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朝の後悔
このところ朝目が覚めても起きられずにいた。我が家では11ヵ月になる息子が最初に起きている。次に家内が朝食の支度を始め、出来上がる頃に1階から元気な息子の声が聞こえる。ここで私の身体がはじめて縦になる。そのような毎日が、ふと駄目な気がした。内弟子修行中、舞台が忙しくない日などは、きまって朝5~6時に御所へ散歩に出かけたものだ。師のもとから独立し3年目に突入した今、日々の生活には慣れたものの、どこか弛んでいる。無常迅速という言葉があるように、時は少しも待ってはくれないのだ。欠落した朝の時間を取り戻すべく、私は朝活を始めることにした。

坐禅との出会い
私は京都の堀川付近に住まいしている。車もないので移動手段は徒歩か自転車かバス。仕事場の舞台(金剛能楽堂)は歩いて10分、必要なものも近くで手に入る。バス停も徒歩3分。何とも便利な立地である。そのすぐ近くのお寺で座禅を始めることになった。十数年前、高校を卒業したての私は東京から京都へ住まいを移した。当初、お能の仕事でもお邪魔したことがあり、門前を幾度となく通り過ぎている。それが、つい先日のこと ” そういえば「坐禅 毎日」という看板がかかっていたな ” という具合にふと思い出したのである。これは誠なるご縁。早朝の坐禅を始めれば朝起きなければいけない理由ができるな、といった純粋な坐禅願望からではない心が動いてしまった。思い立ったが吉日、早速問い合わせを済ませた。決して、坐禅で己の心を見つめたい、などという優等生な理由からではないのが、浅ましいこと。

己との出会い
いざ朝6時過ぎに門前へ行く。和尚さんから直々に坐禅の説明を受けた後、数名の方々と共に坐禅を始めた。まず、無理なく足を組み、最悪しびれたら組み替えても良いとのこと。されど、足を組み替えるなど言語道断。1時間も2時間も座る能楽師にとっては譲れないところ。そして、背筋を伸ばして頭から一筋天に突き抜けるように、頭上を引っ張られるような姿勢を取る。手を輪っかにしてオヘソの前に楽に構え、息は鼻から吸い最後まで吐ききるそうだ。よく、煩悩が108などと聞くが、初めての座禅では色々なことを考えてしまうことが普通のようだ。コツは、己の姿勢の事を考えてゆっくりと呼吸をするそうだ。同じ座るにしても、能楽の舞台の間は何も考えていないことなど皆無と言ってよい。稀に舞の最中などは身体が勝手に動くこともあるが、地謡や後見など、舞台を補助する仕事の場合は実際色々なことを考えている。
さて、はじめての坐禅は本当に気持ちがよかった。言われた通り、何も考えないという境地は難しいので、ひたすら良い姿勢を保つことに専念した。これは能楽の修行と思えば耐えられることだと思った。それでも、同じ格好で同じ呼吸をするなど、改めて難しいことだと認識した。実際、頭の中には昨夜覚えた謡の文句や、回想、先ほどの和尚さんの顔など、次から次とふつふつ湧いてきてしまう。己の集中力というのか、無になれない凡庸さを知った。
坐禅生活一日目に感じた事ととしては、これが生活態度の改めのみならず、己を見直す良い機会なのだと知り、暫く頑張ってみようと決意した。



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