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だんごの節句
本日、端午の節句、こどもの日ということで、我が家でもお祝いをいたしました。緊急事態宣言中なので親族の行き来まで自粛せねばならず、家内と子どもたち2人、家族4人で慎ましく乾杯しました。そう、今日は次男坊の初節句。自粛せざるを得ない親族も気の毒だが、子どもも可哀想だ。何とかならぬかコロナ。
そして、今日は全国の子どもたちの成長を祝い、願う日。子どもたちに感謝をしながら食事をしました。
ニョキニョキ逞しく成長するようにと筍ご飯を炊き、子どもの好きなコロッケを揚げる。勿論、家内が頑張ってくれました。私はというと、京都ならではの仕出し弁当を頼みました(頼んだだけ)。
粽は、日頃からお世話になっている近所の鶴屋吉信さん。最近は勝手に隠れ家にしている2階喫茶には行けてないなあ…と思いつつ、3歳の長男と取りに行きました。
長男は、今日は「だんごのせっく」だと言いながら、楽しんでいました。ある意味当たっている。
みんなが健康でいられるお陰で、こんなにも美味しいご飯やお菓子をいただけることに感謝。
毎年、行事ごとにお飾りを引っ張り出してきて、準備して、連絡して、お祝いして、片付けて…楽しい面もありますが、余裕が無いと難しい。
追われまくる毎日の中で行事をすること、ましてや完璧に熟すのは奇跡に近いことで、当然昨今の家庭では省略されつつあるようですね。堅苦しいのは嫌だと言う意見もありますし、確かに頷けます。菓子だけ食べればいいよね、と私も若い頃は思った。
しかし、行事、特にお祝いについては、単に喜ぶ日ではなく感謝をする日なのだと心得てから、雑にはできないな、と思うようになりました。
日頃どうしても忘れがちな、"日常の幸せというものは当たり前ではない"ということを知ったからです。行事をするたび、それを思い出さなければいけません。
また、行事によって家族が一同に会する機会まで用意ができ、合理的ですよね。親族が遠方だと今の御時世は難しいですが。
あ、次男坊の背中に乗せているのは、義経公ゆかりの地"鞍馬寺"にて授かった降魔必勝の小太刀(二代目)です。
親の使命は子が社会で生きていけるまで育てる事。それまでに、心の刀を授けなければなりません。
※初代はお世話になっている方から以前頂いて、いまも玄関に鎮座しております。