月別アーカイブ / 2020年04月

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奨励金
京都市の文化活動緊急奨励金なるものを申請することにした。150~200程度の件数が採択されるようで、主に企画の内容を審査されるようだ。舞台活動外で“やりたい”やことは山ほど有り又いくらでも思い付くので、この機会に考えてみようと思う。この件は、もし採択されればご報告致します。

能楽の生きる意味
他にも行政の給付金等、当面の最低限の生活を維持する為に出来ることはするつもりだ。
しかし、能楽に限らず伝統芸能が本当に大変なのはコロナ終息後であろう。能楽に限って言えば、今まででも決して良い方向に向いているとは言えなかった。それは後継者を育てる面然り、人々への能楽の普及然り。コロナ終息後も同じ事を続けるのではなく、これからは現代における能楽の生きる意味を考えていかねばなるまいと思った。漠然と“能は良いものだから普及”することや、後先考えずに”とりあえず後継者”を育成することは、場合によっては骨折り損になることもあり、実働部隊である若手の生活すら脅かすことになるからだ。
何より、「良い芸を身に付ける(させる)こと」「食べる能力を付ける(させる)こと」は別物。芸術の世界で散々言われていること。特に能楽は団体で行うものだから、もっと真摯に取り組み考えていく必要があると私は思う。それは家や流儀単位ではなく、能楽界全体で、だ。
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天女の気持ち
家のすぐ近くにある妙蓮寺は私の散歩コースになっている。今年の枝垂れ桜は見事だったが、もう完全に花の命を終えたようだ。

桜を見ると必ず能「泰山府君」の話を思い出す。美しい桜の花をついポキッと手折り持って帰ってしまう天女のことや、七日間の命が二十一日(三七日:サンシチニチ)に延ばされること、など… 一本くらい折って家で愛でたい気持ち、毎年のように天女に共感するのだが、勿論行動にはうつさない。息子は散った花びらで遊ぶのがブームのようで、下に落ちてまで愛される花も、きっと喜んでいるはずだ。
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満天星
ドウダンツツジが美しく咲いていました。また今年も気がついたら、夏が来るのだろうか。今日も当たり前のように日常が目の前を通りすぎていった。でも私の頭のなかは、異常である。毎日を大切に生きよう。

今日はまた整理をしていた。出し惜しみしていた仕舞袴の反物が沢山ある。我武者羅だった時の自分に、仕立ててやれば良かったと思う。あの時の自分はもう居ないから、ね。来年は真っ直ぐ突き進めるのだろうか。
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教育
今日は伯母が送ってくれた苺の苗をプランターに植えた。私と同じで苺の大好きな息子の為である。スーパーに並んでいるイチゴしかしらない、いや寧ろ食卓に並んだイチゴしか見たことのない彼にとって、自らで育てて摘むことは、良い教育になるのではと思う。
今時、コンビニに並ぶペットボトルの水が何処から来たものかなんて考えたこともない子供ばかりであろう。地球の未来はどうなっていくのかな。自分達の小さな行動ひとつが、美味しい飲み水を作ることくらいは早いうちに教えたいと思う。
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自然の声
本日はひとつ言葉を載せて終わりにしたい。

「聞声悟道、見色明心」

自然の音を聴いて真実を悟り、目で見た色を見て心を明らかにする、という意。これは私の大好きな言葉の一つ。よく「物事は考えよう」と言うが、捉え方ひとつで眼に映る景色さえ変わるものだ。だから、自分の見たまんまは自分の心を写ししているのだ。そして、あらゆる物事の心理とか真実を知りたければ、自然に学ぶが良い。川の流れる姿、逞しく生きる動植物たち、すべて答えになるヒントが隠されている。たとえばコンクリートの裂け目から芽を出し健気に花を咲かせる植物の姿に、心を突き動かされたことはないか。花は、どんな苦境、悪環境においても、懸命に咲かせようと努力し、その命を終えるのだ。人も、“命を全うする”とか“幸せに生きる”ということは、すべての人にとっての課題といえる(異論は認める)。外出を自粛されている今、人々にとっても改めて考える良い機会ができたはずだ。

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