月別アーカイブ / 2019年07月

そもそも3~7月のあたりは能繁期などと呼ばれ、舞台の数が多いのですが、本年は私にとって大変勉強になる機会が多くありました。

曽我兄弟の仇討ちの話「小袖曽我」ツレ(準主役)、平家滅亡後に出家隠棲した建礼門院を後白河法皇が密かに訪ねた話「大原御幸」ツレ、禁漁により殺された漁師の話「鵜飼」シテ(主役)、身の上の辛さを嘆く安達ヶ原の鬼の話「黒塚」シテ、青年が邯鄲の枕により悟りを得る話「邯鄲」シテ…

いずれも、人は何の為に生きるのか、ということを深く考えさせられる曲でした。
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青年の悟り
邯鄲の主人公、盧生(ろせい)は隣の国の偉い僧に「生きる意味」といった教えを乞いに行くのですが、途中で泊まった宿にある“邯鄲の枕”で寝ることで、とある夢を見て悟りを得ました。
その夢というのは、自分が皇帝になる、というもの。それも中国の皇帝、全ての権力や財は我が物で、欲という欲は満たされる立場である。正に酒池肉林、贅の限りを極めた生活をするが、気が付くと在位50年もの時を経ていた。
すると突然、視界からすべてが消え去り、夢から目覚めた盧生は「何事も一炊の夢」と悟り、人生は儚いものだと知った。
一炊(いっすい)という事には、盧生の見ていた50年もの王位の夢は、たった飯の炊ける間の出来事だったということ。
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長生きは幸せなのか
能「邯鄲」の盧生は、皇帝として酒池肉林の贅沢三昧を明かし暮らした50年間の歳月を、たった飯の炊ける間の儚いもの、と感じた。途中、臣下が長寿の酒を持ってきて飲むのだが、仮に何百年も生きながら得たとしたら、どうだろうか… すべてが思い通りになる中、何のために生きるのだろう。長生きといえば、手塚治虫さんの「火の鳥」を思い出す。“火の鳥”という鳥の生き血を飲めば永遠の命を手に入れられるというもの。さて、永遠の命をもってして何を望むのか。それは快楽でしかない。そして永遠の命を持つということは、同時にこの世の終わりを見るということ。決して幸せとは思えない。
長生きにも限度がある。おそらく時間の長短は問題ではない。愛しい人や家族と共にありたい、目標を達成したい… という目的を持った生き方こそが、本来の幸福の姿であり、満たされていることは不幸なのだと私は思う。
盧生は邯鄲の枕の知識によって“人生の儚さ”のほかに“幸福とはなにか”を見つけたはずである。儚い時の中に生きる意味を見出だすこと、これが大事といえる。
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不老門前日月遅とは
鄲の謡に不老門の前には日月遅し と言う心を学ばれたり」とあります。不老門(ふろうもん)というのは中国の洛陽にある城門の一つということですが「門をくぐると時の流れが遅くなる」そうです。つまり、歳をとらない。 君主の長久を願い祝うために作られたのでしょう。縁起が良く、我が国日本でも昔から慣れ親しまれている言葉のようです


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明後日、国立能楽堂にて能「邯鄲」を舞わせていただきます。先月の黒塚から間がなく、書こうと思うていたブログもなかなか更新できず今日まで至ってしまった。光陰矢の如し、日々、時間は目まぐるしく過ぎてゆく。それこそ一炊の夢と思わせるような毎日を送っているのですが、私も30歳になり、ちょうど邯鄲という曲がしみじみくる年齢になりかけていると思います。前々から、“三十路には邯鄲を舞いたい”と思うていたので、稽古をしながらも何かと考え深くなることも多く、素晴らしい機会をいただいたと感謝しています。間もないですが、週末ご予定お考えでしたら、どうぞ国立能楽堂へお出かけください。まだまだ当日券ございます!是非お待ちしております。

【鑑賞ポイント】
1、場面展開も良く、話も理解し易いので、盧生の気持ち感じられる。

2、舞尽くし。舞金剛(まいこんごう)ならではの型の多い舞を堪能。普段は見られない一畳台での舞もあります。

3、飛び寝の必殺技。橋掛かりから枕の置いてある一畳台に向かって飛んで寝っ転がる型。金剛流含めた一部の流儀に見られる技。危険度が高いので見所もハラハラ、ドキドキ。

4、人生とはなにか、何事も一炊の夢。あなたも悟ることができます。



【邯鄲のあらすじ】
昔、中国の蜀という国の盧生(ろせい)という青年は、楚の国の羊飛山にいる尊い僧を尋ねるため、旅に出た。その途中、盧生は邯鄲という町で宿を借りることになった。その宿で、粟飯が炊けるまでの間、邯鄲の枕で眠ることにした。邯鄲の枕というものは、悟りを得られるという不思議な曰くつきの枕だった。
盧生が寝ていると、楚の国の皇帝の勅使がやってきて「あなたに帝位を譲る為に遣わされた」と言う。思いもよらない事に困惑しながらも宮殿へ行く。
盧生は皇帝になり、栄華を欲しいままにし、五十年という時が過ぎた。宮殿で祝宴が催され、寿命を長らえる酒が献上され舞人が祝賀の舞を舞うと、皇帝である盧生みずからも舞い始めた。

……すると、次第に昼夜・春夏秋冬が目まぐるしく移り変わり、突然そのすべてが消え失せる。

気がつくと「粟飯が炊けた」と言われ、盧生は目覚める。盧生が皇帝であった五十年は夢の中の出来事だったことを知る。五十年という栄華も、たった粟飯が炊ける間の一炊の夢であった。盧生はこの世は夢のように儚いものだと悟りを得る。そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師であった事に感謝して、帰路につく。

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◎チケットお求め → 当日券あります
当日、受付にてご用意しております
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7月6日(土) 13:00より
潤星会(じゅんせいかい) 於:国立能楽堂

・能『半蔀(はしとみ)
山田純夫、工藤和哉ほか
・狂言『雁礫(がんつぶて)
大藏彌右衛門ほか
・能『邯鄲(かんたん)
山田伊純、森常好、廣田明幸ほか

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◎詳しい解説は → 邯鄲(潤星会)


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