東京、静岡、と遠方の仕事が終わりました。新幹線に乗る機会が多いので、いま流行りのコロナに気を付けねばなりません。
静岡では、宝生流という別の流儀と私の金剛流の合同演能がありました。といいましても、実質は宝生流の舞台に金剛流若宗家が加わった形です。
現宝生宗家と金剛の若宗家は数年前からご縁があり、何度も合同演能会をされています。どうやら交流が深くなられているようです。
流儀のトップのお二方(お家元同士)が、これからの能楽界を益々盛り上げてくださることでしょう。もちろん我々、弟子家も公演や普及活動に精を出し頑張りたいものです。
能の作り物や小物は、なるべく簡素な形で表現されます。これはサボっているわけではなく、表現の可能性を制限しない工夫です。
観る者の想像力によって、時には単なる四角い物体が、大きな山や曰く付きの古塚に見えたり…枝ひとつが、大木に見えたりするわけです。たちまち扇一本が、刀に変わるのはそういう仕掛けです。
写実的過ぎても、いけない。抽象的過ぎても、いけない。正直、どっちやねん!と匙を投げたくなる時もある。が、奥の深い能の作り物。
能の作り物は、舞台上では本物。似せモノではない。たとえ簡素でも本物と見せるには、その物の本質を捉えていないと駄目。
梅や桜などの植物などは、季節が来ればいつでも見に行くことができるので、私はなるべく観察するようにしている。
しかし今見ることの難しい、高貴な人が乗ったという花見車や、宮殿の様子などは難しい…
これは自分が今までに見た、例えば御所の迎賓館や離宮などの設えであったり、同時代の骨董などの雰囲気を思い出す必要がある。そして、わからないものは国語便覧に頼ります。
本物のツクリモノって難しい!