きょう、明治大学のアカデミーホールで『ダウンロード違法化の対象範囲見直し これまでとこれから』というシンポジウムがあり、また、その流れで先進広告技術勉強会なるものがあったために顔を出してきたのですが、UUUMを筆頭に頑張っているYouTuber(ユーチューバー)界隈と、現在配信者が乱立して一気に更新総数が減ったVtuber(バーチャルユーチューバー)界隈とでは広告効果や視聴測定のメジャメントが違うんじゃない? という議論が出たので興味深く聞いておったわけです。

 平たく言えば、ユーチューバーもUUUM一人勝ちでそれはそれでちゃんと運営されているのだから良いよねと言いつつも刺さる世代がさらに若年層固定になりつつあり、より長い目線でマーケティングをしないといけないという結論になるわけですが、Vtuberはもっと先鋭化しており、むしろミニコミ誌や地域FMのような顧客特性が媒体としての安定度を損ねている、という結論になってきています。

 裏返すとInstagramやGoogle、Facebookが購買力のある20代から40代向けのデジタル広告予算をかなり奪っている事実と同じで、その残りをコアでカルトな動画配信でさらっていっている、と言われればそれまでなのですが。

 ちなみに、本当に死んでいるAMラジオの広告反響はradikoの健闘もありつつもさらにどんどん減っていき、早めに葬儀の日程を考えたほうがいいんじゃないかと思うぐらいの状況になっています。広告に反響がなく、切り取ってウェブニュースにしてもパーソナリティの知名度以上にはアクセスが集まらずに詰んでいるのです。伊集院光が何か気の利いたことを言いました、荻上チキが有識者引っ張ってきてそれらしいトークをしましたというだけではもはやメディアとして成り立たないのです。よりミニコミ的なサブスクリプションビジネスでも始められればそれは成立するのかもしれませんが、TBSラジオで出ている荻上チキだから成立するような、メディアの金看板がなくなったら別に専門性があるわけでもないパーソナリティに有識者を張り付けてサブスクやったところで「その有識者の書いた本を読めばいいだけだ」ということに気づいた読者から順番に市場からいなくなるだけです。

 話を戻すと、Vtuberはその期待とは裏腹にこのAMラジオ放送の広告よりも客層が悪く、広告の閲覧回数に比べてクリックされる割合が低いように見受けられます。簡単に言えば、Vtuberの登録者数に比べて広告の閲覧回数は伸び悩み、商品サイトへのアクセスに至ってはちょっと悲惨な数字になっているというのが現状であるということです。

 たぶん、再生回数はそれなりにあるんだと思うのですが、他の作業をしながらの視聴が多すぎて、また、ネットで動画視聴者が流す情報で放送内容のサマリーが出回ってしまい、それらの記事をチェックしてバッと聞き流して終わりという行動が定着してしまっているのかもしれません。

 さすがに数字そのものを書くとまずいのでしょうが、(少し前のことながら)端的に表していたのが「クリスマスイブのときの有力Vtuberのライブ配信視聴が多くても4桁ギリギリしかいなかった」という事案です。何百万も登録者数がいて、ライブ配信の閲覧者が数十数百というケースもあり、ウェブマーケティングの会社やオンライン広告の代理店から出てくる「新進Vtuber、登録者数何百万人突破!」という大々的な文字を信じて広告予算を突っ込むと、本当の意味で崖下にタンクローリーが落ちていくような状況になりかねないのはご理解いただけるでしょう。ほぼ反響がゼロなんですよ。儲かるのは代理店とGoogleだけです。

 外形的な評価としては、これの>>134を見れば察していただけると思います。

http://tarosoku.com/?p=111875

 良いか悪いかは別として、ファンも実際に多いわけですし、Vtuberの世界が健全に発展してくれることは望ましいのですが、登録者数や見た目の再生回数についていうならば、広告を掲載したり、タイアップしたときにはじめて「あっ、これはやられたな」と思うのです。まともな代理店であれば絶対にしない焼き畑ですし、Instagram経由で特定属性の顧客候補が雑多ながらごっそりやってくる(しかしあんまり買わない)仕組みか、UUUMのように訪問回数をある程度保証してくれる会社でないと広告予算は今後通らなくなるでしょう。

 いずれにしても、Vtuberが幻滅期に入り、あまり筋の良くないVtuberが淘汰された後で、何か新しい勝ちパターンが出てきてくれることを願うのみですし、ウェブプロモーションを担う側も「Vtuberが流行っているので、HIKAKINみたいにいまのうちに押さえに行きましょう」と安易な提案をしないでくれることを望みます。文化としてはVtuberが流行すること自体は歓迎ですし、盛り上がるのは必然だと思いますけれども、話題ありきで登録者数を盛ったり、言うほど見られていない動画の再生回数を前面に出して広告を売られても、そういう地雷を踏んだクライアントが担当者ごと大爆発して天高く舞い上がった状況は他社も「あっ(察し」となるので、本当にやめてほしいと願うのみです。

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 伸びているのは間違いないし、身の回りの書き手でnoteに移行している人が増えたのも事実です。

 ただまあ、見ての通り要因はnote単体の良さというよりも、概ね他のブログサービスの地盤沈下によるものが大きく、収益性という点でもnoteでいくら頑張ってもブログ書いたほうが金回りはいいのです。

 ブログサービスがなぜ地盤沈下しているのかはここでは明確には書きませんが、骨子だけで言えば次のような感じです。

・アフィリエイトの頭打ち(単価下落ほか)
・テキストメディア以外へのトレンドの流出(Youtube、Openrec、Twitchなどカジュアル系が大幅に流れた)
・独自ドメイン&アフィリエイト広告の低迷で「ブログを書き続ける人」の割合の減少
・「ブログで読まれる人」の寡占化
・ブログツールでのステマ広告など部外収入手段の低迷
・ブログを使っての広告企画の減少

 まあ、平たく言えばブームは去って、読まれるブログで続いている人だけが残っているという感じです。少し前の本ですけど、10年かけて予言が当たっている本が『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(いしたにまさき・著)です。正座して読んどけ。

 で、前置きはともかくこんな記事をシバタナオキさんが書いてました。

note急成長の舞台裏と.com .jpドメイン取得の経緯を聞いてきたよ(第1回)(シバタナオキ) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/shibatanaoki/20190311-00117755/

 なんかうまくいってる感ある書き方しておりますし、実際に成長もしているし、話を聞く機会も増えているわけですけど。

 ただ、実際にはアメーバブログ(Ameba Blog)と、はてな(はてなブログにはてなダイアリーを強制移住させた)の二社が、ネット発の定常的な書き手を盛大にnoteに吐き出しただけであって、本当の意味で発信者のためのサービスとして定着するかどうかはここ3年ぐらいが勝負だと思います。

 そして、何よりnoteは使いづらく、収入の手段としてあまりよろしくない。これから良くするのでしょうが、アクセス解析は機能としてついておらず、アグリゲーターからは敬遠され、他からの参照はほとんどされないサービスという、ほぼ剥き出しの状況で広告の貼れない情報商材以外でこれはどうやってマネタイズするのでしょう。

 先にnoteで記事を書きましたが、復帰一発目だということもありPVは5万どまりで、収入は微々たるものでした。もちろん、サブスクリプションにしましょう、個別の有料記事にして誘引しましょうという売るための仕掛けはあるのでしょうが、このLINEブログで同等のものを執筆したほうが参照先からの流入は多く、収入も同じPVからおそらく十倍近く違います。情報商材と割り切って信者向けのお手軽なサブスクリプションビジネスを展開したいということであれば、本当にnoteは優秀なのでしょうが、紙の書籍のタイアップをしたいとか、他のnote移住読者との人間関係ができているとかいう状況でもない限りは、本当の意味でnoteが実現するべきことや、勝ちのある成長をしているのだなという実感を持つことはできないのではないか、と思います。

 ぶっちゃけ、はてな界隈と一部のアメーバブログ界隈がnoteに移ってきて、元からそこまでPVによるアフィリエイト収入の無かった人たちがnoteのフォロー、サポートといったおカネが回る新しい仕組みに乗った、という現状までではないかと。すべては、これからなんだと思いますし、いろいろ見ていて訳の分からない情報商材が普通にnoteで売られている横並びで自分のコンテンツを出すべきなのかとか、結局宣伝費をかけられない著者の書籍を売るためのタイアップ先ぐらいまでじゃないかとか、品質の低迷が著しいはてな界隈の移民先でしかないのではないかとか、いろんな思いは去来しますが頑張ってほしいという気持ちに変わりはありませんし、ぼちぼちnoteも更新していこうと思ったりもします。

 何より「noteに書いても誰が読み手なのかnoteの機能からは分からない」ので、結局はFacebookの法人契約者向けのダッシュボードとかしか想定読者層が分からないのはまずどうにかしてくれと強く思いました。

 それだけ期待感もあげあげな状態だからこそ、みんな注目しているんだろうなあと感じつつ。


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 ずっと「面白いですよ」と周囲には薦めていたものの、書評として書くべきタイミングを失していた本書、ちょうどこの本が出るというころに大阪府知事・松井一郎が「都構想実現のために2月には辞任する」と年末にいい物議を醸していたわけであります。

松井・大阪府知事2月までに辞職表明へ 公明を批判 https://www.sankei.com/politics/news/181226/plt1812260032-n1.html
大阪ダブル選 公明「選挙の私物化」 自民「都構想に終止符」 https://www.sankei.com/west/news/190308/wst1903080039-n1.html

 何の本かって『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(善教将大・著 有斐閣刊)というというハードコアなものなのです。維新の台頭から失墜にいたるまで、有権者の行動原理を実証的に明らかにするというきちんとしたテーマで論じられた本書は、その冒頭から「有権者の行動について、ほとんど理解できていない」というところからスタートし、市民社会と民主主義の在り方のところまで日本政治の機微まで到達していることもあり、興味のある人であれば何度でも通読し、他の政治的事案まで比較対象にし得るメジャー(尺度)にできるんじゃないかというぐらい優れた内容です。

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 2012年、衆院選で国政政党・日本維新の会代表代行として橋下徹が54名の維新議員を国会に送り出し、地域政党から国政政党へと翼を大きく広げて、最盛期を迎えます。その後、橋下徹にはスキャンダルに加えてポピュリズム批判で名声を失墜させていくプロセスの中にあっても、地域政党としての維新はその”ポピュリスト”橋下徹がいなくなったあとも、大阪市民、大阪府民から支持され続けています。

 思想的には新自由主義的なアプローチをとる一方、大阪固有の政策課題に関しては柔軟に対応する大阪府知事の松井一郎や大阪市長の吉村洋文について、著者の善教将大さんは大坂の有権者の中にある「合理性」が解き明かすカギとしたうえで実証研究を重ね、本書が問うべきテーマについて政治行動論の面からサーベイ実験を行い維新支持研究を行っています。

 もっとも、本書で用いられた意識調査はGMOリサーチ(1回)と楽天リサーチ(4回)によるものであり、ある程度内情を知るものとしてはお茶や鼻水の出る部分はなきにしもあらずです。でも、何しろきちんとした類例の意識調査が無いのだから致し方がないし、基本的には本書の調査結果に対する信憑性を揺るがすような問題はないと思っています。

 国政政党としての指示が低迷していく中でも大阪での支持が分厚く残り、いまなお多くの有権者が維新を支持している状況においては、維新の指示の根幹にポピュリズム論では説明しきれない(要素としてはあるかもしれない)のもまた事実で、維新の場合、維新の党としての支持態度と投票の実態との関連性が他党に比べて高い傾向にあります。浮き彫りになるのは、橋下徹への支持率自体はさほど高くなく、得票傾向にいたっては他の首長選に比べて橋下徹の得票率は確実に低いことも統計的に明らかになっているあたりで、この辺はとても気になります。あくまで橋下徹に対するポピュリズムであるというレッテルや煽るような橋下徹の過激な言動、高い知名度は維新支持における規定要因のひとつではあれども本質としては他の要因もあることも含めて、本書は網羅的に維新支持と有権者の政治行動についてはっきり論じ上げているのが本書の特徴です。

 同様に、大阪都構想についてなぜ大阪市民は結果として否決に回ったのかについては、明確に「大阪市民の批判的志向性が、賛成票の投票を踏みとどまらせた」とし、また、維新は熱狂的な支持者の数は少ないが、熱狂的な批判者のほうが多い面についても実証的に説明しています。ある種の逆ポピュリズムであり、マイナスのブランドイメージであることは間違いないように感じます。

 本書4章以降は「なぜ維新は支持されるのか」は、前項のポピュリズム判定(他項プロビット推定による党派性の比較)の結果、他の政党に比べてポピュリスト態度は維新支持に直結しているという相関関係は見受けられないことが明らかにされています。逆に言えば、地域政党大阪維新が橋下徹の知名度やリーダーシップによって組織化され活動を続けているものであるとしても、その支持基盤は他の政党に比べて強くポピュリズム的バックグラウンドはあるとは言えないという結論になるわけです。言うなれば、公務員批判や制度不信を積極的に主張する橋下徹の言動はポピュリズム的であるといっても、維新の支持者はより合理的で新自由主義的であり、すでに公務員批判などの政策主張にシンパシーをもっているので、必然として消極的な維新支持を地域政党として重ねてきていたようにも判断できるわけです。これが一転して大阪都構想のように、別段橋下徹や松井一郎のような人物を積極的に評価しているわけではない維新の消極的な支持者がごっそり否定に回るとどうしようもなくなるし、そもそも2012年以降の国政政党への進出後の維新勢力の失速もポピュリズムとは異なる投票のメカニズムがあったことを橋下徹が読み違えた面は強いのではないかと感じられます。

 そして、維新支持の規定要因について社会的期待迎合バイアスも踏まえて維新支持変動確率をふかんするならば、社会階層と公務員不信の観点について本書は非常に丁寧に論考を重ねています。「維新支持には熱狂的と言えるほどの強度がなく、むしろ強度の点から言えば不支持者が熱狂的である実態」の指摘は重要で、また、橋下徹がテレビに出て失言をやらかすたびに「支持者がこれらの要因により支持態度を変化させる一方で、不支持者は、これらさまざまな条件が変化するにかかわらず、一貫して維新を支持しないという態度を貫いている」とまで論じています。まあ、実際数字を見れば一目瞭然なのですが、テレビで橋下徹の一挙手一投足を報じる蜜月時代に高めた消極的支持者が徐々に減っていき、2012年をピークに国政から大阪に戻っていく状況を露わにしています。いわば、地域偏重性が維新支持の重要な規定要因であり、「維新は『大阪』の代表だから(地元大阪府民や大阪市民に)支持されている」という話になるわけであります。

 本書では、維新ラベルの維新支持者との強い投票行動での結びつきを明らかにし、それは必ずしもポピュリズムの帰結ではなく、あくまで大阪の利益を代表する政党として消極的に支持が広がっているにすぎないところまではかなり数字としても明確に示されているのは大きいのではないかと思います。

 そして、第三部では特別区設置住民投票、大阪都構想の投票行動についての分析もしているわけですが、これはまさに今回松井一郎と吉村洋文がダブル辞任し、都構想の是非を問う乾坤一擲の博打に打って出た(ついでに公明批判も行っている)バックグラウンドを示しています。

 ところが、調査結果を見てみると(他のメディアによる調査もほぼ同様ですが)都構想に対して「大阪市民は総じて都構想に一定水準以上の理解を示していた」という推定結果を出しております。結局は、大阪市民はよく理解したうえで2015年5月17日の住民投票では僅差で否決という結果となり、この選挙結果を受けて、橋下徹は大阪市長の任期はまっとうするものの政界引退をするということで、いったんは幕引きとなっているわけであります。第8章では、維新支持態度と批判的志向性について論じているのですが、投票結果は僅差であり、ここで論じられているような「維新支持者の批判的志向性が、有意に反対への投票と相関すること」でひっくり返ったとするならば、松井、吉村ら維新の偉い人が力説し、力こぶを作れば作るほど、そういうことを期待して維新を支持しているわけではない合理的な大阪市民、大阪府民が違う方向に転んでしまうこともまた示唆されます。

 論じられている一連の内容は実証的かつ網羅的で、極めて有用な内容になっているあたりは本書の極めて優れた点であり、著者である善教将大さんの論じる内容から学ぶべき点は多くあります。こういう論証をきちんと分かって松井吉村両氏は辞任からのクロス選挙に打って出たのかは良く分からず、しかしそれでも必要だから現職を投げうってでも出るのだという考えであるとするならば、消極的支持者のかき集めに資するものもあるのでしょうか。

 本書を通して読むと、他の政党との比較の中で、相対的に見てポピュリズム政党と批判されることの多い維新の面白さを理解することができますし、論文を読みなれていない人でも「何が起きているのかが」が順を追って丁寧に解説されているので一読に損はない内容に仕上がっていると思います。

 最後に、欲を申し上げるのならば、ここまできちんと計量的に分析できる筆者が、GMOリサーチ、楽天リサーチを使ってフレッシュサンプルで何回かアンケート取りましたというネタにしてしまわれがちなのは非常に勿体ないなあと思うわけです。これをサンプルに、定点観測を行いより幅広い追跡調査の設計も行うことができれば、例えば維新の消極的支持だった人がどのような事情で何%不支持に回り、その何割が二度と維新支持に戻ってこないのかというようなトランザクションまで追えるようになるのではないか、と思うわけです。ここまで綺麗に仮説と実証を積み重ねて維新を追った類書もなく、またこうして(公明がひっくり返したからとはいえ)都構想を目指してギャンブルをするあたりが非常にセクシーな内容でした。ぜひ積み上げていってほしいと願うのみです。





統一地方選の前哨戦とも言われる、暴言辞任に伴う明石市長選(一回目)が3月10日告示日、17日投開票ということで、調査方もいろいろとさざめき立っています。

統一地方選2019
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/touitsu/2019/

 今回は別の仕事もあり選挙情勢調査みたいなものは手伝わない予定ですが、国勢選挙とは異なりいろんなムーブが地方政治にあり、後ほど触れますが大阪維新(維新の会)がらみなんかも含めて動きが急で、何を軸足に日本の地方行政、地方政治を判断するのかというのはなかなか一本化はむつかしいというのが正直なところです。

 なぜむつかしいかという点では、地方経済の低迷、その原因である地元産業を支える人口の減少、高齢化による活力の低下が著しく、新しい手を考えて地方が打とうにも、リソースの奪い合いにしかならず、頑張れば頑張るほど効果が低い施策の連発で逆に疲弊し死期を早める自治体が出てくる、そのような自治体の政治には魅力がなく、地方政治への関心も低下する… のスパイラルがあることは、従前から問題視されてきました。

 明石市もまた、衰退する郊外という代表的なカテゴリーに位置し、神戸や大阪といった大都市へのアクセスが至便でありながら、人口減少トレンドを覆す施策を打ちだすことがむつかしく、また「ヒョーゴスラビア」と揶揄されるほど各地域の独特な文化基盤もあって、票読みとは別に何を地域の柱として政策を立案していくのか、という点で常に混乱と論争が呼び覚まされる地域でもありました。

 泉房穂さんの前の市長である北口寛人さんが、通称「たこフェリー」の問題で問責決議を市議会から突き付けられ辞任に追い込まれると、激戦の市長選挙で泉さんが僅差で勝利し、その後2期の明石市長選を勝ち抜いて、今回の暴言問題を受け全国的に批判されて再び辞任に追い込まれ、今回の選挙となったわけであります。

 その泉房穂さんとの対談はヤフーニュースに一部を記事化し、残りは私の有料メルマガ「人間迷路」で掲載する予定です。正直初対面の割には随分いろいろと突っ込んだお話もしてくださり、また、泉さんが真摯に反省の弁を繰り返し、繰り返し口にされていたのは新鮮な衝撃でした。普通、一通り謝っても選挙に通りたい一心で政策を放す候補者が多いのも事実ですが、暴言やその背景にあるご出生地、ご家族の問題、ご経歴や政治活動に関わることも赤裸々にお話になられ、そういう裏表のない人なのだなという感覚を強く受けたのは事実です。

「暴言」前明石市長・泉房穂さん、出直し出馬表明の真意を問う(追記・修正あり)(山本一郎) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20190307-00117356/
山本一郎(やまもといちろう) 有料メールマガジン「人間迷路」
http://yakan-hiko.com/kirik.html

 北口さんの問責決議の内容は簡便ですが、地方政治には良くあるタイプの問題で、北口さんもこんなことで退任に追い込まれるというのは本意ではなかったことでしょう。この問題については、神戸新聞をはじめ地元のメディアも賛否両論含めて盛んに報道をして、地方政治独特の雰囲気を醸し出していました。

北口寛人市長に対する問責決議
http://www2.city.akashi.lg.jp/gikai/d-3/ikensho22_12_5.pdf
明石市幹部が造反→明石市長北口寬人が退任→後継指名の泉房穂が当選
http://sclapskobe.blog.shinobi.jp/Entry/592/

 記事にもありますが、市民の足でもあった、明石淡路フェリー(たこフェリー)の存続にあたって、元市長・北口さんの私利私欲であるかのような報道が繰り返し行われ、市議会での発言との実態の矛盾が表出し、退陣に追い込まれるものでありました。北口さんは私も大学の先輩ということもあり、ほんのり話は聞かされていましたが、彼は彼で、大変なご苦労をされたように外からは見えます。

 一方、泉さんの暴言問題は明石市職員に対して、パワハラ的に暴言をぶち込んだ一方、その発言の姿勢は神戸新聞が報じた通り市民の安全の側に立って職員の仕事が遅いことを強く叱責するものであって、概ね私利私欲とは無縁で、お前ら市民のために働けという姿勢が前面に出ていたという点で、どちらも部下による市長発言の録音が起点とはいえちょっと異質なところがあります。

明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件(山本一郎) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20190129-00112928/
神戸新聞NEXT|総合|部下に「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」 明石市長の暴言詳報 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201901/0012019280.shtml

 北口さんにせよ、泉さんにせよ、地方政治においてその活動を評価する人たちは少なくありません。今回審判を下す明石市民がどう判断をするのかは分かりませんが、私は兵庫県で「神戸市ではない自治体」と扱われ続けてきた明石市のような中堅都市の悲哀を感じずにはいられません。政策面でも財政面でも、自分の足で立っているのはむつかしい規模の自治体なのです。

 北口さんは、そういう明石市をどうにかするために地元財界の有力者と結びつき、兵庫県知事の意向も踏まえたうえでの政治を目指し、泉さんは明石市の立地や活力を信じて政策の中心に子どもを置いて、子どもが増えれば子どもと暮らす勤労家庭が増えるはずだという独立した地方政治を目指した。前者は業者との癒着を疑われ、後者は強引の市政運営でパワハラと指弾された。どちらも単なる地方政治あるあるで終わらせてはならない問題じゃないかと感じずにはいられません。

 人口減少傾向にあり、財源面でも危険な状態になりかけていた明石市を本当の意味で回復させたのは、確かに泉さんであり、市運営の成功に関する功績はあります。一方、近隣市からすれば、明石市は他の地域から子どもを奪い、明石市によって沈没させられた、という被害意識のような意見もあります。ただまあ、それは地域間の政策がどれだけ市民にとって意味があり、魅力的なものであるかの競争であり、人口面では特にマイナスサムゲームであることは言うまでもなく、今後の日本の地方政治における重要なテーマの一つであることは指摘されるでしょう。

 そのうえで、泉さんとの話とは全く別に、ジェノバライン問題は常に横たわります。ぶっちゃけ、地方政治好きならみんな知ってる兵庫県知事・井戸敏三さんと公明(党)がらみの微妙なポイントのひとつで、つまりは総務省(旧自治省)からの落下傘候補とは何か、地方政治を中央が統制する戦後長らく続いた重要な体制の「制度疲労」に関わるものです。資本金6,000万円、正規従業員16名にすぎないこの事業がなぜこんな大きな舞台仕掛けの中心にくるのかは、関係者一同、なにが国民、地域、経済にとって合理的なのか胸に手を当てて沈思黙考するべき事項ではないかと思いますし、暴言テープどころではない吹き飛び方をヒョーゴスラビアで起こす危険性のある話を分かっていて放置し続ける理由が良く分からないんですよね。

 そして、目を転じれば大阪府府知事・大阪市市長の松井一郎さん、吉村洋文さんがそれぞれ辞任し、たすき掛けで出馬する話が出てきました。大阪都構想をどうにか進めようという話のようですが、それが具体的にどのような意味を持つのかはともかく、これが地方政治のダイナミズムなのだと言われるとそうなのかなともギリギリ思えるレベルの話と言えましょうか。

大阪知事・市長が辞職願…ダブル選来月7日 「入れ替え出馬」表明 : 政治 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/politics/20190308-OYT1T50204/

 良くも悪くも、これが地方政治の現実だということではありますが、地方自治体の首長に関する資質や実績をどう判断するのかという問題は、よくよく考えていかなければなりません。市民がここまで泉さんを知っているのは、泉さんがある種の発達障害的な狂人的集中力で主要な政策を推し進め、なかば市職員を恫喝してまで前に進むという奇特で奇抜な市民のための政治家であったからという側面が否めません。裏返せば、そのぐらい根性入れて爆発的に地方政治を推し進めない限り、人口回復はしないし、市民に意味のある政治にならないことがある、ということでもあります。

 泉さんが再選するのかは分かりませんし、北口さんが復活されることも考えられますし、まったく新しい風になるのかもしれませんが、それはそれとしても、泉さんの自立的な政策が「自治体成功」モデルケースになっていくのかなとも外野としては思います。もちろん他にもいろいろ感じることはありますが、右肩上がりの日本の政治思想や制度設計を見直すために、ひとつの事例として明石市は見ておいて良いのでは、と考える次第です。

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 なんでしょう、これは。



 最近どのスマホゲームをやっても実名を入れるたびNGワード扱いされ枕を涙で濡らす日々でありますが、続々とアドビ社での広告で私が登場しているという事態を目撃した証言者の話が続々と届き、どきをムネらせております。




 まあ私はいいんですけど… むしろアドビさんサイドが困りませんか、これ。

 だって、私ですよ。どうでもいいですかそうですか。

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