悲しい崇徳上皇の話
本日は香川県の坂出市にて金剛流の能楽公演に出演。曲目は坂出市にゆかりのある「松山天狗」でした。
松山天狗を現在演じているのは金剛流のみとなっています。内容は保元の乱に敗れて讃岐松山に流された崇徳上皇のお話です。
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐へ流され、雲井御所で約三年、後に国府の近く鼓岡にある木ノ丸殿で過ごされました。本日の公演はその鼓岡神社にて催されました。カンカン照りのお日様のもと、無事に終演致しました。崇徳上皇もお能を楽しまれていたのでしょうか…
さて、上皇が讃岐に移られてから三年、月日を費やして書き連ねた写経を京へ送られました。その際に添えられた歌をご紹介します。
浜千鳥 跡は都へ通えども
身は松山に 音をのみぞなく
<浜千鳥の足跡は都へ飛び立つことができるが、この身は遠く離れた松山で悲しみの声をあげて泣くばかりだ>
浜千鳥の足跡と、崇徳上皇の書き記した写経の文字(筆跡)をかけています。文字は讃岐を飛び出して都に行けるけれど、自分は行くことが出来ず悲しい、ということです。
この思いを込めた写経は、“罪人の物だから”と都入りを断られ送り返されてしまいました。只でさえ不遇に嘆くなか、文字さえも都へ帰ることを拒まれてしまった。それは辛く悲しいことだったと察します。
坂出市のホームページに崇徳上皇の話や略年表など掲載されているので、参考に貼り付けます。
讃岐の讃岐うどん
岡山行きの列車に乗る前に、讃岐うどんを頂いて帰りました。昨今は全国どこでも、讃岐うどんを食べることができますが、やはり“讃岐で食べる”という条件が加わることによって、喜びも一入。ご馳走さまでした。