月別アーカイブ / 2020年01月

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東京、静岡、と遠方の仕事が終わりました。新幹線に乗る機会が多いので、いま流行りのコロナに気を付けねばなりません。
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静岡では、宝生流という別の流儀と私の金剛流の合同演能がありました。といいましても、実質は宝生流の舞台に金剛流若宗家が加わった形です。
現宝生宗家と金剛の若宗家は数年前からご縁があり、何度も合同演能会をされています。どうやら交流が深くなられているようです。
流儀のトップのお二方(お家元同士)が、これからの能楽界を益々盛り上げてくださることでしょう。もちろん我々、弟子家も公演や普及活動に精を出し頑張りたいものです。

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能の作り物や小物は、なるべく簡素な形で表現されます。これはサボっているわけではなく、表現の可能性を制限しない工夫です。
観る者の想像力によって、時には単なる四角い物体が、大きな山や曰く付きの古塚に見えたり…枝ひとつが、大木に見えたりするわけです。たちまち扇一本が、刀に変わるのはそういう仕掛けです。

写実的過ぎても、いけない。抽象的過ぎても、いけない。正直、どっちやねん!と匙を投げたくなる時もある。が、奥の深い能の作り物。

能のり物は、舞台上では本物。似せモノではない。たとえ簡素でも本物と見せるには、その物の本質を捉えていないと駄目。

桜などの植物などは、季節が来ればいつでも見に行くことができるので、私はなるべく観察するようにしている。
しかし今見ることの難しい、高貴な人が乗ったという花見車や、宮殿の様子などは難しい…

これは自分が今までに見た、例えば御所の迎賓館や離宮などの設えであったり、同時代の骨董などの雰囲気を思い出す必要がある。そして、わからないものは国語便覧に頼ります。

本物のツクリモノって難しい!

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いま私は京都から遥か彼方、ズッッと西の方へ雲隠れしております。

さてさて、更に西の果て、平戸・生月に参りました。ここは、かの有名な隠れキリシタンの住まれていた、別名キリシタンの島と呼ばれるそうです。

一昔前、キリシタン禁令などで多くの尊い命が犠牲となった島でもあります…救いとは一体、何のための救いだったのか…

当時の人々はどのような生活を送っていたのだろうか、能が一曲書けそうだなあ、等、思いを巡らせておりました。
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明けましておめでとうございます
旧年中は有難うございました
本年も宜しくお願い申し上げます

この年も読者の皆さまにとりまして
佳きお年となりますように
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さてさて、滞りなく毎年の奉納のお勤めが終わりました。松の内までゆっくり致します…

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