンからアメリカが撤退し、民主主義とはなんであるかが強く問われる事態となっているわけですが、日本を取り巻く環境もまた一変して、米中対立から台湾海峡有事で日本が再び冷戦の最前線に立たされる恐れが出てきている昨今であります。

 世界の政治と対立の歴史というダイナミズムについて、とりわけ近代世界史を知り、その中の日本とは何だったのかを思い致すのに最適なテキストが本書『日本人のための第一次世界大戦史』(板谷敏彦・著)であります。

 読め。



【Amazon】はこちら→ 日本人のための第一次世界大戦史 (角川ソフィア文庫)

 舞台装置として、いまでも喧伝される世界経済の大いなる結びつきと、進展するブロック経済、発展する鉄道や海軍力など輸送手段の拡大、メディアの役割、モザイクのような国家ごとが目指すむき出しの国益の姿… さまざまなものが、第一次世界大戦の話のはずなのに相似形として現代日本の迷える姿にダブってきて、これはこれで身につまされるところが大なのであります。

 歴史を学ぶことの大切さなんてものは誰もが口にする陳腐なものですが、どれだけ技術が進歩して、現代社会が過去とは全く異なる社会を構築したのだと誇ったところで、それを動かす人間そのものは太古の昔からそう大きくは変わっていません。これだけ貿易が進展し豊かになった世界が大規模な戦争など起こすはずがないと思っていた二か月後にはサラエボ事件が発生してそれをトリガーに大戦争が始まり、それもテクノロジーが進歩したがゆえにマシンガンと塹壕による膠着で長期間にわたる死者多数の悲劇が起きてしまったというのは大事なことだと思うわけですよ。

 航空優勢という概念が戦局を大きく変えた第二次世界大戦から局地的な戦争を経て80年、いまや世界は情報(サイバー)戦、デジタル通貨、航空宇宙といった知的財産を絡めた新たな領域での争いに発展し、いまや人が死ななくてもすでに戦争状態なんじゃないかとも言えるほどの緊張感のある世界観が広がっているのが現状です。

 翻って、いまの知識を持ってこの本が解き明かす第一次世界大戦の状況を俯瞰できたら… まるで、あらゆる要素が、社会も技術も政治思想も国民国家も文化にいたるまで、本当にすべての構造が吸い込まれるように「戦争」という一大イベントのために存在していたんじゃないかと思うぐらいに、国家・社会のシステムとシステムとが相互に優劣を競う、そんなカタルシスさえ感じさせてくれます。

 一口に国家の興亡と言えば簡単に聞こえますが、そういう優劣を露わにする各種要素は、人口から教育、産業構造、統治機構の出来の良し悪しと、あらゆる面で平和な時代からの「総力戦」の結果だったのだ、ということを思い知らされます。読んでいて、読む側が「本当に、いまの日本のこの状況で良いのか」というじっとりとした焦燥感に襲われるのも、本書が読者に鋭く問う歴史の深みであることは論を俟ちません。

 また、あくまで本書は「入門書」です。各項目について、非常に、非常にコンパクトにまとめられ、メインストリームの構造は読者に程よい理解を促してくれるという意味で大変良い「考えるための下地」を与えてくれます。ですが、各項目の細かい部分については解釈や意味づけにおいてもっと幅広な議論があり、詳しく知りたい、考えたいという人にとっては、やはり類書をきちんと紐解き、自分なりの解釈まで落とし込めるようにしておくべきでしょう。

 とりわけ、第一次世界大戦前夜の金融市場や各国政治体系、そこにいたるまでどのような政策議論があり、国益に関する考え方を持っていたのかについては、個別に知っておいたほうがいいかもしれません。イギリス、ドイツ、フランス、ロシアやオーストリア=ハンガリー、オスマントルコ、イタリアなど主要各国のバックグラウンドを知っておくことで単に当時のヨーロッパ情勢がどうであったのかだけでなく、現代にいたる対立の構造の歴史を示唆するに余りあります。

 私の好きなボードゲームに「ディプロマシー(Diplomacy)」というまさに第一次世界大戦前夜の欧州をモチーフにした傑作があるのですが、いまだに英語圏のプレイヤーとは年に数回、大学でメール対戦をするほど、世界的にも教養として定着している内容です。あなたの社会知識をより深いものにするために、読んで損はない一冊です。









 

 テレビ局も商売なので、いわゆる「コア視聴率」が下落すれば見た目の指標が良くても番組が打ち切りになるのは仕方がないと思うんですが、俺たちの東京スポーツが例の「張本勲の老害問題」を軸にサンデーモーニング打ち切り説を活字にしてくれました。

〝張本失言〟でTBS「サンデーモーニング打ち切り説」加速 コア視聴率低迷に追い打ち(東スポWeb) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/0037a06edcc8735fb13245e4a827fb7ac6d998a1

 ありがとう、東京スポーツ。

 ひとくちに「コア視聴率」と言っても、テレビ局や広告代理店がベタッと統一的な数値を出しているわけではなく、スポンサーサイドからの要望に基づいてT層(10代)とF1~F2層、M1~M2層を指すにせよ、あるトイレタリー製品大手の場合はF1既婚者層(想定)をコアにしたり、別の自動車メーカーはF1M1とM2をという風に、計上する属性が異なることもあります。ただ、総じてどのくらいのコアなのかはスポンサーによって異なるとはいえ、ざっくりとした一般的指標として概ね中学生以上から50歳未満の視聴者を、テレビ局のスポンサーは重視しますよということ以上のことは対外的には明らかにされていません。

 ただ、確実に言えることはいままで視聴率面で重視されてきた3層、高齢者による視聴はカネにならないと割り切ったあとで、彼ら向けコンテンツがなくなってしまうことで、本格的にテレビの前に座っている時間が減少するという各局総視聴率低下問題が現実のものになりそうだということです。これは、裏を返せば大正義・NHK一人勝ちになる可能性も危惧されかねないのと、いままでテレビの前に曲がりなりにも座ってくれていた高齢者世帯を見捨てたとしても若者がテレビの前に帰ってきてくれるためにはネット視聴その他他の安価な娯楽との叩き合いになり、テレビ局という巨大な装置産業があっという間にビジネスモデルとして崩壊しかねない恐怖もまたあるわけですよ。

 他方、テレビ局も無策だったわけではなくて、テレビ視聴における満足度調査の観点から言えば、全局(!)のほぼ全時間帯で視聴質の観点では2015年以降軒並みプラスに転じ、特に35歳から39歳の男女を筆頭に多くの視聴者が「テレビ番組は面白くなった」「好きなテレビ番組がある」と回答するようになりました。テレビ局も、いままでのビデオリサーチのような若干曖昧な視聴率による指標で数字を競わされていた時代からネット全盛期になって、例えば見逃し視聴やSNS言及数といったコア視聴率とはまた違うロイヤリティのある視聴者はどこにいるかが可視化されたことで「視聴者に喜ばれる面白い番組作り」とテレビ制作者ならではの「作家性のある独特な映像作品」に対する健全な競争へとシフトしてきたことが「番組の質の面から見れば黄金期到来」と言っても過言ではない状況になっているわけです。

 ところが、時すでに遅しというか、ビデオリサーチ的にはT層、ネットマーケティング的には12+属性の男女はあまりテレビの前に座ってくれなくなりました。もはやネットはスマホで観るものとなり、ワンタッチで好きな動画を見られないいまのテレビ局のコンテンツは、ほぼ総じてWOWOWやCSと変わらない敷居の高さになってしまっているのが現状ではないかと思うのです。別の調査ですが、家族だけでなく友人や学校、職場での会話でテレビ番組のことを話題にする機会は割合として最低を更新し、特に芸能マスコミやバラエティ番組に対する関心は低迷しています。たぶん、テレビ局各局もその傾向は充分に分かっていながらも、コア視聴率を引き上げようにもスポンサーからの制作費の減少局面からいままで以上にリッチな制作費を捻出することができず、ネットでの番組告知も充分に行われていないので若い人からすればテレビ番組は存在していないも同然になりつつあります。

 そして、非コア層とされる高齢者向け番組は時間面も予算面も限られることになり、テレビ局としては、本当の意味で編成の能力で今後の経営が大きく左右されていくことでしょう。そして、先に地方テレビ局の統合や廃止も視野に入れながら、よりローカルか、より低予算か、よりコンテンツ性の高いもの、時事・スポーツといった共有体験を持たせられるものという風に、業界全体のコンテンツ攻勢が変容していくことでしょう。

 そういう業界構造の大きな変化の試金石が、まさか女子ボクシング金メダルを「結婚前のお嬢さんの殴り合い」という分かりやすい言葉で炎上した老害商法ど真ん中の張本勲による引き金でドミノ式に非コア向け番組改編の始まりになるのだとしたら、何とも皮肉なことです。

 むしろ、そんな雰囲気のキャストで長寿番組が成立していた前提が崩れるのは当然のことでしょうし、ではそういう番組を曲がりなりにも楽しんで来た(カネにならない)視聴者がどこに流れるのかというのは興味が持たれるところです。

 そう考えると、通販番組に対する地上波の依存度をもっと減らさせようとする考えも出てくるでしょうし、地上波も含めた電波オークションのような統合的な電波村政策についても思案するべき時期になったんじゃないのかなあと思わざるを得ません。はい。



 なんでこう東京オリンピックとコロナ対応、目前に迫った衆議院選挙でクソ忙しいときにこんな話がと思いますが、クソ忙しいからこそこういう話が出るのだということなのかもしれません。

公明・遠山清彦元議員の元秘書、貸金業法違反容疑 議員事務所捜索 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210804/k00/00m/040/391000c

[引用]

遠山元議員は緊急事態宣言中の深夜に東京・銀座のクラブを訪れたなどとして今年2月に議員辞職。元秘書はその後に同党の吉田宣弘衆院議員(53)=比例九州=の秘書になった。

 まあ確かに面倒な話ではあるんですが、公明党議員事務所のある議員会館へのガサ入れなどもあり、全体的にきな臭くなっています。貸金業法違反容疑で取り沙汰されている事業者は、いずれも公明党支持や特定の宗教の関係先ということでもなく、IR(滞在型リゾート;カジノ)関連ではあるものの少し遠い印象です。おそらくネタとしては長崎カジノに参入しようとして玉砕したピクセルカンパニーズ社の話との絡みだと思うので。

 むしろ、この方面のケツを持っていたのはアマナスグループの牧厚さんの関連で、言わずと知れたオールド自民党や元総理・鳩山由紀夫さんら親中派の交流団体「日中協力会」の世話役であります。

アマナスグループ
http://web.archive.org/web/20210805070432/https://www.amanasu.net/corporate/index.html

汪蕪生
http://web.archive.org/web/20190130184800/http://www.wws8.com/japan/profile/profile.html





 不思議な事業構造をしているアマナスグループですが、個人的にこのグループの産業廃棄物事業にはかつて照会があって見たことがありますが、だいたい中国への廃プラ・鉄くずのような資源ごみ輸出でも頑張っておられたようです。

アマナスエコフロンティア
http://web.archive.org/web/20170201220246/http://amanasu.net/business/ecofrontier/index.html

 また、バルチック詐欺(中国系の重油貿易を詐称した感じの面白グループ)にかかわりの深かったアマナステクノホールディングスジャパン社なんてのもあります。こっちが先に事件化するかと思っていたのですが、違いそうですね。

(株)L’ALBAホールディングス(4798)をウオッチする part2 バルチック詐欺との関連(一部追記)
http://murakusai.doorblog.jp/archives/21719725.html
(魚拓)  http://web.archive.org/web/20210113095753/http://murakusai.doorblog.jp/archives/21719725.html

 まあ要するに詐欺的な何かなんですが、そこに日中協力会という比較的いろんな人たちが関わっている団体の世話役として、この牧厚さんが関わっていたうえ、前述の通り鳩山由紀夫さんや森喜朗さんといった素敵な元総理大臣が後援会名目として顧問として入っております。ただ、表向きにはいわゆるオールド自民党の対中国の山吹色のお菓子団体だったとしても、個人的に聞きうる限り、牧厚さんが具体的に森さんの集金マシーンであったとか、鳩山さんのお陰で上手い飯が喰えているという類の話ではないのかなと感じます。




 先日事業撤退をしたSBIホールディングス傘下のSBIソーシャルレンディング(SBISL)社を介し個人投資家からも300億円以上を調達し、さらに金融機関から融資金11億円超を詐取したなどとして、代表の生田尚之さんや役員ら3人が逮捕されたテクノシステム社の問題は、すでに報じられている通りです。

 この流れで民泊事業子会社が旅館業法違反容疑で警視庁の捜索を受けたピクセルカンパニーズ(旧ハイブリッド・サービス)のようなハコ企業にも関連していたのが、この牧厚さんなのかなという感じはします。いわば政治的なコネクションを利用して、もしくは詐称するなどして、金融機関から日本の再生エネルギー転換の重要な手段のひとつとして事業を展開する際、そのテクノシステム社の顧問などの名刺を駆使して永田町工作を行い、ある種の問題ありげな融資の片棒を担いでいたのではないかとも思われるわけです。

“銀座豪遊辞職”公明・遠山前議員元秘書ガサ入れの裏で囁かれる「太陽光発電巨額詐欺」(日刊ゲンダイDIGITAL)#Yahooニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/c90eb3ef477c47ad5714a1ba92acf46bcf8138a3

 正直、なんでこんな反社まがいの面白紳士の皆さんにオールド自民党や鳩山由紀夫さん、公明党元秘書の皆さんが関わることになってしまったんや? というのと、遠山さんと言えば、そちら方面では非常に人気のある人格者でもあり、真の意味で未来の日本の政治を担う人だったはずなんですが、どうしてこっちの方面で名前が取りざたされるようになり、またいままでだったらちょっとあり得ないような銀座での豪遊があり、しかも暴露され、追われるように社会的地位を失ってしまったのか、気になって仕方がないわけですよ。

 同様に、脱炭素を巡る再生エネルギー関連はもはや一大利権となり、霞が関におけるベンダーロックイン問題など吹き飛ぶぐらいの勢いで取り組んでいかなければならない大きな予算が注ぎ込まれる事態になっています。そこへ、中国製の太陽光パネルだけでなく発電システムそのものが丸ごと中華製で、メガソーラー設置に適した立地が日本には乏しいという理由で道府県や自治体の造成認可をもらうために「森」「鳩山」などの政界に近いことを示すカードをちらつかせてカネにすることが横行しているのではないかと思います。

 当然、本件のようなSBISL社からテクノシステム社に至る過程で出ているのは「ちゃんとやらない太陽光などのエネルギー事業者」と不正融資やソーシャルレンディングでの与信の悪用があったので事件化して炙り出されたに過ぎず、一番の問題は融資を引っ張って山林を切り開き事業化するところまではやるけど、きちんとしたパネルの設置を行わず地すべりや土石流などの発生をしたころには逃げ散っているご本尊問題でしょう。カネの貸し借りなら「返済が焦げ付いた」「与信がおかしい」で事件化しますが、曲がりなりにもパネルが置かれてしまえばゆっくりカネは引き出され、事業は頓挫して追いかけようがなくなります。

 そういう斡旋を、金融機関や政府・道府県・自治体に行うために、自分たちは政治家にこんなコネがあるんですよと有利な条件を引き出したり認可を貰えるよう取り計らおうとするゴロビジネスが実際に存在し、さらに、裏付けとなる設備や技術が概ね中国発であり、最終的には中国企業に造成や設置が発注されるということになるならば、それは売国奴とかいうレベル以前の問題じゃないかと感じるんですけれども。



 さっきドイツ赴任中の横田明美さんの記事が出ていて、読んでいて「あー」と感じておったわけです。

 ご指摘の通りなんですよね。

ドイツで政策を見て痛感…日本政府が「法治主義」を軽視しすぎという大問題
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85384

 私も毎日新聞にコメントを寄せましたけれども、個人的には行政法(侵害留保説)の根幹だし、実際に行政がこれで酒類販売を規制するぞとなれば独占禁止法(優越的地位の濫用)にもあたりかねないので悩ましいわけですよ。

批判くすぶる酒類停止要請 騒動ににじむ菅政権の体質 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210716/k00/00m/010/466000c

 別でも論考記事を書くつもりではあるのですが、横田さんの話を日本の政策立案の現場、プロセスで見る限りは「裁量行政の遊びの部分もあるので、使えるものは何でも使え」という話になるわけです。

 感染症対策以外にも、例えば先日の経済産業省の東芝買収のプロセスなんかも同じ問題にかかってくるのですが、防衛産業なんだから外為法使って外資を排除しろとなり、水野弘道さんが出てきてハーバード基金に法外な恫喝をしたと報告書に書かれた件も、つまりは裁量の幅があり、それが合目的的に使われる場合に法治主義の本来の名目とは違うところで(場合によっては法外に強権的な)手段として使われるということを意味します。

 それもこれも、日本では何事かに関して先回りして政策議論を行って法的な手当てをするということがあまり得意ではないように思います。問題が起きてから他国の先進事例を並べて検証し、そこで「良し」となってから大綱が編まれたり法改正や新法の議論になるので、それまでは既存法の遊びの部分で裁量行政の枠内での対応を強いられるのも議論として出るのも日本流の法治主義であって、ドイツ法から見れば「そんなものは法治とは言えない」と言われればその通りなのであろうと。

 ワイからすれば、きちんとした立法によらずに業界団体を中心としたガイドラインを作り、それを遵守させるという日本の統治方法というのは、事実上の隣組みたいなものであって、そういう考え方があるからこそ今回のような「感染症対策のためには酒席を設けさせたくない」→「酒を提供する店に酒を売らなければ良いのだ」→「でもそのような法律はないので、金融機関や広告代理店を通じた『お願い』ベースでやればOK」という「民 対 民」の構造ができ、私権を制限された民間企業が訴え出ようにも行政側の姿が見えなくなる現象になるのでしょう。

 そんなこんなで面白いなと思って読んでいたわけですが、そこに来て池田信夫とかいう人が出てきて意味の分からない論考を反響として挙げていました。

https://twitter.com/ikedanob/status/1418107519377960964




 何言ってるのこの人? いきなり与太話が横から出てきて、しかもそれなりに池田信夫論に迎合する人もいるようで、この手の問題を理解できない人が少なくないという意味なんでしょうかね?

 このあたりの話はもう少し広く間口を取った議論が必要なんじゃないのかな、と感じました。

 

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