月別アーカイブ / 2016年03月



日曜日の安宅の同山を勤め終える。

※安宅については前回のブログにて

安宅は現在物といいます。

何者かの化身や幽霊などは出ず、生きている者が登場する物語。現在進行形の劇のような能です。展開がわかりやすく、見どころも多い。

写真の扇は、若宗家よりいただいた披き扇。
"披(ひら)く"というのは、開曲ということ。

能の曲には宗家の許しがなければ演ずることができないものがあり、安宅はその一曲である。初演のみを"披く"という。25年に私の勤めた石橋という曲の赤獅子の役もそれにあたる。

役者の初演のとき、披き扇をお配りすることが慣わし。


山伏の装束のひとつ
鈴掛と梵天の修理


安宅の同山(どうやま)※ や、切り組みなどの立ち衆は
総じて直面(ひためん)であります。
義経と同行する山伏たちのこと

直面とは能面を掛けずに素顔で役を演じることです。これの難しいところは、同山なら同山の能面を掛けている心で演じるところにあります。

勿論、鼻がこそばゆいからと、動かしてはいけません。眉や目、口の形を一定に保ち、表情も変えない。これが意外と難しい。
2022.4.25修正

『安宅(あたか)』

これは大曲です。私は同山という立役を勤めます。義経と一緒に逃げる偽、山伏姿になっています。

---  なんとなくの粗筋 以下 ---

このお話は、皆様ご存知である源義経さんがその優秀さゆえに兄の頼朝さんから逮捕状が出て、全国の役人から追われている頃の話。

むかし、奥州の大金持ちの藤原さんが義経が素晴らしい勇者であることを見込み、"何でも力になってやる"と言っていたことを頼りに、彼のお家へ逃げることにしました 。

しかしそこは遠い東北地方、京都からはちと遠い
伊丹空港からも二時間はかかる。

ちなみに義経たちは皆、普通の格好では通報されるので山伏の姿になっておりました。そしてもしもの時のために、義経には荷物もちの格好に
なってもらいました。

順調に北へ逃亡をしていると、加賀の安宅の関というところで通せんぼに遭います。冨樫(とがし)というお役人さんに、ここからは国のお仕事の人しか通せないよ、と言われます。

困った義経一行。これでは藤原さんに助けてもらえぬ…そこで、家臣である弁慶は機転をきかせました。

"我々は東大寺建立のために北陸へ遣わされた山伏である"と、こう言いました。

当然、関の通せんぼの方々は、疑ってかかります。
明らかに怪しいから当たり前です。

すると、"本当の山伏ならば勧進帳(かんじんちょう)という巻物があるはずだから、それを読みなさい"と言います。

もちろん偽物の山伏なので、勧進帳とかいう巻物はありません。スマートフォンもないので"ぐぐ"ることもできませんでした。

ところが弁慶はまっ白の巻物を荷物から取り出し、声を張りあげてそれらしいことを言うと、なんとOK。通してくれたのです。

「山伏を通さねば、熊野権現に罰せられまっせ」の文言が効いたのでしょうか。

いそいそと一行は関を抜けると、荷物持ちのふりをした義経が捕まりました。皆一同に「おい!ふざけんな」となるところです。

関の人たちも義経の顔なんか知らないはずですが、高貴な人はどのような格好をしていても光っていたのでしょう。

"ちと義経ににている"パスポートをよく見せろ!という具合です。

弁慶はすかさず荷物持ちの棒を取り上げ、本当は主君である荷物持ちの格好をした義経をコテンパンにしてしまいます。私たちが自分の先生を
思い切りひっぱたくよりも凄いことでしょう。

"まさか主君を殴るはずもないよね"と、関の人たちも思ったのか、はたまた"ここまでして"と同情したのか。

"なんだ人違いか…"ということで、解決。やっと全員出国です。

この後、弁慶は泣きながら主君に謝ります。しかし義経は、さっきの弁慶の機転は大変素晴らしいと誉めたたえます。


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もう少しお話は続きますが、見せ場はこれで終わり。弁慶の舞がございます。

明日のお役に支障が出ると良くないので中途半端で失礼します。

一所懸命勤めます!



2022.4.25修正 ※改行、てにをは等





先月は東北公演より無事帰京
その翌週は東京公演の勤め
さらに先日は越後の方へ参る


能楽協会のお仕事

新潟市のりゅーとぴあという劇場
常設の能楽堂が素晴らしい
「さわってみよう」という名の
能楽ワークショップと本公演

これは子供たちの為の体験で
彼らには能楽の仕舞とお囃子を
触っていただいた

能楽ワークショップにより
能楽の未来を救う…
現実問題難しい話である
しかし課題だ

砂場で砂金を見つけるような
ことに等しいと何処かで言われた

後継者を探すことは
大きな目標ではあるが
先ず、
この文化を子供たちに伝える
ことは重要である

人々は能楽という言葉すら知らない



午前中より舞台お勤めの為
前日に新潟入り


真中の種田道一先生
金剛流の大先輩である
この日の黒塚の地頭(じがしら)

右は毎度お馴染み
宇高徳成先輩

地謡というのは、
演能で能舞台の横に座り
謡を勤める集団のことで、
地頭はその中心的存在のことである
英語でリーダーのこと


旧斉藤家の別荘にて一服
斉藤家は有名な財閥
種田先生に勧められ
お庭を拝観


水の勢いは見えず
今にも枯れそうな雨垂れが
岩に落つるのみ
その音は僅かに聞こえるばかり


緑の鮮やかさに心を奪われる



愛らしい灯篭


お人形


地獄極楽小路とは何ぞやと思い
写真を撮りて調べてみる

この写真の左に
は行形亭(いきなりや)という
高級料亭があります。

小路を挟むだその右側には
昔、刑務所があったという
その理由から地獄極楽と付けたそうだ

早々と宿泊施設へ



お弟子様のご紹介にて、
ご見学にお越しくださいました。
ありがとうございます。


明日からは暖かいと
幾たびも聞くそのコトバ
夜になり思いだす


私は大自然というものを
あまり見たことがないが
謡に登場する様々な言葉たちが
その素晴らしさを教える
次はその謡をもって
人様に説かねばなるまい
本物を知りたい今日である

能面の顔もそう
私は顔を知らない
感情に会いたい

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